ニュースⅠ☆2015

2015年12月31日(木)晴

 今年も、ついに、どん詰まりまで、来た。

 ずっと、この場所を、「リニューアル」しようとして、なかなか出来ないのをいいことに、というか、億劫になってしまって、筆記も滞ってしまった。

 そうなると、「記すべきもの」が単純なおしゃべりに思え、意義を亡失してしまった感じになった。

 

 今年も、丁寧に本造りをしてきただけだった。十分に、そのそれぞれの本に愛情を注いで、日々がいっぱいになっていた。

 エルビス・プレスリーの「LOVE」というアルバムばかり、手近なプレイヤーが壊れるかもしれないと思いながら、今年は聴き続けていた。やっぱり、

 

  Wise men say only fools rush in

 

に、真底、慰められる。そのおかげで、喧騒の「2015年」に、世情に喧伝されているものとはまったく違う〈後退戦の光景〉がよく見えて来る。

 どれだけ年齢を重ねても、愚かな者は、もちろんこの自分のことだが、愚かなままだが、目の前の利益に急ぐことだけはなかったので、より良い〈後退戦の光景〉の中に身を置くことができる。

 

「たとえば、それがいつの日か〈有効〉なるものに転化するということなどけっして夢想せずに、ただ単純に、ひたすら〈無効〉でありつづけることはできないものだろうか。ごく単純に、存在そのものとして、〈無効〉でありつづけられないだろうか。」

 

 と記してから、30数年が経った。 

2015年11月26日(木)雨のち曇のち晴れ

 9月に出た、沖ななもさんの最新第九歌集が、とても好評だ。書評も早めに出たり、本の注文も、少しずつだが、取次・書店通しやネット書店や個人の方の直接のご連絡だったりと、切れ目なく続いている。

 こちらの本も、刊行したあと、ホームページのリニューアルを終えてから詳しく言及しようと思っていたのだが、うまくいかないまま、二ヶ月を経過してしまった。

 今日もあれこれやっていたら、以前のホームページがヒットして、まだ生きていたのを知った。人に頼んで、けっこうなお金をかけて作成・維持してきたものなので、喜んで、リンクを貼ってみた。

2015年11月22日(日)曇

 この「ホームページ」をリニューアルしようとして、あれこれ試みていたら、ずいぶん時間が経ってしまった。そのあいだに2冊目の新刊もできた。

 トップページに、かろうじて「画像」と最低限のデータのみを入れるだけで、ほかのぺージでの言及も、まるでストップしている。

 ページ制作のもう少しましな知識を得ようとしてきたが、あれこれ不足しがちで、なかなか出来ずじまいで、最新刊の画像を、とにかくアップさせていただいた。

2015年6月28日(日)晴-曇

「北冬」№016の発行に、やっとこぎ着け、先週中に発送をし終えて、昨日今日、ほっとして、〈夏の陣〉への予定やら、心構えを思ったりしているのだが、以前にも、昨年の夏ごろのことだから、はや、一年も経つことに驚くばかりなのだが、「短歌往来」のレビュー欄「今月のスポット」の匿名批評者「(り)」さんの批評に驚き、喜んだことを記したことがあるが、その「(り)」さんの「批評」に、このたびの「短歌往来」7月号で、また接し、感激、というか、感動した。

 とくに小社刊の本を評価して下さったから、そんな大仰な言葉が出てくるわけではないと言っておきたいのだが、もちろん、みずからが愛情を持って手がけたもののうちの一冊なわけだから、関心を抱くのは当然だが、それを差し引きしても、その素敵な文章に〈詩〉を覚えた。ことに、「書き出し」と「締めの文章」の〈詩〉は、そのような真率な、自身の〈心の体験〉がないかぎり書き記すことができない〈詩行〉と感じられたので、《感激/感動》という言葉が出た。

 

[現代は純粋で健康な精神だけが病む資格を持っている。それも痛々しいほど潔癖な魂だけが病むことを許されるのだ。]

[作品の中でなら何度でも自死を繰り返すがいい。そして何度でも生まれ変わって来てほしい。]

 

 北冬舎4月刊の加部洋祐歌集『亞天使』に言及して下さった、「詩」のような「書き出し」と「締め」の一文である。加部さんの短歌世界の〈精神の内景〉を正確な引用作品をもって、丁寧に読み解いて下さっている。そこにあるのは、「(り)」さんの「わたし」の内部をくぐらせた言葉である。

 《感銘》を受けないわけにはいかない。

 いま、どのような〈精神〉が、「痛々しいほど潔癖な魂だけが病むことを許されるのだ。」という《文章》を書くことができるのだろう……。「作品の中」でならば、「何度でも自死」は許されるけれど、かならず「生まれ変わって」おいで、来るんだよ、と言えるのだろう……。

 

 昨年の『大田美和の本』への言及の「文章」にも打たれたが、その内容紹介をさせていただこうと思っているうちに、時間が流れ去ってしまった。

 今回は、その全文を「刊行図書の評判」に載せさせていただこうと思う。

2015年6月22日(月)梅雨の合間の晴

 ようやく、「北冬」№016が出来上がる。最近は、校正に100%の自信がなくなったので、初校だけはプロに見てもらうが、それ以外は、相変わらず全部、一人で、細かいところから広告までやっているので、いくら時間があっても、いくつ手があっても、足りない気がするまま、納品の日を迎えることになる。

 いや、その前に、絶対にしておかなければならないことがある。本や雑誌を置くスペースを確保することだ。もうもう、年ごとに、月ごとに、事務所の、居住空間そのもの、職務執行スペースそのものが、ないも同然になってゆくありさまなので、すこし時間が経っても、あまり少なくならない本の著者に引き取りの相談をして、場所を開けなければならないのだ。

 

 納品日になると、たいていは出社する前に、製本所の人が部屋のドアの前に積み上げていった雑誌や本を、腕力・脚力の衰えを、そのつど、そのつど、嘆きながら、部屋に運び込む。夏・冬にかかわらず、だいたい、ひと汗も、ふた汗もかく。しまいには、握力も大切な力のひとつであるなあ、と鍛錬の必要を思う。

 部屋に運び入れる時は、いつも、【げん】を担いで、第一番に運び込む梱包を机の上にまで持って行って、全部運び終えたら、その包み紙を、できるだけ破損しないように、封をしているガムテープを剥がす。けっして、ビリビリッとは破かない。

 そして、机の上に置いた雑誌や本の第一冊目を手に取り、軽く黙礼をしてから、表紙やカバーを凝視する。どこかに凡ミス的な失敗や誤植やがないか、緊張してページを繰ってゆく。出来上がった喜びを味わうより、点検の苦痛といったところか。

 あまり時を置かずに、「執筆の方」、次いで「直接購読の方」にお送りする作業に入る。すぐに、それを行なう段取りも、編集作業の最後の段階になって、うまく手配をしておかないと、出来上がってきても、すぐには送れなくなってしまうので、これまた、時間との勝負になる。


 そうして、今日、ようやく、先週の「執筆の方」への発送を終えたのに続き、「直接購読の方」への発送作業を終え、書店からの注文・問い合わせに備え、[八木書店]にも納品をしたので、ここに、発行のお知らせを記すことができるようになった。

 今号は、先週、執筆者のお一人が、手元に届いてすぐに、「ツイッター」で紹介して下さったので、ここに紹介する前に、読者の方からの問い合わせが先週末から続いて、売れ行き好調だ。

「特集」の「井辻朱美」さんの人気は広く、高い。歌人の世界だけではないので、これからの展開が大いに楽しみだ。

2015年5月10日(日)晴 暖

 大型連休も、今日でようやく落ち着いたというところか。

 休日はずっと引き籠もって机に向かっていたら、電車の中、坐らずにいたら、ふくらはぎがつりそうになって、ガックリくる。

 三日も出歩かずにいると、どんどん足腰が衰えてしまう。


 加部洋祐さんの歌集『亞天使』の評判がよいようだ。反応があちこちに出始めているらしい。

 刊行して、もうひと月になるのに、こちらがなかなか触れる余裕がないうちに、加部さんが所属していた結社「潮音」の先輩の高木佳子さんが、刊行直後にご自身のブログで親身に、丁寧に、言及してくださっている。


 高木さんは、「加部さんはもともと「潮音」に所属されており、若手として大いに活躍されていたことを昨日のことのように思います。少しだけ年長者である私は、応援といっても微力すぎるので、頼もしい後輩として、いつも加部さんの存在を感じていたように思います。/刊行された待望の第一歌集は、帯にあるように「衝撃の第一歌集」であり、陰鬱で鋭い表現の中に、自らの生の力が漲る世界観が溢れているように読みました。」と紹介してくださり、「五首」を引かれている。

 その五首のいずれも、抒情の質の高い作品で、その内の三首も、こちらが編集中に好みの短歌としてマークしていたものと同じであったので、嬉しくなった。ことに以下の二首は、歌集『亞天使』の一面を代表する作品だ。


  ふり向かず歩き来し道振り向けばくうはくはそこに立つてゐました

  握りしめし拳の中のくらやみにみひらく瞳くらやみを視つ


 そして、高木さんは、「たとえば生と死に真向かうという姿勢をもって見つめた歌が歌集の底によこたわっているように思う。……/光は闇の中で輝く。作者は闇だけではなく、光を誰よりも欲している …… その苦悩をひりひりと感じさせる歌集ではないか……」と結んでいる。

 短歌表現を選びとった作者の「内面」にじかに触れてくださって、引用歌とともに読み終えて、シンとせずにはいられない。

「その苦悩」が必要とした表現こそ、読者への最大の説得力を持っているのだと思う。時代を深めてきた短歌表現の「技術/方法」を携えて、さらになお、「闘争/逃走」してきた、ここにある「苦悩」が「表現」を望んでいるのなら、それを行為することが、最も真っ当な「表現者/評言者」であることを、加部さんは示している。


 ただ、「Ⅰ赤痢篇」「Ⅱ移植抄」「Ⅲ回虫録」と章分けされ、「日章旗」の一連から始められ、「日蝕旗」で終わる、この「衝撃の歌集」は、抒情質の高さだけではなくて、付録の「しおり」に寄せてくださった江田浩司さんの言葉を借りれば、「反道徳的」凶々しさに満ちていて、この時代では、さまざまな意味を付与されそうな「言語テロ」という「高評」も、過激に時代を背負ってこられた「思想家」から、すでにもう、寄せられて、素敵な読者にたくさん恵まれることのまちがいない歌集となった。

 そしてまた、加部さんによって表現された「苦悩」は、「同世代/同時代の人々の苦悩」として、読む者に、苦しみ多き「天使の悲しみ」のように寄り添ってくれるのである。  

2015年4月8日(水)雨

 ここのところ、何をしていたのだったか、特に、生きていないわけでもなかったのだが、いや、あまりにも、あれこれ過剰に生きていたのだけれど、歳を重ねれば重ねるほど、ますます余裕がなくなる現実になって、あれよあれよ、という間に、時間も、空間も、過ぎてゆく感じであるのは、いったいなんてこった、というところなのだろう。


 というわけで、前回のメモから、なんと、2か月になろうとするほど日々が経っていた。怠けるにもほどがある段階というものだ。すっかり、このページに何かを書き込もうという努力を、怠惰、億劫に、紛失してしまった。


 という日々を過ごしながらも、編集仕事は楽しく、怠けることなく、忙しく行なっていたので、ついに、「衝撃の第一歌集!」ができあがった。

 加部洋祐さんの歌集『亞天使』である。先週末に、完成品を手にして、贈呈の発送のメドがついたところで、ここに紹介するタイミングをはかっていたのだが、週が明けて3日ほど経ったら、すごい歌集なので、早く発表せよ、という声が聞こえてきた。早くも、潮が満ちた感があるので、老体に鞭打っての発送作業に疲れきっているのだが、ご報告することにした。

 

 加部洋祐さんの最高に刺激的な作品が、独自の世界を構築した歌集となった。

おいおいその短歌を紹介していきたいが、まずは、「ホーム」のページに書影を掲載した。画家の金山明子さんの絵が象徴している加部洋祐さんの作品世界の

装丁を堪能していただきたい。 

2015年2月15日(日)晴 強北風

 今日は、強い北風が終日吹き荒れて、夜が更けて止む。

 昨年の11月末に刊行した荒牧三恵さんの歌文集『八月の光』が、各方面で好評である。「未来」に所属していたが、すでに短歌から離れて30年も経つが、初めて一集にまとめられた短歌と文章の凄みに、未知の読者を含めて、多くの人から驚嘆の声が寄せられている。

 

 昨年年末に、早々と「読売新聞」の短歌欄で簡単に紹介されたが、今度は、小嵐九八郎氏が「図書新聞」で、「文学の根本命題への、ある”回答”」と題して取り上げて下さった。「刊行図書の評判」ページで紹介させていただいたので、どうぞ、ご覧ください。

  五木玲子さんにお借りしたカバー絵と荒牧さんの歌文が共鳴して、心の奥にまで響いてくるという称賛の声もある。

2015年1月15日(木)雨 冷 寒

 今日は、幸先良く、今年初の本ができあがってきた。

 大湯邦代さんの『夢中の夢(ゆめなかのゆめ)』である。「潮音」に所属している円熟の歌人だ。異才藤田武さんに師事してきたが、藤田さんは昨年の1月12日に急逝されてしまった。その師に向けて、また、ご自身の今後の短歌への思いを含めて、全力投球の歌集制作となった。


 大湯邦代さんは、また、依田仁美さんが中心の「舟の会」にも所属している関係で、一昨年の12月に、依田さんとご一緒に歌集制作のご相談に見えた。そのご縁もあり、依田さんに恥をかかせてはいけないと、また、ほかの歌集制作時と同様に、選歌段階から全面的に協力して、今日にこぎつけた。

 今日は「大安」だと喜んでいたのも束の間、あいにくの氷雨の降る天気になってしまったが、依田仁美さんもお忙しい中、時間の都合をつけて下さって、例によって、「山の上ホテル」のコーヒーラウンジ「ヒルトップ」で、出来たてホヤホヤのご本をお二人にお手渡しする。


 大湯さんのカバーへのご希望は、「暖色系ではなく、寒色系で」が唯一のもので、あとはお任せしたいということで、大原デザイナーと相談して、写真のようなものになった。

 ただ、あまり冷たい感じになりすぎるのも、歌集に収録されている熟成の《大湯短歌》と違ってしまうので、少しやわらかい色を添えることにした。「表紙」と「化粧扉」のデザインや色合い、「見返し用紙」の色なども含めて、そのあたりを展開したつもりだが、どうだろうか、、、、、。

 意図どおりに仕上がったつもりだが、また、大湯さんも気に入ってくださったが、とにかく、歌集の短歌作品とのハーモニーなので、読者に委ねるほかはないのだ。

2015年1月7日(水)02:25

 

 雨、曇の、昼間は15度を越えるような、どんよりした一日を終えて、零時を回った。

 左に載せたのは、新しい年を迎えて、真っ先に、新しく作ったゴム判である。ずっと、この「名詞」とお付き合いしている《人生》                

                かと思うと、なんだか、おかしい。

 

 遥かに「20年前」、舎を始めた時の「必要物」として作った「判子」が、昨年、ついに潰れてしまって、新しく作り直さなくてはならなくなった。これも、

新年の出発として、なかなか、感じのいいことだ。

 ただし、三つのうちの「要念校」という、少し珍しい判子は、今回、初めて、新しく作った。これについては、「涙ぐましい経緯」もあって(^~;^~)、ふんどしを締め直す、いや、パンツのゴムをきつくする、いや、この先の「20年」を視野に入れて、誰の?! 生き直すのにふさわしいものなのである。

2015年1月4日(日)02:06

 

 今年の「年賀状」も、遅ればせながら、お送りすることができたので、このページに来られた方へも、新年のご挨拶としたい。

2015年1月2日(金)曇―晴 13・6度

 

 明けましておめでとうございます!

 

 ことさらな意識をしないうちに、「21年目の北冬舎」の始まりだ。

《心を新たに!》と思うことの多い、新しい年の始め方をしばしばしてきたのだが、今年は、久しぶりに「ホームページ」に届いた、才能ある若き知人の年頭のご挨拶へ、以下のような文面の〔返信〕をさせていただいた。

 

 「こちらは、自分に出来る範囲での、予定を立てたお仕事を、なんとか現実化して、2年が経ちました。
 北冬舎を始めて、ちょうど20年が経ち、過去の出来不出来をちゃんと踏まえて、今年も丁寧に一冊一冊と生きていきたいと思います。

 Yさんも、ご自身の納得のゆくスタイルを生きていただけると嬉しいです。」

 

 こんなふうな思いで、新しい年を迎え、「2015年版」の「新しいニュースページ」を始めることができて、とてもありがたいことだ。

 今年も、出来不出来にまみれて、日々を繰り延べしてゆくほかはないだろう。  

 どうぞ、よろしくお願いいたします!