ニュースⅠ☆2012

                   ◇その日暮らしな編集者の追想◇

2012年12月20日(木)晴 10度→8度

「ヤマト」さんの夜の便に載せて、『依田仁美の本』の発送をすべて終える。今回は、新聞・雑誌・公的機関など、年末になってしまったので、最後の分に回した。新しい年になっての紹介を楽しみにしたい。

 

 早くも、第一便が届き始めたようで、とりあえずパラパラとやって、依田仁美さんのさまざまな「才能」が発揮された、本の圧倒的な質感に目を奪われたという感想が、まずあった。内容の豊富さ、面白さに、たちまち、とりこになることだろう。

  編集から制作、そして発送まで、やるべきことを、すべて、きちんとやったので、あとは「本の運命」に潔く委ねることしかできない、良き読者のほうへ、と思う。

 

 そうして、ひとつ、とりあえず一段落と、大きく息を吐き出すも、すぼめたその横頬に、昨日は、昼夜、まったく余裕がなくて、記すことができなかったが、なんと、「特集」に「今井恵子責任編集」を実現した、「北冬」014号のゲラが出て、天井の蛍光灯の光を白く反射するのだった。

 これも、「現代短歌」をめぐっての、さまざまな話題になりそうな一号だ。

 

 江田浩司さんの『まくらことばうた』の反響が、早くも届き始める。本年度の「年末回顧」に間に合ったところもあって、「今年の収穫」として、「書影」つきで紹介されるとのことだ。

 それらについては、また、少しずつご報告したい……。

 

 7月に出た、生沼義朗さんの『関係について』も、引き続き紹介が続いているが、あれこれ、すべて、十分に紹介することができなくて、申し訳ない、〔ペコリ……〕!


2012年12月19日(水)晴 寒/8・8度→5・5度

 よく冷えた一日だった。夜9時半頃の気温は「寒中」の日々に見かけるような……。

 昨日に引き続いて、『依田仁美の本』の贈呈発送作業に精を出す。今回は、依田さんから届いた「ラベルシール」が半分近くあったので、作業準備も最初は順調だったが、その「贈呈名簿」に付け加えるこちらの「シール」の印刷に狂いが生じて、少し滞ったが、なんとか、手順をきちんと踏んだら、わりとスムーズにほとんどを終えた。

 いつもの、親切な「ヤマトのお兄さん」が4時過ぎと7時と、2回も集荷してくれたので、「パブ」分を除いて、「贈呈」分はすべて送り出せた。

 いつもの、どの本とも同じように、「素敵な読者に恵まれてほしい」と願うばかりだ。

 月曜日に送り出した分は、今日、明日と届くことだろう。依田さんの所属する「短歌人」の方たちのは、最初の便にしたので、今週の土曜日の「忘年会」に間に合ってよかった。

 

 というわけで、今日、『依田仁美の本』の「書影」を初めてご紹介することにした。

 

「聖なるつばさ持つ[知情意]の三位一体が実現した驚異のスピリットブック!」

 

 と、「きれいなカバー」と連携して、「帯」で大風に吹かれてみることにした。

 昨日、お会いした女性歌人の方も、興味深げに目をとめられて、「この帯文はどなたが? このスピリットブックというのは?」と訊ねられたのだった。

「顰蹙を買って」まで、何かを実現しようとは思わないが、「著者の精神の本質をエンターテイメントして」伝えたいという……!

  このところ、先回りして、【幻聴】のように聞こえてくる、「この本が、あまりに俗世間で話題になり過ぎたのは、出版社が風に吹かれたからだ、向こう側へ行き過ぎたからだ!」などと、あとで言わないでくださいね、依田さん!(笑い) 

2012年12月18日(火)晴・暖/冷

 夕方、東銀座のホテルのコーヒーラウンジで、これまで2冊、本を作らせていただいたことのある女性歌人と、10数年ぶりにお会いする。こちらは、全体に〔GG化〕の道をやむなく辿っているが、ひと目見た瞬間、その方がまったく変わりがないことに、新鮮に驚く。

 この夏前に、『依田仁美の本』をきっかけに、新歌集がまとめられれば、という旨の連絡を頂戴していた。《よくぞ、思い出して、連絡を下さった!》と、喜びの再会となった。

 話題は、短歌表現のこの10余年の変遷や最近の歌集の造本への感想まで、あれこれ、尽きることがなく、こちらの歌集の造り方の手順など、あらためて説明させていただいていたら、コーヒーラウンジの厚いガラス越しにまだ暮れ残っていた師走の一日が、すっかり暗くなった。

 

 持参して、贈呈させていただいた、ご本人の文章も収録されている『依田仁美の本』を、「素敵だ、盛り沢山でいい」と何度も口にして下さるので、少し照れつつも、単純に嬉しくなる。

 彼女は以前、形になった本を手にして、「このエンターテイメントの本造りは、とても素晴らしい」と、当方を褒めて下さったことがあった。そのような《褒め言葉》はたった一回きりのものであったので、はるかな時間を歩きながら、ずっと、忘れることはなかった。

「本造りはエンターテイメントである」というのは、その著者の《良質な特徴》を、より魅力的に社会に届けるという編集者の〈役割〉をじつによく、的確に言い当てて下さった、と特に当方が褒められたからというのではなく、本質的な批評だったので、ことに印象深かった。

 

 さまざまな〈転機〉に遭遇したこの一年の終わりの、今日の、このここから、新しい時間へ向けての、〈新しいエンターテイメントそのものへ向かう一歩〉が実感されて、久しぶりの銀座の雑踏の中、歩行も弾んだ。

 強い北風に、見事に黄葉した銀座のプラタナスの落ち葉が頭上から舞い落ちてくるのに見とれたら、その大きい道路の一本向こうの、改築中の「歌舞伎座」が目に入ってきて、その脇の小道を、舎を始めてから10年、長いこと面倒を見てくれた《超一流デザイナー》のところへ通い続けた日のことが思い出された。

 友人に裏切られて、本の販売ルートがショートしてしまった挫折感の中、ろくな挨拶もせずに遠ざかってしまった不義理、不誠実が身を突いてきて、当時と同じルートの、地下鉄日比谷線・丸ノ内線と乗り継いで舎に戻りながら、あらためて〔著者に納得のゆく本造り〕を心がけることしかできないなあ、と思う。

 

 舎に着いて、昨日に引き続き、『依田仁美の本』の発送作業に勤しむ。明日にはほとんどを送り出せそうなので、〔素敵なカバー、[過剰なエンターテイメントな帯]〕のお披露目は、その後に。乞うご期待!

2012年12月13日(木)快晴

 ついに、今日、待望の『依田仁美の本』ができあがってくる。

「北冬舎版◇現代歌人ライブラリー1」にふさわしい内容充実の一冊になった。

 3時半、待ち合わせた「ヒルトップ」で、依田さんに、できたてホヤホヤをお渡しする。うまくゆけば、7月ごろか、遅れても9月、10月には、と思っていたのだが、ほかの仕事の進行の都合などもあり、予定より、いつものことながら、だいぶ遅れてしまった。

 

「本」には、依田さんの多彩な能力が存分に発揮された、新作の短歌・俳句・詩・評論エッセイなどのほか、氏の「ウェブサイト[不羈]」に記されている、大好評の「現代短歌出門」や「間歇斜説」をはじめとした、読み応えのある「散文」が、多数、収録されている。

 中で、なんといっても圧倒的なのが、[島田修三]との、文字どおりの競作だ。「現代短歌大相撲四十八番」と題された、「力士甲乙、それぞれ切磋琢磨の心意気を以て各自の全短歌資産を動員して贈・答二首、四十八組を制作」した、「書き下ろし」の「短歌作品集」である。

 両氏の「高度な技術/方法」や「引き出しの豊かな知識/教養」がガップリ四ツに組んだ、読み応えのある、楽しい「短歌作品集」となった。両氏のあいだで「20年前」に行われた「短歌のタタキ+短歌のカマ」24首も、収録した。

 

 20年前に約束した「再戦」を果たした、「島田修三/依田仁美」両氏の「任俠(ヲトコギ)」(島田修三氏)/「任俠(アポリア)」(依田仁美氏)には、感嘆する以外にない。こういう時代になると、その「批評性」が際立ってくる。

 

 今日は、江田浩司さんの『まくらことばうた』のお祝いも兼ね、中村幸一教授も駆けつけてくれて、《協調性のない4人(笑い)で祝杯をあげる。といっても、アルコールを受けつけない中村教授と受けつけたくない小生は、温かい烏龍茶で失礼する。

 ああでもない、こうでもないと、ふだん寡黙な中村教授も、飽きた様子も見せず、話はつきず、久しぶりに気兼ねのない時間を持てて、「しあわせ」な思いになった。さらに何人か、気兼ねなく一緒に喋りたい人のことも思われたが、またの機会を設けることで、散会した。

2012年12月11日(火)快晴

 しばらく間を空けてしまったら、《ここが、いったい、どこなのか、わからない……》状態になってしまった。

 記すべき何物もない、という感じなのは、書き始めれば、何がなんだか、格別、書きたいことがあるわけでなくとも、そこはそれ、ああでもない、こうでもないと、長年、〔ことば〕ばかりと【添い寝】してきたから、つい、続けてしまうのだが、書くに値する何物もない、空っぽの感じは、始まりの時から変わりはない。

 それに加えて、《ここは、どこ?》ということになってしまうと、いきなりの寒さの襲来に、真夜になって、いっそう冷たさを増す机の前に、なかなか辿り着くことができないのだ。

 

 ……などと、こんなふうに、ひとしきり、グダグダ言っても何も出て来ないのであれば、他人への〔冷笑・嘲笑〕に生まれつき長けた〔才子・才女〕から浴びせられる、〔おバカは言葉を使うな〕という〔言葉〕が、真実、身に迫ってくるのだが、こんな〔凡愚・おバカ〕にも生きられる、せめてもの〔言葉〕はないものかと、ひとり、貧相な手で、ヒラヒラと掻き探ってきたのではなかったか。

〔能力も金も美貌もなく〕生きるに値する〔人生〕とは、いったい、何か? どのようなものか? どこにあるのか? と尋ねることは、〔彼ら・彼女ら〕がとうに忘れた、〔人はなぜ生きるのか?〕、あるいは〔人はなぜ生きていられるのか?〕と、いつも、つぶやいているのと同じことだ。

 

 どのくらい昔のことになってしまったのか、すぐには、定かに思い出せないが、〔たかが小説、されど小説。〕という《謙遜と自負》というのか、それとも〔軽侮と尊崇〕というのか、某文芸雑誌の新人賞受賞作家と、〔たかが派〕と〔されど派〕について論じあったことがあった。

 最近では、〔たかが電気派〕と〔されど電気派〕との間の激論とか、〔たかがデモ派〕と〔されどデモ派〕との間での争論とかがあって、〔言葉なんて、お利口が使うものだ。〕の〔ご託宣〕が身に絡み付いてしまっている〔おバカ〕たちは、その間で、ただただ、ウロウロするばかりだ。

 

 あるいは、〔たかが短歌派〕と〔されど短歌派〕との間の困論も、〔和歌+短歌=1300年〕の「正統短歌系」の〔親分・会長〕のお出ましによる解決を待つほかはないと、「寒さの夏」の不作を恐怖した姿そのままに、ただただ、オロオロしている以外にないのだと、〔おバカ〕たちは泣いている……。

〔たかが現代詩派〕と〔されど現代詩派〕というのも、あったか、なかったか?

 そこへゆくと、〔たかが俳句派〕と〔されど俳句派〕の2派が、けっして成り立たない〔詩形〕というのは、凄い、怖い。〔たかが俳句、されど俳句〕という〔栄光〕は、彼らのものだ。

 それにしても、〔たかが人生、されど人生〕といかないものだろうか? 

2012年12月5日(水)曇/雨

 11月を終えるところで、一気に寒くなって、毎年の恒例で、いきなり風邪を引き込んで、グズグズ熱っぽく、すっかりペースを狂わしてしまった。

 今年は、すぐに医者にもゆかず、「葛根湯」でしばらく様子を見て、少しいいかなと思って、ついでの「逆療法だ!」と、汚れきった頭を洗ったら、ぶりかえして、また、日が経って、なんとかなった感じの今日、というところに来ている。

 

 この間、「お仕事」はそれなりに、怠け者にしては十分に「勤勉」であったが、ここに〔立ち向かう〕感じにはなかなかならないという〔引き籠り〕の気分が続いたのは、どういうわけであったか。

 

「ツイッター」なんどという、【溢れる言葉の海】にちょっと触れてみた【祟り】のせいか、それに対する【背中だけ〔が〕添い寝する】という【感触】のせいか、たった一人での「宣伝・広報」の利用には、困難なものがある、というあたりから、〔引き籠り〕の日が重なって……。

 

 そうして、もう、早、「あ! 12月!」というわけか。

「インフルエンザ」にでもかかって、高熱を出して寝込んでいるのではないかと、少し心配してくれた友も、いた……!

 さて、どんなあたりに〔復帰〕してきたのだろう?

2012年11月15日(木)晴

「舎」の知人・応援団の方たちに、江田浩司歌集『まくらことばうた』を、少しずつ送る。「なんとか、かろうじて、続けています」という「メッセージ」を含んで、ご迷惑をかけている方たちにも、お詫びする気持ちだ。

 まとめて買ってくださる方、わざわざ「読書会」に取り上げて、やはり数人で購入してくださる方たち、みんな、さりげなく応援してくれる。もちろん、「声援」にも、著者以上に励まされる。

 このたびの江田浩司さんのお仕事には、「感嘆!」の声が多い。

 「応援団#002」の方より、早くも、

 

《「これは、たいへんな本が出来上がった」と、感慨ひとしおです。読む側も相当な覚悟がないと、あっというまに叩きのめされてしまいそうな。襟を正して、じっくり拝読させていただきます。》

《それにしても、昔から奥行きの深い方だと思っていましたが、こんなエネルギーを秘めていらっしゃったのかと、江田さんには感服いたしました。》

 

 ついでに、小社も褒めてくださる。激励してくれる。この「声援」を推進力とするのは、駅伝/マラソンの選手と同じで、沿道の声に、気力/アドレナリンが噴出して、「未来へと、過去からの風に吹かれてゆく!」のだ。「F1レース」のモビールだって、その「声」が前へ、前へ進ませる、という……!?

2012年11月13日(火)曇-晴 18・6度

 今日は、なんだか、精神が乱雑な感じになって、仕事場へ向かうのに使う電車の3本それぞれで、行き帰りとも、違う本を、切れ切れに読んでしまった。

 だいぶ以前のことになるが、こんな日は「躁」的で、高揚感があって、なんでも出来そうな気がしたが、現在では、まったく、そういうことはない。絶対的に「苦」であるところの「生」を、「一瞬の喜び」の訪れに「生きるに値するまぼろし」を見るほかはないのだ、北村太郎さんの詩にもあったように。きれぎれな、親鸞……。

 

「明日へは、過去からの風に吹かれて、うしろ向きに行く」ということだ。つまりは、見ることのできる「過去」の力で、「まぼろし」を力にしてゆくということだ。きれぎれな、ベンヤミン……。

 

 没後の1987年刊行の鮎川信夫詩集『難路行』にある「幸福論」に、

 

  われら此処に在りとかんがえるだけで

  人は幸福であり満足だとはいかないものか

  …………

  いつまでも不幸のままで

  生きることを学ばなければ

 

 という詩行……。20行ほどの詩の終わりの部分だ。始まりの4行は、

 

  他者の犠牲を必要としないしあわせは

  ありえないという理由で、

  男と女は一緒にいると

  かぎりなくふしあわせになる。

 

 である。行きと帰りの横浜線で読んだ。きれぎれな、鮎川信夫……。

 

 今日もまた、14時44分発の電車に乗り、22時22分発の電車に乗って、「22時44分の人身事故で、現在、南武線が不通」という駅の「掲示板」を横目に、下車駅への電車に乗り換えた。

 

 夕方になって、日の暮れが早くなったなあ、この季節になると特に敏感になるなあ、と思いながら、山の上ホテル前の急坂を下り、明大前を下って、江田浩司歌集『まくらことばうた』を10冊、八木書店に届ける。

 この「ひととき」の喜びで、「余」を生きるとはいかないものか。いや、きっと、ゆく。

2012年11月12日(月)雨-晴れ 20・2度

 江田浩司さんの手による、歌集『まくらことばうた』の贈呈発送が終えたので、ここに「書影」を初めて紹介する。

「内容」に対して、まったくさわりのない、あきのきそうにない、素敵なデザインだと、一発できめた。「ポエジー21」という「シリーズ」の中で、その本の「衣装」と「内容」の相関を追求する喜びは、また特別のものだ。シリーズ前作の依田仁美作品集『正十七角形な長城のわたくし』も、喜びの一冊だった。

 このところ、なんだか目立つ、違う内容でも、違う作者でも、「同じ雰囲気の、デザイナーの本」というところから、「この作者の、この内容の本の、デザイン」までは、そうとう距離があると思う。

 エンタメな、アピール第一とは違う本の世界のあり方、また、純文学でも話題で採算とも違う本の世界のありよう、そんなものまで相手にしているつもりの一冊一冊だから、それは、「時間と空間」を相手に追求する、楽しみのひとつでもある。

 

 今日は、早速、八木書店『まくらことばうた』の注文をお願いしに行った。「10冊」も、置いてくれる。また、担当者が東京堂書店からも注文を貰ってくれるとのことだ。たくさん追加されるといいが。

 いずれにしても、「現代芸術の最前衛に位置する意欲作」(島内景二氏)なので、きっと話題になり、注文も多いだろう。新刊を、いつも置いてくれている、京都の三月書房にも、一冊、送付、納品した。先日の、書房主人による、久方ぶりの「メールマガジン」は、とてもおもしろかった。


2012年11月9日(金)快晴

 江田浩司さんの『まくらことばうた』より、今日の一首。

 「【い】のまくら」より。

 

  いはつつじいはねばならぬこともなし命の半ば月や渡ると

 

 鮎川信夫さんの「幸福論」は『宿恋行』にはなかった。

2012年11月8日(木)晴 19・9度

 昼の陽射しがあるうちは、暖か過ぎるくらいだが、日が陰ると、すぐ冷え込んでくる。〔陽射し〕ばかりが、以前より強くなっている。

 

 江田浩司さんの『まくらことばうた』が出来上がって、今回は、ご自身が贈呈発送されるので、精神的圧迫・肉体的消耗がまったくないので、本が出来上がった充足感のみに包まれている。こんなに「幸せ」なことはない。

「幸福病」とは違う、こういう「幸福感」の、一瞬の訪れでもあることが、生を繋げてゆく。「不幸のままで生きてゆくことを学ばなくては」といった「詩行」が、たしか鮎川信夫さんの詩「幸福論」にあった。『宿恋行』にだったか、『難路行』にだったか、明日にでも、あたってみよう。

 

 平生、いつも、「焦燥感/不全感」に捉われていて、齢を重ねてゆく途次の、誰にも訪れるという「鬱」の症状のひとつなのかと思い、いや、この感覚によく似ていた、20代、30代、40代の、あの日々、この日々も思い出されて、人生の「苦」のひとつであれば、馴れつつ行くほかはないのだと思う。

 一瞬の「僥倖」のようにやってくる「感動/感激」を、少しずつでも繋いでゆくほかはないのだ。しかし、重ねた齢の成果として、こころの一部分でも、いま少し、「ゆったり」できないものか。

 

 そんな「僥倖」に、『まくらことばうた』の出来上がりは、触れさせてくれた。納得のゆくところまで、この暑い夏、汗を流しながら、やってよかった。

 本年、まだ、三冊目の刊行だ。「おお、おお」と、どこかで嘆く声がするのも、昔のことのようだ。

 とはいえ、今日は、大原信泉デザイナーから、『依田仁美の本』の「帯文」提出の促がしがあった。「帯」のデザインを先にして、字数などを合わせてゆくか、それとも、通常のように、「文」を先にするか、今回は両様を睨んでいて、準備もできていたので、夜、早めに「Eメール」することができ、ホッとして、来る時に買ってきた、コンビニ弁当を食べた。あまりおいしくない、「おろし付きとんかつ弁当」だった。

 

「ツイッター」でも、「ペチャクチャ」したが、江田浩司さんの『まくらことばうた』から、今日も、一首。この歌は、「ゲラ」でも何度も読んだが、そのたびに、今日、また読んでも、単純に泣けてくる。

 「【や】のまくら」より。 

 

 やつめさす出雲の闇にまぎれたり男(を)の子(こ)の背中とふ雨の名よ

 

 「My10首選」に、確実だ。

2012年11月7日(水)快晴 20・5度

 今日は、ついに、待望の江田浩司さんの『まくらことばうた』が出来上がってきた。一冊、取り出して、ドキドキしながら、ページをめくる。とんでもないまちがいがありやしないかと、このたびのご本は、ことに細かいルビ付けなどしたから、神経が細くなり、揺れる感じがする。

 

 いや、ページをめくる前に、自分で考えたとはいえ、また、デザイナーの大原信泉さんと文字の大小など、あれこれ詰め切ったとはいえ、目に迫力の「帯文」が飛び込んでくる。

 一昨日、5日(月)に、「しおり文」の一部をご紹介した島内景二氏の「これ以上ない一文」を「キャッチコピー」に引かせていただいたのだ。

 

   島内景二氏――

  「現代芸術の

   最前衛に

   位置する

   意欲作」

 

 圧倒的な「文言」である!

「画像」などは、今回は、江田さんみずからが自宅から贈呈発送するので、一通り送り出してから、ご紹介したい。あまり早く掲載してしまうと、初見の新鮮な楽しみをじゃましてしまう。

 今日は、先に「ツイッター」でのおしゃべりで時間を取られてしまったので、もう、夜も更けきってしまったので、なんだか、こんな感じで終えて、ごめんなさい!

2012年11月5日(月)曇―雨

 夜更けて、雨……。9時半過ぎの神保町の温度は、15.3度だった。今年の寒中に、5度を下回ったことがあったのを、それを見て、思い出した。だいたい5度刻みで、暑いだの、寒いだの、騒ぐみたいだ。なので、15度より低くなると、だいぶ冷えがまさったなあ、ときっと言う!

 

 今日は、『依田仁美の本』の、残っていた「写真資料」や「奥付裏広告」などのページの手当ても終えたので、まず「本文」を「要念校」でシナノ印刷さんに戻す。

 江田浩司さんの『まくらことばうた』が手を離れてから、この一週間、原稿量の多い本の「校正」だったが、気がすむまでチェックし、数か所、依田仁美さんと「メール」で確認作業を行ない、ようやく最終段階になり、シナノ印刷の人に渡してから、深く呼吸をした。

 

 ついに、大原信泉デザイナー担当の「口絵」と「装丁まわり」の出来上がりを楽しみに待つ時間に突入した、今回は、「帯文」も、デザインと共同作業で決定してゆくので、用意はしているのだが、もうひとひねり、出来の悪い頭を、酷使しなければいけない。

 

 というところで、このたびの、江田浩司さんの歌集『まくらことばうた』の「しおり」から、本の出来上がりが目前になったので、「素敵な文」を、ここに紹介したい。

 それが、今回、何をトチ狂ったのか、「付録」の「しおり文」は、通常は「2人」であるところを、なんと「3人」に依頼してしまった! ほんとうに「しまった!」と言ったのであった。すると、当たり前だが、「ページ数」が増えて、なんと、通常の倍の「16ページ」になって「しまった!」のであった!

 アハハハハハ……と、笑ってばかりはいられない、「座席譲られ事件遭遇」の、まったく「年の功」などとは無縁の、おバカな頭脳なのであった!

 過日、あまりにも、「強度名前忘れ事件」を、その、目の前で展開したものだから、ついに、「だいじょうぶ? マイ・フレンド?」……と、深い、疑わしい目をお作りになられ、お言葉を発した歌人女史の「心配」も、あながち、あながち……なのか? と。

 

 こんな夜更けに、いつまでも、こんなふうな「(笑い)」でおもねってばかりもいられないので、『まくらことばうた』の「しおり」から、じつに「素敵な文」を、どうぞ!

 島内景二氏「夢の劇場」より――。

 

 よなばりのゐかひの丘に聞く雪の夢に立ちたつ言の葉の夢

 

 雪を雪たらしめている雪の真面目が、「雪の夢」である。夢がもし真実であるのなら、別の夢を連れてくる。それが、「言葉が見る夢」である。言葉が見ていた夢が覚める時、これまで夢の世界で生きていた言葉が死に絶える。その替わりに、死んでいたと思われる言葉が、蘇る。能舞台の「橋懸かり」のような詩歌の回廊を通って、無数の言葉が顕れ、死が顕れ、生が顕れ、神が現れた。新たな夢を作る現代歌人が、新たな文法で新たな言霊を注ぎ込むのだ。」 

2012年11月4日(日)快晴

 やはり、11月ともなると、日ごとに冷え込んでくる。まだ、寒くなった! という感じではないが、暖房を短時間でも使い始める。

 

 うっかりしていたが、江田浩司さんの『まくらことばうた』の納品日を、先週末に確認していたのだった。そろそろかな、と印刷所からの連絡を待っているうちに、やや日が経っていた。

 順調に行けば、「7日」に届けられることになった。ずいぶんと手間暇をかけたので、期待が高まったままだ。編集・校正の見逃しミスや、印刷・製本の手違いがないよう、ほとんど祈る思いだ。

 

 という、そんな日々に、藤原龍一郎編集長の「短歌人」11月号が、先日、届いた。珍しく、届いてすぐに封を切ったら、「特集」が、なんと、「枕詞の水脈」だった。江田さんの『まくらことばうた』が順調に進んでいたら、10月半ばに出ていたはずなので、ちょうどいいタイミングで、一緒に「話題」になっていることだろう。

 いや、できたら、江田浩司さんの『まくらことばうた』が刊行されてから、「原稿依頼」をしてくれたら、執筆者の誰かが取り上げてくれるかもしれないのに、などと思って、当ホームページを見てくれているらしい藤原龍一郎編集長の「無情」に思いが到った。

 

「特集」の内容は、有力グループの「短歌人」らしく、執筆者に実力者が揃って、広く考究/探究がなされていて、どれも読み応えのある評論が揃った。

 ことに、巻頭の高野裕子さんの「「枕詞」をめぐる小さな〈和歌史〉」は、ただの「研究成果」ではなく、自己の視点から書かれた「評論」として、教えられるだけではなく、刺激されるところがあり、「枕詞のこれから」なども、ともに考えさせる、とてもいい内容・文体だった。

 

 『依田仁美の本』の刊行も、いよいよめどがついた、敬服する、われらが依田仁美氏も、「近代の枕詞 秀歌鑑賞」10首を執筆されていて、「歌を創るということは歌人にとっては「経営」である。「資産」に「技術」を掛け合わせて「製品」を産出するのだ。ここで「枕詞」は重要な「資産」である。」という、まったく「新規!」な「歌人経営者論」とでもいうべき観点に立った「評」が、身贔屓の誹りをうけるだろうが、とても読みが深くて、楽しく、感心した。「近代以降の作家が「枕詞」を使う「動機」……「詩精神」」の点が問題だというのだ。

 

 谷村はるかさんの「現代の枕詞――とけこむ〈枕詞精神〉」も「本質」を問題にしていて、2ページだが、個性が光っていた。テキストに吉本隆明『初期歌謡論』を踏まえて執筆していたので、こちらも同じ本を読んでいたので、親しみも覚えたのだった。

2012年10月18日(木)雨|冷

 冷たい雨の降りしきる一日だった。あんなに暑かった日々の記憶も、もう薄れかけている。

 このところ、なるたけ時間を前倒しにしているので、今日は、久しぶり、という感じで、夜の10時を回って、仕事場を出る。なんと、予定より、ほぼひと月延びて、江田浩司さんの『まくらことばうた』が「責了」になった。

 やればやるほど、この齢になって、こちらの不勉強を思い知らされる、大変に難しい仕事になった。そこで、ただ今、現在のこちらの心境を、江田浩司著『まくらことばうた』から、一首!

 

  さざなみや浜の真砂に骨ひろふ泣きやまぬかもわがかげろふは

 

 じつに、いい歌だ。現代短歌において、「写実」に対する《内面の方法》で、表現をここまで実現した。この歌集には、こんな歌が、もっとずっとすごい歌が、それこそ「真砂」のようにゴロゴロしている。収録されている「666首」は、その結晶の数字だ!

 

 ここに掲載したカバーは、江田浩司さんの2000年2月刊行の長編短歌物語で、これを編集/制作していたころ、江田さん自身は、もう、「まくらことばうた」の制作に力を注いでいた。

『新しい天使』という書名は、パウル・クレーの絵のタイトルを、ヴァルター・ベンヤミンの本で知った江田さんが、この言葉にいたく感銘して、自著に名付けた。

 そこで、この本の「帯文」に、ヴァルター・ベンヤミンの思考を、なんとか「キャッチコピー」にさせてもらった。

 

 話は関係ないが、その後、この本を贈呈したエッセイストが、「後ろ向きに前へ進む」だったか、おぼろげだが、そんなタイトルの本を出したので、微笑したことだった……。

 

『まくらことばうた』を「責了」にした《いま》の感慨が、

 〔未来へは、うしろ向きに、過去からの風に吹かれて行く。〕

というものなので、あらためて、ここで披露させていただいた。

 

 もうひとつ、おまけのように思い出したのだが、江田さんのその前著『饒舌な死体』が話題になって、「有力総合商業短歌誌」での著名歌人の対談でも触れられた。その折に、「これは残らないでしょうね」とか、言われたので、以下のような「帯文」も付け加えたのだった。稀に、こういうことも、やる!

 

「残るとか残らないとかの、耳に淋しい表層の、言葉と態度を抜けて、わたしたち、いつまでも、ずっと、新しい……。」

 

〔、〕が少し多いのが、相変わらずだが(笑)、これは、このたびの『まくらことばうた』へと繋がる江田浩司さんの、変わらない《作家魂》でもある。

 こちらも、忘却の彼方にしてはいけない……!

2012年10月12日(金)

 


 午前1時半を回って、さきほどから時間を空けて、このところの「お仕事ぶりのお話」を追加しておけば、この2週間というもの、依田仁美さんの『依田仁美の本』が、やっと「再校」が出校して、直しも多かったので、「赤字照合」にもとても時間がかかり、ようよう依田さんの手元にお送りし、一方、江田浩司さんの『まくらことばうた』が、なんと、「責了作業」をやればやるほど、細かい「誤植」が向こうからやってきて、最終の「ルビ付け判断」と同時には行えず、「一つやっては母のため、二つやっては父のため」という状態になってしまって、本ホームページに相まみえることもできなくなっていたというしだいなのだ。

 とはいえ、リーガ・エスパニョールの「バルサ対レアル」戦だけは、翌日、すぐにビデオで堪能しましたが……。でも、「引き分け」で残念!

 それで、『まくらことばうた』だが、「装丁」も一発で決まりの納得のゆく作品の「色校正」が出て喜んだのも束の間、あとは「本文校了」をするばかりだったのだが、これがまた、「最後の最後」に、アッ! と天を仰ぐ状態で固まるほかのない「誤植」が「天の佑け」でもたらされて、「尽きることのないのは浜の真砂となんとやら」で、ついに、慎重を期して「念校」をとることにした、という状態なのであります。

「プロの校正者」にも負けない自負も、一人の目の限界と限定もあるのだと、さまざまな面で足りないのだと嘆きも底が知れず、それでも、時間の延滞はみなさんに心底より許しを乞うばかりで、収益は2食を1食に減らすからご寛恕を、と家人に提案するあまり、「机龍之助殿」との訣れから早くも3か月、その写真を胸に抱いて、「なぜ、死んじゃったのだ」と涙を流し、同情を買おうとする心の浅ましさよ!

 そんな日々の言い訳に、江田浩司さんの「好評」だった「第一歌集」と「ポエジー21第Ⅰ期」の一冊のカバーをご紹介しておきます!

2012年10月11日(木)曇/晴

 さすがに、10月に入って、冷たい空気になってきた。しかし、急に冷気が到来してきたという感じで、ゆるやかに次の季節へと移ってゆく情感に欠けるのは、この2~3年、特に顕著な気がする。

 誰が言ったのか、日本にも夏と冬しかなくなるというのだが、妙に情緒たっぷりの風土が「国際化」して、さまざまにメリハリをつけてゆくような「国民性」を育むことになるのかもしれない。

 そうなると、まず、まっさきに、「短歌的情調」が喪われることになるので、良い点、悪しき点が極端化して、「国論二分」ということになる。

 吉本隆明さんの『初期歌謡論』とはまったく関係ないが、「歌謡が和歌になってゆく道筋」を辿る吉本さんの本の、そのおもしろさに、「日本人」の展開も見るようで、今日現在の「天候」とも思い合わせることになる。

 にしても、春と秋には、妙に揺らぎ過ぎてしまう「個人的情調」だから、スパっと季節が移ってくれたほうがいいのかもしれない。夏前に、「夏の光」をかいまみて、こころが震えることもなくなって、もう、ずいぶん時間が経過した。

 そういえば、吉本氏の本を読んでいて、こんなふうな「訃報」に接すると、こころが静まり返ってしまう。「吉本和子さん(よしもと・かずこ=俳人、評論家の故吉本隆明氏の妻)9日、老衰のため死去、85歳。」吉本氏の後を追ったように終えた生の最終の、その思いはどのようなものであったのか、ただただ、ご冥福をお祈りしたい。

2012年10月2日(火)晴 27.8度

 大型台風騒ぎも、昨日の快晴/青空、今日の晴と、熱い空気がまた戻ってきた。爽やかに、涼風の秋とは、なかなか行かないが、秋風が吹けば吹いたで、「ひとり膝を抱けば秋風また秋風」(山口誓子)と、「膝を抱えているほかなし」の感じに、今年は殊のほか、なってしまいそうだ。

 

 この夏以後、導かれるように吉本隆明氏の著作に触れることになった。親鸞つながりで、『最後の親鸞』を読み終えてから、氏の新盆ということもあり、2、3編短いものに触れ、久方ぶりに『共同幻想論』を読み進めていたら、『初期歌謡論』に思いが到ったのだった。

 ここには、「枕詞論」が入っていることを思い出したのだ。やはり、もう30年も経っていて、取り出してみたら、「Ⅲ章」の次の「Ⅳ章」に「続枕詞論』まであって、読まないわけにはいかないのだった。

 もちろん、江田浩司さんの大成果である『まくらことばうた』の理解を少しでも深めたいというわけだ。その2つの章を先に読み終えて、とても面白く、改めて勉強になったので、最初から読み返しているところなのである。

 

 こうして、「ぬばたまの彷徨する読書」というものを繰り返して、50年も経ち、さまよえる、何一つ、深まることのない人生か! というものか! 

 引用して、紹介したいところもあるが、また……。

『まくらことばうた』に寄せられた、日高堯子氏、島内景二氏、田野倉康一氏の、それぞれ素敵に理解の行き届いた「しおり文」の抜粋紹介もしたいところだが……。

2012年9月28日(金)曇

 生沼義朗さんの最新歌集『関係について』が刊行されたのは6月の末だったから、もう、3か月になるが、引き続き好評のようだ。特に嬉しかったのは、生沼さんがFAXしてくれて知ったのだが、「週刊置賜」での紹介だ。

 

「週刊置賜」は、大下一真さんの友人が、山形県米沢市近郊の南陽市置賜地方で、大下さんによれば、「小さな良心の灯をともし続けている新聞」とのことだ。氏がこの新聞に連載している「コラム」に、『関係について』を取り上げて下さった。

 

 大下一真さんが眼にとめて下さった3首――。

 

 選挙速報見ては気づけり万歳は背広のかたちが崩れることに

 

 荷物とはこのようなもの。今日明日食うものばかり袋に提げて

 

 読み進む歌集に虫の止まりおれば歌集を閉じてその虫殺す

 

 どの短歌も、ありふれた日常に見受けたり、みずから何気なく行なっている行為を、それこそ「よく見、聞き、感受」して、一首にしていると思う。

 大下一真さんの紹介は、短いものながら、楽しいものだが、特に、2首目について、「街中を手ぶらで歩くということは珍しい。では何かすごいものを提げているのかと見れば、所詮は「今日明日食うものばかり」。高邁な哲学や深い隣人愛などとはほぼ無縁に生きている。それが人間なのでありますよ。」と、ほとんどの日に、通り道のコンビニで弁当と菓子パンを買い、仕事場へ向かうこの小生自身の《実態》も暴かれておられる。

 大下一真さんは僧侶とのことなので、紹介して下さった3首とも、「世の中への慨嘆」も潜めて読み解かれているように思われた。

 

 こんなふうに、生沼義朗さんの『関係について』は、「肥大し続ける〈皮相な現実/異和な日常〉の浮力に身を委ね」(「帯文」より!)ながら《光景》をよく表現しているので、広く共感を呼び、問題意識もみんなに共通の音程で伝わるのだろう。

 これからの反響が、ますます楽しみだ。 

 江田浩司さんの新しい作品集『まくらことばうた』の刊行が間近くなった。[ポエジー21]シリーズの「第Ⅱ期3」で、あらためて、既刊の2冊をここにお見せしておくのは、「第Ⅱ期」は、話題になった「第Ⅰ期」の〈試行性〉よりも〈コンセプト重視〉であることを確認しておきたいからだ。

「日本短歌史」に間違いなく【足跡】を残す《意欲作》の高度な達成に圧倒されっぱなしで、校了でのもしものミスを考えると怖い! まあ、これは、程度の差こそあれ、いつものことだが……。とにかく、ほんとうに、期待して下さい!

 話題になって、売れてほしい!


2012年9月21日(金)曇/雨/晴/雨

 落ち着かない空模様で、「秋の日」という情緒も、この数年、すっかりなくなってしまった。

 今週は、連休後で、アッというまに週末だ。あれこれ、同時進行で、なかなか「秋の収穫・結実」に到らない。それでも、「北冬」次号の「特集*今井恵子責任編集」の執筆者も確定して、ホッとする。今春に行われた「今井恵子の会」の「ライブ版」の全収録と新しい原稿とで、充実した「特集」になりそうだ。

 そのうち、目次立てを発表したい。

 

 一人で、何もかも、という日々で、【生涯一編集者】の編集作業がイヤというわけではないのだが、ただボンヤリとだけしていたい感じに、折り折り強く襲われる。ほんとうは怠け者なのだが、とにかく、やらねばならない編集作業や事務作業が、日々、莫大だ。

 やればやったで、粘り強いところ、いや、単に執着心が強いだけなのかもしれないが、「果てのない道中記」を、毎日、記している気分で生きているようだ。

 一冊の本を世に送り出すまでの「道中」は、ほんとうに面白く、ものすごくたくさんのことを生きてゆくんだなあ!

2012年9月12日(水)快晴 30度

 空気は少し澄んで、冷気もしのばせているようだが、とにかく陽射しが強烈だ。熱の光が降り注いでいる。これは何かだ。

 

 仕事関係の本を読みつつ、あれこれ、本ばかり読んでいる。ある種の病気だ。ストレス解消の読書のうちは、まだいいのだが……。

 今日は、このところ拾い読みしている『聖書』を、またパラパラとやっていて、エルビス・プレスリー「ラブ・ソングス」も、毎日のように聴いていたので、気分転換に、DVDを引っ張りだしたら、その一枚に[PP&M]があったので、ながら視聴することにした。

 [PP&M]は高校生時代、たった一人で、横浜から新宿厚生年金会館で行われた日本公演に行ったりした《超お気に入り》のグループだったが、今日は、あらためて彼らの『聖書』の世界に触れることになったのだった。

 ユダヤ人グループの彼らが伝えようとした《世界》に、また、いま少し、耳を傾けたい。

2012年9月6日(木)晴/曇/雨

 はっきりしない空模様で、9月の始まりだ。

 そんな空模様と同じように、はっきりせずに数日が過ぎて、昨日は、眼から曇りが拭われた気がしたのだった。

 このところ、併行して、江田浩司さんの現代短歌界の画期的収穫である歌集『まくらことばうた』と、異才の魅力を存分に伝える依田仁美さんの『依田仁美の本』の進行に精を出している。

『まくらことばうた』の装丁は、大原信泉デザイナーが的確に主題を把握してくれた「プレゼン」が、一発で「決め!」になり、あとは「データ」と「帯」の原稿、デザインということになった。

 ところが、『依田仁美の本』の装丁に、最後の最後、発注の段階になって、[造本]を含めて、迷いの隘路に踏み込んでしまった。そこで、大原デザイナーに全面的にアドバイスをお願いすることにして、氏に、[歌人・依田仁美の世界]の魅力を、あれこれ多方面にわたり、縷縷力説し、そして、ほかに類を見ない、かつ他の追随を許さない、魅惑の本の「構成内容」を細かく説明した。

 さらに、また、「新シリーズ」の第一弾としてリリースするに到った舎の、【環境と心情】をも、訴えることになった。

 そうして、じっくりと話を聴いてくれていた氏が、「新シリーズ・第一弾『依田仁美の本』の意義」に、的確な理解を示して、造本/装丁のアイディアを話してくれるのを聴いているうちに、実に「目からウロコが落ちる」とはこのことだ、という感じを、久しぶりに、新鮮に覚えたのだった! 感動に近い思いになったのだ。

 その「プレゼン」を楽しみにしながら、舎を出て、錦華坂を夜の10時過ぎに下って行きながら思っていたのは、昨日の{付録}のページに記したようなことであった。

 更に、昨日は、もうひとつ、「北冬」〔№014〕の充実へ向けての着手をして、気持ちは前方へ向かう感じに、やや! なった。こちらの「内容」は、乞うご期待だ! 

秋山律子歌集『青空』    (2002年11月刊)
秋山律子歌集『青空』    (2002年11月刊)
秋山律子歌集『或る晴れた日に』(2009年8月刊)
秋山律子歌集『或る晴れた日に』(2009年8月刊)

2012年8月27日(月)快晴・青空 暑熱

 今日も暑い。空が青い。

 先日の、井上陽水「青空、ひとりきり」の歌詞の引用を、ここのところ、聴くことがなく、まちがえてしまったので、訂正しておく。1975年のこのころは、よい詞を書いていた。

「何かを大切にしていたいけど/からだでもないし/こころでもない/きらめくような思い出でもない/ましてやわが身のあしたでもない」……、どこにも《根拠》を置かない青春の名残りのままの日々……。

 このあとに続く、「ひとりで見るのがはかない夢なら/ふたりで観るのは退屈テレビ」という詞など、そこからずっと、ここまで《ほんとうの生活》に下り立つこともなく、《浦島太郎のお話そっくり》に生きてきたことなどに、あらためて思い到らせたりする……。

         …………

 というわけで、小社刊の秋山律子さんの歌集『青空』を掲載しておきたい。

 というのも、ずいぶん以前に、この歌集を購入して下さった読者から、つい最近、「同じ著者の歌集『或る晴れた日に』も出ていることを知ったので、購入したい」という電話があった。

 ところが、この歌集が刊行時、大好評で、あっというまに残り少なくなって、あいにく増刷もかけなかったので、編集保管用を含めて、あと、2冊あるか、3冊あるか、という状態で、そこを、なんとか、保存用で要望にお応えしたばかりだったのだ……。


2012年8月23日(木)快晴 35・1度(神保町)

「神保町」の地下鉄を上がった交叉点のところの温度計を、目にするつど、設置されて3年、記録してきた。歩道上の、まともに昼日中の陽が当たるところにあるので、公式の記録より2度ほど高いと思われるが、暑さ/寒さを、数字というもので感受する。

 数字を知らなければ、「ああ、今日の暑さよ!」で終わる。

 一昨年、記録し始めた夏、確か「37・5度」が示されて、仰天した。

 今日は、空があまりに青いので、天を仰いで、錦華坂を登りながら、久しぶりに口笛が出る。ここのところ、口笛も出ない、俯きかげんの日々だった。

 しかし、曲は、やはり、井上陽水の「青空、ひとりきり」で、これは、若い頃からの自分のテーマ曲のひとつだ。「何かを大切にしたいけど/こころでもなく/からだでもない」というところが気に入ってきた。時折り、激しく襲われる孤独感に「ポップスでもないか!」とは言えない。

                …………  

「机龍之助」殿のことを、なおも、突き上げられるように思い出す。

 昨日、書きとめた「七情のいれ者たる人身」でいることが「自然」ということでもあるが、ちなみに、「七情」は、『新潮国語辞典』には、「七種の感情。礼記(ライキ)では、喜・怒・哀・懼(ク)・愛・悪・欲。仏家では、喜・怒・哀・楽・愛・悪・欲。」とある。儒教と仏教での「懼\楽」の差異は、人間性の把握の思想について、あれこれ思わせる。

 一度、サンスクリット語にも堪能な中村幸一教授】に、あれこれ、お尋ねし、教えを乞いたいものだ。

                …………

 11時前、帰宅し、先週末から始まった「リーガエスパニョール12-13シーズン・第一節」の「ダイジェスト」を観る。「バルセロナ」と「レアル・マドリッド」の試合は、録画ですでに見終えていた。「ダーティー・レアル」が、ホーム開幕試合で「バレンシア」と引き分けに終わったので、快哉を叫ぶ。すっかり、「アンチ・ダーティー・モウリーニョ」になってしまった。

「11-12シーズン」は「机龍之助」殿と、毎晩、夜を共に過ごしていたので、集中して、楽しむこともならなかった。「ドリーム・バルセロナ」も、リーグ優勝を逃した。

                ………… 

 真夏の夜更けには、「青空、ひとりきり」でもないので、エルビス・プレスリー「ラブ・ソングス」にする。齢を重ねてきたら、エルビスの味が身に染みるようになってきた。

2012年8月22日(水)快晴・暑

 連日、暑い日が続いているが、ふっと、夏の終わりの陽射しになっているな、と思う。日の差してくる角度が違って、いかにも8月の末の気配になっている。しかし、まだまだ強烈な陽射しと熱風だ。

『依田仁美の本』と江田浩司さんの『まくらことばうた』の進行と釜田初音さんの新しい歌集の「編集構成」と某大学教授の『傑作コラム集』の「入稿原稿整理」と「残暑見舞い」を書いたりなど、ほかにもいくつかのことを同時併行的に進めている。

 次から次へと、「一段落」ごとに、前へと作業してゆく。ひとつひとつ、作業の、ある形を頭の中で描いて、そちらのほうへ具体的に向かってゆく感じだ。

 このところ、特に感じているのは、予定をあまり考えない不安定な収入ながらも、いま手がけている一冊一冊が、身を切れば血が出るような【具体性】として、この自分の手元にあり、それが生活それ自体である、ということだ。

「給料」を貰って、「仕事」として最善を求め、遂行してきたのとはまったく違う、それ自体を生きている、という感じである。ひとりで展開してきて、もうだいぶ時間も経つのに、これまで感じてきたことのないものだ。なんだか、不思議だ。

 その先に、一冊の本として《結実》するときの「喜怒哀楽」があって、これはまったく別の【抽象性】として、この身に感覚されるのだ。

「さすが七情のいれ者たる人身に候へば折々胸痛の事も多く御座候。」とは、真山青果著『随筆滝沢馬琴』に引かれている馬琴の手紙の一節だ。「机龍之助」殿に死なれてから、「長編小説」に挑戦した思い出の『大菩薩峠』のあと、17年後の現在、早めに『南総里見八犬伝』へ挑もうと、手引きに読み始めた随筆の中にあった。

「七情のいれ者たる人身」に、2012年の夏の終わりの一日だ。


8月12日(日)曇/雨/晴

 蒸し暑さをこらえながら、江田浩司さんの『まくらことばうた』の「校正」に勤しむ。この歌集の「凄さ」を、どのようにして広く伝えられるかと、一方でしきりに思いながら、とにかく目の前にある「ゲラ」に集中して、「ミス」を残さないようにと思う。

 幸い、付録の「しおり」に執筆して下さった島内景二氏が、たいへんなご好意で、「校正の参考のために」と「文法・旧仮名」を初めとする「ミス」を、一箇所一箇所、ご指摘くださった。国文学の専門家である島内氏のご助力は、これほど有り難いことはほかにない。ほんとうに助かっている。

 『古語辞典』や『国語大辞典』と、一首一首、それこそ首っ引き状態なので、ほかの本の何倍もの時間がかかる。ろくに勉強してこなかったわが身に、今更ながら、呆れ、焦れ、というところだが、古代からの日本語の豊かさに、あらためて触れ、感動する思いだ。

 江田さんのこの本を、こうして手がけなければ、こんな思いに到ることもなかっただろう。幸せな、有り難いことだ。

 写真を掲載した『新潮国語辞典』は、第一版のときから重宝してきた。「現代語・古語』を収める「国語」の辞典としては、そうとうなすぐれものだと思う。「明解/新明解」さんも重宝してきたが、「古語辞典」で遊ぶことはなかった……。

 やはり、「万葉仮名」から〔夜露詩句〕ということか……!

2012年8月2日(木)快晴 暑

 連日、30度台の熱暑だ。さまざまな、口々から、昔の暑さと暑さが違う、という言葉が洩れ出るのを、いたる所で、耳から、耳にする、今年の夏も、8月になった。

                ………………

 生沼義朗第二歌集『関係について』の、東郷雄二さんの読解が、とても美しい。第一歌集『水は襤褸に』についても、8年前に、丁寧に触れていて、それを踏まえての今回の読み解きである。

 歌集一冊について触れられる時、時間の連続を意識して言及されることは、特別の依頼でもないかぎり、なかなか行われないことなので、その懇切さは有り難い。

                              ………………

「橄欖追放」

http://lapin.ic.h.kyoto-u.ac.jp/tanka/tanka/kanran102.html

 というホームページで、これまで、小社のものも、取り上げて下さっていたらしいのだが、やっと、自分で見ることができるようになった。〔10年遅い!〕という声が、あちこちから聴こえてくる。

               ………………

 江田浩司さん『まくらことばうた』「しおり」原稿が二人の方から連続して届く。言わずと知れた歌人の島内景二と活躍めざましい詩人の田野倉康一からだ。この二篇がまた、わくわくする、力の入った読解をして下さっている。乞う、お楽しみに、だ。頑張って、9月には、早めに刊行したい!

2012年7月22日(日)曇/雨

 梅雨の戻りのようなお天気だ。熱風から肌寒さへと、暑ければ暑いで大変で、ひんやりしすぎればしすぎるで調子が狂う。

                                    ………………

 ここのところ、久しぶりに「パソコン」関係の本を購入して、なすがままに、あまリにも《乱雑》になってしまった、この「ホームページ」の[整頓]に、初めて着手する。

               ………………

「ネット」について、ろくな知識もないまま、この「jimdo」の案内を拾いながら、昨年の10月から「無料ページ」を試しに始め、なんとか続けてみようと、腰を据える気持ちで、この年初から「有料ページ」に切り換えた。

 幸い「訪問者」も、そこそこ途切れることもないようで、一部からの「楽しみにしている」などという「持ち上げ囃子」に気をよくして、調子にのって続けてきた。

              ………………

 しかし、「単純に《増殖》するホームページ」としてやってゆくしかないかなどと、《技術の限界》にあきらめを決め込んできていたが、『jimdoのスタイルブック』という本が手に入ったので、なんとか[整頓]に挑戦してみた。

 この「jimdo」というのは、とても優れたサービスを持っていて、まったくのパソコン初心者であった小生が、たった一人で、なんとか続けられてきている、まるで奇跡を産むような【玉手箱】なのだ。

               ………………

 そうして、「ホーム」と「掲示板」を、もう少しすっきりさせたいと挑んだら、「ホーム」は「{付録}」と、なんとか2ページに分割できたが、「掲示板」の「年度分け」に「一部失敗」してしまった。文面はかろうじて残せたのだが、なぜだか、「掲示」の日付が整理作業の日付になってしまった。

2011年」に「掲示板」に投稿下さったみなさん、本当にごめんなさい! 目立たないように、「2012年」のページから入るようにしました……。

 これに懲りずに、引き続き、なんとかよろしくお願い申し上げます! 

2012年7月8日(日)曇/晴

 7月2日(月)の「消印」で、「妙齢の北冬舎応援団№001」より「ファンレター」が届いていたのだが、無断引用を避けるために、〔許可〕を貰っているうちに、時間が経ってしまった。(ちなみに、先に紹介させていただいた「6月17日の「掲示板」」に登場した「妙齢の応援団」とは別人である……。)

 

 生沼義朗第二歌集『関係について』の評判がとてもよい。

「作品の一首一首も、一冊の構成(ⅠⅡⅥが――、ⅢⅣⅤが――、というのは読者に、とても優しいです。)も、行きとどいた「後記」もすべて、ずーっと拝読しながら「誠実」という言葉が、常に頭に寄り添っていました。「誠実」という言葉がいちばん相応しいのかどうかはわかりませんが、作者が対象を見る目、それを表現しようとする姿勢、選ばれたことば(助詞や助動詞の使い方ひとつひとつまで)……何もかも、「誠実」に感じました。また、一冊に流れている通奏低音のようなものと、大原信泉氏の装丁があまりにもぴったりで……なんだか泣きそうに……大原氏のお仕事、すごいですね、タイトルから装丁から帯から……素敵すぎて、ぞわっと怖いような……。」

 

 単純な、〔ファン応援団〕からの《大絶賛》と、「見下ろし隊」派遣の向きもあるかもしれないが、ところが、この「ファンレター」が着いた翌日の「7月4日」に、【石川美南】さんが「一首鑑賞」で

「ちぐはぐな現実感にその都度きちんとモノサシを当てて測っていくような律儀さ、そのようにはかっていくより他ないという思いこそが、これらの歌の持ち味なのだと思う。」

  と読み解き、さらに、

「歌の題材や文体を象徴するような『関係について』というタイトル、スタイリッシュな装丁も良い。」と述べているのだ。

 

【石川美南】さんの「眼力」は定評があるところのもので、著者と懇意だということを割り引いても、著者の、作品表現の方法に対する「律儀さ」を理解こそすれ、「持ち上げ隊」派遣としての言及ではないのは自明のことだ。

 

 かくして、生沼義朗最新歌集『関係について』の、【眼力を備えた二者】の「第一印象」はほぼ同一で、すでに、もう、こうして、【良い読者に恵まれた】というのは、なんて、素敵すぎることなんだ!

 

「Ⅱ章」の連作や「連作のあり方」「帯文」についても、細かく言い及んで下さって、すっかり感激した!

生沼義朗第二歌集 『関係について』 4/6判 200ページ       装丁=大原信泉          定価:2200円+税       2012年6月30日発行       帯文=〈物語〉の失効後の世界を生きるために!  ――肥大し続ける〈皮相な現実/異和な日常〉の浮力に身を委ねながら、〈物語〉からはるかに離れて、〈主体のありか/私性の根拠〉をさまざまな関係性において思索するための言葉に真向かい、ひたすらに問う、第一歌集以後の進境あざやかな十年の足跡を収める第二歌集。                 
生沼義朗第二歌集 『関係について』 4/6判 200ページ       装丁=大原信泉          定価:2200円+税       2012年6月30日発行       帯文=〈物語〉の失効後の世界を生きるために!  ――肥大し続ける〈皮相な現実/異和な日常〉の浮力に身を委ねながら、〈物語〉からはるかに離れて、〈主体のありか/私性の根拠〉をさまざまな関係性において思索するための言葉に真向かい、ひたすらに問う、第一歌集以後の進境あざやかな十年の足跡を収める第二歌集。                 

「自分は書くことでしか前に進めない人間だ。/……第二歌集と銘打つだけの作品の質量と、一冊の書物としてのコンセプトが揺らいでいたため、一冊の歌集を上梓することが、その正否はともかく、自身の作歌上の区切りになり得ないのなら、無理に上梓してもしかたない思いがあったのも事実である。……/これからも、歩みは遅いかもしれないが、考えながら書き、書きながら考えて、前に進んでゆきたい。」(「後記」より)

2012年7月4日(水)晴 暑

 九州地方が大雨に見舞われている中、東京は今年一番の暑さだった。

 舎に来がけに【八木書店】に寄り、生沼義朗新歌集『関係について』【日販図書館流通センター】への見本を置いてくる。

 また、【東京堂書店】から注文が「3部」あった。幸先がよい。「直取引」の時も、新刊をいつも「2~3部」置いてくれていた。変わらぬ気持がありがたい。【東京堂書店】も先ごろリニューアルして、店内の雰囲気も変わったが、ゆっくり歩いている余裕がない。

 

 舎に着いて、『関係について』の発送の残りと、今朝がた、生沼氏から「メール」で連絡のあった「住所判明者/追加分」の宛名を大急ぎで調べたり、引き写したりして、汗をかきかき、6時過ぎの「メール便」で送り出す。

 携帯で連絡を取るも、仕事中らしく、だいぶ経ってからかかってくる。

 今朝の連絡分も送り終えた、と言ったら、早かったですね、と言うので、一生懸命やったよ、ねぎらいの言葉くらいないとね、とがやがやの電話の向こうに呟いたが、意味不明の返事が返ってきただけだった。

 

 発送もほぼ終え、もう、贈呈先に、だいぶ到着したらしいので、ここに《書影》を掲載することにした。

 生沼氏のところにも、親しい人から簡単な感想も届き始めたという。「内容」についてはまだまだこれからで、楽しみと不安を生沼氏と共有しているところだが、まずは、なんとか、書名と装丁の「関係について」、素敵に読み取ってもらえるといいのだが。

 

 そういえば、「帯文」にも、ね……。

【オギワラくんクロセくん】に、けなされないといいがね、アハハハ!


2012年7月1日(日)曇/雨

 梅雨冷えの一日を、終日、悲哀の情の中で送るが、昨日、久しぶりの土曜出勤をして、生沼義朗新歌集『関係について』の発送作業に勤しみ、8割方を終えていたので、まだ気持ちは楽だった。木曜日の著者の周辺の人への「第一弾」の発送に続いての「第二弾」で、多くの著名歌人宛てに送り出した。

 明日、月曜に残りを送り出せば、ここに、晴れて、紹介のコーナーを、大々的に設けられる!

 それで、その景気づけに、第一歌集『水は襤褸に』(2002年9月、ながらみ書房刊)を思い出しておきたい!

生沼義朗第一歌集『水は襤褸に』
生沼義朗第一歌集『水は襤褸に』

2012年6月26日(火)快晴

 梅雨の合間の上天気! 湿気もなくて、過ごし良い一日だった。

 土、日と、家で、こまごまと仕事に励む。机のかたわらの、小生のベッドのなかに、日毎に弱りゆく老犬「机龍之助」殿を横たえさせて、ときどきあやしながら、という感じだ。

 生沼義朗氏の「贈呈名簿」の整理も終え、「ラベル」が届く手はずになったので、いよいよ、発送作業にとりかかる。週内には、ほとんど送り出せるだろう。反響は、楽しみと、やはり不安との半々だ。いちいちなので、大変だ!

 「北冬No.014」の原稿締め切りを設定して、初めて、「連載陣」にいっせいに「メール」で送る。便利だ!  

2012年6月27日(水)晴

 左記を記しているところで、「机龍之助」殿が目を覚ましてしまったので、急いで閉じて、一緒に横になったのだが、なかなか静まらず、こちらも眠りにつけなかった。

 今日は、生沼義朗歌集『関係について』の発送作業を進める。明日には、いよいよ「第一陣」を送り出す。だいぶ進んだところで、夕刻、大原信泉デザイナーが到着する。先週、台風で打ち合わせを延期してもらって、多忙な中、改めて時間をとってもらった。

 一冊は、依田仁美作品集『あいつの面影』を見て、自分もこういう綺麗な「短歌と写真」の本を作りたいと決断した、横浜の婦人からの依頼についての打ち合わせだ。「外国旅行の短歌と写真」の本になる。本文を含めて、全体を面倒みてくれることになり、大助かりだ。きっと、カッコいい、素敵な本になることだろう。

 もう一冊は、江田浩司さんの『まくらことばうた』の「装丁」について、あれこれ話し合う。とにかく、タイトルが抜群だ、と一致する。有りそで無さそで、ウッフン! といった感じだ。この感覚は……! と大いに自慢する。江田さんの良質な[詩性]が存分に発揮された、傑作作品集だ。 


2012年6月20日(水)曇/晴 暑

 ここに、この毎日を記すのも、「書くに値する」や否やだが、昨日の今日で、やはり、生沼義朗第二歌集『関係について』が納品されての喜びの一日だった。

 いつものように、細部にエラーがないかどうかを、一番最初の包み紙のガムテープを静かに剥がして、「第一冊目」をおもむろに手にし、カバー・帯・表紙・化粧扉・花ぎれ・スピンと、順に、どうしても、点検する眼になってしまう。そして、目次・本扉・中扉・本文・後記・奥付と、不安げにページをめくってゆく。

 取り立てて、問題はない。いや、きれいに、全体に、カッコよく、完璧にでき上がった! と安心する。いやいや、一箇所、かすかにずれていないか、と眼が止まる。錯覚か、と眼をこすってみる。物差しを手にとって、計ってみる。わずかに、ほんの「一ミリ弱」ほどずれていないかと、こんなことでは、神経が持たない、といつも思う。 

 たった一人の「編集部/制作部/総務部/営業部/……」の愉悦と不安……。

 生沼義朗氏と五時に待ち合わせの約束をしていたが、10分ほど遅れそうだと電話をすると、七時の待ち合わせではなかったか、と言われる。「メール」を確認すると、まちがいはない。生沼氏には、このように「天」が味方する……。

 五時十分前に電話をしなければ、せっかくの[佳き日]に30分も待っているうちに、気分をこわしたか……。直接、本を手渡し、喜びを共にしたいという思いも無残に……。

 六時過ぎに到着した生沼君と喜びを分かち合う。しばらく、「贈呈名簿」のチェックに励み、お腹がすいたので、「山の上ホテル」のコーヒーラウンジ「ヒルトップ」に、同じフロアーの「新北京」からお取り寄せできる、とてもおいしい「中華堅焼きそば」などをおごり、九時半過ぎ、にっこりして別れる。

 ああ、すっかり、今日もまた〔作文〕になってしまった!

 すぐには、「贈呈発送」に到らないので、「宣伝の画像」も、なかなかお披露目にいたらないもどかしさ……!

 まあ、過去には、【森本平】氏の「手書き宛名封筒」が、二か月も届かず、毎日、呆然と本の山を見ていたこともあったから……! いまでは、「ラベル印刷」なのに……。

生沼義朗第二歌集『関係について』帯(一部)
生沼義朗第二歌集『関係について』帯(一部)

2012年6月19日(火)台風4号/曇/大雨・強風

 いきなりの台風襲来、という感じで、横浜は午後になって、天気が崩れる。夜になって激しくなるというので、夕刻に約束していた、大原信泉デザイナーとの打ち合わせを、早めに中止する。多忙な中、時間をせっかく工面していただいたのに、申しわけないながら、夕刻から雨も風も激しくなって、電車なども止まってしまったようなので、よかった。

 台風が超スピードで過ぎていったので、ホッとする。明日、雨だったら、と気をもんでいた。明日の午後に、待望の「生沼義朗第二歌集『関係について』」が、ついに出来上がり、届けられる予定になっているからだ。「責了」から「白焼き/一部抜きチェック」を先週に終え、最終の製本段階でミスがないように、いつも祈る気持ちだ。

 夜半を過ぎて、もう今日になってしまったが、この時間も、その気持ちが続いている。

「贈呈名簿」がなかなか確定できずにいて、封筒に宛名ラベルを貼り付けておくなどの前準備が、十分にできていないので、発送には少し時間がかかりそうだ。前宣伝に「カバー」などの画像をここに披露したい気持ちはあるのだが、[新鮮な衝撃]を損ねてもいけないので、まだ、やめておくことにする。

 この「ホームページ」を集中的に〈探索〉に来て、自社の〔企画・立案・営業〕の【糧】にしている〈ハイエナ/ハゲタカ〉出版社があるらしい、という《分析》があった。もちろん、ここでは《大公開》が行われているのだから、何があっても不思議はないのだが、【吐き気】をもよおすのは、小生の〈自由〉だ、アハハハ(笑)……。

 よって、いい齢をして、極端に《人見知り》と《露出》ばかりを繰り返している、《普通》に生きるのが困難な「舎主/小生」としては、やはり、[前宣伝]に、せめて、「帯/腰巻」だけは《大公開》しておきたい! 昔の、雑誌「面白半分」の〔腰巻大賞〕は、じつに素敵な企画だった! (そのうち、小生の、生涯の「腰巻」を整理してみたいものだ。できの悪い頭の苦労も、足跡の内だ。)

 今回も、できの悪い頭を痛めて産んだ〔わが子〕を、愛のまなざしでどうぞ!             

2012年6月13日(水)曇/晴

 案の定、9日の土曜日に関東地方に梅雨入りが宣言されたら、それまで、あんなに生き生きした思いが続いていたのに、すっかり気分が鬱陶しくなってしまった。せめてもと、〔足の踏み出し方/歩き方〕を変えて、〔お仕事〕を着実に進行させることを、自分に言い聞かす。

 幸い、生沼義朗君の新歌集『関係について』の出来上がり日が確定して、楽しみの気分も湧いてくる。若い感受性に満ち満ちていた第一歌集から10年、心境著しい《作品世界》が繰り広げられている。

 いつものように、その《作品世界》を先立てる、とりわけて新鮮な大原信泉さんの装丁にくるまれて、世の新しい空気に触れた瞬間、自己を主張しはじめることだろう……!

 出来上がりを、どこかに間違いはないか、どこかで誤植を見逃してはいないか、などという少しの不安と、この世でたった一つの《存在》を主張する《新しい生命》の恵み、という感じで楽しみにするのは、これまでのどの本とも変わらない。

 ただただ、《良い読者》に恵まれてほしい、と祈るばかりだ!

 内容、その他はいずれ……。

桂芳久著『誄』〔しのびごと〕(2001年6月刊)
桂芳久著『誄』〔しのびごと〕(2001年6月刊)
釜田初音第二歌集『渡河』(2005年9月刊)
釜田初音第二歌集『渡河』(2005年9月刊)

2012年6月5日(火)曇/雨

 ほとんどの日々を、だるく、疲れて暮らしている中でも、一年のうちで、いちばん生き生きとしていられる「5月」が、とうとう終わってしまった! 今日は、はや、梅雨の走りの空模様で、夜になって、「机龍之助」を小用に〔お姫様抱っこ〕して外に連れ出したら、もう、降っていた。

 昨日は、【八木書店】からの注文に、ほんの少しずつだが、桂芳久著『誄』(しのびごと)が、また含まれていて、とても喜んだ。あの【三島由紀夫】が、その才能に注目し、絶賛した短篇小説の名作「深井女」が収録されている。老残の世阿弥が若き能面師に恋慕し、苦悩する、官能いっぱいの作品だ。

              

 今日は、生沼義朗歌集『関係について』が一段落したので、著者の首が、だいぶ長くなり始めた音が聴こえて来た「二冊」の「編集作業」を進めた。

 一冊は、釜田初音さんの新歌集で、第二次の「選歌作業」の二回目のチェックで、やっと、明日には「速達便」で送ることができる。

 もう一冊は、伸びつつある首の音が、耳元でしだいに大きく聴こえ始めた依田仁美大兄の『依田仁美の本』の「原稿整理/入稿作業」だ。これも、今日はだいぶ進んだので、明日、進行の報告が、かろうじて出来そうな気持ちになれた!

 こうして、「6月」が始まった!


2012年5月31日(木)晴

 ついに、生沼義朗歌集『関係について』が、「帯」のデザインまで終え、最終段階になった。28日(月)に、「ヒルトップ」で「再校/責了ゲラ」のチェックを、生沼君と二人で行うも、時間が足りず、持って帰ってもらい、〔こころ残りのない〕ところまで、やってもらった。当方も、「原稿」段階はもちろん、最終の「初校・再校」も、2度、3度と「校正」をして、〔こころゆく〕まで仕事をした。

「再校」で「誤植」二字を拾い上げたときは、そう、かなり大袈裟に!  言いたいのだが、[人智を超えたもの]に、正直、感謝した! また、〔こころゆくまで仕事〕をした末であればこその、[快感]を覚えた!

 しかし、ほんとうは、その前の、《どこかの段階》で拾っていなければいけないのだが、《それぞれの段階》では、そのときそれぞれの神経を使って注意してゆくので、なかなか難しい。《著者》は、おおむね、あてにならない。

 もっと、〈人手〉が必要なのだが、最終的には、総てへの、小生の〈自己責任〉という気持ちが強いので、同じことになる。

 それで、その「二字」についてだが、いつも、【大島史洋】大先生からチェックされる、「現代語/古語」の「送り仮名」の誤りであった!  なので、ホッとするのも、数十倍の【神の助け】であった!

               *

 そうして、一昨日、この半月ほど、出来の悪い頭が痺れ、悩んでいた「帯原稿」が、生沼君にも取材して、《決定稿》になり、デザイナーに「メール送稿」して、昨日、一度、《コピー文字の大小》についてのやりとりをして、真夜中の先程、ついに《完成》を見た、というところなのである。

〔画像〕は、勿体をつけて、大原信泉デザイナーが「カバー」で展開した【表現】の一部のみのお披露目だ。刊行されたときの【新鮮】を損ねるという(意見)と、【情報】をあまり無造作に出さないほうがよいという(意見)も、届いている。小生は、ろくに【計算】ができないバカなので、その時の【気分】と【勘】に任せることにする。

 刊行を、乞う、ご期待! だ!

               *

【江田浩司】さんの、驚異的な仕事も、ついに、《満を持して》の〈ゲラ〉出校となった! 江田氏の良質な才能が余すところなく【表現】された、題して、『まくらことばうた』である!

 この本については、おいおい、また、ご紹介したい。

 乞う、ご期待! だ!

2012年5月27日(日)晴/曇

 今日は、中野サンプラザの近くの「中野区社会福祉会館」で催された〔朗読の会「コパン」〕の「第五回」に出席する。歌人の【宮田長洋】さんが昨年から始めた会だ。宮田さんとは、ひょんな感じで知り合って、「朗読の会」の案内を戴くことになった。よほどのことでないかぎり、ほとんど、人集まりや人中に出ることがないのだが、昨年は、【巨大震災】のあと、やはり5月だったと思うが、「第一回」に【上林暁】を読まれるということで、興味深く出席した。

 まだ、震災の空虚感が充溢するなか、【上林暁】に触れたのは、たいそう良いことだった。「本当の生活とは何?」という、〔病妻〕を抱えた私小説作家の、止むに止まれぬ文学にかける日常の苦悩は、時代を遠く隔てても、生活スタイルがまるで変わっても、胸に染みて来た。宮田さんが朗読された「明月記」のラストシーンの、見事な満月の下を病妻と歩くところなど、一年経っても、鮮やかに浮かんでくるほどだ。

 今日は、太宰治の「富嶽百景」と「待つ」を読まれた。有名な【月見草と富士山】の小説が、声に出されるのを聴くのも、新鮮な体験だった。「待つ」は、これまで読んだことのない、ごく短い【女学生】ものだった。「女学生」などの、太宰の声色はあまり好きではない。

 終わってから、数人でコーヒーを飲み、宮田さんと二人で残り、氏から預かっていた小説の読後感を率直に申し上げて、帰途に着く。

 家に着くと、老犬「机龍之助」が寝床で鳴いていた。しばらくあやしたら、スヤスヤと寝息を立てた。 

2012年5月25日(金)曇/雨/晴

 もう、すでに、梅雨のはしりのようなお天気の中、【八木書店】大田美和第四歌集『葡萄の香り、噴水の匂い』を届ける。夕方、在庫の有無の問い合わせがあり、すぐ「納品伝票」を書いて、「納戸」から取り出し、急ぎ足で、山の上ホテルの前の急坂を下る。

 去年の[超巨大地震]では、納戸の中の「在庫」まで崩れて、大変な思いをしたが、「超狭ワンルーム出版社」の中ででも、できるだけ「在庫」を大事に保管して、《読みたいという需要》にすぐ応えたいのだ。なかなかたくさんの刊行物が《たくさんの需要》の状態になるわけではないが、今日のように《2冊》も書店からの注文があると、こころも弾む。

 もう、ずいぶん以前のことになるが、これだって、けっこう、〈ベスト/ロングセラー〉を手がけたことだってあるのだ。しかも、〔持論〕は、「交通事故のような、まぐれ当たりのヒットではいけない。意図を持って、狙って、当たってこそ、何かをやったことになるのだ。」という中でのものだった。その、〔水準の設定〕こそ【問題点】だったが、あれから30年近く経った〔現在〕に行われているのは、みんな、それと同じなので、なんだかつまらない。

                 

 いまは、一冊、一冊、気持ちを込めて作って、どの一冊も《良い読者》に恵まれてほしいと祈っているばかりだ。

2012年5月21日(月)晴

 今日は、嬉しい連絡がポストに入っていた。【池袋ジュンク堂本店】の担当者の方から、《常備図書》の注文短冊十数点が送られて来た。既刊本と、有り難いことに、「北冬」のバックナンバーも置いてくださるとのこと。目に触れて、手にとって、気に入られ、購入される、というのには、書店に現物があることが必要だ。

 以前から、同店では、直接取引でお世話になってきた。重ねて有り難いことである。すぐに【八木書店】に連絡を取り、納品の段取りを教えてもらう。ほかの書店とも、少しずつ、営業をしてゆきたい。【ネット書店】にも取引を申し込んであるのだが、なかなか出品まで手が回らない状態で、今年の初めから時間が立つばかりだ。

              *

 依田仁美さんの『正十七角形な長城のわたくし』の「批評会」の記録のまとめが、やっと捗ってきた。『依田仁美の本』の「全体構成」はほぼできあがっているのだが、全体のボリュームを決めるには、細部も丁寧に詰めておく必要がある【異才・依田仁美】の魅力をどこまで出せるか、とても楽しみだ。

              *

 生沼義朗歌集『関係について』が、ついに責了段階になる。デザイナーの大原信泉さんの装丁も届いた。「帯文」の指示も貰う。あとは、内容を損ねない紹介コピーができるかどうかだ。いつも、ここでは、苦労する。〔頭が痛くなる〕という言い方を、しばしばするが、無い知恵を絞ると、本当にそうなる。そうなるほど絞るのは、頭が悪いからだと、たいてい、わが身を嘆く。

 一冊、一冊、そうして生まれるので、《子煩悩》の度合が、ひとが呆れたりすることにもなる。度を過ぎると、何事もよくないのは言うまでもないことだ。

2012年5月14日(月)快晴/暑

 地下鉄神保町駅から靖国通りに出たところにある[温度計]が、今日は「25・2度」だった。気分も夏めいて、足早に人混みを抜け、角のコンビニで、お蕎麦とおにぎりと菓子パンを買う。おやつと夕食用だ。

 三時に、【山の上ホテル】で【生沼義朗】君と会う。彼の新歌集『関係について』が、いよいよ、あと少しで「本文責了」だ。二人して、じっくり、納得がゆくまで、最後の最後の「校訂」を含めて、《本造り》をしてきた。

 そして、今日は、おたがいに緊張の!{この今になっても、誰に対しても、いつでもそうだ!}「カバー装」の「プレゼン」を検討することになっていた。小生は、「2種類」のそれを先週に受け取って、ひと目見て、どちらも、歌集『関係について』のコンセプトを表現していると、気に入っていた。

【生沼義朗】君に気に入ってもらえるといいな! と先にコーヒラウンジについてしまった。ひととおり、「ゲラ」や「贈呈名簿」の話などを終えて、〔生沼歌集用〕の「束見本」に掛けて{「束見本」をちゃんと造るのかと驚かれる}、おもむろに見せる。緊張の一瞬だ! 瞬間、「2種類」とも気に入った、と言う。

 ホッとする。しかし、さらに、どちらかを決めかねて時間ばかりが過ぎたらどうしよう、とも心配になったが、【生沼義朗】君はさすが、小生もこちらかな、と思っていたほうを選んだ! 「カバー」も「帯」も書店からの返品用に多めに刷ることなども話して、あっという間に1時間半が過ぎ、次に用事を控えていた【生沼義朗】君は、飛んでいった。

【生沼義朗】新歌集『関係について』にピッタリの、素敵な「カバー」が生まれた!

【大原信泉】さん、いつも良いお仕事、ありがとう!

 いや、まだまだ、気を抜いてはいけない。最後まで、繊細に、だ。何が待っているか分からないのは、これまでも、あったことだ。

2012年5月7日(月)晴

〔賞〕のことに話が及ぶと、自他のことを問わず、たいていは気分が悪くなる。機嫌が悪くなって、「〔権威〕意識の裏返し」だと、突っかかっていくことになる。いずれにしても、【引かれ者の小唄】で当たっているのか、【僻み者の一人カラオケ】状態なのか、【負け犬の遠吠え】でいいのか、という感じで、これほどウンザリする話題も、ほかに、あまり、見当たらない。

「〔賞〕というものを【権威】が分配/配給することは恣意そのものである。」ことなど自明のことだから、そのことに、あえて言及する必要はない、と親しい何人かは言う。「みんなが知っていることや思っていることを改めて表明するのは、無意味で、無駄なことだ。」と付け加える者もいる。

 しかし、「【自分の女房詩人・歌人】に【有力な亭主詩人・歌人】が【有力な詩人・歌人賞】を与えていいのか!」と、こちらは必ず、気色ばんでしまう。あるいは、「【地方自治体】が運営している【賞】の場合、【無辜な市民の税収】を分配するにあたって、【一部の有力詩人・歌人の恣意】で、【税金】がやりとりされていいのか!」と、珍しく、【公金の使い道】を心配したりする。

                *

【石原千秋】氏の言う、「文壇」の【江藤淳】につり合う「詩壇」の顔は、やはり、【鮎川信夫】か? 「歌壇」では……、すぐには、思い浮かばない……、か?

【ブッカー賞】をめぐる「書評」を、2月の「週刊読書人」で読んだので、今日の続きは、また……。

 出版社が主催する賞についても、また……。

2012年5月3日(木)大雨/曇

 ひどい雨。午後になって弱まり、のち止む。

 午後三時、祝日だが、田園調布で人と会う。論作ともに秀でた、中年の男性歌人と、もう3年ほどにもなるか、ときどきお会いして、作品集を実現する話をポツポツしている、というノンビリしたもの。

 こちらはいつも、誰と何を実現するにしても、仕事は[潮が満ちるように]がモットーだし、相手のご本人は、どうやら[おのずから]が信条のようで、おたがいに[慌てず、騒がず]で、去年、【大震災後】しばらくして会って以来だ。

 忙しく、性急な《仕事の成果》だけを欲望するのではなく、[思考/試行]を結実させたいと、あからさまに言わなくても、思っているあたりは、小生と仕事をしている、ほかのみんなと同じようだ。

 それでも、いよいよ、〈夏の陣・秋の陣〉へ向けて、小生だけは、たった一人の〈陣構え〉の武者震い、といったところだ。[結果は、おのずから]にしても、現実に、【兵糧】が尽きては、《結実》も望めないし……。極端から極端に走りがちな点だけは留意しながら、いよいよ、山積する、楽しみの《本造り》に邁進するのにも、この5月は絶好だ。

 

 上に掲げたのは、グループ「地中海」の「2012年5月号」の表紙だ。毎月、送ってくださるので、楽しみに封を切って、いつも、「短歌がいっぱいあるなー」と思いながらページをめくり、2ページの「シルクロードカフェ」という「会員の声」欄を欠かさずに読んでいる。

 それが、先ごろ頂戴して、封を開け、表紙を目にした途端に、「ああ、いいなー。伸び伸びするなー」と、感激したのだった。「グループ誌」の表紙を目にして、素直な思いに満たされるのは、きわめて珍しいことだ。それは、商業誌や同人誌のそれと違って、言ってみれば、〈無辜の会員の浄財〉で[表現]される場所だからだ。

 それほどたくさんの「グループ誌」を見ているわけではないので、あまり断定的には言えないが、【名のあるデザイナー】が手がけたものは、それなりに洒落ているが、その「グループの顔造り」としてほとんどが、必然性を欠いている。

 どの程度の〔費用〕を掛けているのか知らないが、〈無辜の会員の浄財〉からの【負担】には、いつも、ふさわしくない、と思う。

 また、【内部の手造り】のほうも、その「顔造り」をするにあたって、どこにも、眉も紅もなかったり、あちこち、いいかげんに造作していたりで、その「グループらしさ」に意識がないものが多い。ただ、こちらは、〈浄財〉をプロに対して無駄に〔費消〕しているわけではないので、笑って見過ごせる。 

 

 それで、その[感激]をお伝えし、ここで紹介したいとお願いをしたら、「編集人」の【久我田鶴子】さんが、さっそく承諾して下さった。

 空を行く鳥の名も知らず、思うこともなく、ただ魅了されていたら、それは「信天翁」だと教えてくださった。あの【ボードレール】の『悪の華』(第二版)に出て来る鳥であると……。

 その、「詩人」というものになぞらえられる「雲居の王者」の「信天翁」は、いったん、海を行く「船乗り」の手で、「下界」というものに捕まってしまえば、見苦しさは、この上なくなるのだ。だから、空を、ずっと、高く行く以外にない。

『ファウスト』(第2部)に出て来る【富に仕える少年御者】も「詩人」だが、キラキラ光る言葉を駆使するすべに長けているだけに、現実の利益に目ざとい。

 

 そんな、【信天翁】や【少年御者】が、「下界」で専横の限りを尽くしてはいないか? 今回の【この賞】は、われらのところの「あ奴とあの娘にやろう!」とか、「こっちはやるから、あっちを頂戴!」とか、声が大きく、甲高いほうが勝ち、とやっていやしないか?

「M落ち」だとか、「SBバーター」だとか、【小沢一郎さん】のことを責められた義理じゃないのだ。それにしても、【敗戦民主主義】を〈文芸前線〉で標榜してきた〔作家・歌人・詩人〕たちの、この〈臆面のなさ〉は、いったいどうなっているのだ。お世話になった土地の[放射能]から逃れ逃れて、【宮古島】へ着地した【国民歌人】も同じ手合いか? おお、【リーダー】たちよ!

 

 ちなみに、「産経新聞」の「4月29日」の【石原千秋】氏の「文芸時評」より、ご紹介する。

「……綿矢りさが第6回大江健三郎賞に決まった(群像)。どう見ても「がんばりま賞」だが、それはそれでいいと思う。つまらないパロディー小説しか書けないのに、いくつかの文学賞の選考委員となってフィクサー気取り(?)のあの人より、直球勝負で気持ちがいいことはたしかだが、はたから見れば権威主義にしか見えない。こういう時には、論敵だった江藤淳が生きていればと思う。」

【詩壇・歌壇】に、【江藤淳】のように生きていてほしかったのは、誰? 今日の続きは、また……。 

2012年4月8日(月)晴 暖

 初夏を思わせる一日。昨日8日、一昨日7日と、土・日に人なかに出たので、今日はお疲れ休みを兼ねて、[自宅作業]を決め込む。7日の土曜に、帰途、【舎】に寄って、郵便物は取り込んであったので、すこし安心だ。たった一人であることの誰もいない気楽さと、一人がいなければ誰もいないことの不自由さ。まあ、ここまでずっと、「自由であることの恍惚と不安」という人生を送ってきたのだから、いまさら嘆くことはないのだが。

 

 昨日は、30余年前、市ヶ谷にある詩の出版社の花見で、若手として茣蓙を抱えて場所取りした記憶も懐かしい、土手の桜も満開の、その脇にある「私学会館アルカディア市ヶ谷」で、「今井恵子歌集『やわらかに曇る冬の日』批評会」が、キャパオーバーの大盛況で、とても活発に、刺激的に行われた。

 

「前座」を著者・今井恵子さん本人が、【西村美佐子】さんとの、普通の「批評会」では持たれない「掛け合い対談=「短歌という場所」」で務めたところから、会場は全体に期待感に包まれる。普段は、著者に対して行われない、西村さんの【今井恵子さんの大衆像】をめぐる鋭い〔ツッコミ〕が、さらに「[本音]の会」の期待感を盛り上げた。

 

「第二部」は「パネルディスカッション」――。〔司会〕の【柳宣宏】さんのさばきがとても巧みで、出席者の「短歌観」を見事に引き出して、それぞれの「個性」を明確にし、歌集『やわらかに曇る冬の日』歌人【今井恵子】とを素材に「現代短歌」の問題まで意見を届かせた、とても活発な、刺激的な「討論」となった。

「出席者」は、【日高堯子/花山多佳子/松村正直/斉藤斎藤/後藤由紀恵】の諸氏。その、それぞれの「個性」のかなりな懸隔、「男女/年代」の類別化の可能性などが、面白さの要因だったか。それにしても【柳宣宏】さんの、各自の「個性」をスレスレにクリアし、展開してゆくさばきが見事だった。

 会に参集した心ある歌人なら、提出された問題を個々、引き取って、反芻するのではないだろうか。

 

 歌集の「問題点」として議論されたいくつかのうち、編集の当事者として意識されたのは、「オノマトペの短歌の収録」と「散文/長い詞書のある短歌」、「一首の配置」についてだった。

 

 昨日の会では、方向性をもって言及されたわけではないが、【一群の歌人集団】から、糾弾するように、いつも言われるのが「散文/長い詞書のある短歌」についてだ。要するに、「散文的な文」が【歌集】に収められていると、「歌集としての純粋性」を損なうというのだ。「【歌集】というものはすべて【短歌】でできていなければいけない」というのだ。はなはだしいのは、「歌集の賞の対象/受賞」を忌避されるので、「散文的な文」の削除を考慮して歌集が作られたりする形跡があるようなのだ。 

 

 弊誌「北冬」で創刊号より連載している「短歌のあるエッセイ」には、毎号、素敵な「短歌+エッセイ」作品が、20人以上の歌人の方から寄稿されてきた。編集人から言うのもなんだが、その内の「素敵な作品」の上位に位置する【松平修文】さんと【魚村晋太郎】さんの「作品」は、本当に「散文と短歌」が見事なハーモニーを見せた、奥の深い、絶妙な「作品」になっていて、寄稿されて一読、感激したものだった。

 

 しかし、ご両人とも、【歌集】収録の折には、「散文部分」を削除してしまって、頂戴した「作品」が〔台無し〕になってしまっていた。

【松平修文】氏など、その「作品」を、その歌集の題名にまでしていたのだったから、こちらの〔落胆〕もはなはだしすぎて、寄贈して下さったのだが、失礼ながら、歌集全体の通読に到らなかった。

 また、【魚村晋太郎】氏の場合、これはこちらに全くの「非」があるのだが、別の「北冬」の号の原稿依頼の折に、あの「作品」が「〔台無し〕になってしまいましたね」と無神経に、つい書き添えてしまって、ゴキゲンを損じてしまったことがあった。その節は、魚村さん、本当にごめんなさい。

 

 ちなみに、両著とも同一の出版社から刊行されていて、同社は、最有力の【先達歌人】が「選考委員」をしている【歌壇】で有力な【歌集賞】を主催している。

 ともあれ、上記のような〔体験〕も、〔妄想〕とは思えないのだが、いずれにしても、「歌集の純粋短歌性」とでも言うべきものが【一群の歌人集団】において、牢固として、抜きがたく、信奉されているのだろう。

 それでは〈可能性としての歌集〉は、どこにあるか?

 

 昨日の「批評会」から、だいぶ逸脱したが【今井惠子】さんは、今度の歌集『柔らかに曇る冬の日』で、〈新しい地点〉に立ち、遥かを展望し、きっと、ずいぶんと遠くまで行くだろう!

2012年3月28日(水)曇/晴

 このところ、『依田仁美の本』の編集に、依田さんが送って下さった「原稿」を集中的に読んでいる。若い時代の、すでに秀でた才能を示している原稿を初めて読んで、とても刺激を受けている。最近の、異色ぶりを遺憾なく発揮している《仕事》への「道筋」が、よく分かる。昨年の10月に催した、『正十七角形な長城のわたくし』を語る「依田仁美の会」の「批評」も収録するので、本当に「依田仁美による依田仁美」が躍動した、面白い1冊になるのはまちがいない。いろいろな歌人の発言もあるので、豊かさも十分だ。

 

 依田さんが所属しているグループの雑誌、「短歌人」に掲載された原稿をまとめて読んでいて困るのは、つい、ほかのページにも目を止めてしまって、読んでしまうことだ。ずいぶん時間を費やしてしまうことになる。

「短歌人」は、短歌それ自体の狭い専門性に足を取られておらず、活きた短歌の《情動/情調》を追い求めている感があって、読ませるページが多い。高瀬一誌さん、中地俊夫さん、小池光さんらに受け継がれ、流れてきた短歌観によるのだろう。現在の藤原龍一郎さんについては、編集長になって日も浅いので、いまのところ、お手並みに、興味津々というところだ。

 そんな「短歌人」の〔脇見〕をしていたら、きっと、当時にもう、すでに[話題]になったのかもしれないが、すごい短歌が目に飛び込んできた。依田さんが、ちょうど1年間、「時評」をおやりになっている「1995年」の「10月号」の【小池光】さんの1首であった。この年は、「阪神大震災」「オウム事件」があった。こういう年の依田さんの「時評」も、興味を惹くものであった。それで、小池氏の4首発表中の1首は、

 

  かつてなくわれはあやぶむ麻原に近よりていふ吉本のことば

 

 というものであった。この「3月16日」に吉本隆明氏が亡くなられて、この1首に目が吸い寄せられたのも、何かの【縁】というほかない。氏の死については思うことも多いが、われらの世代にとっては強烈な存在だったから、簡単に、あれこれ言うこともできずに、日を送っているところなのだった。

【小池光】さんの1首については、そのうち、依田さんにいろいろご教示願うことにしよう。それよりも、わが世代を代表する歌人【小池光】氏が、このところ、あまり元気がないということなので、とにかく良い短歌を楽しみにしたい。

2012年3月23日(金)雨

 15日が「出欠」の締め切りの、歌集『やわらかに曇る冬の日』の会の出席者が、なんと、会場のキャパ、70人をオーバーしてしまうほどの、何と言うか、人気ぶりだ。案内をした初めは少し心配したが、著者の今井恵子さんの人気、あるいはまた歌集の好評ぶりのままに、ずいぶんたくさんの方が来て下さることになった。

 今回は、返信先になっただけで、会の内容構成にはタッチしなかったが、それでも、盛況になってほしいので、日々の葉書のチェックも心配が半分だった。

 もう、ずいぶん前になるが、「大討論会」と銘打って、「ポエジー21」シリーズの景気づけに会を催したときは、《主催》したので、けっこう大変な思いをした。ただ、著者が5人いて、司会者と小生とで、ひとりあたり5~6人ほど来てくれればいちおう格好がつく、と思ったら、気楽になった。

 当日は、会場のキャパ、やはり70人ほどをずいぶんオーバーして、怖い女性歌人の方から、「後ろのほうは席がなくて、立ち見で、疲れちゃったわよ」と怒られたのも、よい思い出だ。京都から、わざわざ来てくれた歌人もいて感激したが、あれ以来、小社が中心になっての会を催したことがないのでよくはわからないが、きっともう、ハートに悪いことだろう……。

2012年3月17日(土)雨/曇

 画像は感傷と言葉への偏愛がさざ波を立てている潮だまり」と、著者が「あとがき」に記した、2004年3月10日発行の【松原未知子】第二歌集『潮だまり』である。著者は謙遜して言うが、「言葉遊び」に紛れ込ませている、高度で、おしゃれな[批評性]も、魅惑的だ。

 歌集は、短歌のほかに、【詩壇】で通行している現代詩にも引けを取らない「詩」が収められている。「思惟がたり」という詩の冒頭の2行、「彼女の詞書きは沈黙だ/沈黙からはじまる言の葉の葉擦れの音」、あるいは「満潮」という詩の「冬の真昼のやうなしづかな夕暮れ/ながいながい引用の廊下を抜け/人生の暗喩のような階段を降り/集合的無意識の織り込まれた/コンドミニアムの玄関マットを踏む」と始まる[世界]は、接続される詩行へ、いきなり期待を抱かせる秀作揃いである。

「破滅する恋のやうだわあれあれあれペナルティキックを奪はれて」

「太陽は核融合の大釜のぐらぐらとわがガイアくらくら」

「枯れ枯れの香草さへも〈私〉を超え得ざるまま、おのれ、オレガノ」

などの短歌は、すこし《恣意的な選び》にすぎるだろうか。

「帯文」には、言葉には、溺れる。/みずみずしい思惟とことばへの高度な愛が豊かに波打つ、艶熟の詩歌作品集。」とある。 

2012年3月8日(木)曇/雨

 今井恵子さんの新しい歌集『やわらかに曇る冬の日』をめぐって、左の「ご案内」のような、「楽しく有意義な会」が開かれます。市ヶ谷の土手の桜も咲きそろっているでしょう。ご興味をお持ちの方は、ブラブラとおいで下さい。会場は、「大ホール」ではないので、早めにご連絡いただけると助かります。

 本歌集は、昨年10月の刊行以来、【慧眼の方たち】より、[現代短歌の新しい方向性を探る秘かな試みが行われている]と、日増しに好評をいただいています。

 そんなこんなで、当日の「議論」は、《花祭り》ならぬ、一転、《春の嵐》の様相を帯びるかもしれませんが……。どうぞ、お楽しみに!

 

 それから、本日、【大田美和】さんの愛情溢れる手で「掲示板」のページに記された、わが〈北冬舎のおともだちの【江田浩司】〉さんの「講座」も楽しみです。こちらも、よろしく!

 ちなみに、江田さんは、「4月21日」に《岡井隆を語る会》を開催します。江田さんは、〈随一の、節操のあるお弟子さん〉ですので、こちらの「講評」も、とても楽しみです。江田さんは、「詩の本の思潮社」の新刊、「現代詩文庫・岡井隆詩集」の「解説」も新しく執筆するとのことなので、その充実ぶりも大いに嬉しいことです。

 以上、あれこれ、「4月になると……」というしだいでした!

2012年3月4日(日)曇/雨

 3月に入ったので、いつまでも、このホームページを「無料」のバージョンでやっているのも、〔とりあえずのおためし〕の感じがつきまとうので、「有料」のものにすることにした。いろいろな機能も使えるらしいのだが、あまりよくわからない。けれど、〔展開への覚悟〕ということで、切り替えることにする。

 以前のホームページは「フリーズ」にしているのだが、それなりの「料金」も支払っているので、まだ維持されているが、そちらは解約するので、そのうち、閉鎖されてしまう。人に任せていたので、詳しいことがわからないのも、まったく、どうかと思う、というところだ。

 少しずつ{勉強}して、もっと充実できるといいのだが。

 みなさん、いろいろ、教えて下さい! どうぞ、よろしく!

2012年2月19日(日)晴

装丁=大原信泉
装丁=大原信泉

☆最新刊[2月20日発行]

桐花の記憶』大塚久子歌集(A5判/204頁/2600円)

 短歌グループ「綱手」所属の歌人の第二歌集です。若々しく、書道もよくされる84歳のベテランの歌人です。

 右側の写真は「化粧扉」で、熱意にお応えして、「4色印刷」で大サービス! 「ピアノカバー」の部分で、ご自身が初めて刺繍した記念の作品とのこと。そういう「作品」で、装丁家の大原信泉さんと相談して、飾った。

 付録=「カンナの赤し――わが十八歳の記録」(10ページの小冊子)

2012年2月7日(火)雨/曇 南風→北風

 年明けからこちら、例年の1月の始まりと違って、落ち着かない日々が続いた。いつもの年は、風邪などひいて、寒い寒いとグズグズ言っているうちに2月になってしまったが、今年は、友人の死の報せにつらい年の始まりから、「北冬」№013の発行、発送作業、今井恵子歌集『やわらかに曇る冬の日』の「2刷」の出来上がり、納品と続き、下旬になって、加藤英彦氏による「北冬」№013への言及の反響で、「一般読者」からの多数の連絡に接しているうちに、月が変わって、もう早、2月も7日だ。老犬「机龍之助」の真夜の介助も続いていて、「節分/立春」も、むこうが過ぎて行った感じだ。

 というふうに、珍しく、わりと【充実】して、と言っていいのだろうか、昨日も、新しい一冊の「校了作業」を終え、手からすべて離れ、一段落したところだ。

 以前、この、どこかに記したと思うが、「2枚続きの葉書のファンレター」を頂戴して、いつものように、すっかり気を良くした、「単純な【蛙蟬】が腹を見せる!」様相になって、編集/制作に着手することになった歌集である。それが、不思議なことに、去年の「2月17日」にその葉書を受け取ったとメモしているのだが、印刷所の予定によれば、歌集の出来上がりが、「2月17日」なのである。これは、「祝福」が予定されているようなものではないか!

 大原信泉さんの素敵な装丁にも祝福されて、「巨大震災」と「酷い夏」を越えて、ちょうど一年、季節には早いが、花が咲く。歌集のタイトルは『桐花(とうか)の記憶』。84歳の、はつらつとした、大塚久子さんの第二歌集である。大塚さんは、書もよくする。手芸なども得意で、歌集の「化粧扉」は、大塚さんの刺繍した「ピアノカバー」で装った。なんと、扉に「4色刷り」の大奮発だ! そのうち、ここで披露することにする。

2012年1月24日(火)晴/雪/曇

 今日は、賑やかに、忙しい日だった!

 昨日の「朝日新聞」朝刊の「歌壇欄・短歌時評」で、俊才・加藤英彦氏が「誰にことばを届けるか」と題して、「北冬」№013の「特集」を取り上げてくれた。「大田美和責任編集[1000年の言葉]の向こうへ――。」に執筆された「論」と「短歌」に、鋭く言及している。

 加藤さんは、「特集」で浮き彫りにされた、「その時代を刻印する短歌」と「救済としての短歌」との「意外に深い距離」を的確に指摘している。

 この「時評」への読者の反応が、昨日から、とても早かった。社の、「電話」「ファックス」「HP」の、それぞれに問い合わせがあり、また、書店さんへの注文に走った方もいて、書店さんからの電話が続いた。さすが、「朝日新聞歌壇欄」であった。

 それで、「問い合わせ」への返事、内容の説明、などなど、また、「発送作業」と、手応え十分の一日となった。今井恵子さんの『やわらかに曇る冬の日』の好評に引き続いての、賑わいだ。

 大田美和さんの「問題意識」は、一部「歌壇世界」の議論の中で批判に晒されているが、広い「短歌愛読者界」においては、どうなのだろう? 実りは多いことだろう。とても、楽しみだ。今度の「北冬」は、たくさん売れるだろう。思い切って、いっぱい作っておいて、よかった!

 夕刻、五時より、「山の上ホテル別館地下・シェヌー」で、依田仁美大兄、江田浩司学兄、生沼義朗朋友と、「企画打ち合わせ/ゲラ渡し/進行予定言い訳」の「親睦会」を持つ。

 期せずして、あれこれの「祝杯/盛り上げ」の夜会となる。

 夜の10時過ぎ、口笛で小さく「フールオンザヒル」を吹きながら、錦華坂を下った。

2012年1月17日(火)

 昨年の暮、河出書房新社の『日本現代詩大系』全13巻が、いつも脇を通る古本屋さんの店先にある、三段のワゴンの一番下に、連日の寒さの中、ビニール紐でくくられて、ゴロンと横たえられているのだった。「詩」の悲しみを、一日、二日と、横を通り過ぎるたびに、痛く、覚えるのだった。チラリと見た値札には【4000円】……。「戦後期3巻」を加えて、「旧版10巻」も新刊として再刊、発売した当時、予約していた書店で、宝物の思いで受け取ったものだった。その後、個人的にも、また編集の仕事にも、嬉しく手にしているものの一冊、一冊だ。さあ、「この黄昏の悲しみ」を、なんとかしなくてはいかん、と思いながら、自分は一揃い所持しているので、値段は、まあ、よいとしても、どこかに、誰か、「場所」に余地のあるものはいないものか……? と、例によって、心定まらぬまま、横目に数日が過ぎ、大田美和さんらとの「送年会」の日に、女史に話したら、無事に落ち着く先が決まったのだった。ところが、翌日、それはそこに横たわっていないのだった。その「空虚」を認めた一瞬、おのれの【優柔不断】を呪うほかないのだったが、暗くなる眼差しを意識しつつ店内に足を踏み入れ、レジの、いつものオジさんに、「ワゴンの詩大系は、売れてしまいましたか……?」と、語気も弱く尋ねると、「さあ、どうだったか」と地下への階段へ、若主人を呼びに行くのだった。まもなく現れた若主人、あっさりと、「ああ、あれは、べつの店に……。新年6日からなので、その日に来て下さい」、ほかに売れてはいけないと、「お金は置いていきます」と二度、三度申し出るが、「大丈夫」とのことで一件落着したのだった。「全13巻」を提げて登る「錦華坂」はきつく、あれこれ、思いに屈する余裕はなかった。

2012年1月14日(土)

「北冬」№013を、年明け4日から12日まで、例によって〔さみだれ式〕に送り終えた。発送作業の手は、相変わらず一人だが、下準備に、今回から新しい人にお願いしたので、互いに馴れなくて、おまけに年末に、オタオタしたが、丁寧に、分かりやすくして届けてくれたので、作業自体は混乱もなく、終えた。「定期購読」の人の「予約金」の確認など、もっとも苦手なことまで、「一人ぽっちの作業を、このお年頃で」と思うと、感慨は特殊になるが、雑誌という「場の提供」の楽しみは、少年時代からの【雑誌ずき】にとっては、採算には、ずっと目を固く瞑りっぱなしだが、格別だ。

 今号から、広く書店販売にも対応するために「顔つき」を新装し、変化への「途上」の第一歩、という思いだ。ちょうどいい具合に、ずっと注目されてきた歌人「大田美和」の「責任編集号」だからか、反応がわりと早い。第一便で送った人から、まだ全部を送り終えていないうちに、反響があった。「凄みのある[大田美和]が、そのまま伝わってきた。」などと……。まあ、そこが、「めんどくさい歌人」として、これまで敬われすぎてきたのではあるが……。寄せられた「論・作」が、多方面で読まれると、また新たな「伝説」が生まれることだろう。

【手前味噌】だが、「[大田美和]へ99の質問」が、《大変、面白い》という「声」が、お世辞半分、大きい!

「北冬」は、今号から全国の書店で注文できるので、たった「630円」なので、ぜひ、手にとってほしい!

(それにしても、この文章の「約物(やくもの)」の多さは、なんだかな、だ。昔、編集した本のタイトルにも「約物」を多用して、書評で呆れられたことがあった……。たしか、若き武藤康史さんに、だった。)

2012年1月12日(木)

 今日は今冬一番の寒さだった。マンションのエレベーターの中で、久しぶりに、なごみの会話をした。

「今日は、この冬で一番の冷え込みだそうですね。最近、頭が薄くなったので、寒さがよく凍みるなあ、と思いながら、錦華坂を登って来たんです。」

「ほんとにねー。ぼくも、おなじですよ。何階ですか?」

「あ、すみません。4階です。有り難うございます。」

 エレベーターの階数ボタンを押してくれるためにむこうを向いた彼の後頭部が、かなり、丸く薄くなっていたのに、その時、初めて気がついた。小生より、ずいぶん若い、と見た。テレビで見たことがあるような、ハンサムであった。

                     #

 今日もまた、八木書店に、早くも注文のあった「北冬」№013号を「5冊」届けるために、山の上ホテル前の坂を明大通りへと下った。  

2012年1月4日(水)

 この年末から、この今年にかけては、「古い年を静かに送り出し、新しい年を丁寧に迎える」という感じだ。少なくとも、「東日本」の人間にとっては、いろいろな「無」の前に謙虚にいる、しばらくはそうある以外にない気分だろう。

 今日から社へ。暮れに納品された「北冬」№013の発送を、さっそくしなければならない。もう一日、老犬「机龍之助」の介護をしたかったが、発行が遅れに遅れたので、普通に年末年始を休んだのも、申しわけのないところだ。

 いつものように、神保町の地下鉄の階段を地上へ出ると、角のところに、ここ数年、ときどき会う〈無宿びと〉が坐っていた。いつもつけている歩道の温度計の気温は、10・6度。弱い日差しの午後だ。その〈無宿びと〉とは、この夏以後、同じ時間帯に路上にいるのか、わりとよく出会うので、眼を見交わすことがある。

 今日も眼が合い、軽くうなづいて、4、5歩行ったが、急に戻る気になってしまった。暮れにも、二日続けて出会い、この寒空に、と思い、「肉まん」の一つでも、と思ったりしたのだった。それで、不意に、傍へ寄り、ズボンのポケットの小銭を摑んで出してみたら、100円玉と500円玉があった。少し躊躇したが、「正月だから」と、500円玉を渡した。〈無宿びと〉は、「くれるのか、ありがとう」と言った。

 靖国通りの歩道から錦華通りへの角を曲がると、まだ正月の4日、人通りも少なく、〔彼には、また出会うこともあるのに、OKさんとは、もう二度と会うことがないのか〕、その思いにハッとする。すると、涙が溢れてきた。年上の友人、OKさんは、正月一日の日暮れ時に、この世から去って行った。子供の頃から神保町を行ったり来たり、銀座が好きで、日本橋が好きで、街っ子の、いつも路上を行く人だった。