◇[計画/予定]のある日日のほうへ◇
2014年12月31日(水)晴 20:27
2014年の最後に、大田美和さんから素敵なメッセージが「掲示板」に投稿されたので、これを一年の締めくくりにしたい。
みなさん、どうぞ、良いお年をお迎えくださいますように!
来年も努めたく思います。よろしく!
2014年12月31日(水)02:01
2014年も残すところ、あと、22時間ということになった。いつもなら、このくらいの時間になっても、前日の日付で記すのだが、今日は、もう、時間を数える段階になったので、正しい時刻を記して書くことにする。
来年からは、この方式で行くことにしよう……。
昨日、今日と、ようやく年賀状書きに集中する時間が持てた。年賀状に、今年出した、単行本5冊のカバー写真と雑誌1冊の表紙写真を印刷した。行えたことは、人と比較すれば、ほんの少しだったかもしれないが、どれも十分納得のゆく行為となった。
当初から立てていた「計画・予定」にのっとって、着実に丁寧に実現できたのだが、これを、こちらの都合を先立てているにすぎないじゃないか、という観点を示した人がいて、なるほど、そういう見方もあるかと思ったものだが、こちらとしては、こんなに生真面目に予定を意識して、ほとんど手一杯まで日々努めて
いるのになあ、と思ったことだった。
そういう仕事ぶりを、本造りにおいて十二分に体験し、実際作業において恩恵をたっぷり受けた人からの言だったので、結局、腹を立ててしまった。
今年も、いくつかの場面で、人と衝突してしまった。私的、公的、その中間の場所など、やはり、どの場合でも、あと味が悪くてうんざりするのに、まったく愚かにも、繰り返してしまう。
年を重ねてきた甲斐が無いとは、このことを言うのだが、却って、年を重ねれば重ねるほど事態は悪化するとも、近頃、世間では言われているようだが、こちらとしては、物心がついてからというもの、似たり寄ったりの体験をしてきて、それが、このような人生の形にもなっているのではないかとも思われるので、数を増した年のせいにもできない。
年が改まったら、それを、新しい年の第一の課題にすることにして、対策を研究しよう。
素敵な年賀状は、来年、みなさんのお手元に届き終えたくらいの頃に、ここでも披露したい。3年続けて、その年のお仕事の披露ができることになって、よかった。何十冊も刊行して、こんなに一冊一冊を印刷して披露することも叶わなくなったら、どうしよう。まあ、思うだけ、無駄か。
そういえば、日頃の無沙汰を補おうとして、万年筆で、宛名も、書き添える言葉も手書きなのだが、それに、だいたい一人一人、文も違うのだが、今年は、ハタと気がついたことがあったので、多くの人にはその文面にした。
それは、〔気がついてみれば、なんと、北冬舎は20年も経た〕ということだった。「記念日」なんぞを、ほとんど意識して生きてきたことがないものだから、こんな感じだ。「100冊」を出したなあ、という時もそうだった。
それで、今年は、年賀状も、人の分を少し余分に買っておいたら、それは使えないと言われて、多目に全部を印刷したので、その〔20年経過〕を、これまで励みにさせてきていただいた各方面の方たちに、ご報告させていただくことにした。まだ、あと少し残っているので、今日中に終えたいものだ。
というような以上のことが、自然災害が引き続きひどかった2014年の最後の日になった。
2014年12月13日(土)晴
このところ、あれこれ慌ただしく過ごしていたら、また、アッという暇のことも思うこともなく、12月になってしまった。
『大田美和の本』の「書評」が「神奈川新聞」に掲載されたので、それを「刊行図書の評判」のページに載せなくては、とずっと思っていたら、今日、その著者の大田美和さんから、荒牧三恵歌文集『八月の光』についての「評」が出たというお知らせが「掲示板」に届いたので、さっそく、それをアップさせていただくことにする。
『八月の光』の荒牧三恵さんの「短歌と文章」が与えた衝撃は、とても強いもののようだ。「人生と短歌」、あるいは「文学と人生」という根本の問題に直面しているからだ。
そういえば、この間、「あなたは何のために短歌をつくったり、文章を書き続けていらっしゃるのか? ああ言えばこう言うようなことばかりおっしゃっているけれど、そこのところをよく考えてみたらどうですか! どの面下げて、そんなことを言っているのですか!」と啖呵を切ってしまったのだった。
短歌や文章について、丁寧に批評したり、気持を込めて歌集を作って、応援してきたりしていたのに、こらえきれずに、ついに台無しにした。こちらの人生に用無しだ、なんて、うんざりだ。
荒牧三恵さんは30年前に擱筆してしまっているのだが、今度の本に新たに執筆された文章「「瞬間」と「限界」」「大掃除考〈あとがきに代えて〉」を読んでも、その才能には注目すべきものがあって、続けて来られなかったことが、ほんとうに残念だ。
「短歌集団」の、それこそ、この前段でメモした、「なぜ、短歌や文章表現をやっているのか」という本当の部分を粗末にした態度・姿勢にウンザリしてやめられたのも想像はできるが、続けられていれば、その短歌・文章が、それへの強力な、持続的な批評になっただろうことを思うと、ものすごく残念だ。
今度の歌文集『八月の光』が、十分に、その力を改めて発揮していることが、せめてもの慰めであるが、そしてまた、徐々に出始めた反響・反応も、たしかにその方向へ向かっているので、楽しみだ。ノドに棘が刺さってゆくことだろう。
もちろん、我が身も振り返ってのことではあるが。
今日、「掲示板」へ板書して下さった大田美和さんと荒牧三恵さんは、同じ血筋なので、そのあたり、よく感じて下さっているのだろう。
2014年11月22日(土)晴
11月の新刊、荒牧三恵歌文集『八月の光』が予定通りにできあがる。荒牧さんは、「未来」に所属していた方だが、30年前に「未来」から、それこそ脱退して、短歌も文章も断念された。編集子とは、30年来の知己で、このたび、思うところがあって、「歌文集」の編集・制作を依頼されてこられた。
短歌も、文章も、近藤芳美さんが掲げた「未来」の思想・理念をそのまま表現されている、実に鋭い社会性を持ったものだ。現在時点で読んでも、鋭利な筆先で表現された短歌も、文章も、まったく古びておらず、30年前に筆を擱かれたことがとても残念な、その可能性を惜しいと思わせる才能の持ち主だ。
現在の【歌壇】からも一目置かれる、貴重な存在になったことは間違いない。
今回、新たに書き下ろした「エッセイ」や「あとがきに代えて」の文章も、ほんとうに明晰で、余裕に満ちていて、大変な苦労を重ねて来た方だからこそのもので、フニャフニャ生きているこちらの身心が顧みられて、嫌になる。昭和2年生まれの方とはまったく思えない「頭脳と精神と肉体」をいまもお持ちで、驚嘆してばかりだ。
そこで、こちらのその〈尊崇の念〉と、かつてお世話になったお礼の思いとを実現いたしたく、編集・制作に努め、その思いが、なんと、カバーの《装画》で達成することができたのである。編集子のたってのお願いを快くお聞き届け下さった五木玲子さんのおかげで、喜びもひとしおである。
五木玲子さんのリトグラフ「名も無き死者のためにⅢ」が、お借りできたのである。五木玲子さんは、作家五木寛之さんの奥様で、いつの時も、長い時間を隔ててののちの連絡でも、まったく変わることのない接し方をして下さる。誰に対しても、別け隔てのない方だ。このたびも、編集子のいきなりのお願いにも、すぐに、丁寧なご連絡を下さり、了承いただけた。
1997年6月、北冬舎を始めて3年目、7冊目に刊行した、山吹明日香さんの歌集『風返し峠』のカバー装画にパステル画をお借りして以来である。この間、
ご主人のベストセラー『大河の一滴』や『運命の足音』などを、印象深い版画などで装われ、多くの読者に感銘を与えてきた。
その絵を目にすると、まず、一枚の絵の奥から、深く語りかけてくる「物語」に耳を澄まさずにはいられない。そこに刻まれている「時間」は、朽ちることによってのみ達成される「永遠」の姿である。生きとし生けるものは、滅することによってのみ、「永遠の生/生存」を、実現……、獲得……、いや、単に【そこ】へと存在しにゆくことができるのである。
五木玲子さんの絵を拝見すると、いつも、そのように思う。滅するという、限りのない、公平な「苦悩」をしょった「存在」を、みずから深く苦しんでいる、その絵によって、【わたくし】は覚され、慰められる。「時間」の向こうのほうへ、そんなに怖がらずに行けるような、やさしい気持ちになれるのである。
2014年11月7日(金)晴
井辻朱美さんの『クラウド』の書評が、昨日、言及した『大田美和の本』と同じように、歌壇総合雑誌としてはずいぶんと早目に、角川書店の「短歌」に掲載されているとのことなので、応援部のOYさんに連絡したら、すぐにスキャンして、「メール添付」で送って下さった。
まったく、持つべきものは、「水魚の交わり」の友である。しばらくお互いに音信が不通であっても、何かの時には、いやな〈文面〉ひとつも見せずに、力になってくれる。数少ない応援部の友情に、幸せになる。
『クラウド』の「書評」は「玲瓏」の実力者のお一人、林和清さんであった。1ページの「書評」だが、なんだか、原稿の分量が少ないくらいに思える書きぶりである。例えばサッカーの試合で、密度の濃い試合内容であればあるほど、試合時間が短く感じられるということがあるが、そんな感じだった。問題提起として、とても刺激的な文章であった。
じっくりとした評を書くには、やはり、わが「北冬」のように「2ページ」はないと無理だ、と狼煙をあげておこう(^~;^~)!
2014年11月6日(木)曇/雨/晴 (20・9度)
それほど冷え込んだわけでもないが、秋の雨はこころを寂しくして、静かな一日が経った感じだ。
それでも、「北冬」№016の依頼状の返事が、ほとんど戻ってきて、豪華執筆陣のみなさん、お願いを引き受けて下さって、有り難い気持でいっぱいだ。井辻朱美さんの人徳だ。
井辻さんの新刊歌集『クラウド』の注文も順調に続いていて、雨の中、八木書店まで、今日は5冊届けた。一緒に注文のあった、江田浩司さんの『まくらことばうた』も1冊、納品する。こちらも、少しずつ注文が来ていて、江田さんの新刊『逝きし者のやうに』と刺激しあって、好評が持続することだろう。
「北冬」№016の予定の陣容も、そのうち、「予告」したいものだ。
今日は、大田美和さんから「掲示板」に投稿があって、大田さんらしい「社会へのまなざし」に刺激される思いだ。6月に出た『大田美和の本』の「書評・紹介」が、ありがたいことに、歌書にしては、ずいぶんと早目に、あちこちに出始めた。そのそれぞれの「紹介文」については、著者とは別の、編集した人間としての注文もあるが、またの機会にしたい。
大田さんの「投稿」のほうを、ぜひ、お読みいただきたい!
2014年10月30日(木)晴(20・3度)
木枯らしも吹き、季節が一段と足を速めて、冬の気配に身体も敏感に反応するようになった。夜に吹き巻いたあの風は木枯らしだった、と知らされれば、この季節に足早に逝ってしまった人たちのことを思い出す。真冬2月の哀しみ、春4月の惜しさ、夏8月の断念、秋10月の寂寥と、身近に季節を見せて逝った人たちのことが、それに連れて、さらに立ち上がってくる。
9月、10月と、次々と続く仕事に真面目に邁進しつつ、一方では、どこか、なんとなく、《圧倒的な気合》が入らずに、業務をこなすという感じで過ぎて来てしまったが、その間に、ようやく、「北冬」№016の企画に着手、原稿依頼まで終えた。
「特集」は、井辻朱美さんを[責任編集者]にお迎えして、「[現在]から抜け出る方法と〈詩の力〉ーー。」である。
井辻さんとは、7月に歌集『クラウド』を刊行して、その【世界】をさらに探求させていただきたく、ご相談に乗っていただいた。井辻さんの【短歌世界】から〔現代短歌〕への問いかけという感じである。
欲張って、バラエティーに富んだたくさんの方たちに原稿依頼をさせていただいたが、希望するような【世界】を、井辻さんと一緒に描けるだろうか? 期待と不安に満たされる、楽しい日々の始まりだ!
2014年10月14日(火)快晴 風強 台風19号一過
先週に引き続いての台風の襲来で、連休も、落ち着かないまま、例によって、家に引きこもり気味に、かろうじてのお仕事だけを終えて、舎に出て来たら、『大田美和の本』が好評の大田美和さんから、「掲示板」に投稿があったので、さっそくご紹介する。「ご意見掲示板✩2014」
ついつい怠けがちな、小生の「ホームページの更新」を、このようにして励ましてくださる温情に感謝したい!
大田美和さんは、なにかと問題の多い【朝日新聞社】の「俳壇・歌壇」ページのエッセイ欄「うたをよむ」に、先日(10月6日[月]朝刊)、「韓国と日本をつなぐ」と題して視野の広い文章も書いている。
それにしても、【朝日新聞社】は韓国で前支局長が言論弾圧されている【産経新聞社】を、先頭をきって擁護できないのかと思う。いつも、自分たちが【言論弾圧】されていると言うときばかり、大騒ぎするばっかり、、、、。
大雑把な感想で、恐縮だが、ここで、〈度量〉を見せたら、見え透いて、とか、沽券に関わる、とか、あれこれ悩ませられ、悩んで、普通になれていいのに、、、、。普通ではない優秀さを、と驕り高ぶってきて、《冷戦》が終わってからも、「偽善と感傷」から抜け出せない【進歩的新聞社/出版社】の姿/形が、さらに、よく見える季節になってよかったのかもしれない。
2014年10月3日(金)快晴・暑(27・8)
井辻朱美さんの歌集『クラウド』についての素敵な評が出た。「毎日新聞」の元記者、酒井佐忠さんの同紙「歌壇・俳壇」欄の連載コラム「詩歌の森へ」である。丁寧に、歌人・井辻朱美さんの紹介から歌集のテーマ、主張と案内して下さっている。
おかげで、八木書店から追加の注文があった。
付け加えておけば、『大田美和の本』も一緒に、着実に注文がある。
これまで、小社刊の本の「紹介/案内」を「紹介/案内」するのを、面倒くさかったり、過剰な露出欲とか、著作権に抵触とか、いろいろあれこれ思って努めてこなかったが、読者が「検索」して、《知りたい/読みたい》のも、そのような「情報」で、小生のような「ぐだぐだ日誌」は、読むのが「面倒くさかったり、過剰な露出欲……、、、」とかで、どうでもいい面もあるらしいので、遅ればせながら、今日から、「刊行図書の評判☆2014」というページを設けて、やってみることにする。
どうぞ、よろしく! そちらをお読み下さい。
2014年9月30日(火)快晴/27度
江田浩司さんの新刊の『逝きし者のやうに』は、『帯文』を引けば、
「固有の時を生ききった尊崇する先人への讃歎と愛惜の思いが溢れ
る、好評の『まくらことばうた』に続く、充実の作品集」
である。
「歌集」と銘打たないのは、「詩」が一篇と「俳句」が二句収録されているからだが、「短歌」が「492首」も収められているので、なにもそんなに律儀に、という気もするが、江田さんと同意の上で、そのようにしてゆくことにした。
「北冬舎のこの本には、どこにも「歌集」と銘打たれていない」などと、「結社誌書評」や「有力短歌賞選考委員」などから、ずっと言われ続けてきていて、それが、本の性格や賞へのノミネート・選考・授賞にまで関わるような【議論】がなされるようなことがあるわけがないと思うのだが、「今度の【この歌集】には絶対にあるべきだった」とまで言われて【落選】したとなると《噴飯モノ》なので、先に【弁解】をしておくことにする。
もちろん、小社が、「歌集」と、ほとんどの「歌集」のあちこちに印刷しないのは、それなりの考えがあってしてきたことだ。
そういうわけで、このたびの江田さんのご本は「歌集」とプリントしても、特に【問題視】されるようなものではないのだが、中には「小股すくい」を得意技にしているような【レトリシャン/技術者】が多い世界なので、細かく正確を期したというわけだ。
それで、この歌集で、溢れる思いの〈傑作短歌〉によって、江田さんからオマージュを捧げられた「先人」は、
「塚本邦雄、山中智恵子、近藤芳美、リルケ、ディラン・トマス、エミリ・ブロンテ、北島、北村太郎、井上有一、与謝蕪村、村松友次、荒川修作、中川幸夫、父」
などの方たちである。これまで、江田さんが自己のものとしてきた知識と身につけてきた高度な技術の融合に加えて、「先人への溢れる尊崇と愛惜の情」が作品集全体を被っているので、校正をしてくれた方も、「打たれずにはいられなかった!」とおっしゃっていたほどの、圧倒的なものになった。
前歌集の『まくらことばうた』でも、他の追随を許さない高みを示していた江田さんの作品世界に、さらに《深み》を付け加えた[大切な一冊]になったので、こちらの〈人生の楽しみ〉も増えて、ありがたい。
嫌な応対や展開がらみのことが続いていたので、なおさらだ。
2014年9月29日(月)快晴/26度
なかなか、コンスタントに暮らすことができないので、前回に記してから、【アッ】という声も出ないうちに、ひと月余が経ってしまった。
いつの年でも、夏が逝く日々は、平穏な感情ではいられないものだが、今年は、なんだかボンヤリ度がひどかった気がする。
ひとつには、ここ何回かの大会のうちでは、最高にシビれる試合の多かった《ワールドカップ》の後遺症めいた、いまはあまり聞かない名称だが、【燃え尽き症候群】というか、【荷降ろし症候群】というのか、大会が7月半ばに終えて8月になっても、暑熱の中、その残響に包まれていたような感じだったからだ。
もう一つは、旧盆前後に大きい台風が来て、いきなり、すっかり、夏を、八月を終えた感じになってしまったからだ。
というようなことを綴っていると、今日の肝腎なことになかなか辿り着かないので、先に進みたい。
みずからのボンクラを嘆きながらも、【計画・予定】はかろうじて進展させてこれたので、今日は、予定どおり、すこし早めに、新刊が出来上がってきた。江田浩司さんの作品集『逝きし者のやうに』である。
6月刊の『大田美和の本』が好評で、引き続きさまざまなところで言及されていて、ずっと喜んできたのだが、そこへ、さらに、7月刊の井辻朱美さんの歌集『クラウド』が、しだいに勢いを増しながら、〈とにかく読むべし〉という檄などもとんでいるらしく、注目され始めてきたところへ、その表現活動の好評が持続している江田浩司さんの、充実した作品集が刊行されたのだ。
一冊一冊、とにかく、嘘いつわりなく、「一から十まで」あれこれの作業をしながら本を造っているので、【わが子】をそんなにまで愛した記憶はないが、わが子のように、出来上がった本が、ちょっとでも「可愛い」と通りすがりの方からでもほほ笑みかけられようものなら、その喜びで三日は生きていけるのだ。
そんなことで、いつの時でも、たくさんの本を造ることはできないので、かえって一冊一冊への喜びを長いこと味わえるのだ。味わうことが日々の、苦である人生の、かろうじての喜びというものなのだ。
というわけで、また一冊、《傑作作品集》がこの世に生まれ出て、その本が、その子が、どんなふうに成長してゆくのかが見られるという楽しみが与えられるのは、ありがたいことなんだなあ、というふうに、近頃では思うのである。
それぞれの本が、その下に生まれてきた【宿命】がどのようなものかは、生きてみなければ分からないもので、しかも、その【時空】によって異なる様を見せるので、この計らいなど小さいものなのだが、それでも、できることはできたほうがいいのだ。
なんだか、生きることへの感慨の吐露みたいになってしまったが、このたびの江田浩司さんの『逝きし者のやうに』は、《尊崇する先人へのオマージュと弔意》だけの作品で一冊が構成されているので、つい、こんな話になってしまった。
「内容」については、おいおい記していきたいと思うが、いつもそんなことを言っておいて、尻切れトンボのように、それっきり行方も知れずになったりするので、気をつけることにしたい。
嬉しいこと、憂鬱なこと、楽しみなこと、心配なこと、それらにまみれることそれ自体……。
2014年8月18日(月)快晴/暑/32度
『大田美和の本』についての、昨日の続きのようなものになるが、「詩客」の「短歌時評」で、詩人の田中庸介氏が取り上げてくださっている。そのタイトルは、「素足で走る短歌の「私」」である。
冒頭、「大田美和の短歌の仕事を追いかけてみると、表現はそもそも等身大以外の何物でもなく、いくら人がそれを大きく見せようと小さく見せようとしても、見えてくる個人の「真水」の部分というのは、結局同じではないかという気にさせられる」という、率直な述懐から始まる。
収録されたエッセイ「美和ママの短歌だより」に認められる「しあわせ感」に触れて、「そのしあわせを「みんな」に伝えるチャンネルとして、「美和ママ」は短歌という表現と向き合っている」と捕まえ、「そのすばらしさをこれほどまでに、てらいなく、厭味なく、伝えられるのは、やはり飛び抜けた感性と、構築的な言葉遣いのなせるわざにほかならない」と絶賛している。
この、田中さんが表現する「てらいなく、厭味なく、伝えられる」大田美和さんの魅力は、小嵐九八郎さんの言う「余裕の中で核がぎりりとしている」という捕まえ方と、まったく同じだ。
そのような個性を踏まえ、「「私性」にも「ファクチュアル」にも埋没しない場所を求めて、彼女の真にめざそうとする道は、政治的な、あまりにも政治的な、「素足で走る」短歌の新しい「私」の発見」なのではないかと、田中さんは「時評」を収める。
田中さんが言う「政治的」ということについては議論の余地はあるが、ここは、それを論じる場所ではないので、大田さんの【「素足で走る」感】は、じつにそのとおりだと、大賛成したい。
それにしても、大田美和さんの【しあわせ感】に敏感に反応する田中庸介さんは、【幸せ、それとも不幸せ】……?
2014年8月17日(日)快晴/暑/32度
八月の光が満ち溢れた初旬から、列島を水浸しや竜巻で蹂躙した10日前後の台風ののち、はっきりとしなかった空模様が、この2、3日、また、夏空になった。
そんな中、昨日、大田美和さんから、「2014年の夏」をいきいきと行動しているという、素敵な〈便り〉が「掲示板」に届いた。難しく捩れている【列島と半島の現在】に、あえて身を置いてみて、見えるもの、感じられるものを率直に記した「文」を一読して、その衒いのない、強靭な個性に尊崇の念を覚えた。
その思いは、小生ひとりのものだけではなく、大田さんの作品に触れる人が、みな持つ感情、また感慨のようだ。数日前に届いた「図書新聞」8月16日号での連載コラムで、『大田美和の本』を取り上げて下さった、小嵐九八郎さんもその一人にまちがいない。
小嵐さんは、大田さんのエッセイの、「旧姓で通しているのにパスポートを戸籍名でしか取れない不条理の突破の話」や、「歌会始めの選者に選ばれたことへの批判より「数名の歌人がこの制度に組み込まれることで、歌人一般あるいは短歌という文学形式がどのように位置づけされているか」の問い」に触れて、黄金律に酔っ払ってばかりいるご自身が「ひやり」とさせられたという。
そこにあるのは、かつての「新左翼の狭い視野」に較べても、「余裕の中で核がぎりりとしている。」ものの見方、ものへの接し方、考え方なのだと、小嵐氏が懺悔しているように読める。
この「余裕の中で核がぎりりとしている。」という、大田美和さんの捕まえ方こそ、大田さんの読者が魅了される最高のものを言い当てている。
小嵐さんも、小生も、大田美和さんより〈ひとまわり上の世代〉だが、そういう世代の者の喉元に突きつける切っ尖すら、まぼろしのものではない。
一人でも多くの人に『大田美和の本』が知られ、そこにいる【大田美和】なる歌人/物書きの魅力を知ってもらいたい気持でいっぱいだ。
「図書新聞」3171号/2014年8月16日(土曜日)6面掲載
小嵐九八郎「娯楽トンボの眼」
2014年7月28日(月)30度 晴
陽射しは、変わらずに強烈だが、湿気のない空気だったので、爽やかな暑さという感じで、大いに助かる。
先週の初めに、井辻朱美さんの歌集『クラウド』をすべて送り出して安心したせいか、強烈な暑さに疲れが増幅して、週末は家で臥せってばかりいたので、五日ぶりに外に出て、歩き出したら、骨が軋んだ。
筋肉がすっかり衰えて、直接、足の骨に重みがかかった感じで、スムーズに歩を運べない。無理に運ぼうとすると、関節の筋のようなところが引き攣れる感じになり、痛むので、歩幅を小さくして、前に行く。
完全に「ロコモティブ症候群」だ。頭上からの、午後一時過ぎの強烈な陽射しに、だいぶ薄くなった頭が、熱を持つのが分かる。1960年代に、翻訳輸入された「ロコモーション」というアメリカン・ポップスが耳に蘇ってきて、リズムに転がり、なんとか乗車駅まで辿り着く。
そういえば、このあいだ、NHKテレビで、「ロコモティブ症候群」の解説がうまくできない「ニュース解説」があって、イラッとしたのを思い出したら、FMトーキョーで、「魁」という言葉の、ひどい解釈をしていたDJがいたのまで思い出してしまった。
いいかげんなコメントばかりの、垂れ流しの「テレビ・ラジオ番組」なので、最近はクラシック音楽の放送を聴くことが多い。少しは心が穏やかになりたいものだ。
心配していたように、舎のポストに「転居先不明」の「メール便」が押し込まれていた。あと2~3通、戻ってきていたら、入りきれずに、ほかの郵便物と一緒に、入口に無理やり入れられて、グチャグチャになっていたところだ。
ヤマト運輸の今度の担当者は、集荷の時もひどい態度だが、配達もいい加減で、きちんとポストの中に入れずに、入口に引っ掛けるような入れ方なので、その後に入れられる郵便物がつかえてしまったりする。
あまりにひどい担当者なので、なるたけ荷物を出さないようにして、近くのコンビニや郵便局から出すようになってしまったのだが、たくさんの「メール便」などは、集荷してもらわないとできないので、いやいや頼んだりすると、もう、これだ。
以前、【佐川急便】に頼んだこともあったが、これもまた、ひどい態度のお兄さんがいたりして、多少高くてもヤマト運輸にしたら、みんな気さくで、親切なので、ずっとお願いしてきた。
だのに、これなので、どういう人物か、別の配達の人に聞いたら、案の定、【佐川急便アガリ】なのだという。新人が入ってきて、指導中にキレて、1、2度来たっきりで、すぐやめるはめになってしまったという。
これ以上、書くと、どうしても、という集荷や配達時に、いやがらせをされるといけないのでやめておくが、あちこち、ひどい連中が増えて来ている気がするのは、《2014年の夏の、この太陽のせいか?》
2014年7月23日(水)晴 暑 32度
昨日、ようやく、2014年の梅雨も明けた。空の雲が取れると、いきなりの直射日光で、暑い! 真冬でもそうだが、陽射しがますます強くなってきている。
本当の夏など、ほんの短さで、土用になれば、夏も終わりだ、と嘆いたものだが、ここ何年も、10月過ぎまでジリジリと暑い。夏が来る! と弾んだ心も、今では、「熱中症」を怖れるばかりだ。
「素敵な読者に恵まれますように!」という思いで、昨日、今日と、井辻朱美さんの歌集『クラウド』を、メール便で贈呈発送をする。ヤマト運輸の親切で、人間的にもまれに見る担当者から、一気に最悪の担当者に変わったが、それでも、一日でも早くお届けしたいと、頑張った。
全部送り出して、ホッとして、気が抜けた。思い残すところのないところまで、著者と一緒に手をかけた本、歌集になった。あとは、読者の手に委ねるばかりだ。ほめられても、けなされても、それは、《大いなる手》のままだ。
もうひとつ喜んでいるのは、『大田美和の本』が好評で、少しずつ注文が来たり、「大田美和責任編集」の「北冬№013」まで注文が来たりしている。
さらに、おそらく史上最速の速さで、「短歌往来」に「レビュー」が
載ったのだ。本が出たのは、六月の初旬で、各所に届いたのは中旬くらいだから、「原稿締め切り」まで半月ほどだろう。
それは、本文の「書評欄」ではなく、「レビュー欄」なので、執筆者の〈意向判断〉によったのだろう、と思わせる。内容への言及の仕方もそうだが、その〈意向判断〉自体が『大田美和の本』を大変高く評価しているということなのだ。
惜しむらくは、匿名だが、「り」さんの「文章」は、「私」をきちんと基盤においた読み・批評なので、じつに信頼ができる。
まあ、昔、吉本隆明が、「匿名批評」を罵倒して、悪口を言うのならちゃんと名前を出して言え、名前を出せないのなら何も言うな、というふうなことを言っていたと思うが、いまのこの時代、そういう【正義】は危ないばかりで、そんな心情に沿っていたこともあったが、左右を見ても、夢のようだ。
かえって、名前を出さないほうが本当のことを言えるのかもしれないが、その【文章の人格】はどこで保障されるのだろう。
最近はまったく読んだこともないが、「東京新聞」の「大波小波」も一部の執筆者はだいたい推測が付いたりするが、【貧格者】もいて、いったいどうなのだろう。
まったくの匿名ではないが、「文學界」の巻末ページの「鳥の眼・虫の眼」を書いている「相馬悠々」名の「文章」が、いつも正鵠を射ていて、とてもおもしろいし、有効に思える方法/文筆名だ。
「り」さんの評した「内容」は、またの機会に。
その文章からの連想で、本の置き場所を確保するために、このところ事務所の片付けをしていて、あれこれを新鮮に思ったりしたこととつながるので、機会があれば記してみたい、と、備忘のために記しておきたい。
2014年7月17日(木)曇/晴 暑 32度
井辻朱美さんの新歌集『クラウド』が出来上がってきた一昨日の15日の記述で、新しい本が出来てくる日には、必ずその著者とお会いして、おめでとうと御礼をしながらお手渡しする習いにしてきて、井辻さんとも、その例に洩れなくて、「ヒル・トップ」でお会いして、お手渡ししたのに、記述の流れで、そのことを書かずじまいになってしまったので、ここに記しておくことにする。
ずいぶん以前に、歌集『コリオリの風』と絵本『風の千年伝説』を造らせていただいた以来の、久方ぶりの新歌集の初めての打ち合わせからの時間の経ち方を、二人して振り返って、感慨を新たにしたのだった。
本の出来上がりを、井辻さんも大変喜んでくださって、ホッとした。
相変わらずの時間の掛け方だったが、思い残すところのない、歌集の編集・本造りをさせていただいて、言うところのない井辻さんの作品内容の充実ぶりを、帰路の車中で読みながら、改めて深く納得したのだった。
2014年7月15日(火)晴 暑(32度)
前回の「更新」から、あっという間に、一ヶ月余も経ってしまって、前信にも「真夏だ」と記したが、梅雨も終わりかけて、ほんとうの「真夏だ」!
なんだか、熱中症のような感じになって、舎に到着する。
今日は、待望の新刊、井辻朱美さんの新歌集『クラウド』が出来上がってきた。最高に充実した[第六新歌集]となった。
その《あざやかなイメージ》を呼び込んでくる言葉の、その向こうにというのか、その奥にというのか、その深みにというのか、連れて行ってくれる一首一首に、何度読んでも、《読者としてのイメージ》を掻き立てられないではいられない。
どの一首も、《イメージ》が《意味の深み》へと連れて行ってくれる。まさに、[会心の新歌集!]となった。
『大田美和の本』の好評・売れ行きも、引き続いてきていたのだが、「計画・予定」の進展のほうを優先し、真面目に取り組みつつ、かつ【世界のサッカーの新潮流の研究】に余念のない日々を送っていたばかりに、時間の余裕がまったくなくなり、例によって、大田美和さんには、その友情に甘えて、つい言及もおろそかになってしまった。
大田さんからは、わくわくする、素敵な新作の詩「若い恋人へ」も寄せられていたのだが、そのご紹介も、近日中にはさせていただきたい。
ふたたび、みたび、大田美和さん、ごめんなさい。
明日から、井辻朱美さんの会心の最新第六歌集『クラウド』を、みなさんの手元に一日でも早くお届けして、お読みいただきたい。
夜も更けたので、熱中症対策は、寝不足対策なので、続きは、また。
【世界のサッカーの新潮流の研究】の夜々も、ついにひとまず終息したので、秋まで仕事ひとすじだ。
それにしても、こんなに【世界の新潮流と一緒に幸福に生きた日々】は初めてだったなあ。ペップ・グァルディオラが、二度続けて「世界を制した」のは、まったく斬新なフットボールの進化だったんだ。
2014年6月2日(月)快晴 30度 暑
ここ数日、日本列島は、いきなりの真夏だ。
眩むような日差しの下、待望の最新刊『大田美和の本』ができあがる。今日の熱暑にピッタリの、著者の大田美和さんにふさわしい[情熱]が、よく表現された、大原信泉さんデザインの「カバー」に祝福されて……。
『依田仁美の本』に続く、[北冬舎版現代歌人ライブラリー2]の、ようやくの刊行だ。
内容をぎっしり詰めたので、本当ならひとりの編集では手に余るのだが、その分、著者の大田美和さんには申しわけのないことながら、たくさん時間を頂戴し
て、なんとか納得のゆくところまで手を
掛けることができた。
気の短い著者なら……、何人か知って
いるが、怒り出したかもしれないほどの
時間がかかってしまった。
大田美和さん、本当にごめんなさい!
2014年4月30日(水)曇/雨
「北冬」№015
「生沼義朗責任編集✥特集◇[関係]の現在――。」……「討議=[関係]という場所――川野里子・森本平・斉藤斎藤・花山周子・黒瀬珂瀾 「発言」=奥村晃作、外塚喬、小池光ほか」
「[関係]の現在=作品7首+コメント=「楊」高木佳子/「出典」染野太朗/「フレネミー」瀬戸夏子/「私と職場」五島諭/「めがね」兵庫ユカ/「肩を揺らして」田村元/「灯を暗く」小原奈実/「竜」吉岡太朗/「関係性について」山崎聡子/「「我」と「われ」」斉藤真伸
2014年4月29日(火)昭和の日 曇-雨
いやはや、また、ひと月が経ってしまった。私事がなかなか落ち着かないこともあるが、「仕事」が次々と待ち構えていて、ここに労力を割く時間もなく、また、真冬にずいぶんと気をつけて、なんとか引かずにシーズンを終えられるかと思っていたのだったが、花冷えに引き込んだ風邪に、無理しないようにしていたこともあった。
あるいは、ここに、さまざまな余計ごとを、つい、【コンフェッション】してしまったり、PCによる【眼精疲労】からの極度の肩こりに、それぞれ、反省したりしてしまうのも、この場所から遠ざかる理由になっているのだ。
本来は、【出版活動】のための「ページ」なのだから、さまざまな余計ごとはいらないのだが、ついおバカをやってしまう。
というような弁解で、【ひと月】が花のシーズンとともに、いっぽうでは、心重く過ぎてしまったというわけだ。
けれど、「お仕事」のほうは、完璧な予定よりはやや遅れ気味ではあるが、あれこれ、なんとか進めていて、昨日、ようやく「北冬」№015が出来上がってきた。
「表紙」の写真だけは、さっそく、昨日、アップしてご紹介したが、今回も大原信泉デザイナーが撮った写真と、その処理がほんとうに素晴らしい。「生沼義朗責任編集」の「特集」にピッタリだ。今号は、もう一つ「特集」があるが、雑誌のこれまでの流れから言えば、じつにふさわしい「顔付き」になった。
「内容」については、徐々に紹介させていただくつもりだが、まず、とにかく、「執筆者の方」「直截購読の方」へ送らせていただくのが先なので、今日は休日だったが、出勤して、「発送準備」に頑張ってきて疲れた。いまはもう、深夜も午前3時近くになって、部屋の空気もひんやりしてきたので、今日の続きは「また明日」とさせていただきたい。
2014年3月28日(金)快晴 暖
私事が立て込んで、まったく余裕なく暮らしていたら、前回、更新してから、まるひと月が経ってしまった。二月は28日しかなかったので、ちょうど4週間と一日が過ぎていたことになる。
この一週間、ようやく覚えのある、以前の「日常感覚」を取り戻したような感じだ。
今日は、正に「三日見ぬ間の桜かな」で、天気がパッとしないこともあって、三日ほど引き籠って座業に精を出して、外に出たら、小学校の桜がほころんでいた。まあ、「三日」は散ることの早さ、というほうが正しいのだろうが……。
呆けそうな空気の中、久しぶりに東横線で渋谷へ出る。山手線への乗り換えが、じつに不便で、うんざりする。何十年も、渋谷経由でいろんな仕事先に向かったり、渋谷の街をうろついたりしていたが、最近は乗り換えするだけで、街を歩くこともなかったので、不便な乗り換えの人混みを早く抜け出たいと思うだけだった。
目白の学習院大学に、詩人で、教授の吉田加南子さんを訪ねる。先年、「北村太朗の会」で講演していただいたテープ起こしの直しをいただきにあがった。講演は「大震災」前のことで、あれから、ほんとうにいろんなことが起きてきた。吉田教授も、お母さんの介護や看取りまで、とてもご苦労なさったようだ。
「北村太朗の会」も、「全詩集」をめぐる行き違いや世話人の一人の大西和男さんが亡くなられたりで、終了してしまった。続けていれば続けていることの賢さ、すごさがあることを実感してきたけれど、続けるためだけにやるものでもないのは、心とか、気持を第一にしてきたのだから、そのような関係の場が壊れてしまった以上、しかたのないことなのだろう。
律儀な詩人吉田教授から、テープ起こしの手入れを終えられたという連絡を頂戴して、「大震災前」に呼吸していた感じが、瞬間、戻ってきたのを覚えた。遥かに時間を越えて、「大震災以前」が立ち返ってきたのだ。
このところ思うのは、いま、「大震災後文学」をめぐる言説がにぎやかのようだが、それよりも、「大震災前文学」のほうが、考えるに値する気がするということだ。〈バブル景気〉がはじける前に希求した豊かさの時代に、「何のための豊かさか?」と尋ねることを常にしていたつもりだが、いまは、「なぜ豊かになろうとしていたか?」と尋ねなければいけないように思われる。
答えは、「どこ・何」を基点にするかによって、幾とおりかに違ってくるのだろうが、はやりの「後文学」より、オールドファッションな「前文学」のほうを尋ねたとき、わたしたちが生きる現在の霞が幾分かでも薄らぐような気がする。
駘蕩とした春の温もる陽気のなか、学習院大学の構内の桜は満開だった。横浜より、ずいぶんと早い感じだった。詩人吉田教授の研究室は、以前、豊崎光一教授が使っていた部屋だったということで、大むかし、氏を訪ねて来たことがあったのだが、うまく思い出せなかった。
舎へ帰るのに、新宿から中央線の各駅停車にしたら、「千駄ヶ谷」「市ヶ谷」「飯田橋」と、それぞれ「お勤めの会社」への出勤に利用した時のことを久しぶりに思い出して、遥かに、いろいろと、うろうろと来たなあ、とあらためてビックリした。
水道橋駅から白山通りを歩き、神保町の交差点に出て、八木書店に納品に行く。歌人中村教授の著作『佐藤信弘秀歌評唱』の一冊だけの注文だったが、きっと良い読者にめぐりあったのだろう、と嬉しくなるも、明大通りから山の上ホテルへと登る坂にかかったら、足の甲、足首、ふくらはぎ、と痛くなって、この冬の引き籠りがたたっているのを痛感した。
2014年2月27日(木)曇-雨-曇-雨
気温は上がるが、降ったり、止んだりの雨の一日だ。
ここのところ、余分なエネルギーがなかったので、あれこれ気が回らずにいて、1月末に届けられた釜田初音さんの歌集『航跡』の柏崎驕二さんの丁寧な書評を紹介できずにいた。「山形新聞」に1月21日付で掲載された。
ほかにも、森本平さんが「短歌往来」に「2013年の収穫」としてリストアップして下さっているそうだ。こちらは未見なので、手配中である。
2014年2月23日(日)曇/晴 寒
菊野恒明歌集『望郷の医局』が出来上がる。[医局三部作]と銘打っての第三歌集である。
昨秋に「第二版」を発行した第一歌集『北の医局』(2001年9月刊行)、そして第二歌集の『医局の庭』(2009年5月刊行)から、少し期間を狭めたが、これで「1993年」から「2013年」までの「20年」にわたる「精神科医の足跡」が記されたことになる。
北冬舎を始めたのが「1995年」なので、指を折ってみると、今年が20年目で、同年齢の菊野恒明さんの「歩み」と、併走ならぬ【併歩】に、氏の最初からの作品に改めて接すると、深い感慨を覚える。
そこで、このような【帯文】になった。
[みずからの気持に添うものではなかった赴任地での日々を率
直に描いた第一歌集『北の医局』から、ひとりこころを慰める
第二歌集『医局の庭』の暮らしを抜けて、ようやく父母の眠る
《ふるさと》へ帰還したよろこびと哀しみと重責の日常が待つ
第三歌集『望郷の医局』の精神科医の世界ーー。]
書き上げし最後の行にfと書きiと書きそしてnと書きたり
しらじらと明けゆく東の方に見ゆる立山連峰をしみじみと見る
どうぞ、「独自の精神科医の世界」に触れられますように!
歌集も、書店で、ご注文できます! 直接のご注文も承ります。
それから、ここのところの酷い寒さに、身体から、日々、エネルギーが奪われている感じで、しばらく目前の仕事をこなすことが精一杯で、この「ホームページ」をお留守にしていたら、友人たちが心配してくれて、その一人、大田美和さんが「2014年掲示板」に投稿してくださった。ハガキで尋ねてくださった方もいらっしゃったので、今日はここになんとか……。
少しずつ、「計画/予定」にのっとって日々をやっておりますので、ご安心を!
大田美和さんの素敵な「2014年掲示板」の記事もお読みいただけますように! また、鋭意進行中の『大田美和の本』も、お楽しみに!
2014年1月28日(火)晴
やはり、「大寒翌日」の、雨に打たれての夜更けの帰宅がたたって、先週末から少し風邪気味で、24日(金)から家に閉じこもって、「葛根湯」のお世話になりながら、寝たり起きたり、起きたり寝たり仕事をしたりして、昨日27日(月)までいて、今日、五日ぶりに歩いたら、足が痛くなった。毎日のラジオ体操も、無理せずにお休みしていたせいか、足の筋肉だけではなく、骨まで負荷がかかるような感じだ。
今日は、新しい方と「ヒルトップ」で、歌集の打ち合わせをする。いろんな方のお力で、なんとか今年も続けられそうだ。年内から、もうはや、来年にかけての「予定と計画」もいっぱいになってきた。「2020年」までも頑張れるか、都知事と(笑い)。
蒲団から這い出しながら進めていた、3月発行予定の「北冬」№015の「原稿」と「指定書」を入稿する。責了のゲラも進めたので、夜更けに帰宅してから、印刷所に「データ」をメールの添付で送る。「メール」の「エラー」もあって、〆切までに送って下さっていた方にご面倒をおかけしたりするも、なんとか一人で進行している。
在宅パートの方も、メールとファックスのやりとりに即応してくださるので、大いに助かる。
なにせ、今年は「予定と計画の〈魔〉」になって、どこまで行けるか、行けないか……、なんて思いながら(^~;^~)、やっぱり、《寒さの底》は蒲団に潜って、などとやり過ごそうとするやわな心身に苦しむ、というわけか。
2014年1月21日(火)晴れのち曇りのち雨
昨日の「大寒」は空気が肌に染み入るほどのような冷たさだったが、今日はやや緩むも、夜、帰宅の途次、降られる。傘を持たずにいたが、このところ、帽子を着用しているので、薄い頭に染み入らなくてよかった。
沖ななもさんのインタビューが「サンケイエクスプレス」に大きく掲載される。担当の記者・塩塚夢さんがとても丁寧な方で、掲載紙を大至急、宅急便で送ってくださる。手近で購入できなかったので、大いに助かり、その親切に感激する。
掲載の様子はトップページに載せたが、沖ななもさんの笑顔の写真にこちらも笑顔になって、『明日へつなぐ言葉』はきっと、たくさん売れるにちがいないという確信が襲来した。
本は、「日本図書館協会」の「選定図書」にもなり、この本のおもしろさが、しだいに多くの人に知られることだろう。いろいろな賞の現場においても取り沙汰されるだろう。
昨日上がってきた、菊野恒明第三歌集『望郷の医局』のゲラの責了作業と「北冬」№015の原稿整理、合間に電話で直接注文のあった本を「ヤマトメール便」で送ったりと、あっという間に時間が過ぎる。さらに、お預かりしている原稿を読んだり、名簿の整理をしたりと、【百面相】(笑;^~;^~;笑)の活躍をした日であった。
帰宅途中の雨も、さほど冷たくはなく、真冬の夜更けの雨に打たれる悲愁に泣くことはなかった!
2014年1月19日(日)快晴 寒
終日、家。6月刊の歌集の編集・構成に集中する。若干の留保点を残して、ほぼ90%くらいのところまでできて、著者に提案するばかりになった。ここから著者と議論しながら、十全を求めて、充実した行程を行きたい。
「16日」に記した、「優良図書」は、手元にあった「週刊読書人」で確認したら、「選定図書」という表記になっていた。ちゃんと記せば、「日本図書館協会選定図書」と印刷されている。「選定図書」イコール「優良図書」と慌てて思ってしまうのは、ずっと「優良」というものに縁のなかった凡才の情けないところだ。
お詫びして、訂正させていただく。
としても、沖ななもさんの『明日へつなぐ言葉』は、とても「優良な本」であることはまちがいない。ぜひ、ご注文ください。書店でも、当社でも、また、「図書館」に購入希望のリクエストを出していただければ、ありがたい。
2014年1月16日(木)晴 寒
昨日より、少し気温が高かったが、寒中らしい寒さだ。
これまで、あまり気にとめていなかったが、「日本図書館協会」が選ぶ「優良図書」に、沖ななもさんの『明日へつなぐ言葉』が「選定」されたという手紙が来る。
「読書人」に、毎週掲載されているのを目にしては来たのだが、特に縁もないという感じでいた。書籍の取次関係から図書館への案内ルートは魅力的だが、そのルートがある時からうまくいかなくなっていた。
それが、八木書店の取次業務にお世話になってから、担当の方が丁寧で、アマゾンや日販との橋渡しをしてくださって、見本を納入することになって、流れを作って下さった。
図書館の購入時の資料になるようなので、大変ありがたい。
沖ななもさんの[筆力]のおかげだ!
沖さんには、『中村教授のむずかしい毎日』を取り上げて下さった町田康さんのご縁で、「サンケイエクスプレス」の「読書欄」で《著者インタビュー》もあるようなので、新年早々、縁起がいいことだ。
今日は、八木書店に今年はじめての納入もあったし、先週には、京都の三月書房からも注文があって、なんとか、年初、幸先良く始められた。
三月に出す「北冬」№015の原稿も続々入ってきて、気合が入る一日だった。六月に出させていただく、〈素敵な歌人〉の歌集の編集にも集中できて、気持ちの良い一日だった。
2014年1月12日(日)快晴 寒
昨年末に届いた「熾」1月号の表紙絵が新しくなっていて、眼を引かれた。[荻野須美子染色作品「凍華」1967年作]という説明がある。古い会員の「染色作品」で「会員誌」の表紙を飾るのは、以前紹介した「地中海」誌が会員のスケッチを表紙絵にしていたのと同じで、親身な感じがあって、とても好ましい感じがする。
その号に、先日、簡単に紹介したが、わが朋友・中村幸一さんが、昨年11月の小社刊の釜田初音さんの歌集『航跡』の「書評」を、早速、書いて下さっている。
「「未来」所属、一九四三年生まれの作者。第三歌集である。簡単にすっと頭に入ってくる歌はあまり多くない。理知的で、思弁的、いろいろと考えさせられる。いかにも近藤芳美の弟子らしい。」
一読して、簡単に分かるという短歌ではなくて、一首を下の句まで読み終えて、改めてその【意味内容】を一首全体に戻って尋ねるという、対象に身を添わせる行為が必要なのである。
そのあたりは、「作者は比喩、とりわけ、隠喩に優れている。」ということからくるのだろう。中村さんは、釜田さんのそれを、さらに、「極めて非凡である――」とまで評価するのである。
思弁的な難しい短歌を書く中村幸一さん自身がそのようにおっしゃっているのだから、単なる【エール】というものではないだろう。例歌に、
夕やみと街灯の灯のせめぎ合い春なかぞらは吊られたるまま
頑是ないものがいつしかとっぷりと私をおおう皮膜となりて
などを挙げている。これらの短歌を読み取ろうとする、現代短歌壇の評価基軸の趨勢がまったく別のところにあることは理解しているが、これらの短歌の理解にあたっては、すくなくとも、読み手の感性のありか、あるいは短歌観が浮き彫りにされることだけは間違いないようだ。
2014年1月8日(水)曇ー雨
今年になって初めての雨。真冬の雨は、こころまで冷たくする感じだ。
今日は、午後からの、そんな雨降り予想だったので、自宅作業と決め込む。今にも降ってきそうな早い午後から、夕食を挾んだ夜半まで、集中して作業をする。4月に出す『大田美和の本』の「要再校ゲラ」の整理だ。盛り沢山の内容なので、細かい作業がたくさんある。
なにしろ、もう一昨年になってしまったが、2012年12月に刊行した『依田仁美の本』に続く、「[現代歌人ライブラリー]2」で、大田美和さんの《才能》を余すところなく伝えようと欲張ったので、「既刊4歌集」の短歌を全部収録した。まさに、待望の《全歌集》である。
これだけでも、〔売り〕としては十分なのだが、その他に「未刊行詩篇」「未刊行エッセイ」なども収めた、【歌人+詩人+大学教授+論客+母親+妻】という、大田さんの可能なかぎりの全存在を伝える編集になった。
【乞うご期待!】の一冊である。
そうして、一日を終えようとしたら、当の大田美和さんから「ご意見掲示板」に投書があって、慌てて「ご意見掲示板☆2014」を作成したところだ。今回は、すんなりとページコピーもうまくいって、新しいページがスムーズに設けられた。
そちらもお読み下さい。
そして、さらに、みなさん、どしどし「ご意見」をお寄せ下さい。
ほかにも、嬉しい展開があったが、こころ寂しい冬の雨の夜が、すっかり更けてしまったので、またの機会にしたい。「リーガ・エスパニョール」も、今シーズンは贔屓の2チームが好調なので、ビデオ観戦の予定で、大忙しだ。
2014年1月6日(月)晴
北風の冷たい、寒い一日、世間様並みに、年末から今日まで、途中、自宅作業を入れはしたが、初出社となった。これほど長く事務所に出なかったことはなかった気がするが、どうだったろう。12月28日(土)から1月5日(日)まで9日も顔を出さなかったのかと、改めて勘定してみて、驚く。
いつもポストがいっぱいになるのを心配しているのだが、今日は年賀状のほか、本と雑誌が少なかったので、大丈夫だった。
3時過ぎ、校正の尾澤孝さんが来社。お茶菓子におまんじゅうを持って来てくれて、お茶を淹れて、食べながら、お正月休みのあれこれをしゃべる。
菊野恒明さんの第三歌集『望郷の医局』の初校チェックと再校校正をお願いする。やはり年末年始休みが長かったので、今日からとても忙しくなったということなので、こちらは、ギリギリの時間読みでお願いする。昨年後半から、早目に予定を立てて進行してきたので、時間が読みやすくなってよかった。
「北冬」№015を3月発行の予定で、12月初旬に原稿依頼も終え、また、早い方は年末からお原稿を寄せて下さったりで、順調に進行している。今日も、一篇、メールで頂戴した。
「特集」を〔大小〕の2本立てにしたので、依頼本数が多くなったが、その分、面白い号になった。
〔小特集〕は上村隆一さんの『中村教授のむずかしい毎日』をめぐってのものだ。
昨年の刊行まもなくの9月に「サンケイエクスプレス」で書評して下さった町田康さんに転載をお願いしたら、快く了承して下さったので、ほかに何人かにお願いする。みなさん、面白がって下さって、錚々たるメンバーが揃い、楽しみの号になった。
〔大特集〕については、紹介し始めると長くなりそうなので、また改めて記したい。
2014年1月5日(日)晴
今日は、寒の入り。1月いっぱいの寒さをなんとか凌ぎたい。節分頃には、日差しもだいぶ強くなって、毎年、気持も上向く。
今年は、三日で正月を終えて、昨日の4日から、自宅執務だったが、4月に出す本の要再校ゲラの整理に努める。細かい作業が多いので、神経を使う。正月早々のぼんやり頭に刺激を与えるのにちょうどよい作業になった。
いずれそのうちに、[予告]を打ちたい。
「北冬」№015の段取りも昨年中にほとんど終えて、1月下旬締めきりなので、その他もろもろの準備と進行の「予測と予定」も、昨日、メモしてみた。やることがたくさんあって、逡巡している余裕がない。
そんな中、昨年末に届いた「熾」新年号に、朋友中村幸一さんがはやばやと釜田初音さんの『航跡』の書評をして下さっていて、「お歳暮」と「お年玉」を一緒に頂戴した気持ちになって、大いに喜ぶ。
釜田初音さんが駆使する「隠喩」をとてもよく理解して下さっていて、二人三脚で編集・制作を担当してきた身としては、ホッとする思いが強い。釜田さんが使用する「隠喩」については議論もあって、分かりにくいという声も上がったりしてきたが、1首に丁寧に身を添わせればそれほどでもないのだが、お師匠の近藤芳美さん譲りの「意が余って言葉が捩れる」ところと混同されて、損をしてきた。
中村幸一さんの「書評」は、またゆっくり紹介したい。
2014年1月3日(金)晴
みなさん、明けましておめでとうございます!
と、ご挨拶を申し上げながら、新しい年を迎えて3日――、1年増すごとに、しだいに〔新鮮な情緒〕から遠く離れてゆくのは、哀しい。哀しい、と思いつつ、いかんともしがたい、と思うことが、いっそう哀しい。
などと、年頭にあたっては、すこし寂しい、景気の悪い、いまいちな〔感想〕から始めてみるのも、今年は、率直に、地道に[計画/予定のある日日のほうへ]と歩んで行こうという気持にふさわしいと思える。
毎年、さほど賑やかに活動しているわけでもなく、[計画/予定]を優先的に進めているわけでもないので、最低限のお付き合いの方たちとも、連絡が間遠になってしまうので、そのあたりをできるだけ改善してみたい。
人生のこのあたりまで来て、そんなことを思うのは、まったくどうかと思い/思われるだけだが、[計画/予定]というものを毛嫌いし、またそのことから目を背け続けてきた凡愚にとっては、かえって〔新鮮な情緒〕を帯びているというものだ。
ということで、〔実感から遠く離れて〕所感を、率直に述べて、新年を始めさせていただこう。