ニュースⅠ☆2013

                ◇その日暮らし(をなんとか反省)な編集者の追想◇

2013年11月23日(土)快晴

 昨日は、釜田初音さんの第三歌集『航跡』が出来上がった。

〔[誰もが普通に送る日常風景]ということを、歌集を読んで、これまで、これほど思ったことはなかったな。〕と、改めて強く思わせられた歌集だ。

「文学性」/「社会性」/「思想性」などなど、そのような【窓】を通して、短歌であれ、小説であれ、評論であれ、はたまたその辺で、日毎に惹起されている〈出来事〉なども、卑小ながら、ずっと見てきたことが思われる。

〈凡庸な日常〉などというものはなく、〈日常それ自体の深み〉などという《まなざし》もまた、透明な/濁った【窓】を通して、ここから向こうへ/向こうからここへと、浅薄ながら、送るものでしかなかった。

 

 釜田初音さんの歌集『航跡』は、もちろん、ただ単純に、作文のように[日常]が定型に書き留められているわけではなくて、そこでは積んできた修練が主題や修飾を支えて表現されていて、読み手に対して[そのような日常]という〔説得力〕を持っているのだ。

 どんな表現も、言葉を使用するかぎり、古今東西、それが単なる通交であれ、その〔説得力〕にすべてはかかっていて、そこにかけるために、さまざまな技術も行われてきたのだが、なんだか、そんなこともつまらぬことのように、このたびは強く思わせられるのだ。

 

〔それは、きっと、この歌集が、「2011年3月以前」に作られた短歌だけで、一集が成されているからなのだ〕と思う。ここにある[日常]から、【わたしたちは来てしまった】。

 山の上ホテルのコーヒーラウンジ「ヒル・トップ」で、釜田初音さんに出来上がったばかりの本を手渡し、二人して喜びながら、歌集造りのための最初の打ち合わせから今日までの[日常]を、二人であれこれ思い出し、話していたら、〔このようにある日々はすごいことだ。〕と新しく、強く思ったことだった。

 とりあえず、二人で、「ケーキセット」でお祝いをした。

 

 舎に戻って、在宅パートの方が、頑張って、早めに準備してくれた「贈呈発送」に取りかかった。このように、多くの人に助けられて、[日常]がある。〔凡庸な一人は丁寧に日常を送る。〕と思ったことだった。

 一段落がついたら、夜も、10時半になっていた。外へ出たら、大通りも電車も、金曜日の夜とあって、ずいぶん混雑していた。 

2013年11月11日(月)晴/雨 木枯1号

 ついに木枯1号が吹き巻く。

 夜、9時半過ぎ、マンションから路上に出て、昼よりグンと空気が冷たく、強い北風に「橡の木通り」の枯葉が音を立てて、飛ばされた。ブルっ;として、膝がガクっ;とした。

 消防車のサイレンがけたたましく近づいてきて、きな臭ささが明大通りに漂っている。御茶ノ水駅の近くで火事だった。

 

 今日は、今月末刊行の釜田初音さんの第三歌集『航跡』を校了にする。これで、すべて、完全に手を離れて、あとは印刷・製本と手違いなく行ってほしい、と校了紙を前にして祈る。

「東日本大震災」までの、静かなたたずまいの日々をまとめた歌集だ。

 間に「大震災」を挾んで現在まで、という歌集も、最近は多く刊行されているようだが、北冬舎から昨年出た2冊、生沼義朗歌集『関係について』も、江田浩司歌集『まくらことばうた』も、《それ以前》の短歌を収録したものだ。

 このたびの釜田初音さんの『航跡』も、自然にそうなった。釜田さんは《震災以後》、それまで用いてきた「新かな」を「旧かな」に変えた。それを《区切り》として、新歌集を編集することになった。

 

「大震災」と【直接】してもしなくても、ぼくらの【底】のほうで大きく崩れたものがある。本当に、現実に、底の底で、大崩壊があったのだから、東北・関東においては、【底荷】も、どこかで崩れたはずのように思われる。

「直後の狂騒」も、それはその役割だろうけれど、「復興ではない新生」は、このあたりからだろう。開いていくほかはないのだ。

 

[そこにあって、眼にすれば、思い出して悲しいけれど、そこから無くなって、眼にできず、思い出すよすがが無くなってしまうのも、悲しい。]

 どこに、「新生への道」があるのだろう。「機会詩」の即効性と「時代詩」の持続性とのスレスレを行く道は、どこにあるのだろう。

 飯島耕一さん、秋山駿さん、谷川健一さん、吉本隆明さん、隣家のおばあさん、親友の母、義母、また、数日前に届いた別の親友の義兄の、まだ若い喪中のはがきの……、多くの人の大震災以後の、旅立ちは、なおさらな思いへ誘うばかりだ。 


2013年10月22日(火)曇 冷

「文學界」2013年11月号広告
「文學界」2013年11月号広告

 上は、新しく差し替えた「文學界」の目次広告だ。このところ、新刊が続いているので、既刊の広告にまで手がまわらないが、すこしずつ、変えていきたい。

 脱兎のように、立て続いた6月からの[新刊4冊]と[再版1冊]の発送・手配・営業、来月に出る[新刊]の進行、来年刊行の本の編集実務作業など、まったく手一杯の毎日で、疲れもたまり、夜になると、眼にも疲れが出たりするので、この「ホームページ」を、少しお留守にしていた。

 秋山駿さんの本を読んだり、録画したリーガ・エスパニョールをほんの少し観戦するばかりの静かな夜で、なかなか{更新}せずにいたところへ、今日は、励ましの、掲示板への素敵な投稿があったので、ほんのおしるしの{更新}をさせていただいた。

2013年9月30日(月)晴 曇 一時雨

 昨日は、久しぶりにここに記したのだが、なんだか、焦って、「保存」せずに閉じてしまった。頑張って、せっかく、昂揚して、素敵な文章を書いたというのに……、なんて、逃がした魚は大きい、の口かな。

 上に掲げた「新聞」のコマーシャルの記憶は鮮明だが、実物を初めて手にした。

 なんと、町田康さんが『中村教授のむずかしい毎日』に触発されて、「随筆論」を鋭く、深く、展開して下さっているのだ。それは、「作者論」であり、「読者論」であり、究極は「文学論」である。『中村教授のむずかしい毎日』が、それだけの[読み応え]のある【むずかしい】ところに筆が届いているからなのだ。

 

 かく言う「わたくし」には、この本に、ある種の強烈な魅力を覚えながらも、なぜ、「哀しすぎておかしい」のか、「おかしすぎて哀しい」のか、本質的に解き明かせはしなかったのだ。

「それは、アキ・カウリスマキの映画のように」としか言うばかりであった。

 町田さんの「随筆論」は、おいおい、うまくご紹介できるといいのだが。

2013年9月12日(木)晴
『中村教授のむずかしい毎日』が少しずつ動き出した。昨日は、「3冊」ほどだったが、八木書店に届ける。その足で、久しぶりに「東京堂書店」に行く。このところ、八木書店の担当者に任せきりで、「営業」に行かなかったので、F店長を訪ねる。

 ずっと以前の担当者から、この前のS店長も、また、その時も、Fさんは、いつも丁寧に接してくれるので、もっとも苦手な頼み事にも気持ちは楽で、大いに助かる。あいにく留守だったので、舎に戻って、「メール」で『中村教授のむずかしい毎日』の注文をお願いする。

 

 初めてのことだったが、「書影」も「添付」でき、また、「データ」も簡単に記すことができ、時間も問わないので、ありがたい。夜遅く家に戻って「メール」を開いたら、さっそく、注文を入れて下さっていて、感激した。

 昨日、納品した八木書店の「在庫」も、すぐなくなったとのことで、今朝方、あと「10冊」ほどの注文になる。

 

 やっと、ひと息継げるようになったので、そのほかにも、あれこれ、著者の上村隆一さんの非凡な知恵や、小生の昔ながらの人脈を辿って、少しでも多くの人に、この本の面白さを伝えたく、奮闘し始めたところだ。なんだか、《いっぱい儲かりそうな気》がする(笑い)!

2013年9月9日(月)曇・涼

 9月も第二週に入って、熱風も消え、昨日も、一時、雨だったが、今日も、ずいぶん涼しい。

 

 昨日は、埼玉県の浦和のホテルで催された「「熾」十周年記念大会」のお祝いに参加する。

 このたび刊行した中村幸一さんの『佐藤信弘秀歌評唱』は、「熾」での連載が完結したら発行することになっていたのだが、途中で休載状態になっていた。

 なかなか再開しないなあと、原稿がまとまれば、いつでも刊行させてもらうつもりでいたのだが、ちょうど、「「熾の会」十周年」ということで、なんとか今年中には、ということになったら、中村さんが頑張ってくれて、9月の「大会」に間に合わせることができた。

 

 沖ななもさんの『明日へつなぐ言葉』も同時にできて、こころはずむ「大会」への参加となった。沖さんのご本は、以前の出版社で手がけた歌集『ふたりごこころ』、小社での『樹木巡礼』についで、久しぶりの三冊目だ。

 表層から内面へと届かせる、その短歌も文章も、現代短歌界において独自の輝きを放っていて、昨日の会も、衒いのない、正直な、独自の感じがよく出ていたように思う。

 

 ホテルのコースの食事もとても美味しくて、なんとか忘れずに「お花」も出せ、「お祝い」も少し包めたので、帰途、初めて乗った、浦和から横浜までの湘南新宿ラインで中村幸一さんと、氏は都内で下車したが、楽しく喋りながら帰って来た。 

「熾」創刊十周年記念合同歌集  「熾」2013年9月号「10周年記念号」  『樹木巡礼』1997年刊


『樹木巡礼』は、「四六判200頁1785円」で、刊行より「16年」が経ち、残部があと「4~5部」というところになって、もう、宣伝もできないのだが、「初版2000部」から、年に数冊の販売になっても、ちゃんと売り続けてきて、「重版」の思いもあるが、どうしたものだろう。

「10周年記念大会」でも、沖ななもさんの「樹木歌人」としての一面を指摘した「来賓スピーチ」でも、例に挙げられたほど印象深い本であった。その後の沖ななもさんの方向性にも寄与した、との評価もあった。

 今度の『明日へつなぐ言葉』(四六判220頁1890円)も、沖さんの、詩人/歌人としての出発以来の《ことばウォッチャー》という魅力的な面に光を当てた本にしたつもりだ。創刊以来の「熾」誌での、1ページの《巻頭言》と、前身の雑誌「詞法」での、やはり、折り折りのことばについての「意見」をまとめたものだが、一冊の本をまとめることによって、〈その先の時間へつなぐ〉ことが、本造りの醍醐味だ。

 沖ななもさんの軽快な《ことばウォッチャー》の面に、ますます磨きがかかってゆくことだろう。とても楽しみだ!

 作者にとって、そういう転機になった本を多少は造ってこれたつもりだが、また、そういう【ふさわしいチャンス】を提示したら、ほかに{売った人間}も、老若男女、一人にはとどまらないが、そういうことを言い出すことが【齢を重ねた証拠】なので、やめておきたいが、これからも、そんなつもりで本造りができるといいなあ!

沖ななも著            『明日へつなぐ言葉』 カバー

【帯】より――[同時代の言葉たちの表情]を注視しつづけてきた現代短歌を代表する歌人が、鋭い感受性でとらえた言葉への違和感や、あるいは日本語への愛を自在な筆致で綴った、言葉をめぐる軽快なエッセイ集。

 

「言葉は受け継ぐ財産でもある。」沖ななも

同                   表紙                

「爆睡する」か、「ぐっすり寝込む」か、  それが問題だ      ……!?

四六判・220ページ                    定価:1800円+税

 [目次]より

 一 言葉は遺産

 二 言葉は世につれ

 三 言葉の機能

2013年8月27日(火)快晴

 陽射しは強かったが、湿度の低い、快適な一日だった。

 そんな陽射しを眼にしながら、なんと、今月2冊目の新刊を、良い読者との遭遇を楽しみに、「著者贈呈」の作業を進める。

 

 沖ななもさんの《言葉をめぐるエッセイ集》『明日へつなぐ言葉』が、昨日、出来上がってきたのだ。

 毎月、雑誌「熾」の巻頭で、創刊以来、言葉について軽快な筆致で書かれてきたものと、「熾」以前におやりになっていた雑誌「詞法」での、やはり、言葉について書かれたエッセイをまとめたものである。

「熾の会」10周年を記念して、9月に行われる「大会」に間に合わせた。


2013年8月16日(金)晴 暑 30・5度(横浜仕事部屋)

 連日、暑い! 駅までの熱中歩行と電車内急速冷却とで、毎回、ぐったりする。寝不足が、もっとも身体に悪い。

 有り難いことに、この春から通勤路線を変えたら、細切れ乗り換えでなくなったので、一度、坐ったら、ゆったりとしていられる。なんとも良いめぐり合わせに、〈恵み〉を感じる。

 

 昨日、古谷智子さんの『幸福でも、不幸でも、家族は家族。』の注文を、舎に直接して下さった方と、少し電話で話したら、書名のことに話が及び、たいへん褒められる。

【家族】のほんとうのありようを、じつによく表現したタイトルだとおっしゃられるので、例によって、思わず〔樹〕に登ってしまい、「じつは、トルストイの……」と言いかけたら、素敵な教養の持ち主の方で、「『アンナ・カレーニナ』の最初のところね……」と当てられてしまった。

 こういう《会話》は気持が良いものだ!

 売れ行きまで心配して下さって、「いかがかしら、少しでごめんなさい」とおっしゃられる。6月末に出て、書店からも、直接の舎への注文も、少しずつ続いている。

 この「素晴らしい書名!」に反応してくれさえすれば、内容は、有意義かつ楽しく面白いので、売れ行きも足早になることまちがいないのだが、どこかで、大きく紹介してくれないものかなあ……。

 

 今日は、やっと、今月末に出る「2冊」が、来週、あと少しで手を離れるところにまで来たので、「自宅作業」にして、ようやく、この「HP」に向かえた。

 しばらく「更新」がなかったので、この夏の暑さに〔病弱〕を心配して下さった方々がおられて、先週末、なんとか記したら、大いに喜ばれ、「神様に感謝!! という気持ち」まで頂戴して、こちらこそ、「神様、仏様、龍之助殿」と、方々に感謝の気持ちで、いっぱいだ。

 

 この、2013年の極熱の中、【老体】に、二度三度、鞭打って、努め、励んでおります! その成果は、あと、ほんの旬日で……。

 にしても、その前に、上村隆一傑作コラム集『中村教授のむずかしい毎日』の《広宣流布》で、頭がいっぱいだ!

 この夏の暑さを忘れさせてくれるお話が満載なので、とにかく、買ってください!


2013年8月9日(金)快晴/暑/34度

 しばらく、ここに向かう余裕がないほど、「夏の陣」で奮戦していたら、しばらく収まっていた暑さがぶり返し、この一週間、連日、猛烈な暑さが続いている。「熱中症に注意」しながら、日ざかりの道を歩く。

 今日は、待望の新刊、上村隆一さんの『中村教授のむずかしい毎日』ができあがってくる。選り抜きの「傑作ショートコラム」集だ。「原稿」「編集」「初校」「再校」「責了」と、何度もその文章を読むが、おもしろさが減ってゆくことがない。

 久しぶりの、純粋に文章を読む喜びを味わわせてくれる[本]になった。一部で、刊行を待ち焦がれられた、[ウェブログ=「麻呂の教授な日々」]に、《加筆・構成》されたものだ。

 コラムの内容については、少しずつ紹介していくつもりだが、今日のところは、待ちに待たれた刊行のお知らせと、上の写真は「カバーと表紙1と表紙4」なのだが、ここにある「カット」がすべて、なんと、著者の上村隆一さんの手によるものなのである。

 デザイナーの大原信泉さんも絶賛し、ぜひ効果的に使いたいと、化粧扉・章扉にも配置した。あまりに素敵なので、その多才な才能を、真っ先にご紹介することにした。

 明日以降、書店に注文していただくか、北冬舎に直接の注文でも、ご購入できるので、この、中村教授の「哀しすぎておかしい、おかしすぎて哀しい、むずかしい人生の日々!」に触れていただきたい。

「定価1700円」と破格の値付けで、学生諸君にも、手の届きやすいものにした。

2013年6月20日(木)雨

 今日は、長年月を越えて、はるばると、やっと、ここに辿り着いた、という一日であった。

 古谷智子さんの『幸福でも、不幸でも、家族は家族。』――「家族の歌」(シリーズ―《主題》で楽しむ100年の短歌)ができあがってきたのだ。ずいぶんと時間がかかって、古谷さんには、まったく頭が上がらなくなっていたら、ついには、古谷さんもしびれを切らし、間に歌集を2冊、出版してしまった。

 そんなこともあり、さらに時間がかかって、ようやく、今日という日を迎えることができた。

 

 間に、[大震災]もあって、なんとか形にしなくては、死んでも死にきれない、などと、言明していたのだった。

 その覚悟の本は、古谷さんの本だけではなくて、山本かずこさんのエッセイ集『日日草』、そして江田浩司さんの『まくらことばうた』も、そうであった。この2冊は、昨年、一昨年と、納得のゆくまで手をかけて、無事、喜びの出版の運びとなった。

 ところが、前2冊に負けない内容の充実ぶりであり、十分すぎるくらい手をかけたのだが、なんだか、いまひとつ、手放しで喜べない感じなのである。これはいったい、どうしたことだろう。

 

 雨の中、「山の上ホテル」のイタリアン・レストラン「シェ・ヌー」で、古谷智子さんと、「校訂・資料探索」で素晴らしい能力を発揮して下さった長谷川と茂古さんの三人で、美味しい料理を食べながら、楽しい話が弾んだのに、一人、事務所に戻り、「贈呈発送」の下準備をしながら、つけたラジオから、坂本九の「上を向いて歩こう」のイントロのマリンバ(?)が流れてきたら、胸がいっぱいになってしまった。

 九ちゃんの「スキヤキ・ソング」が全米ナンバーワンになって「50年」ということだった。

 時間が経つということの〔無情/無常〕さの、過酷な表情がそこに曝されている、ということであろうか。もっと、よい時間のほうへ行かなくてはならない。

 

 にしても、この本ばかりは、たくさん売れてくれないとなあ……!

2013年6月10日(月)曇

 そういえば、先の、5月末に、〔驚愕的〕と言おうか、〔衝撃的〕と言おうか、〔疑心暗鬼的〕と言おうか、いやいや、どれも、〔的的〕にはうまく言うことができない【事態/現実】が引き起こされていたのであった。

 それが、なんと、「砂子屋書房主催・第18回寺山修司短歌賞」の「贈呈式」に配られた式案内に、賞が始まって以来、初めて、これも【話題的】ではあるが、「候補作」がプリントされ、その候補作4歌集のうち、小社刊が2作も、ノミネートされていたということであった。

 

 一冊は、江田浩司歌集『まくらことばうた』(ポエジー21‐Ⅱ3)で、もう一冊は、生沼義朗歌集『関係について』であった。

 ほかは、受賞作の、わが友・高島裕さんの歌集(当用漢字表外なので、歌集名を表記できない)と、わが先達・大島史洋氏の『遠く離れて』(ながらみ書房刊)である。

 ということは、半分、わが社の刊行作が占めたということであり、昨年中にわが社が刊行したのは、なんだか、4冊だったので、そのうちの一冊は対象外の老婦人のものであり、もう一冊も歌集ではなかったので、純粋に歌集といえば、上記の2冊だったので、それが両方、【名誉定評】ある賞の候補になったということなのである。

 

{おお、これは凄いことである! うん、画期的なことであるよ!}という声が寄せられてもしかるべきところを、当日、式に出席した知人の誰一人、知らせてくれるものはなかったのである。なんて、{薄情者}ぞろいのことよ!

 たった一人、受賞者の【友人かつ落選者!】がプリントを「メール添付」してくれて、知ることになったのだが、わが社へは「受賞式」への案内もなく、「式次第」も送られて来ず、証拠の実物をご披露できないので、この光栄を恵まれた「選考委員」の方の名を、公平に記させていただいて、感謝に代えたい。

 《篠弘 佐佐木幸綱 花山多佳子 小池光》の各氏である。

 

 先頃の、主催の書房からの、今年は、日にちの余裕をもっての本の注文・買い上げどおりに、2冊とも、取り沙汰されただけで、光栄であり、名誉であることなのだ。昨年の「葛原妙子賞」の惜敗(!)といい、きちんとした本・歌集を造っていけよ、という【天】からの励ましというべきものだ。

 今年は、来年度の【賞】の騒ぎになるようなわが社の本の心当たりは、残念ながら、いまのところ、ないが、ついに! 今月末に出る本の〈画期的〉な内容の豊かさ、質の高さは、「よい本を、たくさん売って、大儲けする!」方向で、〈いま・ここ・でしょ!〉と、毎日、ワクワクしているところだ。

 

 そして、引き続いて出る、{おかしすぎて哀しい、哀しすぎておかしい、都内某有名私立大学教授のむずかしい人生の日々}を綴った「ショートコラム集」の発刊の日を思うと、マンションの一部屋も購入できるほどの{売り上げ}が、毎夜の夢にまで見られて、眠りは浅く、おかげで昼は卒倒せんほどだ!

 あれこれ、〈夏の陣構え〉、どうぞ、乞うご期待!

2013年5月26日(日)快晴

 昨日は、久方ぶりに、個人の批評会に出かけた。原稿依頼も、また面識もない歌人の会へおじゃまするのは、これまで、あまりなかったが、出かけてみた。

「田村元第一歌集『北二十二条西七丁目』批評会」である。「1977年生まれ」の歌人である。去年、北冬舎から歌集『関係について』を出した生沼義朗さん「1975年生まれ」なので、同世代だ。

 このあたりの年代は、わが子供たちの世代なので、いったいどんなことを、どんなふうに感受しているのだろうかと、生沼さんの歌集の編集/制作をすることになってから、なんとなく気にしてきた。

 

 生沼さんの歌集を作りながら、その、「真面目さと表層の軽快さの間にあるもの」を、とても面白く感じていた。社会や人の間の表層を、軽く、流れるように生きているように見え、またいっぽう、内面はとても真っ当で、堅いのだが、その間で、あまり葛藤を覚えずに、うまく、適当な距離をとっているのだ。

 われらの頃であれば、内面の晦渋さがうっとうしいあまり、表面に軽快さを装って、というところの「一群」に覚えはあるが、それと違って、もっと冷めている。あるいは、「充足/自足している」と言ってもよいだろうか。

 

 田村元さんの歌集にも、それと同質のものを感じて、そのあたりのことを教えてもらうような気持ちで参加してみた。

 いまは、「世代論」というのは、ほとんど否定的で、そこに触れでもしようものなら、唾棄されるので、あまり言及されるようなこともない。「世代論で括って、片付けるな」ということになれば、返す言葉を持てない。

 そこで、田村元さんの歌集の一首に、

 

 青春の余寒くすぶれりバリケード封鎖の父よ塹壕の祖父よ

 

を見出して、この短歌の上句の「余寒」という語によっての「二つの世代」の把握が、じつに「彼ら世代」の「情感」をとてもよく表現していると思ったのだ。

 多く「敗残兵」であったわれらの父、彼らの祖父、の「戦後の生」に、その子どもたちから「余寒」という感受はなかったと思う。

 また、「この父たち」には「余寒」というよりも、「その父たち」が達成した【繁栄】の「余剰」の「昭和の生」があるばかりのように思われる。

 

 それ故に、「ワンジェネレイション=30年」ののち、いまや、「何杯になるやも知れぬ平成の腹黒船」に右往左往、夜も眠れぬ事態に立ち至ってしまった、といえば、話が横に逸れすぎてしまうが、この「彼らの充足/自足」にあり続ければ、「次の30年」への展開が、また同じ道筋になるだろうと思われるのは、「驚異はいつも海の向こうから来る」からだ。

 もう一首、

 

 ドトールで北村太郎詩集読み、読みさして夜の職場に戻る

 

に嬉しくなったので、わが社刊行の『北村太郎を探して』を、お祝いに贈呈させていただいた。とみに、名歌集の呼び声が高い、江田浩司歌集『まくらことばうた』も。

 しかし、それにしても、この歌集が、われらが応援してきたTYさんの歌集と一緒にでも、その歌人が残した実験性にふさわしい名前の「賞」が授賞されなかったなんて、「キミに肉体があるなんて、不思議だ!」と、おバカな【版元】の「贔屓の引き倒し」が、また、つぶやいたりして!

 まあ、あるいは生沼義朗さんの歌集『関係について』が奪取してもよかったのだがなア!


2013年5月14日(火)快晴 暑

 いきなり、真夏のように暑い一日。行き過ぎたり、戻り過ぎたり、気候の変化が、極端すぎる。御茶ノ水駅からの道に、温度計が見当たらないので、記録する楽しみが、一つ減った。

 錦華坂を上り下りしなくなったので、「急坂を行く《北冬舎炉暖》」という名も、改訂しなければいけなくなった。

 また、「無為をかこつ《漂柳舎蛙蟬》」も、このところの「改心」への道程によって、やはり、改名しなければならないほどの心境だが、まあ、こちらはまた、いつ、元の木阿弥さん状態になるかわからないので、しばらく猶予を与えておいたほうがいいかもしれない。

 

 いやいや、そんなことを言わずに、限りある人生、もう、そろそろ、〔ラスト・スパート〕に入ったほうがよいのではないだろうか。途中途中、それでも、まったく〔スパート〕してこなかったわけではないのだが、同輩のようには続かなかった。

【平均速度】というものと、まったくご縁のなかった【やりくり人生】だったのに、みんなが【終息気分】になったこのところの日々、なんとか、こんな【われ】でも、一緒に味わえないものかと探ってみたのだが、それも与えられないことがはっきりしたので、なんだか、挫折感でいっぱいだったのだ。超巨大震災の虚無感も大きかった。

 

 けれど、そんなところにばかりいることもできず、なんとなく、《恵みの手》で引っぱり出され、押されるような具合で、〔改心〕に到るほどに、ここのところ、〔展開〕が速度を増してきて、なんとか、やっと、最終コーナーにかかったところで、もう一度、イキイキと生きてみたい、などと思うようなのだ。

 

 そこで、一昨日、12日の日曜日、渋谷で行われた、「ふしぎなかばんを携えて」と題した「かばんの会30周年記念イベント」に勇躍、出かけた。出席を申し込んでから、風邪気味になったこともあって、少しヒヨリかけたが、会の後に、NKさんと仕事の打ち合わせの約束を設定し、自分を縛ったので、無事、参加にいたった。

「かばんの会」の人たちは、【先生】の縛りがないので、以前から、何人かの人と仕事をしてきたので、「お祝い」の気持ちも、素直にあった。井辻朱美さん、高柳蕗子さん、穂村弘さん、東直子さん、まあ、東さんとは、まだ実現していないが、企画の相談を何度もした仲だ。また、現在は会から離脱しているが、林あまりさんなど、今では、その実力を遺憾なく発揮している方たちがいる。

 

「会」は、「大きなかばん」に元気をいっぱい詰め込んで、といった感じで、若い人たちで溢れ、さまざまに表現したい意思が満ち、じつに〈イキイキ〉と、【余計なお世話】もなく、楽しく、こころが和んだ。

 たまに出かけるような【会】で会う顔もほとんどなく、馴染みのKJさんに、「おや、ヤナギシタさん、こんなところで何してるの……」なんて、からかわれてしまったのも、こころよい〔シャレ〕であった。

 会場で、【わが身】より数人の年上と思しき中の、確実に年長者であるOKさんとの挨拶でも、「小生より年長の方は数えるほどで、もう、時代から離れてしまっている、と思わせられます」など、かすれる声で訴えたのも、弾みがちではあった。

 

 会からの帰りは、NKさんと連れ立って、何年ぶりか、夜の渋谷の街を歩き、パルコで夕食を食べながら、本の打ち合わせを、あれこれ、おしゃべりは脱線しつつ、弾む心が続いた。スペイン坂などを、もう、どのくらい昔になるか、フリーランスの頃、素敵なパルコ出版の女性編集者との喫茶店での待ち合わせに急いだことなども思い出されて、イキイキと生きていようとしたころのことなども蘇ってきた。

 そうして、みんな、どこへ行ったのだろう? みんな、どこにいるのだろう?

 こちらがずっと、世界を狭くしていたので、どこも見えなくなってしまったのだろうか?

 

 この【わたし】のいるのは、どこ? 【わたし】は、いる?

2013年5月7日(火)快晴 強風 冷

 連休明けの風の強い快晴の一日。靖国通りの「温度計」を記録することもなくなった。今日から、JR御茶ノ水駅を利用することにした。

 聖橋口から出て、すこし用足しをして、明大通りの、時折り利用する立ち食い「富士そば」のところで横断歩道の信号を待っていて、なにげなく振り向いたら、そこに、生垣に囲まれて、石碑があった。

 

 それが、なんと、「大久保彦左衛門屋敷跡」というのであった。長年、そこに立って、信号が変わるのを待っていたのに、目にしたことはあったはずなのに、結局、意識に止めることがなかったのだろう。

 中村錦之助の「一心太助」がほんとうに好きで、神田駿河台の大久保屋敷へ、「親分、てえへんだ! てえへんだ!」と、威勢よく急坂を駆け登って行った、そのシーンの、そこなのであった。

 この「ホームページ」を始めた頃に、大久保彦左衛門の「神田駿河台」に触れていたのが、今日から始めた新しい通勤路で、改めて発見することになったのも、なにかの印かもしれない。

 

 神保町の通りとは少し違う、すっかりきれいになった明大の建物脇の、新緑の「橡の木通り」から、舎に向かう。

 というわけで、今日から、錦華坂を上り下りしなくなったので、「急坂を行く《北冬舎炉暖》」の「看板」を架け替えなくてはならなくなった!

 さまざまな【変化の途上】に、まだまだ、あるものよ、か!

 

 舎の「留守電の応答」が、最初期から不評続きで、何度も〔吹き込み〕直してきたが、近頃、また不評で、帰り際に吹き込み直してきたが、今日は、やたらに丁寧に長すぎて、またまた、不評を買いそうだ。

 聞き取りにくい〔生まれつきの声〕のせいだと、いつでも抗弁するが、なんのことはない、たびたびの「留守電の応答」ではなく、「本人がいて、応答すればすむことだ」「なるたけ舎にいれば、すむことだ」と、どこからともなく〔声〕がする、、、、、、。

2013年4月23日(火)快晴 20度→16・8度

 昨日の冷えた空気から、ぬるむ。昨夜は、10時過ぎ、錦華坂を下りながら、襟元を掻き寄せた。靖国通りの温度計は、昼の19度くらいから13度にまで下がっていた。いつまでも冷えた空気がおおっているなあ、と思っていたら、今夜の9時半過ぎの空気はぬるくて、ホッとした。

 

 午後、八木書店に「北冬」№014を届ける。三省堂書店明治大学和泉店より「10冊」注文が入る。言わずと知れた【中村教授】のご尽力だ。学生に人気のある【ハンサム教授】の「連載作品」も掲載されているので、きっと、売り切れることだろう。

 あと、「店売分」と「注文分」で、別に「14冊」を納品する。「特集*今井恵子責任編集」の中身が実に濃いので、反響が日増しに高まるにちがいない。

 

 昨日、今日とで、「定期購読」「執筆者」「贈呈」など、すべて発送し終える。担当の、いつも親切なヤマトのYさんが、最後の130冊を最終で集荷してくれる。明日の便で、すべて、配達に乗る。在宅パートの方に、今回も時間ギリギリで迷惑をかけたが、なんとかクリアーしてくれて、助かる。

 

 今号は、すこし試みの思いがあって、思い切ってやってみたが、そのあたりを、きちんと認識してもらえるだろうか? どのように受け止められるだろうか? まあ、純粋な読者には、さまざま、楽しみがもたらされるはずだが、【壇】の読者には、いろいろ……、すぎるかもしれない。

 ただ、内容は、《歌人今井恵子の世界の中の現代短歌》、あるいはまた《現代短歌の中の歌人今井恵子の世界》が、激しく彫琢されているので、読む面白さは十分だ。

 

 前号「№013」の「大田美和責任編集号」もずいぶん反響を呼んで、近頃では物心両面を欠いて、「年一冊」の発行がやっと、という、皆さんのご期待とご支援を裏切る事態に陥っているが、それでも、反応は、「年一冊の発行とは思えない……!」と言われるほどの印象のようだ。

「東日本超巨大震災」以後、だいぶ気持ちに力が欠けていたが、このところ、おかげさまで、高徳の「拾う神々」もそのお姿を現して下さり、〔いまここからでしょ!〕という感じになってきて、ボンヤリしていられなくなってきた。忙しくなってきた!

 

 喜びとともに、どのような楽しい本・雑誌を作ることができるか、良い時間を生きてゆくことが出来るか、そんな思いもやってきて、この夏を前にして、緑の空気を、深く吸い込まねばならない……。

2013年4月19日(金)晴 冷 

 

 昨日とはうってかわって、膚寒い一日となる。

 ようやく、と言おうか、やっと、と言おうか、とにかく、「北冬」014号が出来上がった、という感じである。

 

 午後3時半、「ヒルトップ」で、今井恵子さんに手渡す。

「特集*今井恵子責任編集」と銘打って、昨年4月に行われた、今井恵子歌集『やわらかに曇る冬の日』の「批評会」の《全容》を収録し、さらに新しく、若い歌人の米倉歩・今井聡さんの二人に「今井恵子論」を、また春日いづみさんに「書評」を執筆していただいた。当日に準備され、会場で配られた、柳宣宏さんの「ひとつの感想」も収めた。

 

「特集」だけで五十余ページと、総ページの半分を越える「力作号」だ。新しい試みとして、「歌集批評会」の《全容》を完全収録した。

 これまで、批評会の「討議」などに、名だたる実力歌人を何人か揃えて、せっかく実のある討論が行われても、たいていはその場かぎりのもので、みんな、終わってしまう。たまにしか、そういうところに行かないが、折り折りそのことを残念に思うことがあった。

 また、歌集を刊行した歌人を前において、【本当の言葉】だけで「討議」するのも、難しいことだ。しかし、【配慮の言葉】が多くを占める場になると、椅子に坐っている、それでなくても落ち着かないお尻が、さらにモゾモゾしてしまう。

 

 今井恵子さんの「批評会」の実行については、こちらは〔名ばかりの主催者〕だったが、「第一部」の「西村美佐子+今井恵子対談」、「第二部」の「日高堯子+花山多佳子+松村正直+斉藤斎藤+後藤由紀恵討議」については、対談内容の打ち合わせや、「司会」の柳宣宏さんとの事前のテーマ設定の確認などで、そのあたりはわりとスムーズに進行がなされた気がする。

 もちろん、良い批評会になったのは、出席者のそれぞれの批評力のおかげだが、最大の要因は、今井さんの「対談相手」の西村美佐子さんの《当意即妙》と、「討議司会」の柳宣宏さんの《捌き》であった。活字になって、あらためて熟読すると、それがとてもよく分かる。

〔歌人今井恵子の世界〕を、その場で、その言葉で、対談相手として、また討議参加者をおびき出すことによって、浮き彫りにした。

 

 けれど、あるいは、それは、歌人当人にとっては、【いやましに迷惑なこった!】というものであったのではないか、と〔親心〕をもって過剰に心配するのは、誰の、どの場合でも、同じだ。

 先日、開催された《生沼義朗の会》についても、同じ心配のネタは尽きない、といったところだ。

 

 さまざまな、そのあたりを、どうぞ、実際の「北冬」014号を購入して、楽しんでみて、味わってみて、いただけるとありがたい。「定価600円(税別)」は、お得感いっぱいです! 書店で注文もできます。〔八木書店取次〕と言って下されば、よりスムーズに行きます。

2013年4月18日(木)晴 暖

 少し早足で歩くと、汗ばむほどの陽気だった。今年は、冷たい空気が被ったり、ぬるい空気に入れ替わったりと、めまぐるしい。

 

 いよいよ、「北冬」014号が、明日、出来上がってくるので、ついに部屋の中が足場の確保にも不自由なほど、乱雑を極めてしまったので、かろうじての取り込み場所、置き場所を確保するために、雑誌や本を片寄せる。

 このところ、すっかり、【片付けられない症候群】を呈している。きっと、どこかが、以前に較べても、さらに病んでしまったのだろう。もともと、片付けないとなると、まるで片付けなくなるのだが、ここまでひどくはなかったような気がする。

 

 それと同様な精神のゆえか、これまで、雑誌であっても、ほとんど誤植のないものを作ってきたと思うのだが、先日の生沼義朗歌集の「誤記」以後、あまり確信が持てなくなっているところに、いつも親切にフォローしてくれるシナノ印刷の現場の人から、目次に「誤植」が残っていて、訂正のチェックのメモ書きを貰う。

 現場の人の好意の、あまりの有り難さに、思わず手を合わせ、ゲラに向かって一礼したのだが、同時に〔ギャッ〕という声も内心で上げる思いになる。

 

 そんなこんなで、いつもよりいっそう、出来上がりへの【不安】の色が身の回りを染めているような前夜である……。

2013年4月15日(月)快晴 23度→13度

 昼の、温もった空気に身体と気持ちもほぐれる。が、夜になると、すぐ冷気が漂い始める。冷たい空気が、ここのところ、いっぱいだ。桜の開花を急がせた、あの陽気はいったいなんだったのだ。

 

 月曜の午前からの本の注文は、とても嬉しい。この一週間が希望に満ちた週になる気がする。売れて、収入になるからというのではなく、その需要が、その本を読みたい読者の存在の確かさであるからである。

 大量の本を、大量に書店に運び込んで、大量に売れる、という影響力からはずっと遠いところにいるが、その時代にもてはやされても、その作者が新しい作品を発表できなくなったら、それらの作品生命も終わりという例を、たくさん見てきた。

 

 ほんとうは、そのことを最大の恐怖として、生あるものは、少しでもましな「生」をこころがけてきていたはずなのに、そのことを指し示す「文字遣いの徒」の多くも、忘れかけている感じだ。

「東日本超巨大震災」に遭遇しても、それまでもはしゃいできていた「文字遣いの徒」は、それを「素材」に妙に反省したりして、妙に変化した姿を見せてはいるが、「内面」のはしゃぎぶりは、それまでのものと、まるで変わらない。

 

 人は、ちょっとやそっとのことでは変わらない、という証だろう。それは、「ちょっとやそっとのこと」ではないというのに。そうではないはずなのに。

 

 嬉しい「月曜、朝の注文」は、ちなみに、生沼義朗歌集『関係について』2冊、北冬舎編集部編『北村太郎を探して』2冊、だった! ずっと長く愛読される著作であることは、間違いない。

 

 夕刻より、久しぶりに、こころに何のバリケードも不必要な人ふたりと、あれこれ、企画やら、現状やら、将来のことまで、話はあちこちに飛び、「ヒルトップ」の閉店時間を30分もオーバーしていたことに気づかずに、話し込んでしまった! 

 山の上ホテル殿、毎度、ごめんなさい!

 でも、ほんとうに楽しい時間だった。

 

「北冬」014号も、週末には出来てくるので、温もった一週間に、きっとなることだろう。

2013年4月8日(月)快晴 22・1度→14度

 夜の10時前、マンションの玄関を出ると、昼の穏やかな空気が一変していて、思わず首をすくめて、寒い、と口にする。そういえば、いろいろあって、このところ、夜気に、あまり触れずにいた。

 靖国通りの温度計が、昼より8度も下がっていた。

 

 今日は、舎に入る前に、「山の上ホテル」の「コーヒーラウンジ」に立ち寄り、「お見舞い」を渡す。先週の金曜日、別館の屋上の機械室から出火して、大したことはなかったようだが、一帯は大騒ぎだったようだ。

 こちらは舎にいなかったので、様子は知らないのだが、いつも、長時間、「応接室」、また「会議室」として、並の神経では耐え難いほど、おじゃまして、ご迷惑をかけているので、「気持ち」を表したかった。

 こちらは、ホテルゆかりの「文豪」とは、いまのところ、確定していないが、いつか、そう呼ばれる《候補》と、「仕事」をしている……!

 

 そして、今日、8日は「花祭り」だが、今年は、その行事を思い出すよりも、「昨年の4月8日から一年が経ってしまった!」という思いでいっぱいだ。

 そうなのだ。昨年のこの日に「今井恵子の会」が行われて、その「ライブ」を「北冬」014号に収録するべく、奮闘してきたのだが、あれこれあれこれ、いろいろいろいろ、あって、遅くとも、この1月・2月には出したかったのだが、それが、ついに一年後の当日を過ぎてしまった体たらくである!

 が、本日、進行が遅滞していた「表紙」も含めて、すべて手を離れたので、なんとか4月中に発行というところまでこぎつけた! 早めにお原稿を頂戴していた方、また、いまかいまかと楽しみにしていた今井恵子さん、みなさん、ごめんなさい!

 あちこち、いつもあやまってばかりだが……。

 

「特集」は「今井恵子責任編集[〈公〉と〈私〉の交差する時空。]」だ。「内容」はもちろん、「表紙」も、納得できる出来栄えになった! 

2013年4月1日(月)曇・雨

 一昨日の「生沼義朗歌集『関係について』の批評会」は、たいへん素晴らしいものになった!

 いい年ををして、いまだに[人見知り]をしてしまうので、あちこちの会に不義理を重ねてばかりいて、あまりよくは知らないのだが、「良い会だったな」「アットホームな会だったな」という満足感のある体験は、それほど多くない中で、このたびの「生沼義朗の会」は、こちらにとって初体験と言っていい、稀に見るほどの《記憶に残る会》となった感じだ。

 

 彼の所属するグループの「短歌人」から、グループを代表する主だった歌人の方たちが出席して下さって、彼が《期待/激励/叱咤》されているのが、よくわかった。また、自然な《グループ愛》とでもいうものが存在している雰囲気が伝わってきた。

 グループによっては、義理だの、横並びだの、強制だので、みな、こぞって、あげて、というところもあるが、その感じがまったくなかったのは、生沼君にも、北冬舎にも、幸せなことで、もう《会》にとって、これ以上のものはいらない、と思った!

 

 その中の〈批評〉で、〔海鳴り〕のように小生の耳に、激しく痛く響いてきたのが、歌集中の一首――、

 

『欲望という名の列車』読み終えてなまなましくあり精神の冷え

 

についての、KHさんの指摘だった。「著者は本当に読んだのか……」とまで、、、、、、。ああ! 午後の耳が痛い!

 この短歌それ自体は、「精神の冷え」が、とてもよく効いていて、『その本』の「読後感」の一首としては、たいへん納得のできるものなのだが、おお! なんと! 『その本』の【書名】を誤記しているのであった! とは、なんてこった!

 

 これまで、何冊も、何冊も、【悪魔の本】と言われる、ひとつも【誤植】のない本を作ってきたことを誇りにしてきたというのに! 【悪魔】から逃れるために、ちょっと【汚れ】を意図したことだってあったというのに!

 尊敬する、生沼君の《MS先生》にも、二次会で、「誤植は編集者と著者の連帯責任ですので、申しわけありませんでした、、、、、。」と平謝りさせていただいたのだったが、傍らの方も、「そのとおりですね」と、誰も救いの手を伸べてくれず、〔わが身/能力の衰え〕を痛感し、思わず、年下の歌人/友人にぼやいたら、「お疲れになっているのではないでしょうか?」と言われた。このあいだ、ほぼ完全無欠の本(?)を一緒に作ったというのに、、、、、、!

 

 ということがあったから、《記憶に残る会》となったのではなく、歌集『関係について』の、この現在、この今における《位置取り》が、じつによく示され、生沼君の《いる場所》が明確になったからであることを、強調しておきたい! 

「この「特徴ある【世代】を、誰か、命名すべきである」という提案もされた会であった。

2013年3月29日(金)曇

「3月」も、あと三日だ。転がるようにして、このところの日々を、今日まで来た。

 明日は、「生沼義朗歌集『関係について』」の批評会だ。ずいぶん以前から、構想・準備・進行などの相談をされていて、実際、こうして「予定の日が来るなんて、なんと恐ろしいことだ……」というふうな思いで、そんな北村太郎さんの詩行を思い出す。

 

 ここでの「告知」をどうするか、生沼氏と連絡をとっていたのだが、会の「案内状」を送付後、わりと早めに会場のキャパを気にしなければならないほどの参加者になったので、あまり広く報知しないことにした。こちらの時間の都合もあって、今日になった。

 以下のようだが、あと2~3人くらいなら、椅子に腰掛けられるようだ。当日のキャンセルもあるかもしれないので、気の向いた方は、適当に、どうぞ!

 

 歌集『関係について』には、現在の、なんだか【狭間の世代】とでも呼びたい人たちの空気が充満していて、見かけは漂遊している身と感覚の軽さが深刻味を帯びていないようだが、内面は意外と生真面目な感じがする。「団塊の世代ジュニア」くらいか、あの時代の雰囲気をまとった人間たちの空気感に包まれて成長してきたのかもしれない。

〔バブル期の高潮/崩壊〕を挟んで育った、現在の「20代」「40代」とは違う、その影響の渦中で青春を送った【狭間の30代】のような、生沼氏の作品が、明日、どのような[批評]の言葉にさらされるか、大いに楽しみだ。

 

 打ち合わせや、大勢の人の中にいるのは、とても苦しいのだが、役割を引き受けた以上、仕方がない。1年に2度、3度、あるかないかの、朝の早い、8時起き! なので、寝坊しないように、気合を入れたい!

 では、みなさん、よろしく!

2013年3月27日(水)雨・曇 冷

 昨日、今日と、冬に逆戻りしたお天気。先に訪れた春の陽気に一気に、例年よりひどく早く咲いてしまった桜も、開花・満開で足踏みしているようだ。

 昨日は、靖国通りの歩道には、華ある「ハイカラさん」と、地味なスーツの似合わない「青年」が溢れていた。この季節、そんな姿を見かけると、明るく、弾む思いも覚えるが、こちらが1年ずつ年を重ねるつど、なんだか、切なく痛々しくも感じられてくる。

 

[いまここ]を生きているだけで宝物である季節を終えてゆくのだな、などと感傷的になってしまう。大昔に歩いた、同じ靖国通りの歩行も、荒れた季節から遥かにここまで来て、もう、十分、感傷する身になってしまった。

 いや、ずっとずっと、感傷ばかりしてきやしなかったか、などと思いながら、錦華坂の登りにかかって、これまでの、輪型を刻んでいたガタガタのアスファルトから、コークスを敷き詰めて、歩行者通路も整備されて、子どもたちには歩きやすくなったな、でも、時代の乱雑な情緒は失われたな、と、また感傷する。

 

 家の近くの、小学校の桜の太い枝もすっかり切られて、無残な姿になった。一緒に見上げた「机龍之助殿」もいなくなった。

 あの超巨大震災以来、目に見えるところで、あるいは直接は目に見えないところで、ものすごくたくさんのものが変わってきている。人の手で成すもの、成されたものは当たり前ながら、人の心が成すもの、成されたものが、少なくとも、東北・関東では、その日を境に、痛いほど変容している。

 レトリシャンな[某々々……詩人]は、数年前、西に【四川の大地震】があれば、衆を前に、「壊れるものは壊れるものナノダ! このたびにこそ認識せよナノダ!」と〈ご託宣〉し、このたび、東に【超巨大地震・大津波の暴力の惨状】があれば、[三味線氏]を帯同し、行って、「これまで、みずから発してきた(コロコロよく転がったレトリックな)詩〈業〉が根底から揺さぶられた」と懺悔/反省してみせる、というわけだ。

 そんなにも、変わって! しまった。

 

「来るんだよ、事件が。アタシのために。老人の死だよ。」と、《アラーキー》は「週刊読書人」3月8日号の「鼎談」で、かつての撮影の場面を明かしている。

 であればこそ、「鼎談」の一人、伝説の編集者《スエイ》が言うように、「荒木さん走って行くんだもん。でも荒木さんは悲惨なものを撮れないんだよね。今回の津波にしても。シャッターが押せないでしょう。」というわけなのだ。

 かくて、《アラーキー》は言う。「思いやりがありすぎるからいけないんだよね。でも風景としたらどこから見てもいい光景じゃないの。廃墟だとか滅びていく様は。そんな所で興奮して撮ってたらマズイでしょ。後ろからひっぱたかれちゃう(笑)。だから我慢して東京でじっとしていた。」

 

 やはり、《天才》はスゴイ! 

《アラーキー》の【事態】を受け止める[態度・世界観]に、そのあたり前な、〈レトリカルな某々々……詩人〉は、ヒゲの先にも及ばない、といったところか……、、、、、。

 としても、我もまた、同じであるのだが……、、、、、、、。


2013年3月1日(金)春1番

 ついに、〔やはり、ついに…………、〕という感じで、【3月】に突入だ。【2月】は、どうして「28日」しかないのだ、と今年ばかりは、少し残念な気持ちで、今日という日について思った。

 そんな新しい月の始まりに、[春1番]が吹きまく。「天気予報」が、前もって防御的に大げさに報知したほどでなく、こうして冬を、一度は押し上げてくれるのは、嬉しく、こころ弾むことのひとつだ。

 

 今日は、いくつか入った「明るいメール」で、こちらも明るい気持ちになるが、ひとり、悲喜こもごもの連絡があり、めげずに展開してほしいと思う。

 もうひとつ、嬉しいのは、江田浩司さんの『まくらことばうた』が、書評や紹介が、刊行以来、あちこちでずっと続いているせいか、順調に注文が途切れずに来ていることだ。売れに売れて、たくさん儲かる、という方向ではないが、《確実に読みたい》という読者からの注文が、「メール」や「電話」で届いている。

 

 一昨日などは、「ブランド砂子屋書房」の事務の女性から、「FAXでの注文を確認して下さい」と「メッセージ」があったので、焦ってしまった。3日ほど、社まで辿り着けず、前日にFAXは見ていたのだが、すぐに手配できずにいたのだ。

 嬉しいことに、『まくらことばうた』が1冊と、生沼義朗君の『関係について』2冊もだった。

 発送が遅れたので、「書籍小包」ではなく、ヤマトの「宅急便」で急いで送る。裕福な出版社相手なので、一瞬、考えるも、「送料・口座振込代」は、太っ腹に(笑い!)、サービスにする。

 その分、細かく税込にするが、どうやら計算を間違えたらしい、と後でハッとする。気がついて、ちゃんとしてくれるようなことはないだろうと、自分のみみっちぃ根性に泣く。

 

 そういえば、「ブランド砂子屋書房」といえば、そろそろ、書房主催の歌壇の有力賞の準備に入るためかもしれないと、そうであれば、江田浩司・生沼義朗両氏、また小社にとっては、楽しみなことだと、笑みを浮かべる。

 江田浩司さんは、先年の『私は言葉だつた』が、砂子屋書房ゆかりの《山中智恵子論》だったので、「ノミネート」くらいされるかと思ったのだが、評論集が賞の対象になるのか、ならないのか、ろくに知らないので、かってにそんなことを思ったことを思い出した。

 

 また、去年は、今井恵子さんの歌集『やわらかに曇る冬の日』が、噂によれば、《最後の2冊》まで残った末に逃したらしい…………、、、ので、なんとか、江田・生沼両氏に強力な「運」が味方してほしいものだと切に願う。

 今井さんの歌集は、実にいい内容だったので、ほかの賞でも、《最後の2冊》に残ったらしいのだが、「運」に恵まれなかったようだ。

 

 それ以前にも、〔惜しくも逃す〕というケースが続いて、自分の人生においては、自分自身にはともかく、わりと、他人に「幸運」をもたらす率が高かったのだが、このところ、いまいち、【アウラの力】が利かずにいる。それも、【マイナーな思考】を続けているせいだと、親友から言われている。

 自分で思うには、以前、ある日、ある時、〔「幸運」が、ほかの人に恵まれるのであれば、この自分も恵まれたい!〕と願って以来、どうも、「運」に見放されるケースが増えてきたような気がするのである! だとすれば、今井恵子さんをはじめ、こころあたりの何人かの方がた、誠にごめんなさい!

 

 そういえば、「ブランド砂子屋書房両賞」で、もうひとつ思い出したが、以前に刊行した一ノ関忠人作品集『帰路』も、どうやら候補にあげられたらしく、やはり、書房から複数冊の注文があった。

 ただ、その注文の連絡があったのが、どうも、「選考会」の2、3日前のように思われたので、〔選考の机に、ただ並べるだけか……〕と、邪推して、愕然としたものだった!

 それを思い合わせると、〔今回は、きっと、ずいぶんと妥当な日取りの本の注文なんだろうなあ〕と、「他者の喜びこそ、わが喜びであれ!」と、心の底から「運! 運!」と願うのである!  

2013年2月14日(木)晴/曇

 今日は、2、3、立ち寄ったので、舎に入るのが、すっかり遅くなってしまった。その分、久しぶりに、遅くまで粘る。

 

 そういえば、体力の限界などを思い、また同時期に「机龍之助」殿の介助などもあって、仕事の時間を前倒しにしたのだったが、終える時間は、思い切って早めにしたのに、始めの時間が、日々、寒くなると、だんだん元に近くなり、しかたなく自宅で作業をすると、やはり深夜の時間に活気が出るようになってしまった。

 

〔足腰の強化!〕などと発起すると、筋肉を痛めたり、薄くなった髪の毛を通して、頭蓋にまで染み入る寒さの中、余分に歩いて、すっかり風邪を引き込んだりと、やはり、夜更けて、元気を出してみたりするもんではない!

 

 もう、10数年も前から、人には、「いまや、体力強化どころではない。最低限の維持に努めるばかりだ。」と言ってはきたのだが、なにせ、ほんとうに狭い、部屋の中で動く用事といえば、いちばん遠いトイレに行くのにも、わずか数歩の距離なので、ほとんど、一日中、坐ったきりの《面壁九年【達磨大師】》と同じ状態なので、維持はおろか、劣化するばかりの足腰なのだ。

 

 15年も前になろうか、4歳ほど歳上の、某男性歌人と一緒に道を歩いている時、横断歩道の信号が点滅したので、急いで渡ろうとしたら、「最近は、一回、待つことにしている」と余裕を示されてしまい、{早すぎるのではないかい!}と、内心、呆れたが、いまや、そんなことも苦く反芻する日々となった。

 

 そこで、どれだけ狭く、どれほど悲惨な状態で日々をこらえてきているか、なぜ、ものみなが冷えきるか、ついに、本邦初公開、〔秘密のベール〕に包まれてきた[北冬舎]の内部を、躊躇する思いは強いのだが、先ごろより駆使し始めた「電子カメラ」で、ご披露することにしようか……。

 

 というのも、先日の「第一回北冬舎孤高炉の会」で暴露(言及/披露)された、小生が以前勤めていたS社にYさんが訪ねて来られた折り、机の上に積み上げられた本の山で、いるのかいないのか、姿が見えない状態だった、ということだったが、「それは仕事熱心ゆえの山積ではなく、社内における【外部拒否】の〔壁〕にすぎなかった」と、思わず【告白】してしまったのだったが、どこで仕事をしても、大方はそんな状態になってしまうのは、内面が、どこかで、生まれつき【乱調/乱丁】を来しているせいなのだろう!


2013年2月12日(火)曇/晴 7・2→5・9度

 連休明けの舎は、寒い。部屋の中の物みな冷えきっていて、暖房を強くしても、なかなか温まらないが、それでもよくしたもので、正月明けの〔寒中〕の冷えに較べたら、かなりやさしい感じがする。

 

《留守番電話》に「本の注文については八木書店へ」と、昨年暮れから電話番号の案内も入れたら、各書店さんからの直接の利用があるようになった。もっとずっと早くからやっていればいいのに、おおよそこういうことに頭が回らないおバカさんなので、ほんとうに困る。

 

 2月も10日余を過ぎると、あれこれ、いろいろとしなければならない中、編集作業がなかなか進捗せず、あの本、この本、何冊も、頭の中でぐるぐる回り始める。強く思うと、実際に目が回るようで、真面目に気をつける。

「北冬」014号も、「広告」から「写真」の指定まで、一人で、一つずつ、とにかくやることが多いので、毎号、途方に暮れる。

『依田仁美の本』の内容紹介にも、まったく手が回らないまま、時間ばかりが過ぎてしまった。

 少しずつ反応もあるのだが、ここでの言及がないので、心配する向きもあるようで、著者の依田さん、みなさん、ごめんなさい!


2013年2月5日(火)晴 12・8度

 明日また、「雪の襲来だ」と、騒がしいわりには温かい日中だった。

 

 昨日は、やはり、まだ熱が残っていたので、自宅執務にして、「北冬」の残りのゲラを読む。なかなかはかどらず、気持ちは焦るが、あまり集中しない。夕食を間に挟んで、なんとか粘るが、10ページほど、残ってしまう。

「表紙・目次・写真・奥付」なども、あと、もう少しだ。

 

 今日も、体調は、まだパッとしない。錦華坂の急な登りにかかったら、足がよろけた。熱はほぼ下がったが、なんだか、頭がふらつく。体がだるく、あまり力が入らない感じだ。

 すっかり、齢をとったので、熱が出て、ゼイゼイと咳き込めば、肺炎か、結核か、と思い、だるさが続けば、別のいやな病気かと思う、と言いながら、子どもの時から、ちょっと疲れると、「だるい、だるい」と、すぐ、グッタリしてきたのだから、この一生、どの時点でも大差ないか! と思い直すばかりだ。

 

「人並みの体力さえあったならば……」と、言いわけなのか、嘆きか、そんな言葉を口にすると、決まって「精神力もあったならば……」と、すかさず【谺】が返ってくるのは、少年期より、みなさんのご想像のとおりであるか!

 だから、「根性論」はずっときらいだった。「体力」の残りのないところでは、「根性」など出るはずがない。出せるはずがない。強圧的なものに反抗せずにはいられない、その一撃は強いが、また「持久性」のないのも、別種の【ヤマトダマシイ】だ!

 食料の補給線が第一だったのに……。

 

 季節の言葉で、一番好きなのは「立春」だ。「光の春」は、希望なのだ。それを祈る言葉が、こちらへと届けられるので、その先を思うことができるというものだ。

 苦しむ心や、辛い魂や、疲れた身体に鞭打って、さらに努めている人に、それをお返ししたい!

 

 一番好きな季節は、「緑の5月」だ。あの緑の風に吹かれると、もっと生きていかれる、生きているのは幸せだ、と思い、感じる。残念なのは、それが、一か月しかないことだ!

2013年1月26日(土)快晴

 というわけで、なんとか「今日の話は昨日の続き」といけばよいのだが、いつだって、その日その日の〔出来心な文脈〕なので、どのあたりから穂をつげばよいのか、そう、”ひょっとして、100冊に到達していやしないか”と、ふっと思ったので、「1995年9月~2009年8月の北冬舎刊行目録」に、それ以後、現在までの数を足してみたら、なんと、「101」という数になったのであった。

 

 その「99・100・101」が、昨2012年に刊行されたことを、改めて知ったのである。これまで、あまり、「メモリアル」などを意識することのない人生だったので、それどころか、当日、その一端を図らずもあばかれる【恥多き人生】だったので、そのために何かを行うなど思いもよらぬことだったのだが、新刊2著のお祝いのついでに、【自祝】などでもと【魔】に刺されたのであった。

 

 いずれ、この「サイト」に、そのリストのページでも設けたいが、さて、どんなふうにしたらいいのだろう。

 

 そんなことで、一昨日は、「#99・#100・#101」の著者のほか、依田・江田両氏の関係者、また、小社より近年刊行した著者や、あれこれ親しく応援して下さっている方などに声を掛けて、こぢんまりとした【孤高炉(ココロ)】の火を燃やすことになったというわけなのである。

 

 ところが、この一夕、【恥多き人生】に、さらに【恥】を重ねることになったのだが、そんなことをここに改めて誰が記すものか! というところだが、談たまたま、紆余転変はなはだしく、とりとめのない「おお、人生!」などと、成り行きまかせに【記憶の闇】に葬っていたことまで次から次へと思い出させられて、【告白】の事態に追い込まれ、しだいに、あったことか、なかったことか、【告白】は乱雑をきわめ、〔エンターテイメント〕な《心映え》ばかりが輝きだして、[満場]のウケを狙い、「天使が通る」のを恐れるあまり、止まらなくなってしまったのであった!

 

「二次会」で、久しぶりにビールなどまで口にして、ひどい寒さの寒中に、その熱持つ頭は、帰宅の終電の車中で、うなされたように「Who I Am」と繰り返し呟くばかりであった、とか……!

2013年1月25日(金)晴/曇

 寒い! 毎日、寒い。寒いので、元気が出ない。12月と1月は、ほんとうに苦手だ。早く、節分/立春になってほしい。2月になっても、冷えは大差ないのだが、光の強さが違って、気が入る感じがする。

 ただ、この数年、以前に較べたら、12月も、1月も、日差しはずいぶん強くなっている。ずっと、光度の弱い日々は元気が出なかったのが、少し違ってきたかなと思っていたら、今年は肌に染み入るきつすぎる寒さで、気そのものが奪われる感じだ。

 というふうなことをぼやきながら、今日は、一日、「北冬」014号のゲラに集中する。とても[有意義]な「今井恵子責任編集号」になったので、はやく形にしたいのだが、12月は新刊『依田仁美の本』の実務に追われ、年明けの1月にはさまざまな作業を追って、時間がどんどん経ってきている。

 

 そんなこんなの、寒すぎるせいもあって、この「ホームページ」にもなかなか手が伸びず、また日々の最低限の通交をこなすばかりで、インフルエンザにでもかかったか、いや、ついにノロウイルスの餌食にでもなったのか、いやいや、冬場の光度不足の鬱状況にでもなっているのかと、時折り届く通信に心配りの、それとなく安否確認も混ざるような始末になっている。

 そんな中、なけなしの勇を振り絞る思いで、なんと、昨日は「第一回北冬舎孤高炉(ココロ)の会」とやらの開催に到ったので、今日はここに、その〔乱雑な感慨〕を多少なりとも記さなければ、参集して下さったみなさんへの感謝の気持ちに代えることも、顔向けもならない。

 もう、一昨昨年になってしまったのだが、「2010年11月」に[ポエジー21]シリーズⅡ-2として、依田仁美作品集『正十七角形な長城のわたくし』が出た。その中の一首に、

 

 あきらかに火に酔うておる月あれば《孤高炉》の銑を戒めんとする

 

 という印象深い一首があった。一首の確定的な読解は、なかなかできないのだが、「{廃炉廃炉}」と米製西部劇のワンシーンのように声が高い事態の中で、「《孤高炉》(こころ)」とは、なんて真っ直ぐな〈造語〉に聞こえてくることだろう、きっと「相聞感情」でも持て余しての、手を個魔せた一首でもあるのかと、眼に刻まれたのだった。

 その依田仁美さんが、屋台骨の痩せ細る【北冬舎】を、多少なりとも肉付けようと、あれやこれや、はっぱをかけて下さるそのひと手間に、「ビアパーティー」など立案して下さるも、当方は{わがままな下戸}なので、ご声援に応えられずに後退ばかりしていたのである。

 それが、昨12月に『依田仁美の本』が出来上がったので、また前月の11月に江田浩司さんの『まくらことばうた』が出たばかりなので、そのお祝いを兼ねて、何かやろうという思いになったのだが、依田さんは、やはり「バランスだけで持続する危うい一輪車操業」である【北冬舎】のためにこそと、ふた手間、み手間を掛けても、というご厚意なのであった。

 そこで、あれこれ、単純に、【貧乏傘張り浪人】も、「あるいは、ひょっとして、18年も傘をなんとか張り続けてきているから、100の単位に来てやしないか」と、電雷が来た。

 そういえば、傘を張り始めて5年目あたりで、「100冊出たら、お祝いでも」と何人かに言われたこともあったが、言われたほうは、いつまでも返せない借金のように情けなく、「1年に50、60冊は当たり前」という【ブランド出版社】を僻眼に見上げて、年月を送るばかりであったのだ。

 

 そうして、改めて、二度ほど勘定を間違えながら、どうにか、やるとなれば、これまた完璧な「リスト」の完成に、つい一昨日のこと、「第二回」があるかどうか分からない、「第一回北冬舎孤高炉の会」の前日に到りついたのであった。

 

 ところで、ダラダラと、ああでもない、こうでもないと、例によって「乱雑な文脈」に身を任せていたら、{花のない金曜日}とはいえ、遅い夜明けのほうへ行き過ぎてしまう時刻になってしまったので、{希望の明日}もあることだし、「今日の続きはまた明日」ということで、ほんとうに「明日また」があるのか、「昨日の続きはどうした!」と「ネット」でなじられた【愚】を繰り返すことになるのか、なんとか努めることを期待して、なにとぞ、ご寛容のほどを! 

2013年1月11日(金)快晴 9・4→5・5度

 昨日、待ち焦がれている「北海道新聞」がなかなか来ない、と記したら、〔コトー〕に着いて、ポストを見たら、届いていた。大震災以来、せめてもの節電協力と足腰鍛錬のためにと、4階まで上る階段も、いつもより力強い。

(楽しい気持ち)で部屋に入ったら、「留守電」に八木書店から、『まくらことばうた』が5冊、依田仁美著『あいつの面影』が2冊、まとめて注文が吹きこまれていて、さらに(しあわせ)になる。

 今日もまた、新年早々、有り難い! と、いっそう(気分を好く)する。

「道新」を開いて現物を目にすると、なおさらに、「書影付き」の推薦が(神々しく)さえ、眼に映えてくる。柏手を打ちたい気分になる。やはり、まず、「金原瑞人さん、ありがとう!」と、「御礼」が口から出る。

 

 ほかの方のもじっくり読んでいたかったが、八木書店に注文の本を届けなければならず、電卓片手に、いつまでも不得手な「納品伝票」をなんとか書き終えたところで、電話が鳴る。札幌の「MARUZEN&ジュンク堂書店」から、なんと、『まくらことばうた』の「客注」だった。大いに喜ぶ。

 急いで、もう一枚、「納品伝票」を書いて、慌てて八木書店に向かう。ついでに、コンビニでコピーをとってこようと思いつき、「道新」を持って出たので、納品しながら、八木書店のKさんに、「コピーをとってきて、1部、お届けします」と言ったら、いつも親切なKさんは、そこにあるコピー機を指し示し、「あれで、どうぞ」と言ってくれる。  

 ときどき、本を送るダンボールなども、購入したいと言うと、新品でも、使用後のものでも、無料で融通してくれる。

 

 たった一人の、いつも【孤軍奮闘臨戦状態】の北冬舎の日常は、こうした、金原さんやKさんの《誠実》から(喜び)が与えられて、もちろん、小社/小生を信頼してくれる著者の方たちから《力》も頂戴して、なんとか継続できてゆくのだ。

 

「道新」の「アンケート」には、江田浩司さんも、ずいぶんと喜んでいるらしいが、こちらの(喜び)は、著者のそれとはちょっと違う。

 たとえば「執筆者16人」が選んだ本の出版社をざっと挙げてみると、「文藝春秋/新潮社/講談社/岩波書店/角川書店/河出書房新社/みすず書房……」などなどで、お馴染みなのは、舎への行き帰りに通る小道にある、「ここも、夜になってもやってるなあ」と、小さいビルの2階の灯りを見上げる「幻戯書房」の名前くらいで、生前、「ヒルトップ」で、たまにお見かけした、社長で歌人の【辺見じゅん】さんが亡くなられたあとも頑張っているようだ。

 そういう[大出版社]の名前がずらりとある中で、【たった一人の一輪車操業、バランスだけで立っている……】(笑い!)という[北冬舎]の名前があるのは、格別なのだ。以前も時々、ほかの新聞などで、「今年の収穫」に挙げられたこともあるが、今回はことに特別だ。

 

 今回、同じ面の右上に、作家の【稲葉真弓】さん推薦三冊のうちの一冊として、『北村太郎の全詩篇』(飛鳥新社)がある。これが、なんと、20年も「北村太郎の会」を続けて来ていた小社が、本当は手がけることに話が決まり、公表もされていたのだったが、〔ある種の手違い〕で、同社に話が持ち込まれてしまったものなのだ。

 というわけで、その〔仲間〕たちとも、昨年は、縁を切った、という

〔転機〕の一冊、というわけの〔ご縁〕である。

 また、同じ列の最上段で、社会学者の【大澤真幸】さんと、小社の真下の段で文芸評論家の【川村湊】さんの二人が挙げている、河出書房新社刊の大評判の『東京プリズン』(赤坂真理著)も、その担当者とは、年齢は離れていたが、同社を飛び出すまで、気持ちのよい、親友に近い感じを抱いていたし、小生は、そのロマンスのキューピッドみたいなものでもあった(笑い)のだ。

 それも、北冬舎を始めてから、18年、これまた、〔ある種の手違い〕で疎遠になってしまっているのだが……。

 

 北海道から来た年下の、最も親しかった雑誌の編集者から「北海道新聞」のことはたまに耳にして、その後、「道新」には親近感を持っていて、小社刊の本は、効果のことなど考えることもなく、ほかの2、3のブロック紙と一緒に、これまでもほとんど送ってきた、そんなことも、今回は、特別な感じする。

 ああ、というわけで、〔つまらない金曜日の夜〕に、長時間かけて、長々と〔追想〕してしまった……。

 これも、〔ある種の様相〕というものだろう。 

2013年1月10日(木)晴 9・2→5・4度

 寒い。昼間の気温から、夜になって4度も下がると、からだが冷え冷えしてくる。それでも、この2年ほど、肌着の下に、更に「ヒートテック」を着用し始め、厚いセーターを着ているので、まだジャンパーでOKだ。ジーンズの膝から下にはレッグウォーマー、靴下を2枚、下腹部は下着で覆われているから、腿のところだけがジーンズのみで冷える。

 夏にはTシャツを諦め、冬にはすぐ風邪を引くのに、とうにジーンズだけでは生きることができなくなって……。

 

 昨日、留守をしていたら、「留守電」にメッセージが吹きこまれず、5、6回、地方の局番から着信があったので、ときどき問い合わせのある書店さんからかと思い、電話をしてみたら、書店からではなく、個人のお宅だった。

 老齢の男の人が出て、こちらが名乗ると、すぐに、江田浩司さんの歌集『まくらことばうた』を注文してくれた。この本のことは、年末の「読売新聞」の「短歌欄」の紹介で知ったということだった。やはり、新聞は早い。

 一昨日の、生沼義朗歌集『関係について』に引き続いて、初春から縁起がいい!

 

 そういえば、記者さんは送ってくれると言ったのに、なかなか紹介する「材料」が届かないので、江田さんがファックスで届けてくれたが、これが使い物にならずにいたので、放っておいたら、さすが、いまだに愛に満ち満ちているのか、いつも適切な「内助の功」を挙げる大田美和さんから「写真版」が送られて来て、やっと整理できたので、ここで、紹介する。

「北海道新聞」の、昨「12月23日朝刊」に載った「ほん 今年の3冊」である。書評欄の執筆者が挙げる「今年の収穫」だ。

 以下の「写真版」をご覧いただければ一目瞭然だが、金原瑞人さんが挙げて下さった。しかも、「書影」付きだ。さらに、思わずホクホクしてしまうのは、「「まくらことば」を駆使して、現代に斬りこんだ666首が収録されて……見事のひと言につきる。」という評の言葉である。

 

 この「評価」といい、読売新聞の紹介もありで、この「幸せ」に、2か月は《喜び》とともに生きられる……。

 きっと、あと、正当なまなざしが注がれさえすれば、これが【壇】では一番難しいのだが、引き続いて、この「見事」な本から、きちんとした「成果」が見えてくることだろう。

 

2013年1月8日(火)快晴 12・6→8・3度

 午後遅く「舎」に辿り着いて、しばらくは身体も温かいのだが、しだいに冷えてきて、暖房を入れても、一人の、コンクリートの、ワンルームは、狭いのに、ものみな、ほとんどは本と雑誌だが、冷えきっていて、温もることなく、寒いまま!

 しかも、だんだん身体が、少しも暖かくならない部屋の、冷たい空気に熱を奪われる感じで、冷えてきて、「夕食」の時間になって、ちなみに今夜は、買い置きのインスタントラーメンに大好きなお餅を入れて、レンジで煮たのだが、それを食べても、身体が温まらないまま、もうイヤだ、と少し早めの夜9時、帰途に着く。

 

 昨日、今日と、さまざまな連絡事項と細かい用足しをきちんと片づけながら、なんと、「北冬」014号の「ゲラ」にまで取りかかる! さらに、嬉しいことに、生沼義朗歌集『関係について』が、「メール』で直接注文が入って、上々の、新年の滑り出しだ。

 しかし、こういう時が、いろいろと危ない! 

 

 家に帰って、さっそく、昨日の早朝の「バルセロナ」の試合の録画を夢中で観ていたら、家人に、テーブルの上が散らかっている、とチェックされたので、サッカーを観ているときにゴチャゴチャ言わないでくれ、ひとのことばかり言えないでしょう、となじったら、足音荒く、部屋から出て行かれる……(アチャ……)!

 

 試合は「バルサ」の素敵な圧勝だったが、担当のアナウンサーが、試合の状況そっちのけで、いつも、余計なおしゃべりばかりする【久保田アナ】で、おまけにゲストが新しい試みの、こちらはよく知らない「現役Jリーガー」だったので、レベルの低い話から、「世界の超一流」の「解説」をするので、興ざめしつつ観て、いつもは、「このチームが見られる幸せに、永久保存版!」にするのだが、大好きな「イニエスタ」も故障から戻って、変わらずに活躍したというのに、不快で、見終えて、すぐに「消去」してしまった! ああ!「魔多し」か? 

2013年1月6日(日)寒

      2013年の始まりにあたり、ご挨拶させていただきます!