北冬舎の「新刊情報」をのせています。合わせて、アタフタ、編集者の「本造りの日々」の、あれこれの「思い」もお伝えしながら、「宣伝/広報」をしています。
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小社刊行の本は、全国の書店でご注文いただけます。
また、「神保町・東京堂書店」「新宿・紀伊國屋書店本店」「池袋・ジュンク堂本店」「京都・三月書房」に、最新刊など、置いていただいています。あるいは、特にお急ぎの方は小社に直接、ご連絡下さい。
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この《ホームページ》には、「ホーム」「プロフィール」「ニュースⅠ」「ニュースⅡ」「ギャラリー」「掲示板」「お問い合わせ」という「7ページ」があり、上記、または右の欄、あるいは「ページ」最上部の、それぞれをクリックしていただくと、「ページ」が開かれます。「ホーム」「プロフィール」「ニュースⅠ」「ニュースⅡ」には、{その日暮らしな編集者の気分}が、適当に{あちこち}に記されています。「ギャラリー」には、出版された本の〔カバー〕など、「眼で知る情報」を入れていきます。「掲示板」「お問い合わせ」はみなさんからの「ご連絡欄」です。
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{付録}
{◇急坂を行く【北冬舎蛙蟬(あぜん)】の切れ切れな迷想◇}
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[2012年5月14日(月)]
昨日、「書くに値した毎日」での、【松本健一】さんとの「お仕事」で、初めて手がけた【作品社】での本をまちがえてしまった。
正しくは『戦後の精神』という本であった。「1985年5月10日 第一刷発行」なので、一年前に手がけていた。氏が、【冬樹社】から1981年に出していた『滅亡過程の文学』の続編としてまとめることを考えていたようだ。
目次には、「橋川文三・竹内好・武田泰淳・保田與重郎・花田清輝・高橋和巳・埴谷雄高・島尾敏雄・安部公房・大江健三郎・吉本隆明・江藤淳」という名前がある。「あとがき」に、「戦前と戦後とを連続の相――その否定さえ連続が意識されている――において捉える精神が、わたしに与えた意味は何であったのか。」とある。
氏が、さまざまな場所から求められて書いた「戦後文学者」の見取り図を、一冊の本で描こうとしたのだった。
やはり、それにしても、遥かに来たもんだ、の思いが強い。もともと、「愚痴」の多い人間だったが、変わることのない「鬱屈」は、本質的なことを、いつも逸らしてしまう。
[2012年(平成24年)5月13日(日)]
「黄金週間」の始まりから、それを終えての一週間、夏から秋への予定の展開に、あわただしく時間が過ぎた。なかなか、余裕を持って、この場所での、「書くに値する毎日」を検証することが叶わない。
一つだけ、忘れないうちに、ここに記しておきたいのは、連休の初日の「4月29日(土)」に「中野サンプラザ」で行われた【石川美南】さんの歌集の批評会で、20年ぶりくらいになるのか、すぐには定かには思い出せないが、【松本健一】さんとお会いしたのだった。
氏とは、何冊かのお仕事をご一緒したが、初めて手がけた【作品社】刊の『大川周明』を、ここに紹介しておきたい。「右でも、左でも、通俗でも、その尖端へ。」という「仕事」の道筋の一つだった。奥付には「1986年8月15日 第一刷発行」とある。
チョー久しぶりにお会いした氏は、新聞などでお見かけする写真よりも、ずっと若い感じがした。そう申し上げたら、消えいらんばかりに照れていた。ついでに、「権力の中枢で、ご活躍でしたね。」と、つい、からかってしまった。そういえば、【仙谷由人】さんの昔の〔同志〕とも、「仕事」をしたことがあったのを思い出した。
茫々と時間が経ち、「あゝ おまえはなにをして来たのだと……」と、【中原中也】ふうにでも言ってみたいところだ。「さやかに風も吹いている/心置なく泣かれよと/年増婦の低い声もする」……か。
[2012年(平成24)4月16日(月)]
今日もまた、東京と横浜の今年の桜は終わったな、などと家を出がけに、アスファルトに散り敷く花びらに目をやっていたのを思い出しながら、錦華坂を登って行くと、不意に口笛が「翼をください」になった。この曲は、甘ったるくて、あまり好きではなかったが、このところ、たまに口笛になる。
この冬を、衰えゆく老犬「机龍之助」と一緒に籠って過ごして、すっかり、「机龍之助」と同様に、足腰が弱ってしまって、駅の階段で2度ほどつまづいたりしたので、「翼をください」という思いになったのかもしれない(笑)。若い日のセンチメンタルから来る「翼の要求」と違って、衰えにかかった日のそれは、切実だ(笑)。
歌詞は、「悲しみのない自由な空へ」と言うけれど、老いにかかる肉体とどこまで行くのか、悲哀は尽きそうにない。おお、こんな日が来るなんて! といったところだ。老犬「机龍之助」にこそ、「翼」をあげたい!
そういえば、【依田仁美】さんは、小社刊の愛犬への挽歌集『あいつの面影』で、たくさんの読者に涙を流させたが、その後、愛犬【雅駆斗】君の背中に「翼」がたたまれていたのを思い出し、「短歌のあるエッセイ」で、いっそう哀切な「作品」にしたのだった。その、「「北冬」№012」に発表した「有翼の犬」は、「短歌」と「エッセイ」が見事に交響し、「哀しみ」を鏡面に映し出した。
桜の日々は、「終わった」のではなくて、どこかへ「通り過ぎて行った」だけではないのだろうか? わたくしたちの日々も、「終える」のではなくて、いずれかへ「通り過ぎて行く」だけではないのか? などと、あれこれ、思い惑いながら、4月にしてはすこし冷え込む夜の10時前、「翼をください」を弱々しく口笛で吹きながら、急な錦華坂を下って、帰りについた。
「2012年(平成24)4月10日(火)晴
今日は、久しぶりに、ゆっくりと、あれこれ思い及びながら、午後の錦華坂を登った。昨日、今日と、初夏を思わせる陽気に気持ちもゆったりとして、遅い今年の満開の桜が、錦華小学校の校庭に咲き誇っているのが遠目に見え、別の時間がそこにあるような気がする。
[4月10日]は、3歳年長の、すぐ上の兄の命日だ。せっかく、頑張って、[昭和20年]に生まれてきたのに、小学2年生になったばかりの春の日に逝ってしまうなんて……。いつもの年と同じように、錦華坂の急な登りに掛かって、そう思ったら、涙がにじんだ。
あの頃、あそこにあった《至福の時間》のことを思うと、今でも、胸に痛みを覚える。春の嵐の中の儀式の記憶は、同じ天候になるたびに、脳裏で、苦しく、たびたび繰り返される。
また、同じ4月の、別の、降りしきる雨の日の、やさしかった〈横田君とそのお母さん〉――。二人のことを思い出すと、さらに、視野がぼやけてくる。冷たい春の雨の一日、〈兄〉と同級だった、二年生になったばかりの、学校帰りの〈横田君〉のあとを、その家までついていってしまったら、家に招き入れて、〈横田君のお母さん〉は、小さい子供の冷える身体には、「温かいにゅう麺」が一番だと、ごちそうしてくれた……。
たった一日の、たった数時間の、それだけの〈思い出〉だけれど、「あの子供の弟」だと、やさしくされた〈記憶〉は、数十年経った今でも、よみがえるたびに身体を、せつなく、温かくする。
錦華小学校の校庭の、今年の桜の下で遊ぶ子供たちの姿に、凶暴な波がさらって行ってしまった、たくさんの子供たちが思い出される。〈8歳で死んでしまった兄〉の面影も、〈5歳のわたし〉の姿も。
今年もまた、[4月10日]が来て、過ぎた。」
「「今日の話は、昨日の続き。今日の続きは、また明日。」などと、大昔の楽しかったラジオ番組を思い出しながら、昨日はここに、あれこれたくさんメモしたのに、「保存」を失敗して、パアになってしまった。その徒労感たるや、人生を失ったような、これまであまり感受してきたことのない類のものが新しく開かれたような、奇妙なものの始まり、始まり……だった!
ちなみに、冒頭のラジオ番組は、いまの「ラジオ日本」、昔の「ラジオ関東」で、先日亡くなった【前田武彦】と【大橋巨泉】と【草笛光子】さんの【妹の大島さん】とで、平日に毎晩、放送されていた、びっくりの、楽しい、すごくおしゃれな番組だった。
高校時代の夜の10時台は黄金の時間帯だった。ケン田島の「ポート・ジョッキー」なんて、番組の冒頭にビリーボーン楽団の「浪路遥かに」が流れてきただけで、毎晩、ヨコハマの港から出て、太平洋を行く船の光景が思われて、胸がいっぱいになったものだ。
あの【森山良子】もディスクジョッキーをやっていた。
野毛の「ラジオ関東」は最高だった! など、と、「昨日の続き」を調子に乗って、綴り終えていたのに……。」(2012年3月16日〔金〕)
「今日も、また、地下鉄半蔵門線の神保町駅に電車が着いて、下車しながら、〔神田貧乏町か……〕と思った。喫茶「ラドリオ」の近くにあった「昭森社」の、木造の建物の急な階段が思い出された。二階のワンフロアに、机と椅子の3、4組があって、零細出版社が同居していた。学校を卒業するとき、詩の雑誌「詩と批評」が好きだったので、雇ってもらえないかと、訪ねたことがあった。話を聞いてくれたその人が、後になって知ったのだが、【神保町のバルザック】と呼ばれていた有名な編集者/社長の【森谷均】さんだった。「高校生時代に、雑誌で批評されていた、【吉野弘】さんの『消息』という第一詩集について問い合わせの葉書をお出ししたら、親切な返事を頂戴して、その葉書を大事にしている」ことなど、緊張して話したのだった。とにかく熱意だと、出来の悪い学生は、近くで、いきなり電話して、これからお訪ねしたいと言ったのだったか……。
地下から、靖国通りに出ると、北村太郎さんの詩に織り込まれていたので知った、小唄の文句、「恋しい人に淡路町」が、口をついて出た。【神田淡路町】はすぐそこだ。そうなると、【神田駿河台】で、バカの一つ覚えの【一心太助】の像以外に、一つひねらなければいけない、などと思いながら、錦華坂に差しかかると、やっと、来たのだった……。
「今日は良いこと駿河台」……、〔座布団一枚!〕と、急坂を登った。
今日の、この話の〔続き〕がとても傑作なのだが、夜も更けて、わが家の老犬「机龍之助」がうなりだしたので、早くあやさないと大変なことになるので、今日の話はここまで。続きは、また明日。」(2012年3月13日〔火〕)
「今日は、また、久しぶりに、地下鉄の九段下駅で下車する。地上に出る前に、トイレに寄ろうとしたら、改装中だったので、諦めて、そのまま上に上がろうとしたら、通路の脇にある「宝くじチャンスセンター」が目に止まったので、久しぶりに【ロトシックス】でも買ってみようと思う。【宝くじ】にでも当たったら、「お金を貰って仕事をしなくてもすむ」、「こちらの資金で本を作ってあげられる」と、いつも、みんなに言っているので、念じて、ときどき購入する(……ほんの少しだけどね)。
ちなみに、【大田美和】さんは、当たったら、「賞」を創設すると、「北冬013号」の「99の質問」で答えている。
靖国通りを歩いていると、1月に亡くなったOさんのことが思い出される。【専大前交叉点】にある【珈琲館】の中をガラス越しに覗くと、姿が見えて、一緒にコーヒーを飲んだこともあった。その姿も、もう、戻ってこない。
それほどの距離を歩いているわけでもないのに、すぐに、足の甲、足首、脹ら脛などに、明らかに負担がかかり始めているのが分かる。この冬は、ひどい寒さに、わが家の老犬「机龍之助」と一緒にいる時間が長くなり、彼を【お姫様抱っこ】することにばかり気をつけていて、足元がおろそかになっていた。それでも、「机龍之助」を脇に寝かせて、【階段踏み】は少ししていたので、大丈夫だろうと、油断をしていた。早く、「春よ来い!」だ。
いつものように、駿河台へと、錦華坂を登りにかかって、また、【一心太助】が思い出された。そういえば、私立の中・高の教師をしていた【江田浩司】さんが、「諭旨退学」と「自主退学」の違いを教えてくれた。「公立」では「諭旨退学」はなく、そういえば、「この学校には、もう置いておけないので、自分でおやめなさい」と、教頭から親の前で言われたのだった。「不祥事を世間で問題化」したくない、「大人の汚さ」を、その時、初めて覚えたことを、思い出したのだった、など、と……。」(2012年3月6日〔火〕)
「今日も、また、すこし緩んでいた冷気が、ひどく刺々しく戻ってきて、鼻先を冷え込ませる夜の10時過ぎ、「なごり雪」を口笛で吹きながら、錦華坂を、"いいかげん、この歳になって、こんな時間に、仕事を終えて、一人帰宅の途につくなんて。外で一杯やることもなくなり、みんな、そろそろ家で寝にかかる時間なのに。“……などと思いながら、「東京で見る雪はこれが最後ねと/さみしそうに君がつぶやく/なごり雪も降るときを知り/ふざけすぎた季節のあとで」と、歌詞を思い出しながら、ほんとうに、あの[ふざけすぎた季節]を終わりにして、遠い昔に、鳥取に帰って行った友達のことを、メロディーにのせて、例によって、あれこれ思いながら、下った。
大塚久子さんの歌集『桐花の記憶』の贈呈分の発送もほとんど終えた。良い読者に恵まれることを切に願うばかりだ。
生沼義朗さんの、尖鋭な新歌集『関係について』の初校のゲラ校正も、あと少しのところまで来た。[読み手のノドにトゲ刺す歌集]が実現しそうで、力も入る。「投げ込み付録」の進行、「装丁」の打ち合わせなど、「春よ! 春よ!」だ。
それと、まだ、「大発表!」には到らないが、久しぶりに《ベストかつロング・セラー》狙いの、内容充実の1冊も、少しずつ進行しているところだ。「決定稿」になるのを待ち望んでいる「作品/企画」も、何冊も、順を待っている……。
巨大震災から一年、自分の場所で、自分の出来ることを、速い流れに橋を架けるように、慎重に、丁寧に、など、と……。」(2012年2月27日〔月〕)
『いま、五木寛之』、月刊「面白半分」昭和54年7月臨時増刊号
「今日も、また、あれこれ思い及びながら、明大通りから山の上ホテルへの急坂を登った。
去年の11月の下旬に亡くなられた「面白半分」の名物社長/編集者の佐藤嘉尚さんのことを、折々に思い出すが、ネットで古本を探していたら、懐かしい雑誌が目に止まったので、注文した。佐藤さんと一緒につくった最初の雑誌だ。手元に1冊保存してあったものを、ずいぶん以前に、資料として人に貸したまま、それきりになってしまった。表紙の取れた、「編集用」だった1冊しかなくなっていた。
届いた雑誌をあらためてパラパラ見ていたら、五木寛之さんと富士正晴さん、また、五木さんと宇崎竜童さんの対談が、同じ日の昼と夜に、大阪・茨木と京都で行われたことなどが思い出された。もう、遙か30余年も前のことだ。生身の五木さんと出会って、そのあたりから、自分自身、「いまここ」を繋いで、[このここ]に到るばかりだ、という思いで、ずっと来るようになった。それは、いま現在でも変わらない。
「超巨大震災」に襲われて、ひどい「虚無感」に苛まれて、昨年は、はかばかしく「仕事」もできず、「3冊」しか本を造れなかった。「それでよく食えるな」と言われれば、「霞を食って……、2食を1食にして……」と答えるばかりで……。それでも、「死んでも死にきれんから」と、先延ばしにしてきた本に真向かってきた。
佐藤さんの死や、この正月の年長の友人の死に出会って、その思いは、いっそう強い。似合わない言葉だが、「いまここを、粛々と……」など、と……。」 (2012年2月22日〔水〕)
「今日も、また、夜の10時近くに、冷たい空気の中、明治大学10番館から聞こえてくる、あまりうまくない、なんの曲かもよく分からない音につられ、「夜空のトランペット」を口笛で吹きながら、錦華坂を下った。
2月も半ばになると、春3月に緩む冷気も思われて、そろそろ、あれこれの企画に拍車を掛けようという気持ちが強くなる。タスキに掛けたカバンのほかに、肩に掛けた布袋の中には、大切な近刊の歌集のゲラ、生沼義朗さんの『関係について』……。
「良いレーベルから話があったから」とか、「とても良い条件が提示されたから」とか、しかも、あと出しジャンケンで、あるいは、ヒドイのは、【無音/無明】の領域に達して、平気で[約束]を反故にし、厚顔を無恥でいっそう厚く化粧して、「壇」を縦横/往来する美男美女が多い中で、生沼さんは、10年も前の「約束」を、こんな出版社を相手に、律儀に、果敢に、果たしてくれている。もう、2年越しの進行で、二人で、頭はひねりつくした。
ただ、「超巨大震災」を体験した[われら]が世に問う、それ以前の時期の〈作品群〉をどう位置づけたらよいのか、生沼さんとの「議論」は、まだ尽きない。としても、「魂魄」を込めて、努めるほかない。
ということなどを思っていたら、舎を出がけに持って出た、遠山景一さんが送ってくれた雑誌「からの」の最新「34号」で、氏は、連載「時にあって思う」に書いていた。
「今度のこと(注=巨大震災)が、もし日本にとって大きな転機となるなら、詩歌においてそれはどんなものになろう。/「答えは風に吹かれている」とは、ある唄の歌詞である。わたしたちにあっては、あるいはまだ「問」そのものが、「風に吹かれている」。わたしたちの今の詩歌について根本におよぶような「問」、根をもった「問」は、どこにあるのだろうか。」
〈今〉にあって、このように〈問うこと〉こそが、もっとも誠実な態度に思える。遥かな昔、「きみの問は何か」と、小説のタイトルにした【氏原工作】は、どこへ行ったのだろう? 問うことが、生きることだった時代が、確かにあった。
そういう、その時代から来たはずの人なのに、【約束】なんてつまらないもの、「業績評価第一」・「現世利益優先」とばかりに、「主題で勝負の当方の企画本」を《現代思想は言い訳上手》に上梓しちまった、チッ!
まあ、人のことばかりを言えなくて、この小生も、痛恨の【約束破り】をして来たし、今だって、しているところだ。逃げても、来た。いつも、〔大いに恥辱〕と言い訳ばかりして……! いったい、こののち、そんな、この身を、なんとしたらいいのか……?
遠山景一さんが「北冬」№013に寄せてくれた「長歌ならびに反歌 六篇」が好評なのも、その、表現に表れる「じぶんの生きた現実から練った思い」(同連載より)が、読み手に届くからだろう……、早く、本腰を入れて、本にしたいものだ……、など、と……。」(2012年2月15日〔水〕)
「今日も、また、あれこれ思い合わせながら、錦華坂を、急な登りに差し掛かったところで、いつも、たびたび脳裏に出現する【一心太助】が訪れてきた。
「親分、て、てえへんだ!」と、大好きだった中村錦之助扮する【一心太助】が坂を駆け上がるシーンの、その先は、神田駿河台、月形龍之介の【大久保彦左衛門】のお屋敷だ。「一心、鏡の如し」で生きることができたら、どんなにいいだろう、と16歳で、卑怯な高校教師を殴って、「諭旨退学」になった少年の心に宿った姿、形だった。
2月の末に降った雪が、日陰のあちこちに、埃をかぶって、薄汚れて残っていた日々だった……、など、と……。」(2012年2月10日〔金〕)
「今日も、また、あれこれ思い及びながら、錦華坂を登った。
我が家の老犬「机龍之助」を、真夜中や夜明けに介助することが増えて、すっかり朝寝坊になってしまった。昼近く起床して、舎の留守電を聞くと、昨日に引き続いて、「北冬」013号への問い合わせが入っている。連絡先を入れてくれているところへ、すぐに連絡する。書店へは、八木書店から納品できるので、大いに助かる。今号からそのようにできるようになって、《なんて、間がいいんでしょう!》という気分だ。
行き惑っていると、ときどき、天からの恵みのように、こういうことがある。「ドアが閉じていても、窓のどこかは開いている。」ということが、しばしばだ。昨日、八木書店に10冊納品しておいたので、安心だった。
舎に着くと、FAXで注文が入っている。「Eメール」には、午前1時過ぎの真夜中に、注文が入っていた。昨秋から、やっと、覚悟して、自分で「PC」を処理することにしたので、即対応できる。これも、《なんて、間がいいんでしょう!》という感じだ。
個人の読者には、サービスに「№012」も同封する。「送料・振込み代」もサービスなので、1冊630円では、「赤字発行」の上に「出血大サービス!」(笑)だ。「定期購読」をお願いするメモをそれぞれに同封する。ひとりぼっちの、暖房がなかなか温まらない部屋で、発送作業をしながら、次号からは、一号だけの読者へは、「サービス」を見直さないといけない……、など、と……。」(2012年1月27日〔金〕)
「今日も、また、寒中の、冷え切った空気の中、マフラーに顎を埋め、あれこれ、思い及びながら、夜の9時半過ぎ、錦華坂を下った。
「北冬」№013も、すべて送り終え、次の本のゲラや原稿の整理にとりかからなくてはならない。
今井恵子さんの歌集『やわらかに曇る冬の日』の「二刷」も出来上がって来て、改めて、新年の新スタートラインに立った感じだ。ただ、「重版」は「印税付き」で、著者にも「八掛け」販売なので、ある程度、買い上げて貰ったが、残りの全冊を売り切っても、トントンといったところだ。書店やネット販売では「掛率」があり、定価すべてが売り上げになるわけでもない。短歌関係のいくつかの出版社など、取次の口座を持っていても、間で掛かる手数料を嫌って、読者に直接販売しかしないと聞いたこともある。
それでは、なぜ、大して儲かりもしない「重版」をするのかといえば、少数でも、読みたいという人に応えたい、その思いだけである。本当は、「商業出版社」であれば、一定程度の注文が溜まってから、刷り増しの判断をするのが普通だ。また、「初版」の時でも、純粋な自費出版であれ、買い上げて貰う本であれ、著者任せのものであれ、「こちらの費用」で、少し多めに造っておくのも、多くの著者は、必ず少し足りなかった、と思い始めるからである。そのくらい、「納得のゆく本」を造るのだ……!
それが、「在庫」となって、置き場所に困りつつも、ゆとりのある気分ももたらしてくれる。ある本を小社に直接注文してきてくれた読者に、「おまけ」と称して、別の、余裕のある本を、ぜひ読んで欲しい、とサービスしたりできる。
デビュー前の「黒瀬珂瀾」さんなど、小社に電話で直接注文してきてくれたので、別の本を一冊サービスしたら、その後、知り合ってから、「北冬舎は一冊買うと、別の本が一冊ついてくる、と喜んでました」と言ってくれた。ことに、若い読者や、どうしてもその本が読みたい、その著者のファンだから、と直接に注文されると、他にもこんな素敵な本があると、送料も余分に掛かるのに、別の本も、つい調子に乗って、「おまけ/サービス」をしてしまう。最近では、「北冬」誌を付けることもある。
しかし、「おまけ」に対して、たった一度だけ、「抗議」されたことがある。奈良の女子大の女性の先生が、江田浩司さんの著書『私は言葉だつた 初期山中智恵子論』を直接注文してきてくれたので、その女性の知友である江田さんから「贈呈」されずに、お金を遣わせて申し訳ないな、という気持ちもあって、一ノ関忠人さんの『帰路』を「おまけ」に送ったのだった。すると、すぐさま「メール」で、「せっかくだが、一ノ関さんに失礼だ」と言ってきた。その本は、著者に対して何の条件もない、「印税」分も保証した、通常の制作の本だったから、「在庫」を社が利用するのにはばかるところはないのだった。
「出版の事情も知らないくせに」と思ったが、その頃は、やたらに気弱だったので、一呼吸入れたあと、丁重なお詫びを書いたこともあるのだった。いわゆる、「学者フェミ」という感じの、「正義」なのだった。身近にずいぶん見る、「めんどくさい人たち」なので、無用な混乱を避けようとしたのだった。
というわけで、「一人の良かれ」も、「万人に普遍」ではないことの「真理」が実証されたのだったな、など、と……。」(2012年1月19日〔木〕)
「今日は、また、夕暮れになって、あれこれ、思い出しながら、錦華坂から山の上ホテルの前の坂を明大通りへ下り、八木書店に、今年初めての納品に行った。
今井恵子さんの歌集『やわらかに曇る冬の日』の注文が、暮れも、新年になっても、順調に続いていて、10冊届けて欲しい、と言われていたのだが、手元に3冊しかなくなり、それを納品したら、初版は保存用の2冊、編集用の1冊を除いて、ついに、すべて売り切れてしまった。まだ注文が溜まっているので、16日の「重版」の納入が待ち遠しい。久方ぶりの、《こんな感じ》を喜ぶ。「北冬」№013号の「池袋ジュンク堂」からの受注、もう亡くなられてしまったが、桂芳久先生の『誄(しのびごと)』も納品する。
悲しいこと、喜びごと、こもごもの、創業17年目の新年の始まりだ。
そういえば、17年前、頼まれて、初めての歌集を、「壇」の【実情】をまるで知らずに刊行したら、その娘さんが属している【グループ】の親分に、「どこの馬の骨が始めたんだか……。」と言われ、挨拶がなかったと、娘さんの親まで、静岡から呼ばれて、土下座までさせられた、とか、など、それ以来、一度も、どこの親分にも【仁義】を切らないので、繁盛しないことおびただしいなあー、など、と……。」(2012年1月10日〔火〕)
「今日は、また、明治大学生に後ろから追い抜かれつつ、あれこれ、思いわずらいながら、頭上に素晴らしい黄葉を拡げる大銀杏を見上げ、振り返りして、錦華坂を登った。この夏に、道路に張り出していた太い枝が切られ、銀杏が落ちて、車や足につぶされて、素敵な匂いが漂うことがなくなったり、頭上もすっきりして明るくなったが、ある種の暗い翳がなくなったのも、単純化という感じで、やや寂しいか。明治大学中村幸一教授のことも思った。まもなく出る、遅れに遅れた「北冬」013号に、「連載」と「大田美和特集」と大活躍してくれている! 実力が、もっと、良い編集者・読者に発見されると嬉しいのだが、など、と……。」(2011・12・20〔火〕)
「今日は、また、昨日、氷雨降る中、「東北」に降っているだろう雨のことなど、あれこれ、思い惑いながら登って来た、山の上ホテルへの坂を、午後の4時前、少し弾む足で下りながら、あれこれ、思い及んだ。
取次業務をお願いしている八木書店から、「店売用」に、今井恵子さんの新歌集『やわらかに曇る冬の日』の注文が「5冊」あった。歌集がとても好評のようで、書店からも、今井さんの手元からも、注文に応じて納めていたら、アッというまに、在庫がなくなってきて、これで、あと、予備も含めて7~8冊になってしまった。発行から、まだ、ひと月で、今井さんのところへも、購入申し込みは続きそうだし、来年になって、あちこちで紹介されたり、結社の「まひる野」で取り上げられたりしたら、まるで足りなくなってしまうだろう……、いよいよ、本気で、「重版」を考えなくては、など、と……。」(2011・12・9〔金〕)
「今日は、また、氷雨のあとの錦華坂を登りながら、あれこれ、思い及んだ。
12月の1日になって、神保町の地下鉄を上がったところにある寒暖計が、この季節、初めて、10度をきり、8・4度になった。「東北」のことを思うと、身が痛むようだ。いつの頃までだったか、上野駅には《0番線》のホームがあって、歳末の寒い一日、岩手の水沢に帰省する友人を、よく、見送ったものだった。真夏の入口に、たった一度だけ、盛岡に帰るともだちを見送ったこともあった。どうか、「東北」に、あまり厳しい寒さが襲来しませんように、など、と……。」(2011・12・01〔木〕)
「今日も、また、錦華坂を登りながら、あれこれ、思い及んでいたが、すぐ脇の「錦華公園」の小道から雀が20数羽飛び立ったので、何を思っていたのか、忘れてしまった。思いは、屈していた。
朝刊で、佐藤嘉尚氏の訃報に接していたからだ。30年前の、荻窪の「カーサヴェルデ」の日々が、立ち上がってきた。みんな、若かった。共にしたのは短い日々だったが、さまざまなシーンの、一つ一つの印象を、深く相手に刻む人柄だった。
この三月の、巨大震災後の日々、うつろな思いの中にいて、どの本を手に取ってもしっくりこない末に開いたのが、佐藤さんの「集英社新書」の一冊、『「面白半分」の作家たち」だった。「戦後日本」が、一番【真実味】に溢れていた時代だった。佐藤さんの《心身》に、ピッタリの時代だった。
ギターを抱え、歌いながら空を往く姿が、見えるようだ。
68歳、とは、若過ぎやしないだろうか。ご冥福をお祈りします。」 (2011/11/21)
「今日は、夜の九時半過ぎ、錦華坂を下りながら、あれこれ、思い案じた。
「途上」にある気分というのは、なかなかのものだ。この「ホームページ」を何とかしようとして、ああでもない、こうでもないとやっている「途上」の日々こそ、まるで「完了」のない「宙ぶらりん状態」の継続で、この緊張感にどこまで耐えられるのか、などと……。」(2011/11/17)
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「今日は、九段下から神保町へ、靖国通りを来ながら、あれこれ、思い及んだ。
巨大震災前の、今年の2月、東大和市の84歳の方から2枚続きのはがきをいただいた。ずいぶん前に、さいとうなおこさんのお母さんの三宅霧子さんの遺歌集『風景の記憶』を購入して下さった。そうして、「装丁、文字(活字)の美しさ、細やかな配慮など」を気に入って下さって、「歌集を出すなら御社と決めていました。」という文面だった。誉められると、年甲斐もなく、{木にも登る}思いになってしまうのだった。そして、巨大震災、酷暑の夏を越え、ようやく「ゲラ」の出稿にこぎつけた。「選歌」から始めて「散文原稿」の修整に至り、いよいよ「装丁」のプレゼン待ちだ。{とにかく、期待に応えなくては、な}などと……。」(2011/11/09)
*
「昨日は、明大通りから〈山の上ホテル〉への坂を登りながら、あれこれ、思い惑った。
今井恵子さんのあざやかな歌集『やわらかに曇る冬の日』の贈呈発送もほぼ終え、うれしい〔反応〕もチラホラ訪れ始めたので、例によって、遅れ遅れの「北冬」№013、《特集◇大田美和責任編集[1000年の言葉]の向こうへ――。》のゲラも出たので、いよいよ、早めの発行を目指して、進行させねば、などと……。」
*
「今日も、また、錦華坂を登りながら、あれこれ、思いわずらった。
十全に意を尽くして出来上がった、[この現在そのもの]を、やわらかいまなざしで捕まえた、最新刊、今井恵子第五歌集『やわらかに曇る冬の日』(A5判・208頁・2400円)の魅力を、もう少し、広く伝える方法はないものだろうか、などと……。」
「今日もまた、錦華坂を登りながら、あれこれ、思い悩んだ。
今年の7月から[神保町・八木書店扱い]で、北冬舎の本が、以前のように簡単に、[取次]を通して、[全国の書店]に届けられるようになったので、書店で注文でき、購入していただけることを広くお知らせするには、どうしたらよいのだろうか、など……。」