近事呆然☆2016年

2016年10月26日(水)晴 (25度、夏めく)

 9月、10月と、お天気がまったく定まらず、夏から秋へ、そして初冬へと移り変わる情緒は、今年も、まるで失われてしまった。

 今日、10月26日は、北村太郎さんの祥月命日だ。1992年のこの日は、朝焼け、夕焼けと、澄んだ秋の青空に、夜明けから夕暮れまで、太郎さんゆかりの者たちそれぞれの心に残る、絵が描かれた。

 その夕焼けの色を、「あれがほんとうの茜空というものだったのよ」と、そののち、詩人と晩年の混乱を共にした女性がつぶやいた。その声音は、1992年のその日から、24年経ったいまも、簡単に、すぐに、蘇ってくる。

 

 いまになってみると、あの日の空は、「20世紀の空だった」としか思えない。そして、その6年前の10月17日に亡くなった鮎川信夫さんの、その日に吹き荒れた木枯らし1号もまた、「20世紀の風だった」と思える。そうして、「素敵な20世紀の詩人たち」がいなくなって、空も、風も、変わってしまった。

 

 今日のご命日に近い日に、亡くなられたあと、ゆかりの人たちと「北村太郎の会」を続けてきていたのだが、それに参加しなくなってから、もう何年経ったか、指を折るのにも時間がかかる感じだ。

 長いあいだ、その詩と人柄に親しい思いを抱いてきて、亡くなってからは、その思いを大事にしたいと続けてきたことだったが、会から抜けて以後、この日には、ひとり、その詩や文章を読むことになった。「生の意味」を問い続けてきた詩人の詩文に、この日頃は、あまり触れなくなってしまったことを反省しながら、たまには「生きる意味」を考えてみることをする。

 

 今日は、1988年10月15日発行の詩集『港の人』の「31」の冒頭の4行に、長いこと、立ち止まった。太郎さんが66歳の時の詩集である。

 

  手帳に書いた予定の日が

  かならず来る

  世の中に

  これくらい恐ろしいことはない

 

 詩集で初めて読んで以来、この詩行には恐い思いをしてきて、予定を立てない日々を生きられないものかと夢に描くこともあったが、そしてまた、一年も先の予定を立てなければ生きられない人生を恐怖の思いで見てきたこともあったが、

 

  すべて来たり去り

  いつか予定に絶対はいらない日が

  くるんですか、と

  ひとりごとをいいながら

 

 なおも、恐い思いを続けてゆくほかはないのだろう。いずれにしても、

 

  積極的な人生観も

  シガーの灰のように無力だ

 

 という、この、詩篇「朝の鏡」の中の言葉に、ここまで、何十年となく慰められてきて、この先、さらに、どれほどの時間を甘えて生きてゆくのだろうか。 

  

北冬舎刊『北村太郎を探して』四六判464頁3200円

 

Ⅰ 北村太郎未刊行未収録詩集

Ⅱ 北村太郎未刊行未収録エッセイ集

Ⅲ 北村太郎を探して「北村太郎の会」講演録

  加島祥造・岩田宏・清水哲男・辻征夫・井坂洋子

  正津勉・吉田文憲。稲川方人・瀬尾育生、ほか

Ⅳ 1992年の北村太郎 (追悼文・追悼詩)

  田村隆一・三好豊一郎・清岡卓行・飯島耕一・

  渋沢孝輔・吉野弘・平出隆・池澤夏樹、ほか

北村太郎年譜・書誌、ほか

 

2016年9月29日(木)曇 蒸し暑い

 今週の月曜日に、突然、これまで使っていた「メール・アドレス」が使用できなくなってしまったので、バタバタしていて、やっと、落ち着いたところだ。

 だいぶ前に、「北冬編集部用」の「hotmail」が「outlook」のほうに移行されてしまい、今度は「北冬舎用」の「hotmail」が、どこへ行ったのやら、皆目、見当がつかない状態になってしまった。「ホームページ」の連絡先にも設定していたので、変更作業やら、変更届やらで、いつまでも慣れないPC作業ゆえ、アタフタしてしまった。

 

新しいアドレス」をあちこちに記しておくことにしたので、お気づきの節は、よろしくお願いします。ちなみに、

 新アドレス=hokutousya2@gmail.com

 

 なんだか、「9月」は、お天気がまるで安定せず、雨と曇ばかりで、関東はお日様に見限られたようで、気分も体調も不安定だなあ、と思っているうちに、末になってしまった。

 来年に向けて、暑いさなかの8月から、9月、そして冬へと、素晴らしい評論集、歌集などの刊行を楽しみに、編集作業に奮闘中だ。

 さまざまな点から難しいことに直面し、読者のみなさんには誠に申し訳ないことながら、不定期刊になってしまった「北冬」も、なんとか、「№017」の発行を目指して企画・編集の作業についたところだ。

 今号は、[中村幸一責任編集]で、「わたしの気になる《沖ななも》」という「特集」を組むことになった。原稿依頼の最中である。楽しくて、「気になる特集号」になるよう、これにも奮闘中だ。

 

「№016」の「井辻朱美特集」は、充実した内容で、とても評判がよく、また、売れ行きも好調で、残部僅少となった。

 そのあとを受けて、ぜひ、良いものにしたい。ご支援、どうぞ、よろしく!

 メールアドレスの変更も、気分一新、気持ちを変えて、先へ進みなさいとの示唆なのだろう。できたら、この「ホームページ」も、もっと、先へと進みたいのだが。。。

2016年9月8日(木)曇 蒸し暑い

 今井正和さんの第一批評文集『無明からの礫 2006-2015』の「紹介」が「東京新聞」に掲載されたので、さっそく、「刊行図書の評判」のページに載せさせていただいた。

 刊行後、すぐに、「毎日新聞」で酒井記者が丁寧に紹介してくださり、小さい紹介欄ながら、本の内容と狙いを的確にまとめてくださってのこのたびの記事も、ありがたいかぎりである。

 短歌新聞や短歌雑誌にも、徐々に紹介されているようで、今井正和さんの歌人・批評家としての力量、評価が、正当に拓かれてゆく感じだ。 

 「時代の表層と戯れる言葉ではなく、本質を見極める《短歌の思想史》へ!」

 「現実の〈実相〉に、真摯に立ち向かう歌人の初の批評文集。」 

「帯文」を再掲させていただいたが、「東京新聞」のこのたびの「内容紹介」の、

 「作品と状況に立脚した批評精神あふれる時評論集」

 は、簡潔で、こちらのほうが素敵だ。

 

 この「ホームページ」の「更新」が滞っていたので、「どうした、北冬舎!」という声が聞こえてこないでもなかったのだが、3月に、中村幸一歌集『あふれるひかり』、5月、沖ななも歌集『日和』、7月に、今井正和批評文集『無明からの礫 2006-2015』と、小社にしては、他社からすれば信じられないことだが、立て続けに刊行したので、少し気を緩めたら、あれこれ、素敵だった2016年の夏7月8月も終わっていた、というところだ。

 立て続けに出版するということは、昨年からのそれまでの時間を、倦まず弛まず(笑い)行ってきたということだから、大変なことだったのだ。また、6月から7月にかけて、「ユーロ選手権」があったので、スケジュールが立て込んで、時差のある夜更けには無理のきかない体力になったので、お疲れ休みが、しだいに必要になった、という感じだったろうか。

 

 それでも、のんびりばかりしていた/いる、わけではなくて、この秋から冬へ、そして来年へ向けての、素晴らしい評論集、歌集などの準備に奮闘中である、とご報告しておきたい。お楽しみに!

2016年7月5日(水)快晴 夏空

 今井正和さんの第一批評文集『無明からの礫 2006-2015』の発送もすべて終えて、一段落しつつ、次に出す予定の本に、集中的に着手したら、〈新幹線〉並の超特急の紹介が出て、正直に言って、仰天した。

 長年、真摯な短歌表現を続けてこられた今井さんの「第一批評文集」とあって、素敵な読者に恵まれるといいがなあ、と心から願っていたら、それが、こんなに早く叶えられたものだから、嬉しいこと、この上ない。

 「刊行図書の評判」のページに載せさせていただいたので、どうぞ、ご覧ください。

 

 戦後短歌の大歌人「近藤芳美」さんの没後10年、今井さんが心に期した思いを近藤さんが叶えて下さったのだろう。奥付に、変則的だったが、ご命日の「6月21日」を印刷日にして、ほんとうによかった。

 折り折りに、著者のみなさんの「記念日」などをお聞きしながら、何かいい日があると、そうすることができるのも、自由勝手な【社主】の役得だ。

 

 そういえば、先日出した、沖ななもさんの『日和』の「印刷日」の「5月17日」は、先年お亡くなりになったお母さんの「誕生日」だった。これもまた、良いご加護に恵まれて、上々の評判だ。「上・下」の「下巻」という感じだったので、この日くらいには出来上がるといいわね、という感じだったが。

 

 酒井さんも引いて下さった、「帯文」を再掲させていただく。「時代の表層と戯れる言葉ではなく、本質を見極める《短歌の思想史》へ!」

「短歌は、この〈危機的な十年〉という時の流れの中で、何を、どのように表現してきたか? 現実の〈実相〉に、真摯に立ち向かう歌人の初の批評文集。」 

2016年6月28日(火)雨ー曇

 今井正和さんの第一批評文集『無明からの礫 2006-2015』が出来上がり、昨日までで、「著者贈呈」の発送もすべて終えて、一段落したところだ。「第一批評文集」とあって、今井さんも全力投球をされ、それを受けとめるこちらも全力の仕上がりとなった。

 

 今井さんが、師と深く仰ぐ「近藤芳美」さんの没後10年、奥付には、変則的だが、そのご命日の「6月21日」を印刷日、発行を「30日」としたら、ちょうど「21日」に出来上がり、製本所から今井さんのご自宅にその日に届き、今井さんも感激していた。無事、到着した旨のご連絡があって、翌日には、さっそく、近藤さんの墓前にご報告に行かれるということをおっしゃったので、こちらも感激した。

 

 なんとか、ご希望を叶えられ、また、「索引」や「引用照合」や「校正」など、お手伝いの方々のお力もお借りしながら、あれこれ神経を使った編集・制作作業も、納得の時間経過のうちに終えることができて、ほんとうに良かった。

 

 「時代の表層と戯れる言葉ではなく、本質を見極める《短歌の思想史》へ!」

 

 と、今井さんの「あとがき」の言葉の精神を惹句に、

 

 「短歌は、この〈危機的な十年〉という時の流れの中で、何を、どのように表現して

  きたか? 現実の〈実相〉に、真摯に立ち向かう歌人の初の批評文集。」 

 

 と、「帯文」で紹介させていただいた。 

 

 「30日」には、ほとんどの方のところに「精神の書」が届くので、どうぞ、じっくりご堪能ください。

 いつものように、どの本にも願うように、素敵な読者に恵まれるよう念じながら、発送作業を終えたことだった。

2016年5月26日(木)晴

 沖ななも第十歌集『日和』が、古めかしい言い回しながら、大好きな表現を使えば、「潮が満ちるように」でき上がった。文藝というものの本質から外れた、その時々刻々の「時間」の表層ばかりを滑っている言説から遠くはなれて言えば、そういう言い方になる。

 

 昨年9月刊の第九歌集『白湯』の好評が変わらずに続いているところへ、「上巻」に続く「下巻」という趣での刊行である。書店からの「予約注文」も好調で、『白湯』に引き続いて、さらにたくさん売れ、多くの読者に読まれてほしいものだ。

 

『白湯』は「519首」、『日和』は「527首」の収録である。この2冊で、巧みな日本語遣いの実力歌人・沖ななもの「この十年の集大成」となり、それ以前の姿から変容しつつあった、その魅力を存分に味わえることとなった。

 

『白湯』では、「さりげなく卓越した技倆が析出する到達の第九歌集!」という表現を使ったが、このたびの『日和』では、「なにげなく繊細な感性が現像する望遠の第十歌集!」と「帯」に記して、これ見よがしな「上手な短歌」とは違う「巧さ」を、2冊ともに、言ってみた。

 

 今週は、「予約注文」に応えるべく、さっそく「取次店」へ納品したり、「直接注文や贈呈者への発送作業」など、【日進月歩な】(笑い)足腰の筋力低下を嘆きながらも、おまけのような風邪っ引きの残りを吹き飛ばす勢いで、『白湯』に引き続いての、素敵な読者に恵まれるよう念を込めながら、あれこれこなしているところである。 

               2015年9月刊『白湯』

2016年3月23日(水)晴

 中村幸一歌集『あふれるひかり』が、あざとく季節を合わせたわけではないのだが、ちょうど、春に「しあわせ感/癒やしアウラ満載」の歌集として、満を持して完成した。「ハードカバー・丸背・342首収録・230頁・2500円+税」である。

 

 昨日から、「取次店」への見本の納品、「贈呈者への発送作業」などで、またも、ひと冬を越えての足腰の筋力低下を覚えながらも、なんとか心地よく、こなす。

 

 手元から送り出すのはこれからだが、造った本人がこう言うのもなんだが、まず、ひと目見ただけで、あまりにも「しあわせ感いっぱい」になる「書影」をご紹介しておいた。

 さらに、現物を目にし、「作品」に触れたら、あまりにも「癒やしアウラ」が出ていることに驚き、そして、たちまち癒やされることだろう。そんな「歌集」である。

2016年2月24日(水)曇

 加部洋祐第一歌集『亞天使』は、「尖鋭な内容」にふさわしい「ハードカバー・角背・303首収録・188頁・2200円」――。

2016年2月22日(月)曇ー雨

 またもや怠けていたら、前回の筆記から一か月余も経ってしまったが、これだけは記さないではすまないので、なんとか記しておきたい。

 

 一昨日の「20日(土)」に、久しぶりに、主催者になって、期待の新人・加部洋祐さんの「批評会」を行なった。

 なんと、「加部洋祐第一歌集『亞天使』をめぐる闘論会」と銘打ち、「呼掛人」に「依田仁美・加藤英彦・江田浩司・石川美南・生沼義朗(司会兼)」の各氏にお願いして、「小ぢんまり」に「濃密な会」になるよう念願して、批判の多いキャッチコピー「衝撃の第一歌集!」の長所・短所について論じ合った。

 

 広く出席を呼び掛けるような会を目指さずに、歌集の「問題点」に関心を持つ人がいれば、ということで、「案内」も限られた人、もしくは「広報」というところで行なったので、通例の「批評会」とは趣を違えて、「やる気のある出席者」全員を巻き込んでの「議論」に近いものになった。

 

 どんな会でも、終えたあとの気分は、集会の後に付きものの一抹の空漠感に苛まれるのが常だが、そういう感じもなく、「二次会」にも付き合い、降りしきる雨の東京駅にも格別の寂寥を覚えず、「三次会・四次会・・・」と盛り上がったらしい「酔人たち」を置き去りにして、駿河台の事務所に戻った。

 

 会の後の熱で、さほど寒さも覚えずに、冷えきった事務所の中で、一人、先日のバレンタインデーに今年も忘れずに送ってきてくれた、母を亡くしたばかりの人の「悲傷」を、降りしきる雨の音に想いながら、チョコレートを3粒ほど食べて、帰途についた。

2016年1月17日(日)晴/曇/雨

 井辻朱美さんの『クラウド』、沖ななもさんの『白湯』、上村隆一さんの『中村教授のむずかしい毎日』などが、まとめて、あるいは少しずつ、年初から注文が来て、喜んでいたら、北海道の田中綾さんから嬉しい「お年玉」を頂戴した。

 田中さんが「北海道新聞」の「文芸欄」で連載されている、「書棚から歌を」というエッセイに、大久保春乃さんの『時代の風に吹かれて。ー衣服の歌』を取り上げてくださった。「時代の中の衣服」という本のモチーフに丁寧に添って、紹介してくださっている。

 「刊行図書の評判」ページに掲載させていただいたのでご覧ください。

  「中部短歌」の「1月号」の「時評」で、長谷川と茂古さんもさっそく紹介してくださっているのをネットで知って、これもまた、「お年玉」を頂戴したようで、大久保さんともども喜んでいる。

2016年1月11日(月)曇/晴

 新しい年になって、はや、10日も過ぎた。年を重ねるごとに、年末から年始へと、終わることも始まることも、さしたる感慨をよぶこともなくなった。それが、個人的な感受性の衰弱によるものなのか、時代的な変化の影響なのか、それすらもピンと来なくなってしまった。つまりは、時代を終えた、もしくは下りた、ということなのだろう。

 にしても、ここは、「北冬舎」の「公的なおしゃべり」の場なのだから、最低限、出版活動に寄与することを目指さなければいけないのだが、本人の性質上、いずれにしても、「私的なおしゃべり」をもって、広いところを視野にできるかどうか、という以外にない感じだ。

 

 それで、「頁題」を「近事呆然」としてみて、「コップの中の夢と大海の中の現実」が、直接的にか、間接的にか、境界を定めることは、もちろん、できないことなのだけれど、「私のいまここの生活の時間」をどんなふうなものにしているのか、せめて、そんなことだけでも記してみようとすることで、できの悪い、でも、気持ちを込めた「出版活動」の証にしてみるといいと思われる。

  昨年の最後に、30数年前の「感慨」を記して終えたのも、とうの昔に《無効》を夢見ていた、「私的なおしゃべり」の出発点を思い出してみたのだったのだろう。

 

 先の「感慨」の続きは、「たぶん、〈無効〉が〈無効〉をつき抜けて、その果てに〈有効〉を具現することは、あるだろう。あるいは、せめてそうとでも思わないかぎり、とうていやっていけはしないというふうに考えるのはわかるし、そのほうがいいのだとも思う。/けれど、〈有効〉とか、〈有効性〉とかいう言葉そのもの、またそれが指し示すようなものには、どこか”暴力”の匂いがするのだ。」というものだった。

 

 このところ、思いを新しく、改めてしばしば思うのは、「文は人なり。/文体はその人そのもの」ということだ。

「文藝/文学」は、もちろん、優れて「詩歌」は、即効性の価値を追い求める表現ではないのは言うまでもないのだが、こぞって即効性を求めることの〈暴力性〉に鈍感なのは、いったいどういう感受性の質なのだろうか。