ご意見掲示板☆2012

コメント: 38 (ディスカッションは終了しました。)
  • #38

    安井高志 (土曜日, 22 12月 2012 23:53)

    依田仁美の本、熱く拝読させていただいております。
    非常によい「軌跡」で、これを編まれた柳下さんの熱意も伝わってまいりました。
    依田さんは「己をあらわす」ことに妥協しないお方ですし、柳下さんもまたそうであるからこそ美しくまとまったのでしょう。
    依田仁美の会の収録に関してはいささか腹の立つ内容もありましたが、それもまた私の思いゆえなのだと思います。

    いずれにせよ精読にはまだまだ時間がかかります。
    もしかしたら一生涯をかけて問いかけながら向き合っていく本かもしれません。
    詩人・西脇順三郎の詩群は私にとって灯台ですが、この本もまた私の灯台になってくれそうです。

  • #37

    大田美和 (水曜日, 12 12月 2012 21:48)

    「たかが人生、されど人生」あります。ウーマンリブ運動で一時挫折し、国外に出て、鍼灸師になった田中美津さんの「かけがえのない、たいしたことのない私」。座右の銘です。

  • #36

    依田仁美 (月曜日, 10 12月 2012 12:27)

    江田浩司さんの『まくらことばうた』が出て今日でまる1か月。この日に掲示板報告日、と、ひそかに定めていました。
    その日になったので、先刻、ちょいならず者サイト「不羈」に載せました。
    『まくらことばうた』が「枕詞の現代的意義」なる一般論に飲みこまれることを好まないので、個別的に書こう、と心がけたつもりです。
    その先にむろん、現代的価値があるのですが。
    お暇で困られたらちらと、覗いてください。
    ゆっくりで、7分あれば読めます。

  • #35

    依田仁美 (火曜日, 13 11月 2012 15:15)

    『まくらことばうた』の《印象》。
     一週間前に、この掲示板に、現代短歌の枕詞は、作家内の「詩的自我」と「詩的対象」の関係に介在する問題と捉えている、と書きました。
     この点は今も変わりませんが、実際に手に取ってみて気づいのは、それ以上にさらに、「作家」と「読み手」の間に介在する問題であるということです。これは、つくづく、現実に思い知らされました。
     剣道で対峙するとき、必ず、対手の手前に竹刀がある。もちろん、剣先でなく、対手の面鉄の奥の目を見るべきなのであるが、どうしても剣先に目が行く。仕掛けてくるのは対手の意志であるが、その意志は竹刀を通じて発現されるから、竹刀の刹那刹那の浮沈は無視できない。
    「そりゃあぁー〝いはわばしる〟」
    「なんと?〝いはばしる〟??」
    たぶん、枕詞という意表をついた《呼》に対する《応》を読みこんで、二句目以降が繰り出されるのだろう。
    小手を打つと見せて、応じ技を予期しての二段撃ち、
    そんな単純な構造ではないが、いずれ《呼応》を期しての作歌と見える。
    先ずは、第一印象を。いずれ、どこかで、という心持です。

  • #34

    北冬舎炉暖柳下和久 (水曜日, 07 11月 2012 02:47)


     皆さまへ

     そういえば、{付録}のページで言い訳させていただいていますが、これまでの【北冬舎蛙蟬】から、新展開を期して、【北冬舎炉暖】に改名させていただきました。【蛙蟬】はずいぶんと過去からさまざまなシーンで【漂柳舎蛙蟬】として使用してきたのですが、この「ホームページ」を始めるにあたって、時間切れで、「混用」し始めてしまいました。
     
     このたび、「出版活動」の、なおいっそうの展開を追求してみんと、「ツイッター」なる無駄なペチャクチャを試してみんと、【北冬舎炉暖】かつまた【漂柳舎蛙蟬】として、ほんの少し出没するかもしれませんが、お気づきの節は、なにとぞ、よろしく!
     と同時に、【炉暖】の大層な「音読み」の怖さにめげず、「表意文字的」な【考える人】になれますように!
     みなさん、改めて、よろしく!

  • #33

    北冬舎炉暖柳下和久 (水曜日, 07 11月 2012 02:15)


     大田美和様
     ご無沙汰しています。お元気に、ご活躍のこと、嬉しく思っています。
     少し時間が経ったので、どのあたりの時点まで、活動の了解があったのか、簡単には思い出せないほどの、「座席譲られ事件」とともに、深度を増した「度忘れ事件」の披露者として現在におりますので、失礼、お許し下さい。

     もう、はや、「高校3年生」になりましたか! 優しい「天使」の「絵」が立ち上がってくるようです。わが青春も想起されてきますが、とはいえ、その年頃に、外に向けて、そんな柔らかい心を持ち得ていたかどうか、記憶が定かではないほど、内側に向けて屈託していたわが姿ばかりが浮かんでくるのに較べて、「拒絶の意思表示」への応対の形は、寂しいばかりですね。

     こちらも、なにを隠そう、《座席を譲る側》で行けるところまで行こうという日々に、現在もいて、【譲れの請求がましい老婦人】以外には、「ぼくのほうが、やや若そうなので、どうぞ……」と「拒絶の意思表示」に出会わぬように努めることの、10回とは下らず、さすがに拒絶されることなく、わが「若さ」に少しの【どや顔】を、さり気なくしてきておるのでございます。
     
     このところは、さらに、「明日の日本を担う幼児・児童」を見かければ、「無駄に元気な中高年」こそ【席を譲れ】と思うのであります。あるいは、疲れきった、夜の電車の「くたびれた背広姿のおとなしい羊たち」にこそ、明日の労働のためにこそ、「あれから40年、さらに元気な無神経な前期高齢者」はジャマにならないように、と切に思うのです。

     このところ、いくつかの「岐れ路」を、「過去からの風に吹かれる」ようにして、「後ろ向きに前に」進み始めておりますが、当然、その姿では、「前/未来が見えない」わけですから、いったいどこへ行くのやら、どこに行きつくのやら、「風まかせ」ということですが、どうやら、それもいま始まったのではなく、よく思い出してみれば、「意思決定」というより、「追い詰められて、選ばざるを得ない選択」の不可避さかげんは、「16歳の殴打事件」よりのもののような気がします。

     というわけで、「二度とない青春」を思う時、その時間帯を、「ほんとうに生きてほしい!」と切なく思うばかりで、【無駄に元気な中高年、あれから40年、更に元気な無神経な前期高齢者】から、どうぞ、傷など刻まれませんように、「17歳になった天使ちゃん」!
     t
     

  • #32

    北冬舎炉暖柳下和久 (水曜日, 07 11月 2012 00:48)

    依田仁美様

     久方ぶりの「板書」、ありがとうございます。この欄も、少し整理したあたりで、面白くなくなっていたようで、あるいはいくつかの「別れ」が重なったあたりで、おとなしくなってしまったようで、失礼しておりました。

     江田浩司さんの『まくらことばうた』への「ご感慨」をご披露くださり、うれしいことです。編集担当としては、盛り上げるだけ盛り上げておいて、その結果は、「天に委ねる」ことしかできません。
     依田大兄の鋭い眼差しを真に燦めかせ、更なる「嫉視」を掻き立てられることになれば、この【まくら】も、ほんとうに《高くして息む》ことができることでしょう……。

     それでは、更に、更に、『依田仁美の本』も、なにとぞ、よろしくお願い申し上げます。

  • #31

    大田美和 (月曜日, 05 11月 2012 23:03)

    席を譲られる事件、拝読しました。我が家の高校3年生は、席を譲ったのに座ってもらえず、その場に居づらくて、降りる振りをして別の車両に乗る、ということを何度も経験しているそうです。40歳過ぎたばかりの正月に箱根駅伝見物帰りの列車で初めて席を譲られてしまった私は、生涯でもう3度もというお気持ちもわかりますが、優しい若者の気持ちもお汲み取りいただければと思いまして。もちろんそんなことに気づかない炉暖様であるはずもありませんが。依田さんの新著、江田の新著、楽しみにしております。

  • #30

    依田仁美 (月曜日, 05 11月 2012 22:39)

    江田浩司様
     いよいよ尊公の豪著『まくらことばうた』のリリースがカウントダウン段階に突入の由、欣快至極です。
     何やら、この月になると、新しいワインを有難がる風習もあるようですが、そういうものより刊行が待たれます。7日なのですね。
     先日、柳下舎主と懇談のおり、話が該集におよぶと双眼キラリ!
     尊公の言葉を思い出せばまさに《嫉妬》を覚える出来栄えのようです。
     現代短歌実作の枕詞となれば、まさに「詩的対象」と「詩的自我」のリンキング・ピン、その、連動・化合・作用反作用などなどたいそう楽しみです。
     思うだに、淋巴が湧き腱が踊ります。あと、50時間!!

     

  • #29

    hokutousya (金曜日, 20 7月 2012 02:47)

    依田仁美様

     いきなりの暑さになりました。
    「机龍之助」の「犬柄」へのお言葉、過褒ですが、なによりの供養と、有り難く、心より御礼申し上げます。
     にしても、つい、雑踏の中、「見て見ぬ振り」をしてしまいがちな、また、少年期より現在に到るまで、母・姉・配偶者らの女性軍団から、「すぐ人のせいにする」と口撃されがちな{奴}に引き換え、やはり、剣豪・依田大兄は、犬とはいえ、孤高の剣術士を見極めるに、鋭いものがおありと、忝く存じます。

    「雅駆斗」君のご命日は「7月17日」でしたね。「本」の中に、よい「面影」がたくさん残され、羨ましいかぎりです。「机龍之助」と一緒に走ることでしょう。

    『依田仁美の本』の「一人十色」は圧巻ですね! これは、そんじょそこらの、誰でもができる文藝ではありません! 依田学兄の[知・情・意]を一身にして、日々、疾駆し続ける膂力があってこその結実で、早く一冊の形にして世間の人々の、自らの「耳目」を疑わせたいものです。が、小生の膂力のなさに、毎度、遅れがちですみません。なんとか……、あちこちに……、下げる頭のほどを、ご理解いただきたく……。

     しかし、「目配り」は「表現上」においてこその長所ではありますが、日常においての過剰な「配眼」は「卑小/狡猾」と同根のものでもあって、表現における「誠実さ」と日常人格における「誠実さ」の乖離が過ぎる場合は〈限界値〉を露呈すると、好漢新鋭歌人生沼義朗氏には、常々、申し上げているところであります。

     それゆえ、「つばさばさばさ」ともがいた末の未知の〈達成〉には、〈期待値〉の大きさが、いつも備わっているものと思えます。 
     昨年から今年へと、さまざまな別れが引き続き、この夏はいっそう寂しい夏となりました。夜空を見上げて、涙ぐんでばかりいる背中に、どうやら、依田大兄の更なる《翼》の音も聴こえてくるようで……!  

  • #28

    依田仁美 (木曜日, 19 7月 2012 16:03)

    柳下和久様
    何から申し上げていいか。
    やはり、「机龍(つくりゅう)」どのから。しげしげと写真をみておりました。なにやら「お犬柄」が伝わってきます。すべての犬は誠実ですが、ひときわに誠実な、たとえば、「他人のせいにしない」とか、「見て見ぬ振りができない」とか、そういう徳目を備えた眸にちがいなく、そこに目を奪われていました。
    「龍」には縁深く、挙げれば「藤龍」「仙龍」、さいきんの「辻竜」からわが黎明期の「石隆」。「机龍」もリストしてまだあまり間もありませんでした。合掌。
    「雅駆斗」も「虹の橋生活」が、今日で、3年と2日になります。そろそろ出会い、「オス!」などとやっているかもしれません。あの世の「お誕生会」は同月ですね。
    このごろは、生沼義朗さんの本と拙ゲラを併せ読みしています。(あの膨大な雑駁体をよくぞここまで、深謝しております)
    それにしても、これは、ニンゲンというものの考えの雑多さを知る格好の組み合わせです。
    さて、さいきんは「目配り」の重要性の認識を深めつつおりまして、生沼さんの歌集にゆきわたる「目配り」に興奮をおぼえ、感嘆しております。
    ひきかえ、拙著のほうには「目づまり」「ガンとばし」が横溢。
    かつ、何たる雑駁。この次に歌集を出すならば、その名は「つばさばさばさ」というところ。ああ、バルサの三の舞。

  • #27

    漂柳舎無為柳下和久 (日曜日, 17 6月 2012 03:57)


    拝復 依田仁美様

     雑誌「舟」、楽しませていただいております。藤田武氏の「夢闇」は、地平の向こうまで思わせて、ほんとうにすごいですね。
    当「ホームページ」の読者からさっそく反応がありました。
     以下、妙齢の女性からの北冬舎柳下和久宛の「メール」からの抜粋です。小社の応援団の素敵なお一人です!
    「藤田武さんは、豪快なよっぱらいの、たのしいおじさんです …… 難しいお話はよくわかりませんが、若い人たちにもとても理解があって、いつもどこか懐の大きなところでゆったりさせていただいたような印象があります。」
    「北冬」に、以前下さった短歌も、すごくよかったです。

    「机龍之助」殿は、このところ、おなかの調子が安定せず、哀れで、抱きしめながら、こちらの思いがいろいろに乱れて、「龍之助殿、龍之助殿」と呼びかけながら、毎日、泣いております。
     写真は、「一回きりのこの桜の春」を、せめて、依田大兄が愛した「雅駆斗」君の写真のように、とどめたく思ったのです。小生には、「深み」というより、ただただ「このように齢を重ねる姿の提示」が悲しいだけです。
    「ニュースⅡ」の「雅駆斗君の本の写真」の下に、「机龍之助」殿の写真をお見せしたのも、立派な若い純粋種と悲しい老齢の雑種の姿、というウケを狙ったのですが、小生には、そのおかしみと悲哀が同時に襲ってくるので、やはり、【泣き笑い】をしてしまいます。
     依田仁美学兄の《世界》を展開する『本』の編集も、あと一息です! どうぞ、遅れ遅れをご寛恕下さり、良い本へとお導きのほど、お願い申し上げます。お大切に。近日中に、また!

  • #26

    依田仁美 (金曜日, 15 6月 2012 23:51)

    ニュースⅡをつくづく拝見ではない鑑賞。弊誌「舟」の表紙や印象にまで「おあるじ」のコメントを頂き恐縮した。あの表紙も正に「キマイラ」であって、骨格は清水亞彦、題字は北神照美、最終調整のみ依田、そういう感覚の混淆物であった。いやいや、こういう視線があるのであれば、今後、少しは磨かねばなりません。
    それはさておき、同じページで「机龍之介」殿の尊顔に初お目見え、つくづく「深み」を感じた。イヌに、ひと心があるのは重々認識しているが、同じように、精神的な年輪、「年の功」も看て取れる。哀愁と智恵が人間の老人の徳目ならば、彼も立派にそれらを具備している。
    さらに思えば「龍」の友少なからず、「藤龍」「仙龍」の短歌人コンビ、最近、お近づきの「辻竜」、これに「机龍」を今風にツクリュウと読んで加えさせて頂こうかしら。
    さっそく「後〝犬〟人」さまのご意見を伺うことにしましょう。

  • #25

    安井高志 (水曜日, 30 5月 2012 00:17)

    キメラ、接ぎ木、ボードレール、葡萄で思い出したのですが、フランスの葡萄はだいたい≪キメラ≫ですね確か。

    フィロキセラというアメリカ東部原産の寄生虫が一時、フランスの葡萄に大打撃を与えたのだそうです。それを救う打開策が、寄生虫に耐性のある葡萄の台木だったという話です。

    よその葡萄の台木に支えられ、フランスの接ぎ木された葡萄からは現在でもすばらしいワインが作られています。また、詩情が香るには台木、醸造家、風土などなど多くのものが必要かと思います。


    柳下さん、願わくばこれからも上質なワインを! ちょっと言い方がクサいですかね……。

  • #24

    大田美和 (土曜日, 26 5月 2012 13:58)

    柳下和久様

    昨日の金曜日は私も久しぶりに『葡萄の香り、噴水の匂い』と『北冬』を持って、霧雨の曙橋を歩いておりました。自分の授業「イギリスの文化」にゲストスピーカーとしてお呼びした、「ビッグイシュー日本」事務局の佐野未来さんにご挨拶に行ったのです。英語と文学の教授が「ソーシャルビジネスのことで、学生に話してほしい」というと、きっと戸惑われるので、自己紹介の名刺代わりでした。『ビッグイシュー』は、消費文明にまみれきった他の雑誌に比べて、格段に読み応えがあります。80年代にはこういう雑誌がたくさんあったのに・・・と思いますが、今はウェブ上に媒体が移ったのだと思うことにしましょう。しかし、活字の雑誌の魅力は捨てがたいので、活字を愛する方にはぜひ一度買ってお読みいただきたいと思います。定価300円です。このうち160円がホームレスである販売員の収入になるというシステムです。神保町の田中さんは、売れる日には1日20冊売れたということでした。

  • #23

    北冬舎蛙蟬柳下和久 (火曜日, 15 5月 2012 23:39)


    拝復 依田仁美様
     いつも、ご厚情、ありがとうございます。
     当「ホームページ」を「キメラ」という、なかなか〔魅力的な〕存在/現象になぞらえて下さって、かたじけなく存じます。しかし、当方には、「キメラ」は、【異種生物混合の、わけの分からない怪物】という印象が強くて、怖ろしいもののうちの一個です。
     日本国支配の戦前の【満洲国】を「キメラ」と呼んで、その存在のありようを研究している学者さんもいましたが、やはり、当方には、『巴里の憂鬱』でしょうか。
     ほんとうに、この偶然には驚かずにはいられないのですが、先日、当「ホームページ」で「地中海」誌の表紙をご紹介したおりには、『悪の華』の「信天翁」が飛来しましたが、この「キメラ」はフランス語読みだと、たしか【シメール】で、こちらは『巴里の憂鬱』に、【一群の歩行者】の背中に取りついて現われる【怪獣/噴火獣】でした。
     かくて、〔おお、ボードレールよ!〕という事態との、不思議な遭遇なのです。
    「人みな噴火獣(シメール)を負えり」という散文詩篇の【伝説獣】は、その重さのままに、【旅人】の背中/肩を締め付けている、というのです。
     そして、この【一群の旅人】は、「行先のことは何も知らぬ、ただ前進しようという打克ちがたい欲求に絶えず駆り立てられて」いるから、前へ歩んでゆくだけなのです。彼らの【歩行】は、「永久に希望を持つべく運命に罰せられた者の諦めを持って。」行われている、と。
     まあ、【シメール】は、こんな【怪物くん】なのですね。
     人は「希望がなければ生きられない」というのも、もちろん、【拷問】の一種なのですね。しかし、【行人】は、このことを諦めて、ただ【地平線】へと歩んでゆくばかり……。

     以上は、【三好達治】(新潮文庫)と【福永武彦】(岩波文庫)の読み直しでした。
     依田大兄のお蔭で、またもや、良いお仕事が進んでいます。これは、もちろん【拷問】ではなく……。いろいろと、すみません。

  • #22

    依田仁美 (火曜日, 15 5月 2012 21:36)


     当「ホームページ」を訪れると、「キメラ」というものを思い出します。ひとつの幹にいろんな花が咲くのを、ギリシャ神話にちなんで「キメラ」というと、理科の時間に聞いた覚えがあったので、辞書に尋ねると、「生物の一個体内に、同種あるいは異種の別個体の組織が隣り合って存在する現象、またはその個体。接ぎ木の癒着部分の芽」などとありました。判りやすいことです。
     この「ホームページ」は「キメラ」の観があります。
     人柄と芸術の話も、「キメラ」ならばこそ。
     さてさて、ときには、これも火を吐く正義の味方にして、愛嬌ある飛行隊「ガメラ」の飛来も待ち望みたい心境でもあります。

  • #21

    柳下和久 (月曜日, 23 4月 2012 02:38)


    拝復 和田周平様

    「板書」、どうもありがとう! しばらく、電話もしないで、時間が過ぎるにまかせたままで、恐縮でした。
     吉本隆明氏が亡くなって、すぐ、貴兄のことを思いました。貴兄が、応援の意味を込めて、吉本氏が発行していた「試行」を、毎号、2部だったか、3部だったか、予約していて、小生に1部、必ずくれたものでしたね。今でも、古雑誌を積み上げた一角に、何冊か残っているはずです。
     吉本氏は、われらの世代にとって、本当に大きな存在でしたね。信奉するにせよ、反感を持ったにせよ、氏を基軸としてものを考える習慣のあった時期が、誰にもありましたね。

     現在では、そのような存在は、われらの世代はいわんや、誰一人としていなくなりました。かつての〈自立派〉の連中の実生活への残酷な着地の仕方、また反骨を標榜する連中の実生活からの滑稽な遊離、いずれにしても、われらの〈敗戦民主主義〉も詰まるところに来ていて、新しい〈思想/哲学〉が必要とされているようですね。
     なんとか、恥も外聞もなく身を処すことだけはやめにしたい、と思うだけで精一杯である小生の〈無残・滑稽〉も勘定に入れて、近頃では、《来世のために今生に功徳を積む》などと唱えながら、《さまざまな怒りを抑え、恨みを解きほぐす、そんな人間になりたい! 来世ではもう少しましな人間で生まれて来たい》と念願する
    こと、切です。
     そんな思いに到ったのも、やはり、去年の[悲惨な大災害]が、小生のような〈軽薄派〉にも、もたらしたものでしょうね。

    〈重厚な自立派〉への批評としての〈短小な軽薄派〉を自認していた青春から遥かに来ました。今では、その当時も馴染みだった[錦華坂]を、社会の荒波に揉まれた末の、切れ切れな息で登る〈老耄の憂鬱派〉です。
     あの人が生きていたら、どう考えるだろう? あの先生が生きていたら、どう言うだろう? と、そう思うことで、【自分の女房】に立派な〈詩歌賞〉を与える詩人の[生き様/行く末]を、気楽に、気長に、見守りたいと思う〈老耄〉の、今日この頃です。まあ、さまざまに設けられている【歌集賞】の〈悲惨な現状〉に対しても、棒立ちに、同じく言葉もなく、ずっと、見守り続けていたいものだ、などと、〈老耄の憂鬱派〉のネタはつきません!

     それでは、そのうち、遊びに行きますので、御身、くれぐれもお大切に! また!
     

  • #20

    和田周平 (金曜日, 20 4月 2012 01:42)


    柳下和久さんへ

     自分でも呆れるほど月並みなのですが……、散歩道に咲き誇る桜を見上げて、西行さんや良寛さまの名句に心を寄せる年齢となってしまいました。(きみと御茶ノ水を歩いている頃には考えもしないことでした。)

      ねがはくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月の頃
      散るさくら 残るさくらも 散るさくら

      遅い春 菜の花さくら 駆け足で

     そのさくらの季節も一瞬で、葉桜の季節です。
     時間だけが、不思議な速さで、私の中を通り過ぎて行くような心細さの、今日この頃です。(老齢を迎え入れるということはこういうことかと、妙に感じ入ってもいるのですが……。)

     きみの「北冬舎」も、社名に込めたように、その業の困難さはすでに織り込みずみなのでしょうが、長い年月、風雪の中、存続しつづけていること、敬意とともに、不思議な感慨を懐いて見つめております。
     今後も、「北冬舎」の、たくさんの、納得できる一冊を期待しております。
     私の知らない、相棒(老愛犬)へのお見舞いかたがた……。

  • #19

    北冬舎柳下和久 (金曜日, 13 4月 2012 01:25)


    拝復 大田美和様

    『やわらかに曇る冬の日』の「批評会」への夫君江田浩司さんともどものご出席、ありがとうございました。お陰様で、著者も大満足の会になりました。「主催者」とはいいながら、いい齢をして、あいかわらず、いつものように世に馴れていない人間のやることで、細かい配慮もできず、失礼しました。
     実力者ぞろいの「ゲスト」のみなさんの[本音]がたっぷり聞けて、著者に傷が残らないか、とだけを心配していましたが、今井さんの「板書」にあるように、「現代短歌」のフィールドそのものを視野に入れた「思ったような批評会にな」り、嬉しく、ありがたいことでした。司会の柳宣宏さんの「構想」した流れがとてもよかったのです。

     それで、あなたのおっしゃる「作者の欠点」に関してですが、ご指摘のその点は、「欠点」という言葉は、あまりふさわしいものには思われません。また、「人柄の良さ」と「作り手・論者としての切れの良さ」は「両立しにくい」という〈感想〉も納得しがたいものがあります。
    「考察の途上」にあれば、それは常に「揺れて」いるものだと思います。某女流歌人が常用している「ためにする言説」、つまり「批判のための批判/周囲からみずからを際立たせるための批判」のようには、〔クッキリ〕いかないのが、「おのずからな誠実さ」というものだと思います。
     そして、この「誠実さ」という「純粋」がないかぎり、どんな「文筆家」も、遠くまで行くことはできません。限界を露呈している、そんな多くの人を見てきました。「悪人」でも「うそつき」でもいいのは、「おのずからな」ということなのですが、その「某女流歌人」の「おのずからでない、人間的浅さ/狭さ」は、すでに「言説の限界」を招来していると思います。
     文筆家ではありませんが、この小生も、「浅くて狭い限界人」ではありますが……。
     
     才溢れる【大田美和】さんが、「今後ますます大きな影響力を持つ方」である【今井恵子】さんという〈認識〉のもとに、積極的に〈挑発〉して下さったことを、〈誠実な純粋〉と受け止めました。みんな、それぞれの場所で、みずから努めるべきことを、「おのずからな道」で展開していけるといいですね!

     この「批評会」は、「「北冬」№014号」で、「今井恵子責任編集号」として、「再検討」してゆきたいと思います。
     それから、いつか、また、大田美和さんたちと、にぎやかな、パッとした、稔りのある「闘論会」をやってみたくなりましたよ!
    その折は、よろしく!
     では、そのうち、お茶でも! お元気に!

  • #18

    大田美和 (火曜日, 10 4月 2012 20:34)

    『やわらかに曇る冬の日』の批評会、とてもよかったです。どうしてもっとフロアーに当てないんだという、いつもなら感じる不満を全く感じませんでした。作者と司会者とパネラーの皆さんが十分に意を尽くしてお話下さったおかげだと思います。あ、この人とは8割ぐらい短歌観が似てるかもと思っては、あ、ここのところは私は違うなあというように、それぞれの方の発言を楽しみました。

    欲を言えば、もう少しスペースがあって、フロアーの他の人たちの表情も見えたらもっと面白いかなあと思いました。(でもどう配置したらいいんでしょう? サントリーホールのように?)

    作者の欠点がはからずもわかってしまった会でもありました。今井さんは人間的にとてもいい方だということがよくわかりましたが、「和文脈」というタームの意味不明な使い方や、評価軸の揺れが大きすぎることなど、論を立てる上で、また今後ますます大きな影響力を持つ方として、不安が残ります。人柄の良さと、作り手・論者としての切れの良さは両立しにくいということなのかもしれませんが、今後の新たなる展開を期待しております。


  • #17

    今井恵子 (月曜日, 09 4月 2012 18:57)

    『やわらかに曇る冬の日』の批評会では、北冬舎およびそのファミリーに大変お世話になりました。お陰様で思ったような批評会になりました。歌集の批評会は、歌集の評定を出しておわりという会が多い中、8日は、歌集を素材に、皆さんの現代短歌についての考えを披露していただきました。会場の雰囲気がよかったという声も聞きました。企んでできることではありません。
    短歌などまったく読んだこともない、うちの娘もとても刺激的で面白かったと申しておりました。ありがとうございました。

  • #16

    北冬舎柳下和久 (火曜日, 03 4月 2012 02:00)


    拝復 依田仁美様

    「神田貧乏町」は詩人の岩田宏さんの、有名な「神田神保町」という詩にあると思い込んでいましたが、いま、確認してみましたら、そんな単語はありませんでした。小生、かえってビックリですが、ケゲンな思いですが、いや、そんな、【林家木久扇】程度の「ダジャレ」を、あの強烈な批評性を持った詩人が、そもそも、使用するわけがないのでした。

     大昔、横浜の田舎の少年は、「神田鍛冶町、角の乾物屋で、勝栗、買ったが、硬くて噛めない、返して……。」と、夕焼けを背に、大声で、影を、頭韻を、踏みながら、帰り道、「神田鍛冶町」に思いを馳せたものでした。……、などと、〔横道〕に逸れてしまいましたが、「神田貧乏町、角の小道から、影の薄い、金の無さそうな、歌集の山を、肩にした小出版社社主が……。」うつむいて、ホラ、出てきた、と〔人気薄〕をかこち、【卑下慢】も慢心のうち、とめどなく、きりもなくなるのは、持って生まれた【徳】の薄さよ! 

     依田仁美大兄のご本を二冊造らせていただき、そしてまた、新しき一冊の実現へと、こんな人間への更なるご信頼にお応えいたしたく、努めたく思っておりますので、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

     そういえば、[ポエジー21]がらみの「大討論会」を、またいつかやらないのか、という声もあったのでした! 「ニュースⅠ」のページに記した感激の、前回の「大討論会」に駆けつけてきた「京都の歌人」は、その後、小社の「ポエジー21」シリーズで、小生が提案した『京都幻想行』を了承/進行しながら、「NHK歌壇」からの誘いに、あっさりと、「連載」してしまい、単行本まで出してしまった、と、サ。これを、依田大兄のおっしゃる「KINBAEさん」と言わずして、何と言いましょう……。
     よって、小社/小生の「不人気よ」、「徳の薄さよ」と、この、今生では、納めるほかなく……、ああ、またしても、【メビウス】の輪よ!
     
      

  • #15

    依田仁美 (月曜日, 02 4月 2012 11:16)

    このサイトの、あれこれの小径を逍遙すると、豊かな気持ちを頂くことが多い。日本庭園を歩くようです。おあるじの時に枯淡のユーモア(貧乏町というごとき)に、苔の持ち味を見つけもします。だが、今回はいささか「異議あり」でその一点につき申します。3月28日柳下さんがお書きの「不人気」のくだりです。決して北冬舎さんもおあるじも「不人気」ではないのですから。「敬意をもって接する人数」のほうが「利にさといのでおたかりにならないKIMBAEさん方の蠅数」を下回ることは、断じて不人気であると呼ぶべきではないと思いますので。---コレは、批評を含みますが他者の誹謗が目的ではないので、ボツにはなりませんよね。

  • #14

    安井高志 (水曜日, 28 3月 2012 21:28)

    柳下和久様

    わたくしの配慮至らず申し訳ございません。
    ひとつひとつのメッセージ、しっかりと頂戴いたしました。
    2種類の体力に関しましては、ぼくも持続するのが難しい人間かもしれません。ただ瞬間的に筆を執ることは多いので、いずれこの短気をエネルギーに変換できるくらい成熟出来たらな、と思ってみたりもします。
    詩にも芯があるように、絞り出した言葉には芯があるように思います。芯のある言葉を見ると矢も盾もたまらず、いつのまにか追いかけてしまっています。いけない、短気は損気ですね。

    安井高志

  • #13

    北冬舎柳下和久 (水曜日, 28 3月 2012 16:33)


    安井高志様

     いつも、この〔乱雑なホームページ〕に来て下さり、ありがとうございます。このたびも、[板書]して下さり、とても嬉しく、励まされています。【神保町のバルザック】の思い出に感心していただき、それこそ、恐縮しております。
     
     貴兄の[板書]を公開させていただくか、少し考え込んでしまいました。小生は、同時代の、同世代の、優秀な編集者たちに大変なコンプレックスを抱きこそすれ、彼ら、彼女らの後塵を拝するばかりで、【一周遅れのトップランナー】の《名誉》を頂戴したこともなく、ただダラダラとレースを続けているだけなのです。尊敬する年長の某一流詩人から、【落伍者】呼ばわりされたこともありました。なぜなら、一度にとどまらず、ときどき、〈この社会〉がつくづく嫌になり、【戦線離脱】をしてきたからです。2種類の体力が根本的に不足しているからです。一つは頭脳の体力、他は文字どおりのそれです。
     
     ただ、現在は、そんな【編集者】と一緒に本を造ってもよいという方たちのために、とにかく喜んで貰える本を、小生にも納得できる本を、とだけ念願して努めているだけです。小社/小生の不人気ぶりは、貴兄も、また小生も尊敬する【依田仁美】さんも、よくご存知のところです。

     というようなわけで、貴兄の【板書】での小生へのお言葉は、嬉しいのですが、あまりにも気恥ずかしいので、申し訳ありませんが、公開させていただくのをご遠慮していただきました。
     それから、付け足しのようで、すみませんが、貴兄の[作品]の言葉や、先日、お会いしたおりの言葉の、[該博な知識/向上心]は、ずっと以前、もう亡くなられているのですが、お話ししたことのある、[大作家]を彷彿させました。あるいは、貴兄は、その若い力をもって、[小説]に挑戦するとよいのではないか、と思いましたが、このことについては、また、ゆっくりお話しできるといいですね。

     それでは、天気も、そして心も、落ち着かない春四月、御身お大切に、お努めのほどを!
     くれぐれも、【中国四川大地震】ではしゃぎ、今度また、【東北/関東超巨大地震】ではしゃいでいる、【詩人】の言葉やパフォーマンスに、〈怒り心頭〉になりませんように! 
     お返事がたいへん遅くなり、申し訳ありませんでした! 

  • #12

    松原未知子 (月曜日, 19 3月 2012 16:05)

    柳下あぜんさま

    いろいろと宣伝していただき恐縮です。
    本も届きました。
    重ねてお礼申し上げます。

    「もんじゅふげん」は柳下さんとお話していてヒントを得た
    ものです。ですから編集者によるところ大、なのです。
    今後はもともと身についている「低級な感じ」も露呈させたい
    と思っています。

    さてリンクですが、すでにされています。
    上の私の名前をクリックするだけですから。

    またショッピングカートを導入すると連絡・決済が
    便利になります。
    ご参考までに。

  • #11

    北冬舎蛙蟬柳下和久 (土曜日, 17 3月 2012 02:38)

    拝復 松原未知子様
     息切れ甚だしい【蛙蟬】の迷想を「いつも興味深く拝読して」くださり、ありがとうございます。〔愚かな兄〕の脱線/暴走を、どうぞ、これからも「温かく見守って」くださるよう、お願いいたしますね。あなたとは、少年/少女時代のヨコハマ、また青春時代後期の市谷砂土原町と、一時期、ともに同じ空気を吸っていたというよしみ、ご縁があるのですから。
     
     また、先の「北冬」№013にお寄せくださった「炎帝」14首は、いつものように、言葉を高度に使いこなし、そこに鋭い批評も行われた、素敵な作品揃いでした。「もんじゅふげん」と名付けたところから、それは《人智を超えた存在》という自覚がありながら、《人智を超えてしまう時》の《様相》は、〔安全神話〕を隠れ蓑に〔想定外〕にしてきた【われら】の愚鈍を、よく短歌に表現してくださいました。この時代の、傑作の一つとして残してゆきたいと切に思います。
    《太陽神》のものである「力の根源」を、人が手にしたいと欲望したところから、【そこ】へまっしぐらの状態なんでしょうね。だって、【エジソンは偉い人】以来の地球文明/文化の発達のスピード感は、ことに「炎帝」の普及以来、「10年が100年くらい」だものね。「火鉢」のそばで操作していた「トランジスタラジオ」の、手に冷たかったことよ!
     
     あなたの[ネットショップ]からのご訪問、大歓迎ですよ! こちらからはどうしたらよいですか? 本を簡単に販売できるようにしたいとは思うのですが、あれこれ勉強不足なだけで……。

     では、また、おしゃれで、高級文学感あふれる『潮だまり』に続く〈世界〉の空気を、共に、ふたたび吸うことのできる日の来ることを念願して!

  • #10

    松原未知子 (水曜日, 14 3月 2012 17:26)

    あぜんさま、こんにちは。
    ようやく春めいてきましたね。
    急坂を行く北冬舎蛙蟬の切れ切れな迷想(約物なし表記にて失礼)
    いつも興味深く拝読しております。

    さて、わがネットショップから北冬舎へ勝手にリンクを貼らせていただいています。まったく違う分野ですが、そういう世界もあるということでご了承くださいませ。
    こちらのギャラリーからは本のポチっと購入はできないようですね、いかにも北冬舎らしく感じます。

    それでは机龍之介さま共々、大事なきようお過ごしくださいますように。



  • #9

    大田美和 (木曜日, 08 3月 2012 23:39)

    江田浩司が4月4日(水)より淑徳大学エクステンションセンターで短歌入門講座を開講します。お知り合いでご興味のありそうな方がいらっしゃいましたら、お声をかけていただけると幸いです。話の面白さと、丁寧な添削は、保証いたします。詳しくは以下のサイトをごらん下さい。
    http://ext.shukutoku.ac.jp/course/detail/1279/

  • #8

    北冬舎/柳下和久 (火曜日, 28 2月 2012 19:30)

    拝復 大田美和様

    【入試の季節】でお忙しいところを、早速のご応答、有難うございます。小生も知らないところで、いろいろな反応もあるということですね。やはり、〔焦らずに、丁寧に、地道に、〕と、日常にある心構えと一緒、というのが基本で、それに付け加える〔何か〕を訪ねていく、というね。こういう、【電脳空間】であればこその、「個的/公的感覚」を訪ねてみたいです。

    「北冬」も、今回、あなたのおかげで、《短歌文芸》の愛好者の方たちに、ずいぶん浸透して行っています。昨日も、読者から連絡があり、「013号」は書店に注文して購読し、とても気に入ったので、ついては、「011号」で「山中智恵子特集」をしているようなので購入したい、という電話がありました。[責任編集]は[江田浩司]さんという、【岡井隆】さんの信頼篤いお弟子さんです、と内容の案内をしましたら、「私は岡井さんは嫌いです。節操がないので……。」と、すぐさま返されてしまったので、内心、“まずい、貴重な購読者を逃したか!”と思いながら、「012号もお持ちでないようなので、おまけにお送りします。」と、フォローしてしまいました。
     
     昨日は、また、小生が尊敬する「大編集者」からハガキを頂戴して、感激したのでした。「夜道のなごり雪」に気を取られて、「錦華坂の迷想」に書き損ねましたが、「013号」は「責任編集者と発行人の信頼にとても篤いものがあって、感銘を受けた。」というものでした。この方は、「大出版社」の老舗文芸雑誌の編集長を長く務められたのですが、小生のような【ボンクラ】にも必ず礼状を下さるのです。遠く及ばない方です。「前登志夫さんは、いつお会いしても、大歌人の風格がありました。」と、今号掲載の【萩岡良博】さんのエッセイにも触れて、〈前さんの「病院からの脱獄」〉に感心しているようでした。

     というように、大田美和さんを初め、《そんなに数は多くない》公平な方たちに支えられて、[愛と勇気とおともだち]と呟けるのでした! 長いおしゃべりになりました。では、また、よろしく!
     

  • #7

    大田美和 (火曜日, 28 2月 2012 09:17)

    リンクを貼るのも、やり始めると切りがないところもありますが、効果的かもしれません。切りがないのがお嫌でしたら、「○○が××のブログで紹介されました!」という一発記事でも宣伝効果は多少あると思います。
    エゴ検索で今まで引っかからなかったのですが、このサイトで紹介されました。http://kaicoh.exblog.jp/15434989/

  • #6

    北冬舎/柳下和久 (火曜日, 28 2月 2012 04:16)

     この「ホームページ」からのご注文が、少しずつ増えて、こんなに嬉しく、張り合いのあることはないです。
     注文しやすい「刊行書目一覧」など、やはり、必要でしょうか?「北冬」の「バックナンバー」の紹介など、やることは多いのですが、どんな「更新」をすると、宣伝・広報になりますか?
    「匿名」でもけっこうです。お知恵をお貸し下さると嬉しいです。 

  • #5

    北冬舎/柳下和久 (月曜日, 20 2月 2012 01:42)

     昨年の10月1日に行われた「依田仁美の会」の「討議」「発言」を収録して、「「北冬」№014」の発行を予定していましたが、依田さんともご相談のうえ、いっそうの企画の充実を期して、「北冬SP『依田仁美の本』」として発売することにいたしました。著者と大親友の島田修三氏との「短歌作品の新作コラボ」をはじめ、切っ先鋭い「評論」なども収録される、よりいっそうの氏の《魅力全開》の一冊になります。
     当日の会に参加して下さったみなさんには、あらためてご報告させていただきますが、予定順延のお知らせを含めて、ここに報知させていただきます。なにとぞ、よろしくお願い申し上げます。

  • #4

    大田美和 (木曜日, 12 1月 2012 22:43)

    皆さま、おめでとうございます。お三方の舞の調和にうっとりしましたが、私は別の踊りを披露いたします。私と連れ合いの新年初デートは、渋谷某映画館で、多忙な90年代に見そびれた映画「アンダーグラウンド」(1995年)でした。すごいです。ここまでブラックで、気が変で、しかも楽しくて恐ろしいのは。DVDが当分発売されないのは、旧ユーゴの人々のみならず、チトー体制を礼賛した西側の人々の神経も逆なでするからなのかどうか、は知りませんが、この映画は100年後も残る、と確信しました。芸術の勝利です。アーティストはやはりこれをめざさなければいけません。今年も爆発します、「愛、理性、および勇気」(与謝野晶子)をもって。

  • #3

    北冬舎蛙蟬(あぜん)柳下和久 (火曜日, 10 1月 2012 03:03)

    依田仁美様
     三連続の「掲示」、お気になさることはありません。なかなか、声を公の中で出す習性のない人ばかりの中で、とても有り難いことで、嬉しく思っております。「唄が途切れるならば、わたくしが続けます」とばかり、勇者/中村幸一教授が続けてくれるではありませんか! そのような「仁」に助けられて、小生の今日はあります。もっと、「唄」を続けて下さるよう、お願い申し上げます。今後、大兄と「有害作品の創生」に力を合わせてまいる所存です! 早めに、「依田仁美による依田仁美」に向けて動き出しましょう……。

    中村幸一教授
    「陰徳を積んで」などとお褒め下さり有り難うございます。素直に〔褒めて下さっている〕と受け取らせていただきます。その「無宿びと」が「常不軽菩薩」でない、などと、誰が言えましょう……。 大兄との『幸せの本』作りにも、早く着手したいものです。なんと、それは、こうして記すと人に笑われること100%確実ですが、去年、やっと、苦労していた小社の流通問題も、八木書店の「お陰」で開通したので、《超久し振り》に、実はほかにももう一冊あるのですが、〔ベストセラー〕を狙って造る本になる予定です。今時、「短歌界の市場主義批判」を繰り広げている[トンチン]もいるそうですがね。「いわゆる市場」など、全部、「ハゲタカ」のせいであることを理解しようともせずに、「タメにする論難」ばかりしているのだから、今度は、こちらが、笑っちゃいます。まだ、「家内制手工業」の段階に「歌壇」があるのは、先日の「短歌新聞社」の【廃業】の仕方を見れば、一目瞭然なのにね!

     それでは、両大兄、小生の今年の標語は「愛と勇気」なので、思わず上記のようになりましたが、これに呆れずに、本年も、くれぐれもよろしくお願い申し上げます! 近く、友情の〈景気づけ〉をいたしましょう!
     

  • #2

    中村幸一 (木曜日, 05 1月 2012 15:34)

    おめでとうございます。
    いろいろ陰徳を積んでいらっしゃるのですね。感服いたしました。

  • #1

    依田仁美 (水曜日, 04 1月 2012 10:13)


    謹賀新年(と申し上げつつ、淋しい正月の方もおありであろうと思い返します。掲示板の多様さには気を使います。)
    この欄の掲示が歳があらたまると同時に新しい順になったことにも気分一新で大いに結構です。ところでこれを書くとわたくしの名が3連発でいささか調子がわるい。かつ、砕けた宴席でも、皆が唄うので、ならばとわたくしが唄うと必ず途切れる。いつもそうだ。まずい。
    さて、まずは、賀詞交換からいかがでしょう。わたくしは今年こそ有害作品の創生に身と心を砕きたい所存です。どうか宜しくお願いいたします。