大田美和 (土曜日, 16 11月 2013 13:46)
11月2日ジュンク堂池袋店で行われた島内景二×江田浩司 対談「短歌、古典、そして禅」の動画がアップされました。現代の短歌の問題についての鋭い指摘など見応えたっぷりです。どうぞごらん下さい。 http://kasamashoin.jp/2013/11/post_2758.html
大田美和 (火曜日, 22 10月 2013 12:09)
季節の変わり目、いかがお過ごしでしょうか。私も少し沈みがちな心と身体で滋賀大学に学会出張、空き時間に三井寺(園城寺)と石山寺を訪ねて、源氏物語、更級日記、平家物語など書物でおなじみの、近江大津の地理、京都・奈良との位置関係が少しわかって、嬉しいことでした。 時空を超える詩人の仕事をするには、自分の身体も時々時空を超えることが必要だなあと思っていたところ、そのような好著に出会いました。同僚(中央大学文学部)のフランス人作家ミカエル・フェリエ先生の『フクシマ・ノート』(新評論)です。去年フランスでエドゥアール・グリッサン賞を受賞してから、翻訳が出るのを心待ちにしていました。タイトルから内容はおわかりいただけると思いますが、この書物の素晴らしいところは、ご本人が東京のカフェや気象庁の地震観測所、パリ、京都、東北各地を自在に移動しながら、現実の問題を直視し、私たちの置かれた状況、問題の本質を語るのにふさわしい比喩を古今東西の書物から巧みに紡ぎ出して、先人たちとともに思考しているところです。 まず、古代中国で世界初の地震計を発明した張衡(数学者、詩人、書家、画家)の話から始まります。第一章のタイトルは、『平家物語』から連想した「扇の要」です。 この続きは学内誌に「書評」として書く予定ですが、この掲示板をごらんの方は、私の「書評」を待たずに、ぜひお読み下さい。詩的、知的、科学的、軽やかで官能的なところもある一方で、より深い思索にも誘ってくれる豊かな文学テクストです。詩人と文学ができることを教えてくれて、生きる喜びを共有できます。これですっかり生き返りました!
大田美和 (月曜日, 15 7月 2013 23:26)
暑中お見舞い申し上げます。授業の準備(「イギリスの文化」という講義の「イギリスの音楽」)をしていて、なかなかいい映像に出会いましたので共有したく。去年イギリスの往年の名バンド、レッド・ツェッペリンがアメリカの賞を受賞し、ケネディ・アート・センターで現代のアメリカ人アーティストによる「天国への階段」の演奏を聴いているところです。ドラムスは早世したメンバーの子息だそうです。オバマ大統領夫妻の姿も見えます。年を取ること、生きることの肯定的な意味を教えられたように思いました。 http://www.youtube.com/watch?v=mf2O3OAQjng
大田美和 (月曜日, 27 5月 2013 23:05)
近況報告。仙台学会出張の合間に塩竃から松島に渡り、海風に吹かれてきました。塩竃のスーパーイオンの近くに鐘があり、この高さまで津波が到達しましたという文字。それから松島の伊達家の菩提寺の参道の途中に、ここまで津波が到達しましたという高札。いずれもひっそりと、まだ生々しい傷をいたわるような形でしたが、あわただしい旅人によくぞ教えてくれたと思う土地の記憶のあとでした。それと同時に、津波の来たところに大切な建物を建てなかった先人の知恵を忍びました。今現在の利権争いではなく、遠く未来を見晴るかす仕事をひそやかな形であっても残したいものです。
北冬舎柳下和久 (火曜日, 30 4月 2013 02:52)
拝復 大田美和様 「純粋」というものに、焦がれるような想いを抱いている、そんな《場》をすっかり見失って、そのあたりからずっと遠くへ来てしまったような気がする〔現在〕です。 むかしむかし、「《純粋病》を病んでいるのではないか!」とまで罵られた、などと言うと、あたかも誇っているのかと聞こえて、嫌味この上ないですが、そんな〔時代〕も確かにあったのです。 だけど、いまでは、もう、 〔「僕はつまらないやつなんだ」と、寝返り打って、壁に言うばかり。〕 自分をいつわるためにではなく、「想い出がぼろぼろとくずれてしまうから」……。 阿木燿子作詞の「想い出ぼろぼろ」が、内藤やす子のかすれ声でラジオから流れてくると、もういけません。その歌謡に、じっと耳を澄ませば、「言い訳」を繕う、「やさしさ」を装う、そんな「いつわり」も、この身に覚えがあって、「聞かれてしまえば、幸福も、涙も、想い出も、こぼれ、また溢れ、そしてくずれてしまう」から、なんとか、寝返り打って夢の中へ、布団かぶって夜の中へ、瞳凝らして闇の中へ、いっさんに逃げ込もうとする……。 もちろん、「ついには、時と幸運に恵まれて、うまく踊りたい。」のは、やまやまだけれど。 にしても、素敵な詩集題を持つ、「北アイルランドの詩人」は、こんなに【固い表現】をするものなのでしょうか? 原詩はまったく知りませんけれど、こどものころから、「その訳詩」を自分の言葉に替えてきた身としては……。 「純粋な者は一人もいない。みんな、いつだって、よこしまな思いを持ち、自分を偽ろうとしている。とくにいけないのは、寝転がって、壁に向かい、「神さま、ぼくはつまらないやつなんだ」と、自分を繕おうとすることだ。」 なんちゃってね! 今年もまた、素敵な『大田美和の本』のほうへ《純粋》に歩行して、喜びのステップを踏みたいものです! どうぞ、なにとぞ、よろしく!
大田美和 (月曜日, 29 4月 2013 08:11)
翻訳されたばかりの詩をどうぞ。 誰一人心が純粋な者はいない。むしろつねに不純な動機を持ち、/自己欺瞞を抱えているが、最悪の欺瞞は、「神よ、私は取るに足らない人間だ」と呟き、/呑気に寝そべって、顔を壁に向けることだ。/しかし、そうした習慣は直したい。上や外に目を向け/視野を広げて僕の両足で辿り、/最初は躓いたとしても、次にはほかの人たちと共に歩き、/最後は、時宜と幸運を得て、ダンスができるようになりたい。 ルイ・マクニース『秋の日記』思潮社。北アイルランド出身の詩人です。
北冬舎柳下和久炉暖 (火曜日, 19 2月 2013 01:59)
再拝 依田仁美様 いつものように誠実な「板書」、拝読いたしました。 「病名」についてのご懸念、ご配慮を確かに受け止めました。こちらも、特に留意することなく、本掲示板に掲載いたしました。 格別の不注意に当たるようでしたら、お詫び申し上げます。 それから、「差し替え」についてですが、「本掲示板」の機能では、「全文削除」か、削除をしないで「不掲載」かの「2通り」しかありません。こちらでの「一部訂正」はできないので、「誤植」なども気がつきますが、特に問題がなければそのままになります。 また、「板書内容」がとても良いので、掲載したいと思っても、特定される「誹謗・中傷」が含まれている場合は、削除をしないで、「不掲載」の旨を連絡して、「再執筆」をお願いする場合もあります。 そこで、「病名」についてですが、先日の「第一回孤高炉の会」で、小生のS書房時代を知るY氏から、小生について「躁鬱病」なる「名付け」が発音されたのは、依田大兄もご記憶に新しいところと思いますが、かつて小生も、それを「自虐的ネタ」として使用していたものが、いつのまにか「本当」と認知/判断されていった模様で、「人の口に戸は閉てられない」ので、ずっと放って、現在に到っております。 そのような「たぐい」のことは、ほかにもいくつもありますが。 人は、目の前に、その「当の人」を置いて、何年も見ているのに、その「本当」が見えない、あるいは見ようとしない、そんなものなのでしょう。 「16歳の挫折」を体験してきた小生には、「世の中」はそんなものです。もう少し「文筆の才」があれば、人の胸に届く「文」に結晶できたかしれませんが、いまはただ、「生涯一編集者」として「手職」に邁進することが、それを実現することだと思っています。 いつも、小生が、恐れ多くも依田大兄を前にして、「その人が、どこの誰と懇意にしているかよりも、目の前で見ている自分の判断に立つ」と申し上げているのは、この場所からです。 そういえば、こういうことを思う時、いつも連想するのは「太宰治」のことで、このことについて、「国文学研究者」や「文学評論家」や「太宰ファン」や「太宰系小説家」の誰かが言っているのか、知っている方がいらしたら、教えていただきたいのですが、彼の「ペンネーム」についてです。 小生は、ずっと、「太宰治(だざいおさむ=だざいじ)」は「堕罪児(だざいじ)=我は罪の子(と、みずから〈自虐表現〉している)」からネーミングしたのではないかと睨んでいるのですが、依田大兄におかれましては、いかがお思いでしょうか? 依田大兄も、「自閉状況」を脱出されたご様子にて、桜の春に向けての更なる「文運隆盛」を祈念申し上げます!
依田仁美 (月曜日, 18 2月 2013 07:14)
いけません。取り返しのつかないことをしていまいまいした。書いてはならぬことを書いてしまい、未記載を念じながら覗きましたがすでに公開となっていました。 自己の状況を譬えるのに病名を使うことはあってはなりません。 昨日の書き込みは、「自閉状況」と書くべきでした。 ネット公開とは、出たら引っ込みの利かない「汗のごとき」ものかとも思われますが、どうか、各位には「読み換え」、できるならば管理元にて「差し替え」をお願いいたしたい思いです。 ご閲覧各位および関係の方々にお詫びいたします。
北冬舎柳下和久炉暖 (月曜日, 18 2月 2013 02:21)
拝復 依田仁美様 ようやく光が強さを増してきて、[気]も多少、活を注入されるような日々になりました。 依田大兄には、「第一回北冬舎孤高炉の会」にご尽力いただいたままで、はかばかしくご連絡も差し上げずに失礼しています。 また、今日は、ご自身のお気持ちをあとに回して、こちらへの配慮を優先して、わざわざ「板書」してくださり、申し訳ありませんでした。 そして、そして、「正視」に堪えぬ、わが製作工房の【惨状】へのご感想もありがとうございました。自分としては、とりわけ《ブラックユーモア》の様子の景にて、笑いの一つも取れれば、と思ったのですが……。 『依田仁美の本』は、やはり、大事業でしたね。なかなか、気楽に〈はしゃぐ〉わけには、こちらもいきませんでした。「後ストレス障害」は、こちらのほうかもしれません。 寒さが緩んでゆくのと同時に、強張っていた心身も眠りから醒め、春の、これからの展開は、予測もつかないものになってゆくのかもしれませんね。「三人の強者」からの良きお便りは、その【前触れ】のようです。 〈美は乱調にあり〉を地でゆく、わが「内部の景」の、その、そこに、まだまだ、売るほどに、たくさん積まれて、御著も、活躍の出番を待ちかねております。 どうぞ、なにとぞ、みなさんには、よろしくお願い申し上げます。 それでは、依田大兄には、御身、お大切に、「現在、過去、未来」にわたっての、ますますの縦横無尽のご活躍をお祈りして、無沙汰のお詫びと御礼に代えさせていただきます。
依田仁美 (日曜日, 17 2月 2013 06:11)
毎年、皆様が「バレンタインデー」と呼称される「将門忌」のころに冬眠からさめるようになっている。野球の選手に似て。 ところが、今年は人並みに「出版後自閉症」になり、mixiもfacebook2か月のあいだ、寡黙を通していた。 品がないじゃないスか、ひとりではしゃぐのは。(やっと、はしゃいでいる。) ひさびさにこのサイトを訪れたところ、本邦初公開の景あり、興味深く感じつつも正視が不作法のようでもあり、2秒だけ眺めた。 本を出して頂いて2か月、やっと「過去になった」と自閉症を解こうとした矢先、相前後してそろいもそろって、ハガキが3通「あの本どうやったら買えますか?」「申し込みます」「前金送ります」とある。 あわてて謹呈。疎遠と思っていた方、未知の片。 かくして、安堵しました。「これであの生涯最大の事象も晴れて過去になった」と。 皆様、ありがとうございました。
大田美和 (火曜日, 05 2月 2013 10:28)
余寒お見舞い申し上げます。お熱が少し下がったようでよかったです。どうぞご無理なさらないで下さい。 孤高炉の会はとてもよかったです。どういうつながりでここにすわっているのかしらぐらいのつながりが、私には心地よかったです。なにしろ、近藤芳美先生が亡くなられたときに「冷たい人だった」という世評を聞いて、「あれぐらい放っておいてくれる先生が私にはちょうどよかったのに、タンカの人たちって感じ方がちがうんだなあ」と驚いた私ですので。 血がつながっているから、同じ結社だから、つながっているに決まっている、わかり合っているに決まっているという、世の中にありがちな絆とはちがう、ゆるやかな関係性、開かれた関係性をこれからも求め続けたいと思います。
大田美和 (日曜日, 06 1月 2013 21:39)
寒中お見舞い申し上げます。今年の相方との初デートは、東京駅三菱一号館のシャルダン展でした。派手な時代に、地味な画風で時の権力者たちの心をつかみ、同じ絵を何枚も描いて儲けた静物画家です。時流に合わせるのではなく、おのれに何ができるのかを早い時期に見極めて精進したため傑出した存在になりました。ここから多く学びたいと思います。金属、漆器、骨、毛皮、固い果肉、やわらかい肉といった質感が見事に描き分けられ、現代の写真でも再現できません。本物が見られてよかった、サイバー空間に慣れた現代では稀な至福のひとときでした。
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大田美和 (土曜日, 16 11月 2013 13:46)
11月2日ジュンク堂池袋店で行われた島内景二×江田浩司 対談「短歌、古典、そして禅」の動画がアップされました。現代の短歌の問題についての鋭い指摘など見応えたっぷりです。どうぞごらん下さい。
http://kasamashoin.jp/2013/11/post_2758.html
大田美和 (火曜日, 22 10月 2013 12:09)
季節の変わり目、いかがお過ごしでしょうか。私も少し沈みがちな心と身体で滋賀大学に学会出張、空き時間に三井寺(園城寺)と石山寺を訪ねて、源氏物語、更級日記、平家物語など書物でおなじみの、近江大津の地理、京都・奈良との位置関係が少しわかって、嬉しいことでした。
時空を超える詩人の仕事をするには、自分の身体も時々時空を超えることが必要だなあと思っていたところ、そのような好著に出会いました。同僚(中央大学文学部)のフランス人作家ミカエル・フェリエ先生の『フクシマ・ノート』(新評論)です。去年フランスでエドゥアール・グリッサン賞を受賞してから、翻訳が出るのを心待ちにしていました。タイトルから内容はおわかりいただけると思いますが、この書物の素晴らしいところは、ご本人が東京のカフェや気象庁の地震観測所、パリ、京都、東北各地を自在に移動しながら、現実の問題を直視し、私たちの置かれた状況、問題の本質を語るのにふさわしい比喩を古今東西の書物から巧みに紡ぎ出して、先人たちとともに思考しているところです。
まず、古代中国で世界初の地震計を発明した張衡(数学者、詩人、書家、画家)の話から始まります。第一章のタイトルは、『平家物語』から連想した「扇の要」です。
この続きは学内誌に「書評」として書く予定ですが、この掲示板をごらんの方は、私の「書評」を待たずに、ぜひお読み下さい。詩的、知的、科学的、軽やかで官能的なところもある一方で、より深い思索にも誘ってくれる豊かな文学テクストです。詩人と文学ができることを教えてくれて、生きる喜びを共有できます。これですっかり生き返りました!
大田美和 (月曜日, 15 7月 2013 23:26)
暑中お見舞い申し上げます。授業の準備(「イギリスの文化」という講義の「イギリスの音楽」)をしていて、なかなかいい映像に出会いましたので共有したく。去年イギリスの往年の名バンド、レッド・ツェッペリンがアメリカの賞を受賞し、ケネディ・アート・センターで現代のアメリカ人アーティストによる「天国への階段」の演奏を聴いているところです。ドラムスは早世したメンバーの子息だそうです。オバマ大統領夫妻の姿も見えます。年を取ること、生きることの肯定的な意味を教えられたように思いました。
http://www.youtube.com/watch?v=mf2O3OAQjng
大田美和 (月曜日, 27 5月 2013 23:05)
近況報告。仙台学会出張の合間に塩竃から松島に渡り、海風に吹かれてきました。塩竃のスーパーイオンの近くに鐘があり、この高さまで津波が到達しましたという文字。それから松島の伊達家の菩提寺の参道の途中に、ここまで津波が到達しましたという高札。いずれもひっそりと、まだ生々しい傷をいたわるような形でしたが、あわただしい旅人によくぞ教えてくれたと思う土地の記憶のあとでした。それと同時に、津波の来たところに大切な建物を建てなかった先人の知恵を忍びました。今現在の利権争いではなく、遠く未来を見晴るかす仕事をひそやかな形であっても残したいものです。
北冬舎柳下和久 (火曜日, 30 4月 2013 02:52)
拝復 大田美和様
「純粋」というものに、焦がれるような想いを抱いている、そんな《場》をすっかり見失って、そのあたりからずっと遠くへ来てしまったような気がする〔現在〕です。
むかしむかし、「《純粋病》を病んでいるのではないか!」とまで罵られた、などと言うと、あたかも誇っているのかと聞こえて、嫌味この上ないですが、そんな〔時代〕も確かにあったのです。
だけど、いまでは、もう、
〔「僕はつまらないやつなんだ」と、寝返り打って、壁に言うばかり。〕
自分をいつわるためにではなく、「想い出がぼろぼろとくずれてしまうから」……。
阿木燿子作詞の「想い出ぼろぼろ」が、内藤やす子のかすれ声でラジオから流れてくると、もういけません。その歌謡に、じっと耳を澄ませば、「言い訳」を繕う、「やさしさ」を装う、そんな「いつわり」も、この身に覚えがあって、「聞かれてしまえば、幸福も、涙も、想い出も、こぼれ、また溢れ、そしてくずれてしまう」から、なんとか、寝返り打って夢の中へ、布団かぶって夜の中へ、瞳凝らして闇の中へ、いっさんに逃げ込もうとする……。
もちろん、「ついには、時と幸運に恵まれて、うまく踊りたい。」のは、やまやまだけれど。
にしても、素敵な詩集題を持つ、「北アイルランドの詩人」は、こんなに【固い表現】をするものなのでしょうか? 原詩はまったく知りませんけれど、こどものころから、「その訳詩」を自分の言葉に替えてきた身としては……。
「純粋な者は一人もいない。みんな、いつだって、よこしまな思いを持ち、自分を偽ろうとしている。とくにいけないのは、寝転がって、壁に向かい、「神さま、ぼくはつまらないやつなんだ」と、自分を繕おうとすることだ。」
なんちゃってね!
今年もまた、素敵な『大田美和の本』のほうへ《純粋》に歩行して、喜びのステップを踏みたいものです!
どうぞ、なにとぞ、よろしく!
大田美和 (月曜日, 29 4月 2013 08:11)
翻訳されたばかりの詩をどうぞ。
誰一人心が純粋な者はいない。むしろつねに不純な動機を持ち、/自己欺瞞を抱えているが、最悪の欺瞞は、「神よ、私は取るに足らない人間だ」と呟き、/呑気に寝そべって、顔を壁に向けることだ。/しかし、そうした習慣は直したい。上や外に目を向け/視野を広げて僕の両足で辿り、/最初は躓いたとしても、次にはほかの人たちと共に歩き、/最後は、時宜と幸運を得て、ダンスができるようになりたい。
ルイ・マクニース『秋の日記』思潮社。北アイルランド出身の詩人です。
北冬舎柳下和久炉暖 (火曜日, 19 2月 2013 01:59)
再拝 依田仁美様
いつものように誠実な「板書」、拝読いたしました。
「病名」についてのご懸念、ご配慮を確かに受け止めました。こちらも、特に留意することなく、本掲示板に掲載いたしました。
格別の不注意に当たるようでしたら、お詫び申し上げます。
それから、「差し替え」についてですが、「本掲示板」の機能では、「全文削除」か、削除をしないで「不掲載」かの「2通り」しかありません。こちらでの「一部訂正」はできないので、「誤植」なども気がつきますが、特に問題がなければそのままになります。
また、「板書内容」がとても良いので、掲載したいと思っても、特定される「誹謗・中傷」が含まれている場合は、削除をしないで、「不掲載」の旨を連絡して、「再執筆」をお願いする場合もあります。
そこで、「病名」についてですが、先日の「第一回孤高炉の会」で、小生のS書房時代を知るY氏から、小生について「躁鬱病」なる「名付け」が発音されたのは、依田大兄もご記憶に新しいところと思いますが、かつて小生も、それを「自虐的ネタ」として使用していたものが、いつのまにか「本当」と認知/判断されていった模様で、「人の口に戸は閉てられない」ので、ずっと放って、現在に到っております。
そのような「たぐい」のことは、ほかにもいくつもありますが。
人は、目の前に、その「当の人」を置いて、何年も見ているのに、その「本当」が見えない、あるいは見ようとしない、そんなものなのでしょう。
「16歳の挫折」を体験してきた小生には、「世の中」はそんなものです。もう少し「文筆の才」があれば、人の胸に届く「文」に結晶できたかしれませんが、いまはただ、「生涯一編集者」として「手職」に邁進することが、それを実現することだと思っています。
いつも、小生が、恐れ多くも依田大兄を前にして、「その人が、どこの誰と懇意にしているかよりも、目の前で見ている自分の判断に立つ」と申し上げているのは、この場所からです。
そういえば、こういうことを思う時、いつも連想するのは「太宰治」のことで、このことについて、「国文学研究者」や「文学評論家」や「太宰ファン」や「太宰系小説家」の誰かが言っているのか、知っている方がいらしたら、教えていただきたいのですが、彼の「ペンネーム」についてです。
小生は、ずっと、「太宰治(だざいおさむ=だざいじ)」は「堕罪児(だざいじ)=我は罪の子(と、みずから〈自虐表現〉している)」からネーミングしたのではないかと睨んでいるのですが、依田大兄におかれましては、いかがお思いでしょうか?
依田大兄も、「自閉状況」を脱出されたご様子にて、桜の春に向けての更なる「文運隆盛」を祈念申し上げます!
依田仁美 (月曜日, 18 2月 2013 07:14)
いけません。取り返しのつかないことをしていまいまいした。書いてはならぬことを書いてしまい、未記載を念じながら覗きましたがすでに公開となっていました。
自己の状況を譬えるのに病名を使うことはあってはなりません。
昨日の書き込みは、「自閉状況」と書くべきでした。
ネット公開とは、出たら引っ込みの利かない「汗のごとき」ものかとも思われますが、どうか、各位には「読み換え」、できるならば管理元にて「差し替え」をお願いいたしたい思いです。
ご閲覧各位および関係の方々にお詫びいたします。
北冬舎柳下和久炉暖 (月曜日, 18 2月 2013 02:21)
拝復 依田仁美様
ようやく光が強さを増してきて、[気]も多少、活を注入されるような日々になりました。
依田大兄には、「第一回北冬舎孤高炉の会」にご尽力いただいたままで、はかばかしくご連絡も差し上げずに失礼しています。
また、今日は、ご自身のお気持ちをあとに回して、こちらへの配慮を優先して、わざわざ「板書」してくださり、申し訳ありませんでした。
そして、そして、「正視」に堪えぬ、わが製作工房の【惨状】へのご感想もありがとうございました。自分としては、とりわけ《ブラックユーモア》の様子の景にて、笑いの一つも取れれば、と思ったのですが……。
『依田仁美の本』は、やはり、大事業でしたね。なかなか、気楽に〈はしゃぐ〉わけには、こちらもいきませんでした。「後ストレス障害」は、こちらのほうかもしれません。
寒さが緩んでゆくのと同時に、強張っていた心身も眠りから醒め、春の、これからの展開は、予測もつかないものになってゆくのかもしれませんね。「三人の強者」からの良きお便りは、その【前触れ】のようです。
〈美は乱調にあり〉を地でゆく、わが「内部の景」の、その、そこに、まだまだ、売るほどに、たくさん積まれて、御著も、活躍の出番を待ちかねております。
どうぞ、なにとぞ、みなさんには、よろしくお願い申し上げます。
それでは、依田大兄には、御身、お大切に、「現在、過去、未来」にわたっての、ますますの縦横無尽のご活躍をお祈りして、無沙汰のお詫びと御礼に代えさせていただきます。
依田仁美 (日曜日, 17 2月 2013 06:11)
毎年、皆様が「バレンタインデー」と呼称される「将門忌」のころに冬眠からさめるようになっている。野球の選手に似て。
ところが、今年は人並みに「出版後自閉症」になり、mixiもfacebook2か月のあいだ、寡黙を通していた。
品がないじゃないスか、ひとりではしゃぐのは。(やっと、はしゃいでいる。)
ひさびさにこのサイトを訪れたところ、本邦初公開の景あり、興味深く感じつつも正視が不作法のようでもあり、2秒だけ眺めた。
本を出して頂いて2か月、やっと「過去になった」と自閉症を解こうとした矢先、相前後してそろいもそろって、ハガキが3通「あの本どうやったら買えますか?」「申し込みます」「前金送ります」とある。
あわてて謹呈。疎遠と思っていた方、未知の片。
かくして、安堵しました。「これであの生涯最大の事象も晴れて過去になった」と。
皆様、ありがとうございました。
大田美和 (火曜日, 05 2月 2013 10:28)
余寒お見舞い申し上げます。お熱が少し下がったようでよかったです。どうぞご無理なさらないで下さい。
孤高炉の会はとてもよかったです。どういうつながりでここにすわっているのかしらぐらいのつながりが、私には心地よかったです。なにしろ、近藤芳美先生が亡くなられたときに「冷たい人だった」という世評を聞いて、「あれぐらい放っておいてくれる先生が私にはちょうどよかったのに、タンカの人たちって感じ方がちがうんだなあ」と驚いた私ですので。
血がつながっているから、同じ結社だから、つながっているに決まっている、わかり合っているに決まっているという、世の中にありがちな絆とはちがう、ゆるやかな関係性、開かれた関係性をこれからも求め続けたいと思います。
大田美和 (日曜日, 06 1月 2013 21:39)
寒中お見舞い申し上げます。今年の相方との初デートは、東京駅三菱一号館のシャルダン展でした。派手な時代に、地味な画風で時の権力者たちの心をつかみ、同じ絵を何枚も描いて儲けた静物画家です。時流に合わせるのではなく、おのれに何ができるのかを早い時期に見極めて精進したため傑出した存在になりました。ここから多く学びたいと思います。金属、漆器、骨、毛皮、固い果肉、やわらかい肉といった質感が見事に描き分けられ、現代の写真でも再現できません。本物が見られてよかった、サイバー空間に慣れた現代では稀な至福のひとときでした。