近事呆然☆2019年

2019年11月26日(火)曇/雨

 編集協力と販売を引き受けている「扉のない鍵」の第3号ができた。一年ぶりの第3号だが、[別人]諸氏の鷹揚な、[別人誌]らしい雰囲気が、なによりも継続の動力なのだろう。それぞれの個性がそれぞれの存在を保障しているので、今号の「特集*[扉のない鍵]はどこにあるか。」でも、多面的な探究の結実である作品の豊富さ、水準の高さが見られて、嬉しいことである。

 

 なかでも、詩人宮野一世さんの「三九九十〇四六九二九六四〇十九九三」と題した詩は、快作だ。先の戦争中に書かれたという「暗号詩」、「大正俳壇を彗星のように駆け抜けていった鬼才、黄泉柴卜太の「数字俳句」」を素材に、一篇を果敢に「特集テーマ」と格闘するものにしている。

 

 今年の「詩壇」でも優に水準を超えている傑作であり、「俳壇」からも注目に値する素材への新たな言及で、前号の「特集*「ない」ということ。」で、その実力ぶりを遺憾なく発揮した生野毅氏の作品「おくるみ」に続いて、[別人誌]という【器】の存在証明/根拠をも照らし出した。

 

 ほかにも、短歌・詩・小説・エッセイ・画と、実力者揃いの、快作、傑作が並んでいる。小林久美子さんの表紙絵も、毎号、好評で、文字で表現された作品と視覚に対して表現された作品とで雑誌全体が成立していて、その充実ぶりは各所で注目される質の高さを見せている。  

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2019年10月20日(日)曇ー晴

 生沼義朗さんの歌集『空間』の反響などについて、あまり記さないうちに、2か月が経って、小林久美子さんの歌集『アンヌのいた部屋』ができた。どの一冊も、次から次へとできあがる流れの中のものではないので、つくり終えると、新生児がそこにいるように、しばらく顔をしみじみと眺めている時間が続いて、ああ、もう2か月が経っているのかと、あらためて感じるほどだ。

 そんなに時間が、どうしてかかるのか、と内からも外からも怪訝に思われるばかりだが、時間の流れが、きっと独特になっているからだろう。その分、得心のゆくところまで、編集も、制作も、辿り着いて、出来上がれば出来上がってから、また、呆然としている時間がさらに経ってゆくというわけだ。

 

 ことに、このたびの『アンヌのいた部屋』は、「時の静かなものの巡りで」というエピグラフが掲げられているように、一冊全体に「静かな時間」が流れている、繊細な詩情がたたえられている、短歌作品集であるので、ここまで過ぎて来た、そしてまた、ここから過ぎて行く時間のことまで想わせられる。

 どの作品にも、表現対象への深い思索があって、静かに読み耽って本を閉じると、共感や、慰め、そして励みのような感情に満たされるのに気がつく。

 つまりは、「アンヌ」がいた「部屋」に流れる時間を共にできるからなのだろう。

 

 その時間を、あらためて、生沼義朗さんの歌集『空間』に流れていた時間のそばに置いてみると、今年の2冊が、実に深い思索のもとで行なわれている詩の表現を本の形にしたものだと満たされる思いになる。

『アンヌのいた部屋』の本づくりも、内容にふさわしい用紙や製本を求めて、充実した「時間」が、こんなに流れ、『空間』の主題を編集していたときの時間も、一緒にこんなに流れ、という感じで、担当者としては、しみじみと眺めているところだ。 

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2019年8月16日(金)曇 湿気がすごい。

 2019年の8月も半ばになっている。

 なかなか明けない、うっとしい梅雨の曇り空の日々から、夏空になり、見上げては、その青さに喜んでいたが、陽射しの強さに尻込みしているうちに、台風の大雨、南方からの湿気の流入での蒸し暑さに、傷んでいる身体の各所が反応しているかのようだ。

  気圧の変化に、少年時には敏感に反応していたが、成年・壮年時には、感じることを防いでいる力もあったようだが、いや、雨の日のブルーな精神は救い難かったが、またこのところ、老いを深めて身体のさまざまな部分の力が弱ってきているせいか、天候・気候に素直に反応し始めたようだ。

 

 こんな日々に、発行以来、生沼義朗さんの『空間』に書店からの注文、直接注文とでにぎわっていて、ありがたい慰めである。

 また、作家・詩人の辺見庸さんが、ご自身のブログで、加部洋祐歌集『亞天使』に言及してくださって、辺見さんのコアな読者の方たちの関心を呼び、[加部洋祐ブーム]のように、注文がたくさん来て、中取次でお世話になっている「八木書店」にも、追加の納品をしたり、直接販売をしたり、暑さの中、これも嬉しいかぎりだ。

 

『亞天使』は、帯に「衝撃の第一歌集」と記したように、〈問題〉がいっぱい表現されている歌集だ。

 世界中で、日本中で、〈生の声〉ばかりが氾濫して、〈華麗な罵り合い〉にうんざりするばかりだ。〈地の声〉の大きさとか、〈絞った喉の声〉の高さとかを競うほどに、

世界は絶望的になってゆくばかりだ。

 加部洋祐さんの〈表現〉が、「天地左右のプロパガンダの言葉」と違って、どこまでの高さ・遠さを獲得できているか、あらためて認識される必要があるということなのだろう。

 

 さまざまな〈言葉の位相〉を眼にするにつけ、もっとも〈素直な言葉〉が身に染みてくるのだが、そんな言葉で書かれていたので、愛読していた「文學界」の巻末頁の連載、相馬悠々さんの「鳥の眼・虫の眼」が「最終回」ということで、寂しい思いになった。

 一度は、本にでもできないかと思ったこともあったほどの「貴重な文芸史」となっている。文芸誌には、以前、新鋭の評論家たちが「匿名」で切っ先鋭く「時評」していたものだが、それらも、ある時期、役割を否定されて終わったあと、唯一、「匿名のような筆名」で、斜にならない言葉が、なつかしい味わいでよかった。

 ときどき、批判にさらされていたようだが、〈斜交いの物言い〉からの批判のほうが時代におもねっている顔を逆に晒け出し、醜い顔つきを見えさせて、「匿名時評」の任をよく背負ってきて、ありがたいことだった、と労をねぎらいたい気持ちだ。

 

 そんな〈言葉の位相〉を思っているところに、「週刊読書人」の最新号が届いて、一面のインタビューの古谷田奈月さんの言葉に素直に感銘を受けたのだった。この作家の作品は一作も読んだことはないが、いや、この作家の作品に限らず、最近の小説はまったく読まないので、どういう作家か知らないが、最新刊の『神前酔狂宴』を語る言葉は

「天地左右のプロパガンダの言葉」から遠く離れていて、長いあいだ、こちらが、人に言い続けていたことが、「情理兼ね備えた言葉」で言われていて、〈世界への絶望〉に光が射した感じがした。

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2019年7月20日(土)曇り 湿気がすごい。

 2019年の七夕もはるかに過ぎて、なんて、のんびりしたことを言っている場合ではないが、ともあれ、最新刊の発行にこぎつけた。あれこれ、夏以降の予定に、湿気もきわまっている、梅雨のあけない日々に、ようやくひと安心という気分である。。

 生沼義朗さんに[ポエジー21]シリーズへの参加をいただいて、このシリーズも、いっそう豊かになった。「内容」は生沼さんが「あとがき」に書かれているように、実質的には「歌集」だが、「問題設定」を強くしていただいた「作品集」という くくりでの刊行である。

 テーマは、「〈空間〉の短歌とは?」である。

 先の歌集『関係について』で深めた思索をいっそう深化させて、独自の〈空間感覚/現実空間〉を出現させた、先鋭な短歌作品集である。このところ、その実力をさまざまな場所で発揮している生沼さんの、大きな成果のひとつである。

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2019年4月3日(水)快晴 風が冷たい

 2019年も、はや4月。先の日付の感慨と同じく、【どうにも、なんとも、】というほかない、〈現在〉である。

 体調は、旧に復したというところだが、その間、確かに時間が経過していて、その実感が身心にあって、あいかわらず、わがままな日々を送っている。お仕事の予定は、たいへん有り難いことに、切れ目ない状態で、努めているのだが、いくら時間があっても足りない状況で、夏前から本格的な進展になりそうだ。

 刊行予定がたくさんあるので、なんとか、段取りよく時間を使いたい。

 

 既刊本の注文は途切れずに続いていて、読みたい方がいらっしゃるのを具体的に知ることができて、日々、いちばんと言っていいほど嬉しいことなのだが、中でも、10年前、20年前に刊行した本の注文があると、編集・出版の冥利に尽きる思いがして、思わず手を合わせる気持ちになる。

 もちろん、最新の書籍に較べればたくさんの注文があるわけではないが、1冊でも、2冊でも、この喜びは、つれなくされた昔の恋人から優しい言葉をかけられたようで、幸せいっぱいになる《^?^》。

 

 先日は、「1997年3月」に発行した、笹原玉子さんの歌集『われらみな神話の住人』の注文があって、在庫からきれいなものを探し出して納品できた。22年も前のご本である。また、佐伯裕子さんの歌集『ノスタルジア』は「2007年3月」の刊行で、江田浩司さんの『まくらことばうた』は「2012年11月」、古谷智子さんの「《主題》で楽しむ100年の短歌『幸福でも、不幸でも、家族は家族。――家族の歌』は「2013年6月」など、数年から10年以上前に発行したご本である。ほかにも、この2月・3月に注文があって、とても書ききれない。あらためて、日々、さらに出版への情熱を燃やすようにと叱咤激励されている。

 

 また、先には、本腰を入れてお手伝いを始めた[別人誌]「扉のない鍵」が、一流他誌の中にまじって、本格的に「時評」されていたので、次号へ向けて、強く後押しされた思いになった。

 時間が経ったが、転載させていただいたので、このページをご覧ください。

 

 以上、なんとか、春から根気よく! というところである。 

2019年1月23日(水)快晴

 ようやく2019年へと辿り着いたというところである。どうにも、なんとも、というほかなくて、あきれたことながら、例年にならって、「年賀状」のみ、掲載させていただく。

 この2年ほど、精神、体調と、わがままな日々になっていたが、今年はどうだろう。

 刊行予定もたくさんあるので、「気を引き締めて」が正しい態度になる。