{付録☆2013}

          ◇急坂を行く(ことのなくなった)《北冬舎炉暖》の切れ切れな迷想◇


2013年12月12日(木)快晴

 今週に入って、寒さも増してきたせいか、すこし風邪気味で、この秋以降、一度、早めに呑んだだけだったが、ついに、昨日、今日と、「葛根湯」のお世話になって、多少、活気も出たので、なんとか仕事に向かう。

 12月ともなると、やはり、人並みに気ぜわしくなって、打ち合わせや交流の時間が多くなる。今日も、だいぶ以前に体調が悪くなって、約束をキャンセルしたまま、もう、どのくらい時間が延長されたのか、すぐにはシカとは思い出せないくらいだが、やっと、約束を果たすことができた。

 一昨日も、そんな方と、ようやくお会いして、とても打ち解ける時間が持てたのだった。

 

 年齢を深めてくると、誰しも年若い頃の率直さを失って、相手の顔色を見ながら、まるで、いま口にしている、あなたのその言葉の真意は何? 那辺にあるや? といった顔付きになり、それを見せられると、とたんにウンザリして、うかつに素のままの言葉も出せなくなってしまう。多くは、それが大人の知恵というもんだ、ということで、イヤな気分も、そのまま、なるたけ早く振り捨てるしかない。

 

 それが、一昨日お会いした歌人、また今日お会いした詩人と、お二人とも、その人格のとおりの、嘘のない作品を生み出される方たちで、延々とお会いする約束が延長されてきたにもかかわらず、時間は、はるか以前にお会いしてお話ししたところから、すぐに続くのだった。

 こちらも、お二人も、齢は確かに増して来ているのだが、内面は、そこからの続きなのだった。別れの挨拶を交わして、事務所に戻るところから、その人格が残していった気持ちのよさに包まれる。

 

 上の写真は、その詩人・山本かずこさんがおみやげに下さった、パウンドケーキと妹さんの手作りのブックカバーである。しかし、それは、四六判の本に少し小さかったので、30年弱も使って来て、ボロボロ・ガタガタになってしまい、やむなくビニール袋に入れて持ち運んでいた〔電話帳〕をカバーすることにした。

 そんなおみやげを下さったから、山本さんを持ち上げたわけではないことは、彼女の詩篇、また、北冬舎刊のエッセイ集『日日草』をお読み下されば、一読、分かることだ。

2013年10月23日(水)曇 冷

 10時過ぎ、事務所のあるマンションの玄関を出ると、弱い雨がアスファルトを濡らしていた。事務所の中も、足元が冷え始めて、秋も深まるなあ、と思いながら、御茶ノ水駅に向かう。

 帰宅する道の途中のセブンイレブンで、手作りの新しいレイアウトをコピーして帰る。11時半を回っている。さすがに、この時間に帰るような齢ではなくなったなあ、と弱い北風の中、「Northwind」を口笛で吹く。

2013年9月16日(月)18号台風 曇

 せっかくの「敬老の日」も、台風で台無し。日本全国、あまりにもひどすぎる猛雨・猛風だ。猛暑の夏のあとに、むごい、むごすぎる!

〔めったにない夏〕というつもりで「2013年夏の思い出」をメモしたが、もう、これからの日々も、〔めったにない〕という【領域】に入っているかのようだ。きっと、「1995年」あたりから、そうだったのだろう。

2013年9月12日(木)晴

 このページを記すのは、前回から、ほぼ2か月ぶりだ。こんなに時間が経ってしまったのは、「付録」のような気分で、「付録」のように綴る余裕がないほど、この間、お仕事に邁進していた証拠だ。

 

 そこで、この数日、「あんなに凄かった2013年の夏も、もう、終わったね」という会話が耳に残ったので、とにかく、[2013年の夏の思い出]をここにとどめておきたい!

 

 「厚みの違う西瓜と七転び八起きな起き上がり小法師」の夏!


2013年7月17日(水)曇 29度
 日差しと湿度がそれほどでなければ、うなるほどにはならないが、それでも、やはり、不健康な汗が止まらない。熱中症の報道がすごい。どの時点で、どうなれば、そうなのか、そこがよく分からない。

 それで、戻って来なくなるわけだ。

 

 下のところで目次広告を紹介した「文學界」8月号の表紙が、とても印象が強いので、極小出版の小社にとっての、せっかくの「記念号」なので、ご紹介させていただく。

 最近は、どの雑誌でも、「表紙」には、一時氾濫していた、ただの「ビジュアルなデザイン」から、「物語」を抱えようとする「意思」が感じられる。最後衛にあった文芸誌なども、いまや、「すばる」「新潮」など、表紙の顔付きが、内部に「物語」を抱え込んで、おのずから「内容」との勝負を展開している。

 

「超巨大震災」以後の【表出】が、そこに、敏感に行われるようになったのだと思われる。ただ、あとは、そこに封じられようとする「内容」との勝負になるので、文芸誌のように、「内容そのもの」が、多く「物語」であるものは、とても難しいと思う。

 

 定期購読していたこともあったが、最近はご無沙汰していたので、これから、毎月、広告掲載で「文學界」も読めるので、楽しみだ。

 

 楽しみ、といえば、「すばる」の「6月号」から連載が始まった、四方田犬彦氏の「犬たちの肖像」が、ついに、「犬彦の本領知/地」として、涙なくしては読めないほど、すごい。博覧強記の才能者の中でも、さまざまな文章からにじみ出てくる、まあ、多才な全貌を知悉しているわけではないが、眼に触れたかぎりでのものからの、「切実さ/切なさ/哀しみ」は、氏のものにしか読めないものだ。

 

 こちらも、昨年6月29日の、わが家の老犬「机龍之助」殿との別れの体験を経ての、その感受ということでもあるのだろうが、それを用意したものもあるということだろう。

「超巨大震災」を、内面に潜らすことなく、相変わらず、はしゃいで文筆・興行に邁進している、才能者の「原発ワード」とはまるで違う、四方田犬彦氏の「痛々しい文筆」を、毎月、待ち望みたい。

2013年7月8日(月)暑

 いきなりの「梅雨明け」で、あっというまの「30度越え」だ。

 しばらく、記す時間もなく、お仕事に邁進していたら、「やればできるじゃん」と、声がかかった。

 4月に、しかも末に、やっと「北冬」最新014号を、今年度初めての演し物みたいに出せたら、6月になって、何年か越しの本、古谷智子さんの『幸福でも、不幸でも、家族は家族。』が結実した。

 そうして、いまは、8月に2冊、9月に1冊の刊行に向けて、私の時間も、土日も返上して、まあ、時には「休むのも仕事のうち」とうそぶいて、少しの休養は取るのだが、「夏の陣」の最中なのだ。

 と、また、年下の友人・著者にぼやいたら、「どうぞ、やり続けて下さい……」と、これまた、日頃の怠惰の是正を、と要望するのである。

 

 そんなわけで、ここに記すことも、けっしてさぼっていたというわけではなく、少し飽きてきたところはあるが、また「目的」に迷いが生じて、つい詰まらぬ「おしゃべり」で、【落とし穴】に落ちそうになる姿を露呈して、心ある友たちを〔ハラハラドキドキ〕させていることなども反省していたこともあるが、ひとえに「お仕事」に邁進していたからなのである。

 そんな一つの[稔り]として、この7日発売の「文學界8月号」から、なんと!「目次」に広告を載せることにした。申し込もう、というきっかけから、その場所の確定まで、天から恵まれた推移みたいだった。

 文藝春秋社の「文學界」は、子供の頃から憧憬の雑誌だったので、とりあえず、向こう一年の定期枠が取れたが、なんとか、できるだけ長く続けたいものだ。

 というわけで、[お初]を、お目にかけたい。

 現物の誉れを喜んでくださる方は、書店で「文學界」の売り上げに貢献してやってください!

2013年5月24日(金)快晴

 ずいぶん忙しくしていたら、アッという間に、10日ほど経ってしまった。

 

 何年ぶりかで、アイスコーヒーを飲みながらゆっくりと話した知人。また、1年半ぶりに会って、「ヒルトップ」で軽く夕食を食べながら、あれこれ、その時間を埋めるように会話した尊敬する年下の友人。恩義ある大出版社の、いまはもう偉くなっている人格者の知人との、これまた数年ぶりの電話の往来。

 数年ぶり、といえば、いや、10年余も経っているだろうか、以前に刊行した、その実力を敬っている著者の、新しいエッセイ集と次の歌集の、こころ弾む編集/制作の依頼。 

 あるいは、大原信泉デザイナーとの、来月に出る本の、最後の仕上げの「帯制作」のやりとり、そして、引き続いて刊行予定の「大傑作コラム集」の「造本」ほかの打ち合わせ。

 

「自宅作業」で、深夜まで、机にかじりついて、「原稿整理、ゲラ校正」、人の少ない時間を選んで、深夜のコンビニでの「コピー取り」。次の仕事の段取り、手配のための準備。

「メール」での連絡、やりとりは、強度の近眼にはよくなくて、肩こり、首から背中へかけてのこり、眼精疲労と、このところ、疲れはたまるけれど、それでも、翌日にぐったりしていることもなくて、多くのことを「通信」できて、ひと頃より、だいぶ手順がよくなったような気がする。

 

 なんとか、こうして、めげずに、素敵に、時間をやってきた、という感じだ。

 新しく往来するようになった「とちの木通り」には、午後も、夜も、5月の緑の風が吹いている。生きているのが尊い、と思う。

 どこまで、活き活きと、この時間を、新しいこころにして、行くことができるか。

2013年5月2日(木)快晴 冷

 5月になったというのに、この冷たい空気の流入ぶりは、いったいなんだというのだろう。午後になっても、家から外へ出て、空気に触れると、「寒い!」という言葉が出るありさまだ。

 

 ついに、住まいのあるJRの駅から東急東横線渋谷駅までの通勤定期券、そして地下鉄渋谷駅から神保町までのものとの、2路線とも切れてしまったので、JR京浜東北線で神田駅で乗り換え、中央線で御茶ノ水駅という経路で、舎まで来た。

 新しい東急東横線+地下鉄副都心線渋谷駅の、あの地下深くからの乗り換え、狭いホームでの混雑、また3路線共通の定期券の不使用と、新開通からひと月余、半年購入の定期券が残っていたので使い続けたが、最後のほうは、ほんとうにウンザリした。

 あそこは、なにかをきっかけに、大混乱、大パニックが起きてもおかしくないところになった。

 

 遥かな高校生時代から、東京と横浜と、学生時代、勤め人時代、自由人時代など、向かう方向は逆になったが、ずっと、東急東横線と縁が切れることはなかったので、今日は、シンミリと新路線に乗車してきた。

 こんな【私】の感慨で、ほんとうにつまらないことだけれど……。

 

 記すほどのことでもないのだが、期せずして、先日、「北冬」014号の「編集後記」に書きとめた、「昨年年初」からの「日常の風景」の「変容、展開」の一行程になった感じだ。こうして、身の回りのさまざまなものが、[変わらないものは何一つない]という低い声を響かせ、様子を変えてゆくのだろう。

 そのきっかけがそのように現われた時、それは、ある意思をもってみずから「選択」できるようなものではなくて、そのほうへ「追い込まれてゆく」ことしかできない。これまでの「恥の多いたくさんの日々」においても、必ずそうだった。

 

 ずいぶんと、それに抗って、「自己意思」によらないなんて、それでは、最後に到った時、「生きた」とは言えないじゃないか、と声を震わせてきたが、それは、そうではなかった。

 みずから背負ってきた定めのほうへ、ただ往くばかり……、とでも言うほかはないように思われる。

 

 けれども、そこに「追い込まれ」ては、覚り顔に澄ましていることはできなくて、人の眼には見えないところで、ジタバタとあがきにあがくほかはなくて、その末に、「追い込まれて、ある」という感じに身を委ねるだけなような気がする。

 定めというか、宿命というか、そういうものへの、せめてもの【恩返し】に、できるだけジタバタするのが、特に多くの〔才と徳〕を恵まれて来なかった《われ》のありようだろうな。

 

 やはり、人さまの、あまり目にふれないところでさ、なんて、おお、そんなこと言ったら、台無しか! でも、人の眼に見えるところでばかりの大騒ぎが多すぎる時代だから、なおさらさ!

2013年4月3日(水)嵐・晴

 昨日、今日と春の嵐で、自宅作業を決め込む。

 それにしても、「生沼義朗の会」は、実に特徴のある会となった。あんなに気持ちのよい笑いがこぼれる会も珍しい。生沼君の「作品」の秀でた、ほかの人にない、まったく独自の質のゆえであった。

 

 こちらも、あらためて生沼君のおかげで、新鮮な体験ができた。これまで、臆面もないような気がして、会などで、一度も自社の本の販売などしたことがなかったのだが、生沼君の勧めと知恵で、初めて並べてみた。

 新鮮な体験の、その1は、会場内に設けた販売の机に坐っていると、これまで「北冬」で原稿を依頼した人の何人かと挨拶ができたこと、そして、その2は、その方たちが、作品から結んでいた像と、ずいぶん遠かったことである。

 その訳を、あれこれ考えて、2日が経った。

 

《北冬舎応援団》より、生沼短歌の「誤記」に大汗をかいたという{愚痴}の慰めを頂戴した。本当にありがとう! さらによい本を編集する励みになりました!

2013年3月19日(火)晴・暖

 全くの〔わたくしごと〕に追いまくられて、この半月というもの、いや、ひと月以上、まるで余裕なく、舎の仕事も、私的な行動も、ほとんど停滞したままになっていた。

 多くの人にご迷惑をお掛けし、またご心配を頂戴したままで、気持ちは苦しく、焦るいっぽうだったのだが、やむなく毎日を過ごさざるをえなかった。

 

 ご迷惑をお掛けしたままのみなさんに、まず、心よりお詫び申し上げます。

 今日から、少しずつ集中力を挙げて展開していきますので、どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

 

 この「ホームページ」も、無料の試みから有料のページヘと進んで1年半余が経つが、ここを通しての本の注文も増え、新しく閲覧する方も着実に多くなっているらしいので、ほんとうに励まされる。

 

 たった一人で、おまけに群を抜く怠け者ときては、どうにも展開できないことばかりで、このような【道具】を多少でも使用できるようになって、大いに救われている。

 愚か者のろくでもない〔近況〕も、硬軟、また偽善、偽悪などの態度も、面白おかしく、おかまいなしに取り混ぜて披露しては、あれこれの反応や「メール」での連絡も頂戴して、【助っ人100力】というところだ。もう少し、自在に【駆使】できるようになりたいのだが……。

 

 というところで、お詫びと自祝とで、春3月、有料ページ化1年!

2013年2月7日(木)晴 12・8度

 昨日の「大雪予報騒ぎ」が空振りに終わって、今日は、一転、所によって「春一番」の、ホッとするお報せに喜んだ。

 

 江田浩司さんの『まくらことばうた』が順調に浸透しているらしく、書店やホームページからの「メール」での注文が続いている。

 今日は、風邪も、ほとんど抜けたようだが、まだ、少し心もとない足つきで、山の上ホテル前の坂を下り、八木書店からの注文の4冊を届ける。ほかに、『北村太郎を探して』が2冊、これは『全詩篇』刊行の効果だろう。

 

 それから、佐伯裕子さんの心に響く二冊の本、『家族の時間』と『影たちの棲む国』が各一冊。このあいだも注文があったところだ。赤坂真理さんの『東京プリズン』の波及効果か、少しでも読者の心に届いてほしいものだ。二冊とも、もう残部がほとんどなくなったので、思案のしどころである。

『ノスタルジア』と『みずうみ』の歌集のほうは、例によって、たくさん作ったので、まだたくさんあるのだが。

 

 以前なら、ほかの話題の本の動きと一緒に、あれこれ企画を練り、仕掛けなど、してみたくなったものだが、いまは、自然な流れに委ねる、という気持ちが強いが、それはもう、すでに、【しゃべり続ける根気/婚期】を喪い、【ある種の狂騒/競争】ぶりからは遠く置き去りにされ、【下りた】という感じの【脛/拗ね】を持て余しては、すっかり【GG】になったということだ、ネ。

 

 ただ、【自然な流れ】が、いつのまにか勢いを増すという事態に遭遇しない可能性を否定するものでは、特に、ないのだが……。

 今日は、この{付録}に、そんなあたりの、先日の「第一回北冬舎孤高炉の会」で暴露された【エピソード】に付属し、さらに敷衍する「写真付きコンフェッション」を、とも思ったのだが、あまりにも「恥多き、おお人生!」なので、夜も更け、時間もなくなったことだし、これ以上、【露悪/偽悪】することもあるまいと、怯んでしまった、ネ!

2013年1月4日(金)快晴 6・4→3・1

 初出社。よく冷えた空気。朝、テレビで、【天気予報士】が「今日は真冬並みの寒さ……」と言う。「「真冬並み」」ではなーい! 「真冬」の寒さだ! 真冬はどこにある!」と、決まって声に出す。

 では、「人並み」の「人」は、どこにいるんだろう?

 

 年賀ハガキは、12月になって、いつもの年より早めに買っていたのだが、いまひとつ、作成に気が向かず、ようやく、暮れの休みになってから、作成・印刷と、去年のパターンを利用して一気に終えるも、書くところまで行かずに、3が日も終えてしまった。

 今年は一枚の「年賀」も出さず、失礼を決め込むところだったが、舎に着いて、いつもの顔馴染の方たちからの「年賀」を嬉しく拝読しているうちに、俄然、やる気になって、家から、やはり、持って出ていた年賀状を、夕刻から夜まで書く。

 

 9時半過ぎ、9割近く書き終えた年賀状を手に、よく冷え、風もある中、やっぱり正月だなあ、今日は、前を行くのは、たった一人だなあ、と思いながら、錦華坂を下った。

 去年のこの日は、年上の友人との「サヨナラ」の直後で、神保町の靖国通りで、もう二度と、バッタリ出くわすこともないのだなあ、と思ったら、すっぱいものに襲われて、ドギマギしたのだった。

 

 靖国通りの、いつものポストに賀状を投函して、夜の9時半過ぎの気温「3・1度」を確認して、いつもの地下鉄の階段へは向かわず、そのまま靖国通りを九段下駅まで歩くことにする。神保町の交叉点で信号に引っかかり、立ち止まったら、ジン、と寒さが脳に染みこんできた。

 寒くても、暑くても、倒れない程度に、走れないなら、少しでも余分に歩こう! と年頭にあたって思い決める、さあ……?