ニュースⅡ☆2012

              ◇無為をかこつ《漂柳舎蛙蟬》のぽつぽつな異想◇

2012年12月22日(土)雨/曇

 朝のうちの雨が、午後になって上がるも、寒い一日になる。

 今日は私用もあり、終日、家。あまり集中することができなくて、時間ばかりが経ってしまう。

 気になる「ゲラ」が、まだ、机の上の棚に置かれたままだ。ひとつ終えても、またひとつ、と続く。ひとつ、またひとつ、ひとつ、という持続の末に見えてくる光景こそが大事なのだ。

 テオドール・W・アドルノ著『ヴァルター・ベンヤミン』の「訳者後書き」の書き出しに、「希望を欠くもののために希望はわれわれに与えられている。/ベンヤミンの『親和力研究』の最後に置かれたこの言葉は、あまりにも有名である。だがこの一句はどう解釈したらよいのだろうか。」とある。

 訳者の大久保健治さんは、「20年前」に「この一句」を取り上げ、「初版」の「後書き」に記しながら、「何かを見落と」しているように思われ、「妙に気になって仕方がなかっ」たという。

 そして、20年後に、「増補・改訳版」を刊行する。その「新装初版」が出たのは、「1991年1月」と「奥付」にある。当時、机を並べていた編集者が担当していたので、1冊、貰った。

 その時から、何度か挑戦してきたが、訳者ご本人も言うように、翻訳が「なによりも読みづら」い、生硬な文体で、跳ね返されてきていた。

 それを、やっと、この「ひと月半」ばかりをかけて、暇を見て、なんとかねじ伏せた、のである。「訳者」が「改訳」にいたるまでの「20年」という時間を上回る、初挑戦からすると、「22年」をかけて「読了」したというのは、過ぎてきた、この「22年」が、ここに、厚く〔凝縮/堆積〕したような感じである。

 まあ、あまりに理解が行き届かなくて、この頭の悪さを呪うのでもあるが、「持続の末」に見えてくる光景こそ……! 堆積された過去という「廃墟」でなければよいのだが……! 

 とすれば、こうして年の瀬になると、記憶に強烈な、この極暑の夏の入口で死んだ【机龍之助】殿のことが、今日まで一日として欠けることなく思われてきたと、改めて思われ、【ベンヤミン】の脇へよけられていた【親鸞】も、「妙に気にな」るのであれば、そのように……。

2012年12月6日(木)晴/やや暖

 今日は、「無為」をかこつことなく、終日、自宅で「お仕事」に励む。それにしても、なんだか、だんだん、「舎」に行くのが億劫になってきつつある。

 以前に較べて、「パソコン」を「駆使!」(笑い)するようになって、「メール」での連絡や、著者や印刷所との「メール」での「原稿」のやりとり、整理など、便利になった。以前は、「お手伝いの方」を経由していたので、自宅で、というわけにはいかなかった。

 

 ただ、世上、よく言われる、定年後の諸氏への、その家人による〔迫害〕に似た〔まなざし〕に、折り折りさらされるようになったのが、大変つらい! 哀しい! 

「世では、〔そこへ座ったきりの男の、三度三度の食事を作るのが、大変だ、腹立たしい!〕と、しきりに憤慨の声があがっているのに較べて、〔一日、たった2回の、それも、そのうち1回は、ブランチのような、ほんの軽食なのに……〕」と、呟いてみてはいるのだが……。

 

 ついに、『依田仁美の本』の出来上がりが、先日、確定した!「13日の木曜日」だ。例によって、遅れに遅れ、待たせに待たせ、依田さんには、あやまる以外に言葉がない。

 納得のゆくところまで「編集・制作」ができたのだが、「北冬舎版◇現代歌人ライブラリー」という【新シリーズ】の「第一弾」としての「装丁」の確定や「カラー口絵」の作業などで、思わぬ時間がかかってしまった。ちょうど、デザインの大原信泉さんも超多忙だった。

 

【新しい容れ物】を作ってゆく時の〔よろこび〕は、格別のものがある。この〔よろこび〕を〔糧〕に、「うしろむきに明日へ、過去からの風に吹かれてゆく! すでに失われ(始め)た未来のほうへ!」と、いずれにしても、あるほかはない。

 

 今日で、なんとか、「北冬」014号の入稿原稿の整理を終えた。「新お手伝いの方」ができて、助かる。ただ、編集作業は、仕事の性質上、全部、一人で進めるようなものなので、やはり、時間がかかる。 

2012年11月18日(日)快晴/冷/木枯1号

 北風が吹いて、「立冬」後の木枯1号で、寒く、終日、家の中。旭川では今冬の初雪、例年より1か月も遅いという。昨日は、冷たい激しい雨と風で、終日、引き籠り。16日の金曜日も、「自宅作業」を決め込んで、終日、家の中。

 3日の間、今日、たった一度、玄関のドアのところにあるポストまで3歩分、外の空気に触れただけだが、背中が寒かった。

 

「背中」といえば、このところ、[某教授]の非公開の「ツイッター」を見ようとして、訳も分からず自分でも始めて、今更に初体験のあれこれの気分を味わっているが、ただ単に「つぶやいても」と、その単語を、それなりの「テーマ」として、設定してみた。

 はじめは、自宅での【漂柳舎蛙蟬】と、事務所での【北冬舎炉暖】の組み合わせで、適当に「一人つぶやき」をしてみようとしたが、どうやら、そういうものでもなさそうで、純粋に「宣伝・広報」を目指すのなら、そういう「場」としての認識が必要なのだった。

 としても、この「際限のない世界」というか、「無尽蔵の空間」とでもいうのか、〔ここは、「背中だけで添い寝する」のがふさわしいなあ〕と思って、茫然としたのだった。

 

「氾濫」と言っても、「充満」と言っても、もちろん、ここで、こうして発している言葉も、それから免れていないわけだが、ひと昔、ふた昔前のように、「時代と寝る」のには、そこにある「つぶやき」は、なんとも「膨大」すぎる。

 いずれにしても、つまりは、個個勝手にやるほかはないのだが、そこにある、あんなに「膨大な言葉」を見ると、「古くさい活字人間」は、すぐさま「背を向ける」ほかない感じがする。

 話が長くなって、「氾濫/充満」しそうなので、簡単に言うと、そこのところで、「背中ばかり」が感覚されたのだった。それが、「背中だけで添い寝するような、二人の《わたくし》という者である」ということなのだった。

 

 そして、何日かが経って、「ふたりの【北冬舎炉暖】」が、妙なことに「誕生」してしまって、「おまえは、またもや、どこへも行かないので……」、いまはもう、「背中だけ[で]添い寝する」のではなくて、「背中だけ[が]添い寝する」という、寂しいことになっているのだ、(笑い)……。あれ、また「露出」してしまった!

 

 それにしても、ヴァルター・ベンヤミンの「楽園」!  

2012年10月28日(日)曇ー雨

 夕方になって、雨。夜から夜へ、降りしきる。

 28日の夜更けから29日へと日付が変わってゆく時間は、まだ、胸が痛む。7月から4回目の繰り返しになるが、その時間帯の移り行きを思い出す。このたびは、依田仁美さんの、愛犬[雅駆斗]へ寄せた写真+短歌集『あいつの面影』のページをめくって、哀切な短歌に、こちらの[机龍之助]への思いを載せた。

 

「北冬」№014の原稿がだいぶ集まってきて、いよいよ、「特集*今井恵子責任編集[〈公〉と〈私〉の交差する時空について――。]に収録される、この4月に行われた「今井恵子の会」での、今井さんと西村美佐子さんとの「対談」、柳宣宏氏の司会による、日高堯子・花山多佳子・松村正直・斉藤斎藤・後藤由紀恵の各氏による「座談会」の最後のまとめを進める。

 

 今井恵子さんの歌集『やわらかに曇る冬の日』の「批評会」ではあったのだが、現在の、現代短歌が抱える問題をも意識して討議された、充実した会であった。その「批評」そのものを活字にして、多くの人に「問題」を提出しようという「特集」である。

 

 今井恵子さんとも相談し、「今井恵子論」を3人の方に新たに書いていただいた。春日いづみ・今井聡・米倉歩の各氏である。春日いずみさんと今井聡さんからは、とても鋭い原稿が入って、大いに喜んでいるところだ。

2012年10月21日(日)曇

 今日の天気を記そうとして、ハタ、と考えてしまった。「曇?」「晴?」。「北冬№014」の原稿の締切の時期になり、少しずつ原稿が入ってきて、原稿受け取りのお礼の「メール」を打ったり、「特集」に収録する「パネル討論」の原稿のまとめを進めたりして、天気に意識が向かなかった、というのであれば上等だったのだが……。

 若さでいっぱいいっぱいになって、仕事をしていたときは、「今日の天気が何だったか、覚えているようだったら、ろくな仕事をしていないということだ」と、年配者から、また同輩から言われた。

 

 そういえば、10月で、この「ホームページ」も一年が経過した。以前の「ページ」をやめて、「新刊案内」に困って、山本かずこさんからこの「Jimdo」のことを教えてもらっていたので、なんとか挑戦してみたのだった。 

 あれこれ書き散らすばかりで、「刊行案内」になかなか手が回らない感じで、日々が過ぎてしまった。「版元」として、もう少し「刊行書」の案内の充実を心がけ、「売り上げ」を向上したいものだ、などと述べておいて、「2年目」の始まりの「抱負」としたい。

「三田文學」2012年秋季号
「三田文學」2012年秋季号
『東京詩集Ⅰ』(1987年3月/作品社刊)
『東京詩集Ⅰ』(1987年3月/作品社刊)
『東京詩集Ⅱ』(1987年7月/作品社刊)
『東京詩集Ⅱ』(1987年7月/作品社刊)

2012年10月15日(月)晴

 昨日は表紙やカバーの写真を紹介する余裕がなかったので、あらためて、「三田文學」2012年秋季号、『東京詩集』ⅠとⅡのカバーをご披露しておきたい。

 1986年刊の『東京の正体』が言及されていたので、1987年刊の『東京詩集』を紹介しないわけにはいかない。詩人の正津勉さんを名目上の「編集」にして作ったシリーズだ。

 各巻の解説者が、「Ⅰ鮎川信夫・Ⅱ北村太郎・Ⅲ吉本隆明」という3氏で、実に充実した「東京詩史アンソロジー」となった。3氏に、正津氏と一緒に「談話解説」のインタビューに行った折の印象も、いまでも断片的だが、色濃く思い出せる。

「田村隆一」という「妥当な人選」もあったが、「北村太郎」の詩も、人間も好きだったので、一緒に仕事をしたかった。その後のご縁は、とても深いものになった。正津氏の「北村太郎へのインタビュー自伝本『センチメンタル・ジャーニー』」も、この仕事がきっかけだ。

『東京詩集』は「Ⅲ」まであるのだが、書棚に一緒になかったので、後日にしたい。 

2012年10月14日(日)曇

 昨日、今日と、またも終日、家。「膝を抱えれば……」という気分で、まるで弾まない。新聞を取りに、玄関から一歩、外へ足を踏み出しただけだった。

「ステッパー」も「レッグマジック」も、少しやりすぎると、やはり脚に負担になるようなので、休み休みやることにした。「錦華坂」に、どうまみえるかどころではなく、筋肉のしだいしだいの減少を少しでも食い止める、ということを、しっかり 脳に植えつけることが、まず始まりのようだ。

 

 仕事は、あれこれ少しずつ手をつけるだけで、時間が経ってしまった。

 今月発売の「三田文學」2012秋季号(№111)掲載の「昭和文学(戦後~昭和末)ベストテン 評論篇」がたいへん面白くて、久しぶりにワクワクしながら、お仕事に真面目に取り組まんといかん! と思いながら読み進めてしまった。

「辻原登・井口時男・富岡幸一郎・田中和生」の4氏による各5篇の「選考」と、その「座談会」に、実に根拠と説得力があって、いい。こちらも、「参加」している気分になる。

 商業文芸誌では、このところ、「現在それ自体なスキャンダル」に目がいっぱいな感じで、こういう真っ当な「現在それ自体の形成」の視野が欠落しているようなので、リトルマガジンの役割を、尊重する思いになる。

 同誌では、以前、「小説篇」もやっていて、地道な企画の追究は学ばなくてはいけないのであった。

 

「ベストテン」は、実際に手にとって読んでほしいが、「小説篇」の折の秋山駿氏に代わる辻原登氏の選考で、ぜひ紹介したい一冊がある。それは、「別冊宝島21「東京の正体」榎並重行・三橋俊明著」(1986年)だ。

 この「ムック」自体には、こちらは記憶にないのだが、座談会での辻原氏の発言、「そこには榎並重行と三橋俊明の二人の、東京を破壊してヨーロッパの模造装置としたやつらはだれだ、という強烈な怒りが満ち満ちている。」が、当時の気持ちへと遡行させてくれた。

 当時の建築家らがはしゃいで、「路上探検隊」などと東京で騒いで、それがあたかも、いまはもう、みんな、すっかり忘れてしまったが、《地上げバブル》というものがあって、そのお先棒を担いだようだと、批判したことなども思い出した。  


2012年9月23日(日)雨/曇/雨 冷

 一日中、降ったり止んだり、いきなり冷たい空気の一日になった。

 昨日は、家人の実家の墓参に行く。今年は「22日」がお彼岸の「お中日」ということで、不思議な感じがしていたが、そう感じて当然なのであった。

 今朝の新聞の記事によれば、明治29年/1896年以来の、「116年ぶり」の出来事なのだそうで、まだ19世紀以来のことなのだから、これはほんとうに【初体験】だから、怪訝な気がして当然なのだった。

 

 このところの「四日」もかけて、大原デザイナーと深夜の「メール」の受け取りっこで、江田浩司さんの『まくらことばうた』の「帯」の決定稿に、ようやく今朝、たどり着く。

 帯幅が、「四六判」のハードカバーより「天地」が五ミリ狭いので、キャッチコピーの文字の大小、文字の数など、神経質に工夫する感じになる。ある意味では、それだけ工夫を楽しんでいるとも言える。

 

 そういえば、この本は、「[ポエジー21]シリーズ」の「第Ⅱ期」の3冊目で、新シリーズの「帯」には「境界を超えるポエジー!」と、通しで印刷している。直接、この「キャッチー」の反映とは関係ないと思うが、「ポエジー」についての、眼に止まった二通りの「言」を思い出したので、いい機会なので、ここに記しておきたい。

 一つは、「ポエジーというものは、もともと境界を超えているものだ。」というもの。

 いま一つは、「ポエジーというものは、境界上にあるものだ。」というもの。

 どちらも、完全に正確な言い回しではないかもしれないが、意味的には間違えてはいないと思う。

 

 もちろん、この「ポエジー」というものは、たいへんな難物で、これについての単なる解説から、詩学、哲学にわたっての議論まで、古往今来万人万説であろうから、それぞれの「言評」を生きていくほかはないのだが、「ポエジー21」シリーズでは、「短歌定型表現」をもっぱらとする「表現者」において、それはいかなるものか、「本」という具体的な姿をとって、作品内容で応答していこうとするものなので、「教壇からの原詩論」や「二重言語の往来論」とは違うものだ。

 このたびの、江田浩司さんの『まくらことばうた』も、じつにこのことを達成していて、感服しきっている。

 また折りをあらためて、「シリーズ」のラインナップは紹介したい。

 

 今日は、依田仁美さんの『依田仁美の本』の「奥付」のレイアウトもやる。「奥付」のスタイルは、当社刊行第一冊からこれまで変えることはなかったのだが、それは、「舎」としての「顔付」でもあるからだが、当社の、この新シリーズ「北冬舎版◇現代歌人ライブラリー」の「第1弾」への強い思いを、[変化]によって表すことにした! 

「シリーズ」の「第2弾」「第3弾」も、乞うご期待を! だ。

 まあ、「弾」だなどと、大砲の弾みたいな物騒な比喩もおかしいけれど……。

2012年9月16日(日)曇/雨/晴/曇/雨(29度)

 沖縄を大型の台風が襲い、その余波ではっきりしない天気になる。曇り、晴など、一定しないお天気だ。暑すぎてだるいのも、蒸し暑くてだるいのも、気分はぼんやりするばかりだ。

 

 昨日、今日と、また、終日、家。すっかり、引きこもり状態だ。[積極的な気分]からははるかに遠いのは、おなじみのものだが、ことに〔夏の終わり〕はなおさらだ。

 引きこもって、13日の木曜日に出て、家に持って帰っていた、江田浩司さんの『まくらことばうた』の「再校ゲラ」に取り組み、「帯文」に頭を悩ませる。

 素晴らしい作品がたくさんあって、どの一首を帯に引用するか、迷いに迷う。「キャッチコピー」も、つい、このものすごい業績をひと目で読者に伝えたいがあまり、悩みに悩む。

 一冊ずつ、いつも、こんな調子なのは、頭の出来が悪いのだ。結局、【読者】から「何を言いたいのか分からない」という〔評〕を、一度、二度ならず、頂戴することになる。

 ただ、こちらの思いとしては、「刺激的道先案内」のようなつもりで、単に「的確な内容紹介」、もしくは大仰な「商業的内容宣伝」を目指していないので、そんな【目線】に反感を覚えられたりするのだ。この門から、どうか、中に入って下さい、とだけ、お願いしているつもりなのだが……。

 まあ、「詩歌文学書」の「帯」については、【旧弊】から【ポストモダン】まで、さまざまな〔評の基点〕があるので、いちいち気にしていたらやっていられないのだが、著者自身が気にされるのは本意でないので、やはり、悩み、迷う。

 

『依田仁美の本』の「ページ構成」も進行する。内容がほんとうに豊富なので、完成が、われながら楽しみだ。依田さんも、とても楽しみにしてくれて、それこそ、キャッチーな「帯文」も、二人して、脳から溢れんばかりの日々の進展だ。

 ほかにも、何人も、「首を長くしてくれている」、その首の伸びる音が、日毎、夜毎、聴こえてくるほどに、秋の清涼の空気は、しだいに澄み始めるだろう。

 にしても、[消極的な人生]であることよ。 

2012年9月10日(月)快晴 暑(32度)

 いつまでも、暑い。秋の冷風には、ほど遠い熱の空気だ。この数年、陽射しの強さがいつまでも、顕著に続く天候だ。

 

 昨日、このページに記した講談社版「現代の文学25吉本隆明集」には、「転向論」も収められていて、この集には、ほかに「共同幻想論」「高村光太郎」「高村光太郎小論集」「マチウ書試論」「丸山真男論」「埴谷雄高」が入れられている。「昭和47年9月16日」が「初版発行」で、手元にあるのは、その「第2刷」で「昭和49年4月16日」の日付だ。

 大著を除けば、それまでの代表的批評文が収録されているので、購入したのだろう。講談社の全集の一冊であることに、怪訝な思いを感じたのを覚えている。定価は「950円」で、給料もだいぶ上がり、たしか新刊本の書店で購入したと思うのだが、どこで買ったか、思い出すすべもない。

 

 同年代の人間たちに較べて、同時代の問題意識の高い出版社へは遅れて入ったのだが、そこでは、もっとも出来の悪い編集者で、右も左も【吉本理解者】で、もっとも親しかった友人もその一人だったから、無理をし続けるほかなく、仕事がらみもあって、頑張ったのだろう。

 ほかの者たちは、とっくに、【吉本隆明】を、あれこれ、学生時代から読んできたようだったが、こちらは、同じ【吉】でも、高校時代から「吉行淳之介」「吉野弘」「吉増剛造」だったから、〈理論〉も推して知るべしのレベルだった。ヨコハマの街を、一人でふらつく高校生だったから、しかたがない。

2012年9月9日(日)快晴/暑

 燃え残りの夏の日の続きは、空が青く、雲が白く、強い陽射しの一日だった。

 終日、家の中。そういえば、一歩も外に踏み出さなかった。急速に弱まる足腰を憂慮しているのだが、つい、〔無為〕に身を任せてしまう。

 そこで、[ステッパー]の埃を払い、外部への《前進》は次の段階へと先送りすることにして、とにかく、その場での《足踏み》でもよいから、《行動》を起こすことにする……。

 

【親鸞】に導かれ、この夏に新盆だった【吉本隆明】さんを送るようなつもりで、『最後の親鸞』を読み終えてから、野間宏の【親鸞】のほうへ行くか、吉本【親鸞】で気になった〈党派性〉のことについて確かめるか、お盆過ぎに少し迷っていたが、『全著作集4』の目次を、熱風の中、パラパラやっていたら、「歎異鈔に就いて」というタイトルと「マチウ書試論」が並んでいた。覚えていないものだ。

 そうであれば、それが縁なのだから、「歎異鈔」「マチウ書」ということになった。郷里に容れられない信仰者、「関係の絶対性」など、流行り病の中でのように飛び交っていた〈言葉〉に、何十年ぶりかに、当時に読んだ同じ本で触れることにしたのだった。

 

 今日は、『共同訳聖書』の「マタイオスによる福音」を飛ばし飛ばし読んだが、あとで、ちゃんと読むことにしたい。

 吉本【マチウ書】は、徹底的に、信仰心を排除して〈文学〉として解読する〈試行〉だ。『聖書』への態度として、西洋人のキリスト教界ではなかなか出来難いことだろう。しかも、東洋人の〈党派性〉への憎悪がいっぱいに満ちた文章は、珍しいにちがいない


2012年8月28日(火)晴 暑

 昨日の「出て来い、ニミッツ、マッカーサー」だが、そう声を張り上げても、結局、厚木飛行場に、パイプ咥えて降り立たられたのだった。厚木と相模原には、今でも、屈辱の蛇蝎のような悪霊が跋扈していそうだ。

「所詮は敗戦国の遠吠えであったことよ!」という高笑いも聴こえてきそうな……。「必敗者の栄光!」と見栄もきれずに、ただうつむくばかりで……。

             ……………………

 大田美和さん最新短歌が届いた。

「歌壇」6月号の「母語であるだけ」という12首1連の「社会性」に表れた痛み……。身につまされる「一首」。

 中途半端な「わが道を行く」はやめなさいカーナビの前の夫婦喧嘩も

  また別の1連は、「未来」8月号「プリンと青梅」9首より、単純に共感した1首。

 五分話しただけで七日は生きられるそれが五人もいれば上出来

 はて、何人を数えられるだろうか……?

2012年8月27日(月)快晴・暑熱

 昨日、ここに記したのだが、また、保存に失敗したので、【社会批評】を除いた、ほんの一部を、思い出して、書き留めておきたい。

「【社会批評】は、H舎の営業にダメージを与えるので、極力、やめたほうがいい! 【社会批評】を理由に、一部で、ヒソヒソと/声高に、〈H舎から本を出しても、【賞】の一つも、リーダー部門から与えられないから〉という語り/騙りが、秘かに/公に、任務遂行/営業漫才の旗の下に、堂々と/姑息になされているから!」ということなので、絶対に、やめたい! 

 腰が引けて、クルッという回転音も響き始めた、とか……?

 戦後生まれだが、太平洋の戦争中に叫ばれたという、「出て来い、ニミッツ、マッカーサー!」という標語を思い出す。以前、何冊か手がけた、M・Kさんの本に出ていた。 

2012年8月18日(土)雨/曇/晴 雷雨・蒸し暑い

 昨日は父親の命日で、近くの菩提寺に、家人と徒歩で墓参りに行く。「机龍之助」殿の「49日」でもあった。夕刻、強烈な夏の日差しが少し弱くなってから、家を出る。お盆休みを一日余分に取ったつもりで、今年は、仕事に行かずに、帰途、お寺の近くの「ブックオフ」に寄る。

「ブックオフ」は、業界人としては、あまり好ましいストアではないとずっと思っていたので、それまで、まったく利用しなかったのだが、この2年ほどは、一年に一度くらいは寄って、目に止まった文庫などを買うようになってしまった。

 昨日は、「売上スリップ」が入ったままの学研の『漢字源』を「105円」で買う。新品同然で、どういう出自のものか、大いに戸惑いながらも、買ってしまう。 


2012年8月5日(日)曇/晴 蒸暑

 昨日、今日と、終日、家の中。「机龍之助」殿がいなくなってから、「用足し」の介助のために庭先へと出るついでもなくなって、多くの時間を、食卓の前と机の前で過ごす。あっちで新聞を読み、こっちで雑誌を読み、部屋で併行読みの本を、立ち読みする。

 エアコンを入れて、気持よく仕事でもして過ごせばいいのだが、30度を越える蒸し暑さの中、汗を滲ませて、だるく、まとまりのない時間を過ごすことが、なんだか自然な感じだ。

 持ち帰った「原稿」と「ゲラ」を、ほんの少し、拾い読みした程度で、この二日は、ほとんど仕事に集中しなかった。

              …………………… 

 先週は、2日(木)、3日(金)と連続して、原稿の打ち合わせに人と会い、さまざまな感情を体験する。喜ばしい感情、不快な感情、背後にどんな「旗」も背負わない、背負う「旗」のない身を、あらためて感覚しながら、高校生の頃とほとんど同じような寄る辺のない気持ちで、横浜駅の人混みを抜け、また錦華坂を下ったのだった。

              ……………………

 そういえば、「背負う旗」で思い出したが、以前、親しくしていた「大出版社」の同年の編集者が、「たった一人の出版社」の編集者である小生に、「旗をしょって、仕事を進められる結構な身分のわれらに較べて、ほんとうに大変だよな。」と大いに同情してくれたことがあった。配慮のある言葉だと、相手の人柄も理解していたので、素直に受け止めて、有り難く、忘れずにいた。

 それから数年、同じ「大出版社」の中年の女性編集者に、その話をしたら、「わたしたち、どんな旗をしょっているというのかしら。」と、ニコリともせず、返してきたので、大いにヘコンだことだった(笑)。

               ……………………

 室内での「立ち読み」から、一節を紹介しておきたい。話題になった本だから、刊行当時、引用している【詩人】もあったと思う。

 吉本隆明著『最後の親鸞』の「和讃」終わりのところ。

「親鸞は、懺悔を「親鸞一人が為」に帰したので、人間存在の罪障一般にたいする懺悔ではなかった。空也の和讃にも、一遍の和讃にも、かれら自身の自己懺悔と罪責感はない。親鸞の和讃にだけそれがある。空也も一遍も宗教的なイデオロギーを宣布したかもしれないが、ほんとうは思想家としての与件に欠けている。親鸞は、浄土教義を全部うしなっても思想家でありうる、というように存在した。このことは、親鸞の和讃を〈非詩〉的にしたが、同時に、詩を書くがゆえにわずかにポエトたるのたぐいとちがうところで、かれの和讃だけがここに詩人があり、そしてじぶんの詩を書いたといえる与件をそなえていたというべきである。」

               ……………………

 ヘコミかげんな昨日、今日、3人の【応援団】からの、「ひとりひとりの言葉」で届けられた「メール」に、大いに慰められたのだった。たった一回きりの、2012年夏8月の一日だ。

 存在それ自体としての、詩人、歌人、詩、短歌……。  

2012年7月28日(土)快晴|暑

 昨日、今日と、日ざかりに出てゆく勇気に欠けてしまったので、終日、「自宅作業」をする。冷房のある部屋、ない部屋を行ったり来たり、汗も出さないと、と思ったり、だらだらしても、と思ったり……。

      ……………… 

 生沼義朗さんからの「メール」で、『関係について』の反響が「ネット」で続いている、という連絡があって、気をよくして、同時並行的に進行している8月以降の本の「校正」や、「目次構成」「原稿整理」、その他に、同時並行的に取り組み、ひとつずつ、目標をクリアしてゆく。

      ………………

 暑さの中、勤勉な夏だ! 去年の夏は、「机龍之助」殿と、神社に下りてゆく道の木陰に坐り込んで、涼しい風に吹かれた日があった。

      ………………

 この一年ほど、仕事でもなんでも、長く椅子に坐っていると、足が固まってしまうので、ときどき立ち上がって、ストレッチをしたり、立ったまま、本を読んだりする。長年の「電車内読書」で鍛えた[思索]と[足腰]を思い、暑い室内で立ったままの読書が[脳と体]に良い[集中心]をもたらすのを感覚する……。内容が[心身]によく入ってくる……(笑)。

      ………………

 そういうことで、暑い部屋に立ちつくして、1964年8月7日購入の日付のある、本多顕彰『歎異抄入門』の、48年ぶりの再読を、先日終えたので、吉本隆明『最後の親鸞』の続きを少しと、新しい仕事の参考に急に読む意欲を覚えたモンテーニュ『エセー』を引っ張りだし、パラパラ、拾い読みする。

      ………………

 また、親友の増子信一さんが「すばる」7月号で、加賀乙彦氏にインタビューしていた。加賀氏が「ヨハネ福音書に、「風は己が好むところに吹く、汝その声を聞けども、何処より来り何処へ往くを知らず。すべて霊によりて生るる者も斯くのごとし」(三章八節)」という一節を引用していたので、【講談社学術文庫版】の『新約聖書』を探し出し、当たってみる。

 これは、日本で初めての【カトリック/プロテスタント共同訳】で、資料に持っていたのだが、ちゃんと読んだことがなかった。その訳は、「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くのか知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」とあって、短歌の口語と文語の表現のことも思われた。

 暑熱の27日、28日だった。


2012年7月15日(日)曇/晴

 茹だるほどの蒸し暑い一日。この数日の暑さに、早くも熱に当たった感じで、終日、「無為」として過ごす。不規則な時間の過ごし方が、すぐに祟るが、「規則的に生きられない/生きたくない」と、ここまで「生きてきて」しまった。

 

 数日前、一昨年の年末に購入して読み始め、3月の超巨大震災で読みかけになっていた、五木寛之氏の『親鸞』(上・下)と、今年の年初に購入していた『親鸞 激動篇』(上・下)を、通して読み終えた。

 

 幼年期から青年期、流罪時代、関東での活動までが、生き生きと描かれた、総計[1200頁]強の大長編だ。親鸞の詳しい来歴は知らないが、生活史を小説としてダイナミックに、またその信仰の教えの根本を、小説に見事に「溶けこませて」、帯に言うように「面白く、感動する」作品となった。

 最晩年の京都への帰還、生活がどのように描かれるのか、とても楽しみだ。

 

 15歳の夏休みに、何を思って購入したのか、いまはもう、しかとは思い出せないが、「光文社」の「カッパ・ブックス」の一冊、本多顕彰著『歎異抄入門』を読み、わが家が「浄土真宗」でないのを残念に思ったことを、思い出した。

 ちなみに、わが家は「日蓮宗」で、『法華経』も雄大すぎて、理解が届かない。

 

 吉本隆明著『最後の親鸞』も、購入したときに読みかけ、途中でやめていたので、この夏は、氏の新盆でもあることだし、あらためてとりかかることにしたい。「往相」や「還相」、そして、また「横超」の理解など、いま一度、頭を痛めることにしよう!

 

 そういえば、学生時代に同級生が、「手には吉本(隆明)、心は五木(寛之)。」という〈コピー〉を言っていたことも、思い出した。 


2012年7月8日(日)曇-晴

 終日、家。一歩も、外に出ない。

 昨日の「7日」は「机龍之助」殿の誕生日だ。「平成7年7月7日」に《天の川》の向こうからやってきた。「三兄弟」の中で「いちばん鈍くさい」と言われ、貰い手がなく、母犬「クロス」のそばに残された。ちなみに「クロス」はメス犬で、貰い手がなく、その母犬「ルーイ」のもとに残されていた。「ルーイ」もメス犬で、子供が選んだ雄犬とは違う犬だったという。みんな、適当な雑種で、【番犬】暮らしが本来だった。

 そうして、満17歳に、あと8日を余して、老犬「机龍之助」殿は、先日、「天の川」を帰って行ってしまった。「涙の天の川」は溢れ、七夕には、きっと、また会える、と……。 


2012年6月15日(金)晴/曇

「舟」20号の「藤田武インタビュー座談会 わが夢遊びは続く」がおもしろい。[インタビュアー:五賀祐子・加藤英彦/コーディネーター:田中律子]の方々が【藤田武】さんを囲んで、「作歌の原点」から足跡、「今後への思い」、そして「藤田氏にとっての短歌」まで、例歌も的確に引きつつ、その魅力を照らし出している。

 中でも、田中律子氏が指摘する藤田武氏の「キーワード=夢闇・夢遊び」が、いまさらなのかもしれないが、凄い。「反時代の精神」という評論に、「ぼくにとって、短歌とは、夢遊びの所産であり、夢闇のなかをひとり、ことばによってたぐりよせてゆくことである。」「夢闇の世界では、…… 一瞬、一切が凍結されてしまう …… そこは、時間の非在なる反現実の世界である。」ことなどが書かれている、という。

 この、「前衛短歌」にとって重要な論文を未読であるのは恥ずかしいところだが、「夢闇」に象徴/暗喩される〈世界〉は、加藤英彦氏が言うように、「現実世界の対立軸ではなく、むしろ現実の呪縛や時代を超えた場所」であり、「現実を越境したところにひらける、もう一回り大きな別の地平」なのだろう。

 このことは、1960年代から、この2010年代へと到ったところで、初めて言える。これまでは「対立軸」としてばかり、いや今でもそのように、大方は理解されている。「辺境論」なども、「明治中央集権国家建設」などとばかり、「ためにする言説」が〔バカの鎧〕のように「対立軸」として連結するけれど、本当は、加藤氏が言うように、「超越する別の地平」という、本質的な思索がなければ、何も見たことにはならないのだろう。

 今に到って、「夢闇」という語の凄さに、復讐されるかのようである。にしても、〔我ら真の敗戦民主主義世代〕は、井上陽水が歌う「夢寝見」の《チャラチャラ世界》にまどろんで、せめてもと、凡庸な編集者は、「夢編み」に精を出すことくらいしかできないのだが……。

2012年6月7日(木)快晴

 よく晴れ上がった一日。出がけに、ぐっすり寝込んでいる「机龍之助」殿を起こして、〔オシッコ・ウンチ〕をさせようとするが、だいぶ弱ってきてしまって、このあいだうちより、出が悪くなってしまった。後ろ足だけでなく、前足にも力が入らなくなってきて、〔マーキング〕の習性を利用しようとするが、それもままならなくなってきた。「豆乳」と「ビスケット」を一枚、それでも口にして、〔オシッコ・ウンチ〕もなんとかなったので、嬉しくなる。

 そうして、今日は、「机龍之助」殿が「満16歳と11か月」を無事に迎えたのを喜んだ。

2012年6月3日(日)晴/雨/晴

 敬愛する【依田仁美】さんが主宰する雑誌「舟」20号[2012.6 夏号]が届く。「162ページ」もある、見るからに「力作号」だ。短歌の掲載も、ざっと数えたところ、45首・30首・15首など、「力作」揃いだ。

 まだ、時間の余裕がなく、中身もゆっくり読めないが、「藤田武インタビュー座談会~わが夢遊びは続く~」が面白そうだ。【五賀祐子・加藤英彦・田中律子】の各氏の名前がある。《感想》はいずれ……。

 先日、いろいろな場所の《表紙》について言及したが、本号の表紙は、とても素敵だ。【舟の会】の《機関誌》としての[顔]を、ちゃんとしている。[表紙制作]についての言及が見当たらないので、会全体の意思の反映ということに、とりあえずしておくが、[目鼻立ち]もきちんとしていて、さりげない[紅白粉]もおしゃれだ。[意味]を表現している。

 《敬愛》の相手が代表する雑誌だから、よけいな〔おべんちゃらか〕と思われてもいけないが、《素敵》なものは、やはり《素敵》と言っておこう!

 ついでに、「ES」の【高麗隆彦】さんのは、もう飽きたので、すこし考えてね!【加藤英彦】さん……。このところ、もう1年にもなるか、どうした加減か、経費削減なのか、あるいは【主宰】のゴキゲンを損じたのか、送られて来なくなったので、最近はまったく知らないが、グループ誌「りとむ」と同じデザイナーなのは、いつも、同じ傾向の《画像》というグループを連想してしまうので、もったいない……。


2012年5月20日(日)曇/晴

 昨日、今日と、終日、家。

 足腰がすっかり弱ってしまった「机龍之助」殿と、多くの時間をそばで過ごす。仕事をするにも、本を読むにも、新聞に目を通す時も、かたわらに横たえさせている。そばから離れると、ぐっすりと寝込んでいる時以外は、しばらくすると、うなったり、吠えたりする。平日の昼は〔家人〕と一緒にいるが、夜から朝までは、こちらの《担当》だ。元気な時は、ただ犬が外にいるというだけだったが、家の中に入れて以来、いまは、すっかり、《共生/共棲》という感じだ。ひと冬を共に過ごしてきたら、〔世間〕から《懸隔》した感じになってしまった。

 写真は、この四月に、校庭の桜が満開の隣の小学校の擁壁の下で撮影したものだ。鼻に花びらを2片、[この春]の記念に載せて、撮ってみた。


2012年5月6日(日)快晴/晴/雨・強風/晴

 ひどい天気の[黄金連休]も終わった。竜巻や土砂降りが、日本のあちこちで被害をもたらした。この十数年、地球規模で《天変地異》の様相が続いている。この《文明》も、いよいよ加速度を増して、滅びへと向かっているのかと思ってしまう。

 地球上のどんな《文明》も2000年くらいが限度だと、昔、聞いたことがある。人類が《火》を《エネルギー》にして《文明》を進展させればさせるほど、《加速度》を増す。どこの何を《基点》にするのかによって、《歴史の限度》は違ってくるのだろうが、いずれにしても、現在が《天変地異》の有様にあることは疑えないところだ。

 それから逃れようとして、過去の〈日本〉では【元号】を変えたりしたのだが、何かよい考え方はあるのだろうか。

             *

 この3日、老犬「机龍之助」殿のトイレに、お姫さま抱っこをしたり、お腹を抱えて立たせ、歩を前に運ばせたりして、庭先や家の前の幅4メートルの道を往復したり、おやつや食事をやった以外は、すっかり勤勉にお仕事をしてしまった。だいぶ滞っていた、「ゲラ校正」「原稿整理」「原稿読み」など、《手広く》してしまった! 

 なかなか予定通りにはいかないものだが、ほぼ【目標】に到達したのだけれど、やるべきことが、いつも、一つ終えれば、また一つと、〈転がり落ちてくる石〉を、上へと運び上げている気分が続く。編集部兼制作部兼営業部兼総務部兼エトセトラ……、ケ・セラ・セラ……、か。

 それにしても、数日前、お腹をこわしたという「机龍之助」殿の食欲が、それ以来、少し落ちたようなのが、気にかかる。「豆乳」の飲みっぷりも、前ほどの勢いがない。明日、5月7日で「満16歳10か月」になる。なんとか、「満17歳」を迎えてほしい。人間の「100歳」にはならないだろうが、「90歳」にはなるだろう。

 内田百閒の『ノラや』ではないが、夜の夢に見て、その姿を「机龍之助殿、机龍之助殿、……」と求めたり、なつかしい高原の駅に一緒にいたりと、胸苦しいものだ。 

2012年4月28日(土)快晴/暖

《増殖するホームページ》を〔乱雑な精神〕のままに、常に{途上にあることの貧困}に委ねようとしているだけなのだが、奇っ怪なことに、[このページ]を、前回から三度ほど書き込んだのだが、そのつど保存に失敗して、【更新】することが叶わなかった。

 その【徒労感】たるや、【夢に出て来る昔の恋人】のようなもので、あの【取り返せない感じ】は「奈落の底」同然だ、とは、大げさすぎるが……、それでも、いまここで、改めて挑戦しているわけだが、これがこのまま残っていたら、うまくいったということだが。

 

 それで、何を記そうとしていたかといえば、【錦華坂を登り/下りする蛙蝉】の日々から、また突然、〈親しい一人〉が「界」を違えてしまった「無常」についてだった。

 日々、【北冬舎】のあるマンションの「エントランス」に足を踏み入れれば、「管理人室」の机に向かって、同年輩の〈彼〉が本を読んでいる姿があって、それが《日常》というものだった。「青春」から数十年、こちらと同じ匂いのする、その〈背中〉だった。その〈彼〉が倒れて、突然、もう二度と帰らない、というのだった。

「サヨナラ」の言葉もなく逝ってしまったので、せめてもと、箱の中の冷たい陶器の中の〈彼〉に、数日前、「サヨナラ」を言いに、行ってきた。寂しい、「4月の別れ」が、また一つ、増えてしまった。〈昨日の姿〉が〈今日の姿〉でいないなんて!

 

【錦華坂の急坂を登り下りする蛙蝉】の歩行は、先日からつまずきがちだ。

2012年3月20日(火)春分の日 晴

 終日、家で、ほぼ、無為に過ごす。「机龍之助」殿を、三度ほど、〔お姫様抱っこ〕して、庭先で小用をさせる。後ろ足がすっかり弱ってしまい、支えてあげないと、立つこともままならなくなってしまった。少しでも運動を、と思い、お腹を抱えて歩かせる。中腰で支えている、こちらの足元も危ない。

 録りためてある「映画」や【リーガエスパニョール】や、アメリカ製のテレビドラマを、今年はなかなか見る時間がない。今日は、無為を決め込んで、「アスレチック・ビルバオ×バレンシア」を、前半の45分だけ観る。「バルセロナ」はいいが、モウリーニョの「レアル・マドリード」は、ロボット軍団みたいに汚くて、まるで美しさがなく、ほとんど観る気がしない。今シーズンは、ビエルサの「ビルバオ」だ。言ってみれば、選手個々の才能を引き出し、芝生の上で活き活きと生きることが目的のサッカーだ。ライカールトが率いていた頃の「バルセロナ」の美しさはないが、サッカーをするためのサッカーで、目を離せないうちに45分が経っている。ついでに、「ナース・ジャッキー」も観てしまった……。

 本は、古本屋で買ったまま、ビニールの封も切らないまま積んであった、『初代川柳句集 上・下』(岩波文庫/1995年7月)の巻頭の、編者・千葉治の「解説」を9ページほど読んで、あと15ページ残っていた、岡井隆著『わが告白』(新潮社/2011年12月)を読了する。「告白」というものは、困難な〈問い〉に、口にしようとする一行一節ごとに必ず向きあうことが思われて、読み手も苦しくなってくる。文中にたびたび出てくる、担当の編集者の原稿督促が、身につまされる感じだ。有名な、この編集者とは、以前、ある詩論家がポルトガル移住する折の内輪の送別会で一緒になったことがあって、同じ卓の者の眼を意識しない、「駒形どぜう鍋」の〈お代り〉の独自な督促の自由さに感心したことがあった。

2012年3月11日(日)晴

 終日、家で、無為に過ごす。「それでも、日々が続くことの過酷さ」として、一年という時間があることの摂理を想う。次に襲来して来るものへの不安と恐怖の中で、日々が過ぎて来て、また、これからも過ぎようとしている。いったい、いつまで、この、毎日があるのだろう? 「その時」より、この1年、「生命体としての地球の営み」の表皮で、行為を繰り広げて存在している人類の、儚さばかりが思われてならない。自分が発するものも含めて、こんなに、あちこちに、たくさんの「言葉」も往来して……。