近事呆然☆2017年

2017年9月10日(日)秋晴れ

 8月に引き続いての新刊ができた。

 江田浩司さんの大作『岡井隆考』を刊行しての感慨が、いまだ冷めない中、長年おつきあいのある、さいとうなおこさんの味わい深い随筆集『子規はずっとここにいる』ができあがった。

 今年は正岡子規生誕150年で、話題になっている中での刊行だ。また、「奥付」の刊行日は「9月19日」と、その命日にした。

 本書は、さいとうなおこさんが2005年より短歌結社誌「相聞」(主宰=中西洋子氏)に、現在も連載している随筆をまとめたものだ。外国語で「エッセイ集」と呼ぶよりも、日本語で、やさしく「随筆集」と呼ぶのにふさわしい、神経の細やかな文章で記された味わい深い一書となった。

2017年8月19日(土)曇-晴-雷雨-曇

 ようやく、江田浩司さんの評論集『岡井隆考』ができあがった。

 満を持しての「568ページ」の「大作」だ。

 取り急ぎ、このたびは、「帯」に内容を簡潔に記してあるので、それを以下に引き写しておく。

 

   [詩人岡井隆とは何か?]を尋ねて、そのテクストとの1000枚に及ぶ

   《批評的対話》の達成にとどまらず、更なる「岡井隆論考」の充実を

    願い、1956年から2016年にわたる精細で広範な「岡井隆研究史」と、

    1928年から2005年にいたる貴重な「岡井隆自筆年譜抄」、また、

   「岡井隆著作一覧」も集成収録した。

〈現在〉を                           疾駆する                         詩精神の                         根源へ!

2017年4月2日(日)晴

 誠に、「近事呆然」である。どんな日も、かろうじてやり過ごす思いのうちに、未来が現在を通り過ぎ、「アッ」という声をあげることもなく、過去となってゆく。「変わらないものは何もない。」という、たったひとつの難題を思って、硬軟いずれに比重を置くか、往来しているうちに、ただただ通り過ぎるばかりなのであろうか、などと記してみるのも、いかにも言い訳じみて、季節は、花の春となっている。

 

「北冬」№017が、ようやく出来上がり、執筆下さった方、直接購読者、また、さまざまな方たちへの贈呈など、ようやく終えたところである。途中で風邪を引き込んで、少し熱を出してしまったので、「製本所」の期末の混雑の遅れとあいまって、いつものことながら、予定より、発送が、だいぶずれこんでしまった。

 前号の「№016*井辻朱美特集」を出したのが、「2015年6月30日」の奥付発行日だったので、あれよあれよ、あらあらあら、という感じで、20ヶ月を、すでに過去にしてしまった……。

 雑誌の性格は、まったく異にしたが、同じ頃に創刊された2冊、「同人誌」と「仲間誌」を心の内で励みにしていたのだが、「仲間誌」はどのくらいの号数を出したのか、いつのまにか、さしたる印象も残さずに消滅していたが、「同人誌」のほうは、内容も、発行の期日も、じつにちゃんとしていて、一定の成果を上げ、所期の目的をきちんと達成して、先ごろ、終刊した。

 

 こちらは、ただ、あれこれ、グズグズと、ブツブツと呟きながら、なんとか1号1号を積み重ねている感じなのだが、このように〈現在〉していられるのは、誠に、ほんとうに、「予約購読の方々」のおかげなのである。こんな発行状態であるのを、多くの方が見限ることもなく、つどつど、予約して下さるからなのである。

 もちろん、「もう、ここまで!」と決断した夜明けには、真っ先に、お預かりした代金をご返却させていただくつもりでいるのだが、この「お預かり代金」は、マラソンや駅伝ランナーへの沿道の声援が、走る、そのパワーを選手に注入する以上に、小生に強い活力、義務感を与えて下さるので、そのつど、激励され、なんとか続けたいと、あらためて思うのである。黒字にはほど遠い、赤字を積み重ねているだけの雑誌なのだが、愚かな者の行為は賢者が見守っていてくださるということなのである。

 

 今号の「沖ななも特集」も、「井辻朱美特集」に続いて、一人の独自の歌人の魅力が、矯めつ眇めつ、裸にされていて、「50人」にのぼる、着眼鋭い歌人の方たちの文章は、読むことがスリリングな行為で、ゾクゾクする。

 はたして、そのおかげで、風邪を引き込んだか。。。

 沖ななもさんも、タミフルのごやっかいになったらしいが。。。

 

 内容充実の「北冬」№017は「定価700円(税別)」で、書店注文も、当社への直接注文も、好調のすべり出しである。どうぞ、よろしくお願いいたします。 


2017年2月7日(火)晴 風強し

 新しい年も、早くも、ひと月を終え、2月に入った。慌ただしく毎日を送っているわりには、なかなか、ひと様の眼に確かなものが映るようにはゆかないものだなあ、という感想を、折り折り反芻している。

 ひとえに、従来とまるで変わらない仕事の仕方をしているので、時期によって、圧倒的に時間が足りなくなるせいだ。

 編集作業の時期、下ごしらえの時期、さまざまなことを同時に進行するので、取られる時間の量と質の違いによって、外部の目への触れ方が変わってしまうのである。

 それでも、ようやく、新刊を送りだすことができた。去年の夏以来、特に怠けていたわけではないのに、どうしてこんなに期間が空いてしまうのか、不思議だ!

 

 新鮮な感受性を持った、[新感覚の口語]を駆使する新鋭歌人が生み出した一冊、

 水門房子第一歌集『いつも恋して』(四六版上製・232ページ・2400円)

 「つかまえきれない恋心と、とらえきれない詩の心をやわらかく響かせた相聞歌集」

 

 である。昨日、気持ちを込めて、みなさんの手元にお送りし終えたところだ。

 短歌本文の組み方が、これまでの歌集には、おそらく一冊もない[独自]のものを追求している。新鋭歌人・水門房子さんの短歌の[独自性]を、内容と形式で、よく表現することになった。

 ほとんどのみなさんのお手許に届いて、その斬新なスタイルに、きっと、多くの方の眼が見開かれ、驚かれてから、ここでは、広く紹介させていただくことにする。

 乞う、ご期待!  

2017年1月7日(土)

2017年1月7日(土)晴

 昨年の新しい年の始まりに、以下のように書き始めたのだったが、それが、昨年一年を導くような言葉になってしまった。「新しい年になって、はや、10日も過ぎた。年を重ねるごとに、年末から年始へと、終わることも始まることも、さしたる感慨をよぶこともなくなった。それが、個人的な感受性の衰弱によるものなのか、時代的な変化の影響なのか、それすらもピンと来なくなってしまった。つまりは、時代を終えた、もしくは下りた、ということなのだろう。」

 今年も7日になって、初めての書き記しで、昨年末にも一年を終えるにあたっての言葉もなく、年末から年初へとまったくけじめのないこと、どうにも頭を抱えるばかりである。

 それで、とにかく、一年をはじめるにあたって、とりあえず、年賀をさせていただいた。 

北冬舎刊『北村太郎を探して』四六判464頁3200円

 

Ⅰ 北村太郎未刊行未収録詩集

Ⅱ 北村太郎未刊行未収録エッセイ集

Ⅲ 北村太郎を探して「北村太郎の会」講演録

  加島祥造・岩田宏・清水哲男・辻征夫・井坂洋子

  正津勉・吉田文憲。稲川方人・瀬尾育生、ほか

Ⅳ 1992年の北村太郎 (追悼文・追悼詩)

  田村隆一・三好豊一郎・清岡卓行・飯島耕一・

  渋沢孝輔・吉野弘・平出隆・池澤夏樹、ほか

北村太郎年譜・書誌、ほか