ご意見掲示板☆2015/2014

       ◇文末に「コメントの掲載は不可」とメモして下されば、掲載、公開されません。

コメント: 10
  • #10

    Miwa Ota (水曜日, 08 4月 2015 22:11)

    加部洋祐歌集『亜天使』、書影だけでも早くアップして下さい! とってもいいです!!

  • #9

    大田美和 (水曜日, 31 12月 2014 16:10)

     2014年の収穫は、「文学でしか表せない人生の真実がある」ことの再確認でした。この同僚の発言を少しいじって、「さまざまなアイデンティティの複合体である魅力的な人間は、音楽でも絵画でもなく、かくも複雑な織物である文学テクストでしか表せない」と言い換えたいと思います。
     大学のゼミでは、文学言語というものが今のコミュニケーション教育で育った若者にとって、いかに難しいかということを改めて知らされました。同時に、文学にあまり興味がなさそうな学生でも、なぜある作品は時を超えて残るのか、なぜ古典を読めと言われるのかといった本質的な問題を知りたいという人間らしい欲望を持っていることも教えてもらって、実りの多い一年でした。文学と現実をつなぐということも、ゼミのグループワークで私のほうが多く教わりました。
     文学と人間のために新年も力を尽くしたいと思います。どうぞ良いお年をお迎え下さいますように。 

  • #8

    大田美和 (土曜日, 13 12月 2014 21:29)

    野樹かずみさんが荒牧三恵さんの歌を引用しながら、ご自分の思いをブログでつづっていらしたので、ぜひお読み下さい。

    http://yumenononi.blog.eonet.jp/

  • #7

    hokutousya (土曜日, 08 11月 2014 02:07)

    北冬舎柳下和久
     大田美和さんから昨日の投稿文について、2箇所、訂正のご連絡がありましたので、板書いたします。

    「アーシュラ・K・グウィン」→「アーシュラ・K・ル=グウィン」
    「ひずませ」→「ひざまずかせる」

     プリントなさる場合は当該箇所をご訂正ください。

  • #6

    大田美和 (木曜日, 06 11月 2014 19:25)

     路上で発売中の雑誌「ビッグイシュー」最新号(11月1日号)の巻頭は、『ゲド戦記』でおなじみの、米国の作家アーシュラ・K・グウィンのインタビューです。「瀕死の苦しみにある資本主義にできるのは、自ら触れるものすべてを支配し、ひずませ、ばかげたものにすることだけ。作家も資本主義の枠組みの中で書き続けるしかありません。・・・でも、作家が自らの精神を資本主義に売り渡さず、自由な人間として考えれば、きっと方法を見つけられるはず」。そして若い作家たちへのメッセージは、「あきらめないでほしい。書きつづけるかどうかは自分が決めることだということを忘れないでほしい」。
     他にも智慧と勇気を与えてくれる言葉がたくさんあり、ぜひお買い求めになって、全文をお読みください。あの震災を経た後も、文学を取り囲む現状は瓦礫だと言いたくなってしまう私ですが、最近まわりに将来有望な書き手が多くいることに気づき、年長者として応援し励ましています。

  • #5

    大田美和 (火曜日, 14 10月 2014 13:15)

    勤務先の大学の文学部の「ブンカフェ」というイベントに出演することになりました。学内外で人気の気鋭の哲学者と、学内外で人気の優美な美術史家の間に挟まれて、内気(嘘)で弱気(大嘘)で無名(本当)の私は、しどろもどろのお話しかできそうもなく、始まる前から逃げ出したいですが、もし多摩校舎までおいでいただける方は、どうぞ遊びにいらして下さい。大田の新作の朗読が聴けるかもしれません。最寄り駅は多摩モノレール中央大学・明星大学駅で、新宿から1時間の距離です。10月23日(木)15時~18時 中央大学多摩校舎3号館文学部事務室ロビーで実施です。テーマは「愛と美」についてです。

    http://www.chuo-u.ac.jp/academics/faculties/letters/news/2014/10/24782/

  • #4

    大田美和 (土曜日, 16 8月 2014 22:06)

     残暑お見舞い申し上げます。旅のご報告です。この夏はたった三日間でしたが、韓国ソウルに出張し、全力でもてなしてくれる韓国の深い人情のあり方に感激して帰国しました。私が引率したプログラムは、韓国国際交流財団の後援で、韓国カトリック大学(CUK)の先生が韓国の文化全般と消費文化について、高雄(台湾)、北海道、東京の大学を結んで、中継授業を前期(春学期)に行い、夏休みにCUKの寮に1週間泊まって、マーケット見学やグループ発表を行うというものです。
     二日半は三大学の学生とTAの約30名と行動をともにしましたが、一足先に帰る私は三日目の午後、学生たちと別れて、韓国側の担当教員キム先生のご主人ナム先生に景福宮(キョンボックン)と仁寺洞(インサドン)を案内してもらいました。「パレスが見られれば」という私の希望でまず景福宮へ。敷地内のいろいろな建物を見て、大統領府青瓦台の前まで行きました。私が一番気に入ったのは、翡翠色の緑にあふれた香遠亭(ヒャンウオンジョン)と蓮の池です。
     ナム先生は、ご自分の勤務先の大学を2年早く退職して奥様の在外研究に同行し、北海道で1年間過ごされた方で、日本語と中国語が少し話せます。アメリカで心理学の博士号を取っており、私との会話は英語でした。「「カムサハムニダ」と「コマプスムニダ」は、どう使い分けているのですか」「両方使うけどあまり意識していないですねえ」「でもこの三日間私はカムサハムニダしか聞いていませんよ」など会話を楽しみました。
     次に、光化門を出て、大手町のような現代の首都の風景を見ながら、ショッピングストリート仁寺洞(インサドン)へ向かいました。韓紙の店で栞やポジャギ(韓国のパッチワーク)のお土産を買い、済州島(チェジュド)の緑茶の店を冷やかしてから、細い路地の行き止まりにある茶房に連れて行ってもらいました。今は大学院生であるナム先生のお子さんが小学校のときの同級生のお母さんの店だそうです。入口に小さな庭があり、夏草の中に朝顔が咲いていました。平屋の引き戸を開けて入ると、民家にお邪魔したような感じですが、棚には若いアーティストの作品が飾ってありました。私が休日に連れ合いとよく行くギャラリー・カフェのように気兼ねなくくつろげる雰囲気があり、女主人とのゆったりした会話からナム先生にとってそこがとっておきの場所であることはよくわかりました。「この先生たちが来日したときあのギャラリーにお連れできればいいけれど、大学からも都心からも離れているから、無理かなあ」などと思いました。
     五味子のお茶を飲み、梅茶(梅昆布茶ではなくて、青梅のシロップ付け)を飲み、ポン菓子のようなものをつまみました。その上、蒸かし芋も出してくれました。今年の初物のサツマイモはソウルで食べたのだということは当分忘れないでしょう。別れ際に心付けを渡そうとするナム先生と受け取らない女主人のほほえましいやりとりがあった後、「コマプスムニダ」といったナム先生は、店を出た後で私に「あ、今「コマプスムニダ」と意識せずに言った!」と大声で言い、私は「わかりました。くつろげる相手に対すると、たぶん純粋な韓国固有語が自然に出るんですね」と言いました。(注 「カムサハムニダ」は「感謝(カムサ)」という漢語を含む)。その後、銀杏並木で空港行きのタクシーを止めてくれたナム先生と、別れを惜しんでしっかりとハグしたことは言うまでもありません。空港で飛行機の出発を待ちながら、「ああだ、こうだと悩むより来てみるもんだねえ」と前日の夜学生に言った言葉を私はもう一度噛みしめていました。この旅のことは短歌連作20首にして、短歌結社誌『未来』に発表します。

  • #3

    大田美和 (土曜日, 17 5月 2014 22:29)

    五月の連休の一日、京都の立命館大学国際平和ミュージアムの鄭周河(チョン・ジュハ)写真展「奪われた野にも春は来るか」のオープニングトークを聴きに出かけました。写真家自身と、作家徐京植と、詩人河津聖恵の三人のトークは、原発事故後の状況について忘却というよりも否認が行われているという共通認識から始めて、表現者としてのそれぞれの立場から、人類のよりよい未来のために、記憶の戦いをいかに展開するかをめぐって意見が交わされました。
    鄭氏の写真はキャプションも解説もなく、写真で何かを訴えるというよりは、見る者が写真を契機として自分の思考を深めることを促しています。立入禁止区域の畑の上をカラスが飛ぶ写真には、徐氏が指摘したとおり、ゴッホの麦畑とカラスの絵に感じるのと同じ不安を感じました。あの事故の後、私は日本のどの里山の風景を見ても、これと同じようにのどかな里山が立入禁止区域になって、その風景に親しんだ人々を嘆かせているのだという思いなしには見られないようになりましたが、鄭氏の写真の放射能汚染地域の四季の姿に、同じ思いを抱きました。
    印象深かったのは、トークの中で鄭氏が先月発生した韓国の客船セウォル号の沈没事故に触れて、「あの事故のことも時が経てば忘れられるでしょうが、ここにいる皆さんは決して忘れないで下さい」と訴えたことでした。「ここ」から離れたところで起こった出来事について、国境を越えて記憶して、将来二度とそのようなことを起こさないためにはどうしたらいいか一緒に行いましょうという呼びかけに、共感しました。
    質疑応答はたくさんの手が挙がり、さまざまな質問や意見を徐氏が巧みに捌いて、その場にいる全員でともに考えを深められたという感慨を持ち帰りました。
    写真展のタイトルは、李相和(イ・サンファ)の詩から取られたものです。日本統治時代の朝鮮半島の美しい春の風景を描写した詩の一節です。帝国日本によって奪われた春の喜びと、未曾有の大地震と津波による原発事故によって奪われた春の喜びを、歴史的背景と国境と原因の差異を超えて結びつけるという大胆な手法によって、国境や歴史や憎しみを越えて、人間どうしが連帯し、よりよい未来を築くにはどうしたらよいかという問いかけになっています。
    写真展は今も開催中です。
    http://www.ritsumei.ac.jp/mng/er/wp-museum/event/special/2014exhibition1.html
    タイトルなどについて徐氏がブログで解説しています。
    http://japan.hani.co.kr/arti/SERIES/11/10537.html
    鄭周河氏はドイツで学んだそうです。韓国とドイツの関係をもっと知りたくなりました。そして韓国出身でドイツで死去した作曲家ユン・イサンのことを思い出し、ユン・イサンが来日したとき果たされなかった歌人近藤芳美との対談について、その時両者の脳裏を駆け巡ったはずの日本統治下とその後の朝鮮半島、世界の平和と芸術について英語で書いてみたくなりました。

  • #2

    大田美和 (日曜日, 23 2月 2014 11:31)

    雪国の苦労の片鱗を味わった二度の大雪、いかがお過ごしでしたか。ときどき優れた評伝を読むことで生きる心を奮い立たせることにしている私から、推薦図書です。原田光子著『真実なる女性 クララ・シューマン』(ダヴィッド社)。みすず書房から復刊された同じ訳者のクララとブラームスの書簡集を読む前の予習として読みました。これは1941年に書かれ、1970年に新版が出された本ですが、全く古さを感じさせない優れた評伝です。長く厳しい一生(夫の生存中も死後も7人の子のいる家族の生計を演奏活動で支えた生涯)の間、芸術の喜びと誠実な友人がいつもそばにあったことが彼女の人生の輝きとして心に残ります。自分の人生もそのようなものに恵まれていることに感謝です。

  • #1

    大田美和 (水曜日, 08 1月 2014 23:13)

    新年おめでとうございます。今年最初の相方とのデートは映画「ハンナ・アーレント」でした。地味な映画のわりに朝からほぼ満席で、プログラムも売り切れで、驚きました。アーレントの「凡庸な悪」についての名講義の場面に、感激屋さんの相方は涙していたようですが、私は、私もあれぐらい立派な講義ができるようにがんばろーなどと思って見ておりました。しかし、講義が知識の伝授ではなくて対話であり、ともに思考する場であると了解されている欧米の教室と、日本の教室の差は埋めがたいものがあります。それはともかく、これが真理だと信じたことはたとえ友だちに去られることになっても曲げない彼女の勇気に、時々はからずもポレミックな文章を書いてしまう私は、勇気づけられました。今年も良い仕事をご一緒にいたしましょう。