ニュースⅠ☆2011 

                   ◇その日暮らしな編集者の追想◇

2011年12月29日(木)

 寒い毎日が続いて、はや、今年もあと3日である。「東日本大震災」の襲来で、すっかり現実感覚が変容してしまった感じのまま、年の末に到った。「大震災」のことを除くと、あれは今年のことだったのか、それとも去年のことだったのか、また別の年のことだったのか、簡単には分明にならないものが多くなった。いや、単に、老いを増した、ということか……。

 27日(火)に、ついに、やっと、「北冬」№013号ができ上がってきた。夕刻、「特集」の「責任編集者」大田美和さん、ほか2名と、卓を囲む。「忘年会」などを開くような気分の年ではない、静かにこの年を「送年」しよう、と一致する。雑誌の出来上がり自体は、「ほか2名」も執筆者なので、喜び合う。「表紙」をガラッと変えたインパクトはありそうだ。驚かすほうを優先して、「告知」は後回しにすべきだった、と反省する。「20日」の「ニュース」に「表紙」を載せるべきではなかった。

 内容は、サイドのところに載せることにするが、「特集*大田美和責任編集[1000年の言葉]の向こうへ――」は、多彩な執筆者が揃ったので、「大田美和批判」を含めて、「短歌表現」の課題にもよく言及できたと思う。年明けの発送になるが、反響が楽しみだ。「企画」は、昨年刊行した大田さんの第4歌集『葡萄の香り、噴水の匂い』完成時からあったので、遥かな年月を越えてやって来た感じだ。「企画内容」をまとめ、原稿依頼から数えようとしても、あれは、巨大震災前だったのか、後だったのか、おぼつかない。「〆切」が「8月末」だったことだけが鮮明だ……。

 酷いほど暑かった「夏」から、寒さのつのる「冬」へと、遠く来た。それは、「感謝と希望の道」でもあった!

 圧倒的に好評な、今井恵子歌集『やわらかに曇る冬の日』の「重版」も1月半ばには出来てくる。次の、新しい年は、「新生」という思いでいっぱいだ。ただ、「重版以後」は、小出版の北冬舎には負担が大きいので、引き続き好調な売れ行きを祈ってやまない。「在庫切れ」は寂しいというだけで、いっぱい作りすぎたか! 「北冬」もいつもそうだし、多くのほかの歌集もそうだが……。

2011年12月20日(火)

 ついに、遅れに遅れていた「北冬」№013号の納品日が確定した。年内ギリギリなので、直接購読の方や執筆者への発送は「初荷」になってしまったが、なんとか、「特集」の「責任編集者」の大田美和さんには、手渡しできそうだ。首を、すっかり長くさせてしまって、みなさん、ごめんなさい!

 意味に満ちた、新装の「表紙」をここに、初めて披露して、期待を盛り上げておきたい!

2011年12月11日(日)

 12月の声を聞いたな、と思っていたら、もう、はや、10日余も過ぎている。前回、この欄を記してから、2週間、とにかく、「北冬」№013の年内発行を目指して、多くの時間を割いてきた。決定版の「表紙」に喜んで、熱も入って、なんとか、メドが立った。大田美和さんに気に入ってもらえるといいのだが……。「無目的な掲示板」に〔コメント〕を寄せてくれて、感謝と希望の道を、女史は、いつも思い出させてくれる。新展開の「北冬」が喜びになるといい。反響が楽しみだ

2011年11月26日(土)

 あっ! というまに一週間が経った。「北冬」№013、実に意欲的な「大田美和責任編集号」も、やっと、発行まであと少しのところにこぎつけた。表紙のデザインを、書店で注文してもらえるように、大幅に変えることにして、「大原信泉デザイナー」に依頼してあったプレゼンが、嬉しいことに、一昨日、届いた。二種、作ってくれて、どちらも甲乙つけがたいほど、「意味」に満ちていて、ジワッと感激した。「大震災後」の〔われら〕を表現している。

 みんな、暢気な{誌面}を作っているなかで、大原さんは、やはりすごい。以前、某詩人が、「鋭い、奇をてらったデザインの印象は、時間が経つにつれて、却って古くさくなってしまうが、大原さんのは、初めは落ち着きすぎているように見えて、平凡かと思うが、時間が経つにつれて、印象深くなる。だいいち、飽きることがない。」と言っていた。

 先週、紹介できなかった、山本かずこさんの『真・将門記』の書影も、みなさんにご覧いただきたい。

2011年11月20日(日)

 昨日は、降りしきる雨の中、山本かずこさんの小説『真・将門記』について、著者が語る会に参加した。平将門に対してこれまで流布されてきた[像]を革新しようとする力作だ。〈スピリチュアル〉な力を援用して、従来の風説に果敢に挑んでいる。

 山本さんはこの夏、同じ頃に、小社からもエッセイ集『日日草』を刊行した。少しずつだが、注文も増え、「誠実な愛と切ない別れを描いた心に滲みる《日々》」が感動を確かに伝え始めた。催しの行われた「神保町・東京堂書店本店」でも、深谷店長が追加で注文して下さり、平積みにして下さった。なにより、「神保町・取次ぎ八木書店扱い」で、スピーディーに取り扱ってもらえるようになったのが、とても有り難い。

 東京堂書店は、小社開業以来、ずっと、いまはもう故人となった「林課長」、そして、先の店長の佐野さんと、丁寧に接して下さってきた。「いつも売れない本ばかり置いていただいてすみません。ありがとうございます。」と挨拶すると、決まって、「そういう本を置かせてもらえることがステイタスです。」と応えて下さった。社への帰途、人ごみの靖国通りを抜け、錦華坂を登りにかかっても、温かい気持ちが続いた。

 それに引きかえ、ご近所の大書店の文芸書担当の主任の女性など、「あら、今日は、どんなご本をお持ち下さったのかしら……。」などとあしらったので、二度と足を踏み入れなくなった。東京駅近くの大書店の男性売場主任も露骨だった。だのに、その後、たまたま「ノーベル文学賞」受賞作家ル・クレジオの小社刊『黄金の魚』を、見込みで直接、たくさん注文してきたので、在庫が少なかったせいもあったが、「置いてくれなくていい」と断わったりなどしたこともあった……。

 たくさん売れて、儲けさせてくれる本を出している、大手の出版社の営業部員にチヤホヤされるから、そういう人になってしまうのだろう……。

 会が終わり、「ラドリオ」での二次会のあと、なおも夜になっても降りしきる雨の中、錦華坂を登りながら、あれこれ思い出した。

2011年11月14日(月)

 11月も、はや、半ばになってしまった。秋も深まって、陽射しがヨロヨロした感じになると、実に、急に、心細くなる。

 この日々になると、「キリギリス」の姿が、昔から、今にいたるまで、いつも立ち上がってくる。まったく、情けないものだ。この春から夏を越えて、いっそう、今年は、その姿がくっきりしている。

 この「ホームページ」を見ての、感想を頂戴して、少しずつ手直しをしている。「文字が小さくて読みづらい」という意見に、昨日は、自宅へ持ち帰った仕事を脇へ置いて、なんとかしてみた。どうだろう? 調子に乗って、「ギャラリー」のページなども、奮闘努力してみた。まだ、これからの道が長そうだ。

 昨日、京都の「三月書房」さんから、『日日草』と「北冬」012号の注文が各2冊あった。いつも丁寧に、極小出版社にも応接して下さって、有り難い。いろいろな連絡など、一段落したところで、荷造りし、御茶ノ水郵便局から「書籍小包」で発送した。戻って、「手元に、一冊もなくなった」という今井恵子さんの家に『やわらかに曇る冬の日』をダンボールに「20冊」、「宅急便」の荷造りをして、「ヤマト」さんに連絡する。

 いつものように、最後の集荷の6時半に取りに来てくれたところに、読者の方から、『やわらかに曇る冬の日』を購入したい、という電話がかかる。担当の「ヤマト」のお兄さんは、人格者で、尊敬する人の一人だ。今日も、忙しいところを、「せっかくの、今日の売り上げのようだから」と「メール便」造りを待っていてくれた。

 こんなふうに、いつも、たくさんの人に助けられていて、一日一日が続いている。菊野恒明さんからも、久し振りの電話があって、たがいに、なんとか日を紡いでいると、確認しあえて、喜んだ。

 「北冬」013号のゲラが遅々として進まないので、焦燥感が徐々に強度を増してきた。ご寄稿下さっている方、予約購読の方、大田美和さん、みなさん、ほんとうにごめんなさい! 

2011年10月31日(月)

 ここのところ、「未習熟の技術」を〔駆使〕して、この「ホームページ」の制作に挑戦している。〈いくつになっても手習い〉などとうそぶきながら、ああか、こうか、こうでもない、ああでもない、とやっている。

 夜も更けて、机のかたわらに、我が家の老犬「机龍之助」が、寝息もかすかに眠っている。もともと〔外犬〕なのだが、老いを深めるばかりで、眼も、鼻も、耳も、そして足も、衰えが増してゆき、ただただ、時間の経過が切ない。〔孤犬〕でいることの不安が忍び寄るのか、「月に向かって」だけでなく、寒い夜空に向かっても、繰り返し吠えるようになってしまったので、先の冬から、やむなく家の中に入れた。

 16年前、当時、まだ《健在》だった珈琲チェーン店の、談話室「滝沢」新宿店で、月に1回、寄り集まって、「大長編の中里介山『大菩薩峠』を、とにかく最後まで読み通す会」を設けて、結局、最後には3人になってしまったけれど、読み終えた夏に生まれてきたので、苗字付きの「机龍之助」と名付けたのだった。〔外犬〕の平均寿命は「13年」とか、それからすれば、ずいぶんの長生きだ。一日一日の積み重ねのほかはないのだろう。

 それにしても、中里介山の『大菩薩峠』は、凄い小説で、この峠の名は、子供の頃から親しかったが、近くの「迦葉山」などとともに、ぼくらの世代にとっては、痛みを覚えずには口に出せない固有名詞になってしまった。せっかくの「大乗仏教」に由来する名前だというのに……。いや、そうであったからこそ、なのか……。あの頃に書かれた、鮎川信夫さんの詩の一節を、いつも思い出す。

  「死にたくないと雪が降り

   生きたくないと樹は嘆く」

 凡庸に、卑怯に、今でも、生きているから。であればこそ、『大菩薩峠』からも一文。

「桶に満たした水が、月にかがやいてさざ波を立てながら銀のように動いているのを見ると、お雪は風流な姿よと思いました。水たまらねば月も宿らずと、口ずさんでやりたいような気分になりました。」

                   *

 忙しく、楽しく仕事し、あれも、これも、あった、10月末の「ニュース」は、どうした?

 いつか、依田仁美さんとも、『南総里見八犬伝』を読み通したいものだ! 

2011年10月24日(月)

 今井恵子さんの最新歌集『やわらかに曇る冬の日』ができあがり、「贈呈発送」を少しずつ行なったが、すっかり、くたびれはてた。しかし、ひとりでも多くの人の気持ちに届いて、と思いながら送り出すのは、「歌稿」を受け取って、選歌・編集・制作など、時間をかけて進めてきた「手造り」の最後に、改めて「命を吹き込む作業」のような気がする。けれど、疲れてくると、だんだん手元がおぼつかなくなり、ラベルが曲がったりしてしまう。そのあたりはいいかげんな人間なのだが、受け取って、敏感に感応する方が多いらしいので、やはり、気をつけねばならないらしい。ときどき、さかさまに貼ってあるのが届いたりすると、「ワザとやりやがったか!」などと、こちらも思うことがあるのだから、推して知るべしだ。それにしても、今井さんの歌集は、「母親との別れ」を中心に、その実力を十二分に展開しているので、良い読者に確実に恵まれるだろう。とても、楽しみだ!

2011年10月12日(水)

 先週、読者から電話があって、「紀伊國屋書店」のネットで、北冬舎の本が「入手不可」となっているが、「北冬舎のホームページ」では「在庫・重版あり」とあり、どちらが正確なのか、という問い合わせがあった。さっそく、「紀伊國屋書店」のネットを拝見した。まったくの「パソコン初心者」なので、あれこれ、これまでとてもおっくうで、「最後のアナログ編集者」とか言って、何もしないできたが、いよいよ「今年の新刊」の「広報・宣伝」をしないと、まったく動かないことになりそうなので、意を決して、「検索」してみた。その勢いで、「紀伊國屋書店」さんに訂正をお願いしたら、こころよく、あっというまに直して下さった。これまでも、「直接の取り引き」で、とても親切にお世話になってきたので、二重に、単純に感激した。昔、「田辺茂一さん」という「素敵な社長さん」がいたことを、なつかしく思い出した。同書店が発行していた「風景」という、文芸の豊かさを満載していた小雑誌を愛読したことも、切ないほどの思い出だ。家に、まだ残っていないか、そのうち探してみよう。今度の「大震災」で、崩れたままだが……。とにかく、この7月から全国の書店さんに「神保町八木書店扱い」で、取次ぎを経由して届けられるようになったのは、ほんとうにありがたいことだ。ほかの「ネット書店」からも届けられるようになるのだろうか?

2011年10月7日(金)

  今日、ようやく待望の、今井恵子最新歌集『やわらかに曇る冬の日』の出来上がり日が確定した。「10月14日(金)」に届く。先日、新しい『ランボー全詩集』の装丁を手がけた、気鋭の現代美術家の[岡崎乾二郎]氏の、やはり、斬新な装丁に飾られた、作者の「新生」を告げる一冊だ。